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コメント欄の東子さんの情報で既にご承知でしょうが、本27日の深夜「「朝まで生テレビ!」が、放送25周年記念スペシャルと銘打って放映される予定ですので時間の許す方はご覧になり、コメント下されば幸いです。
念のため東子さんのコメントをコピペしておきます。
次回の「朝まで生テレビ!」は、放送25周年記念スペシャル
放送日時 : 4月27日(金)25:25〜28:25 (28日 午前 1:25〜4:25)
沖縄で激論!日本の安全保障とアジアの平和
番組進行: 渡辺 宜嗣(テレビ朝日アナウンサー)、村上 祐子(テレビ朝日アナウンサー)、
三上 智恵(琉球朝日放送キャスター)
司会: 田原 総一朗
パネリスト:
福山 哲郎(民主党・参議院議員、参院外交防衛委員長)
小池 百合子(自民党・衆議院議員、元防衛大臣)
糸数 慶子(無所属・参議院議員、沖縄県選出)
大田 昌秀(元沖縄県知事)
ケビン メア(元米国務省日本部長、元沖縄総領事)
謝花 尚(琉球朝日放送報道制作部長)
手嶋 龍一(外交ジャーナリスト、作家)
前泊 博盛(沖縄国際大学教授、元琉球新報論説委員長)
森本 敏(拓殖大学海外事情研究所所長)
葉 千栄(東海大学教授)
どんな尖閣諸島論が聞けるかな。
★
沖縄側の論者が全員真っ赤な脳ミソの持ち主で極左に偏っているのが気になりますが、筆者も久し振りに夜更かしして見たいと思っています。
最近は深夜にテレビを見る機会が無いが、居眠りしないように濃いコーヒーでも飲みながらウォッチングしてみたい。
大田昌秀元県知事が大うそつきであることは彼の著書を読んだ人なら「嘘つきは大田昌秀の始まり」という戯れ言葉も納得するだろう。
だが糸数慶子参議員議員にいたってはお決まりの左翼用語をシュプレッヒコールをする以外に能のないお方なので、一体何を議論する気なのか立場を超えて一県人としては恥さらしは最小限にして欲しいと願うばかりである。
問題なのは前泊博盛沖国大教授。
琉球新報記者時代、上原正稔さんの執筆よる長期連載中の「パンドラの箱を開ける時」の中のクライマックスともいうべき「慶良間で何が起きたか」の掲載を「自社の方針(イデオロギー)と異なる」という新聞社としては唾棄すべき理由で掲載拒否をした張本人である。
6月17日(火)に行われる「パンドラ・・訴訟」の第8回口頭弁論では被告側証人として証言台に立つ予定の人物である。
漏れ聞くと前泊氏は上原さんの言論を封殺した功績で論説委員長に出世し、その勢いで左翼の巣窟沖縄国際大学教授に就任したと言う。
沖国大での授業は、「琉球新報の社説を読めば真理がわかる」などと豪語しアカデミズムとジャーナリズムの融合して「アカジャーナリズム?」(爆)を目指す等と意味不明の発言で、学生たちを洗脳していると聞く。
「パンドラの箱」が開くことを恐れ、「慶良間を何が起きたか」を封殺した言論封殺魔が一体何をしゃべるのかも興味津々である。
沖縄2紙が徹底して言論封殺を目論む上原正稔さんの原稿を八重山日報が連載することになった。
以下に引用するが本文中M記者とあるのは言うまでもなく前泊博盛沖国大教授のことである。
一介の担当記者に過ぎない前泊記者が、自社のイデオロギーを守り言論封殺をした功績で短期間で「論説委員長→大学教授」と出世できるのが「全体主義の島沖縄」の現状である。
■八重山日報 2012年4月26日(木)
慶良間で何が起きたのか? ―人間の尊厳を懸けた戦い― 上原 正稔はじめに、2011年1月31日ぼくは琉球新報を憲法の表現の自由違反と著作権侵害で訴えた。その内容は慶良間の?集団自決?の真相を伝えようとする一作家を封殺そして弾圧する新聞社の横暴ぶりを告発するものだった。―これだけでも前代未聞の一大事件だが、沖縄の新聞社もテレビも黙殺を続けてきた。そんなわけでぼくの戦いを知る沖縄の人々はほとんどいなかった。そんな中で八重山日報が去る一月と三月に江崎孝さんの?上原正稔の挑戦?を掲載し、そのニュースはあっという間にインターネットを通して全国に広がった。琉球新報も沖縄タイムスも自分たちの都合の悪いニュースは一切黙殺を続けている。しかし、今、八重山日報に続いて、五月十日には『うらそえ文藝』が江崎孝さんの八重山日報の「上原正稔の挑戦」論考の縮刷版を発表する運びになった。
読者もよくご存じのように教科書問題では八重山日報は傲り高ぶった沖縄タイムスと琉球新報に対し、敢然と「真実の報道」を続け、見事に勝利したと言ってよい。真実は多数決で決まるものではないことを証明したのだ。
ぼくの数えるほどしかいない友人らはぼくのことを「勇気がある」と評するが、それは勇気ではない。人のために尽くす、自分のために尽くすな、とぼくの尊敬するロジャー・ピノー先生から教えられた。その言葉を守っているだけだ。「集団自殺」の問題は実は「自分自身のために尽くしている」琉球新報と沖縄タイムスに対する「人間の尊厳を懸けた戦い」なのだ。それをこれから伝えよう―
2006年初頭、ぼくは琉球新報の編集長から沖縄戦の長期連載を依頼された。何年でも自由に続けてくれ、ということだった。それだけぼくを信頼してくれていたのだ。第一弾としてその年の四月から年末まで「戦争を生き残った者の記録」147回を発表し、好評を博したと言ってよい。何の問題も起きなかった。第二弾の「パンドラの箱を開ける時」が2007年5月末から始まり、その冒頭でぼくは次のように予告した。
「第二話 慶良間で何が起きたのかは今、世間の注目を浴びている?集団自決?についてアメリカ兵の目撃者や事件の主人公たちの知られざる証言を基に事件の核心を突くものになるだろう。」だが、第二話が発表されることはなかった。ぼくの物語はその後、四ヶ月間中断した。一体何があったのか。ぼくの連載の新担当者となっていたМ記者には多くの原資料と一週間分の原稿を渡していた。その時、Мはこれはおもしろそうだな、と嬉しそうに言った。そして翌日上京することになっていると話した(東京で何があったのか、誰に会ったのか、そのうち明らかになるだろう)。六月十五日(金)のことだった。ところが、六月十八日の月曜日、Мから新報社に来てくれ、と連絡が入った。新報社に着くと、Мはヤケに威張った調子で、ぼくを編集部の上の階の空き部屋へ連行した。そこには顔見知りの編集記者三人が難しい顔をしてぼくを待っていた。Мはいきなり言った。「第2話は載せないことにした。」「何だと!どういうことだ。」ぼくは怒鳴った。記者の一人が「新報の編集方針に反するからだ。」と冷ややかに言った。別の記者は「君は何年か前に同じ記事を書いているじゃないか。重複は許さん。」ぼくは言った。「それは君らの屁理屈だ。僕は第1話の伊江島戦でも日本側とアメリカ側の両方の資料を使っている。その一つは既に新報で発表している「沖縄戦ショウダウン」を使ったぞ。第2話も「沖縄戦ショウダウン」や多くの資料を使って4、50回の長編にして赤松、梅澤の名誉を回復するものにするつもりだったのだ。その資料はМにも渡している。彼は喜んでいたぞ。」だが、四人組はできんものはできんの一点張りで前に進まない。ぼくは言った。「君たちにはぼくの連載にストップをかける権利があるのか。表現の自由の権利を侵しているんだぞ。ぼくは記者会見でこれを発表する。」一人の記者(現編集局長)があわてて「記者会見はやめてくれ」と言った。話は決裂した。
こうして6月19日から始まることになっていた「慶良間で何が起きたのか」が発表されることはなかった。翌日から予告を読んで期待していた読者から新報に抗議や問い合わせが殺到し、新報社内は騒然となった。ブログで毎日のように「パンドラの箱…」を追っていた江崎孝さんもそんな読者の一人だった。一般の読者は気づかなかったが、彼は「言論封殺」が起きていることをいち早く悟っていた。そのことは「上原正稔の挑戦」で詳しく述べられている。産経新聞の小川さんも同様だ。二人とも報道に関わっているから敏感なのだ。
実はこの時期2007年6月は琉球新報と沖縄タイムスが「集団自決には命令があった」とする大キャンペーンの真っ最中にあったことを忘れてはならない。3月31日政府が「教科書から集団自決の軍命削除」の記事が新報、タイムス両新聞で大々的に報道され、大キャンペーンが始まっていたのだ。新報とタイムスはオピニオンリーダーとしてその社説や社会面、文化面で各市町村に働きかけ、8月までには全市町村が「集団自決には軍命あり」の決議が出されているという異様な状況だった。しかもその議決文がほとんど同じ文面を並べている始末だった。
「パンドラの箱…」が中断し、読者からの抗議や問い合わせが殺到しても琉球新報が上原正稔の筆を折っても図々しく構えていた理由もそこにある。中断から四ヵ月後、Мが連載担当から除され、連載を再開することにし、読者には申し訳ないが「慶良間で何が起きたのか」は飛ばすことになった。 (つづく)
2012年4月27日(金)
慶良間で何が起きたのか? ―人間の尊厳を懸けた戦い― 上原 正稔二〇〇八年八月上旬、170回に達した頃、ぼくの連載を担当している記者が「編集部の方からパンドラの連載をそろそろ終わってくれないかと言ってきた。」と伝えた。ほかの連載が予定されているからだそうだ。ぼくは、いよいよ来たか、と思った。ほかの連載が予定されている、というのは嘘だ、と知っていた。だが、ぼくは「それじゃ、八月一杯で終わろうな」とあっさり言った。新報社内のギスギスした雰囲気にうんざりしたからだ。そこで、『最終章―そして人生は続く』を短くまとめることにした。最終章四回目にぼくは一フィート運動の醜い内幕を暴露する原稿を出した。案の定、編集部は書き換えるよう指示してきた。そこでも、ぼくはあっさり折れ、差し障りのない話にまとめた。だが、最後の五回目(181回)にぼくは「慶良間で何が起きたのか」について短くまとめ、原稿を出した。もちろん、今度も編集部は書き換えを指示してきた。だが、ぼくの腹は決まっていた。これで終わりだ、書き換えることは絶対ない、と通告した。編集部はぼくの友人であった社長を入れて鳩首会談を開き、最後の原稿はボツにすることになった。こんなわけで読者がこの原稿を目にすることもなく、「おわり」を告げるぼくの声を聞くこともなかった。前代未聞のできごとだった。
三年間の連載を不本意に終えて間もない2008年10月、うらそえ文藝誌の星雅彦編集長から連絡が入り、会うことにした。彼の雑誌で「集団自決」の真相について対談したい、と言うのだ。彼はぼくと新報の?喧嘩?を耳にしていた。ぼくは星さんの顔を知っていたが、話したことはなかった。彼も長い間、?鉄の暴風?が間違いだらけであることを知っていて、ぼくの「パンドラの箱」が中断した後に、琉球新報に?鉄の暴風?について小論を出したところ、編集方針に反する、ということで不採用になった、ということだ。そして、まもなく、彼が長年担当してきた新報の美術評論も外された、ということだ。新報の担当者に理由を聞くと、「星さんの文章は難しいからだ」とすぐバレる嘘を言った、というのだ。実は沖縄人にはこうした小さな嘘を平気でつくという習性があるのは確かだ。ぼくはこうして、『うらそえ文藝』で「人間の尊厳を取り戻す時、―誰も語れない?集団自殺?の真実」を発表した。そして、同時に「集団自決をめぐって」と題する星さんとの対談の中で、沖縄タイムスと琉球新報を痛烈に批判した。ぼくの愛読者には申し訳ないが、ぼくが再び、両紙で連載することはないだろう。ぼくは既にルビコン川を渡ってしまったのだ。ぼくはこれからも赤松さんと梅澤さんの名誉を回復することに全力をかけて戦いを続けていくだろう。それが沖縄の子どもたち、そして子孫たちに真の誇りを伝えていくことにつながるからだ。今、ぼくは人間の尊厳をかけた「戦争」の真っ只中にいる。
以下は「慶良間で何が起きたのか」短いながらも読者が理解しやすいようにまとめたもので、2009年「うらそえ文藝」で発表した「人間の尊厳を取り戻すとき」に若干手を加えたものである。
はじめに―僕はこの二十数年、戦争を「人間が試される究極の舞台」として物語を書き、読者に伝えてきた。だから、反戦作家ではない。それどころか、僕は戦争の物語から「人間とは何か、そして自分とは何か」知ろうとしてきた。そして人間について多くのことを学んだ。
人はよく戦争とは醜いものだと言う。だが、僕は最も醜いはずの戦争の中に最も美しい人間の物語を発見し、それを読者に紹介してきた。暗黒の世界に一条の光が差し込むと、その希望の光は真夏の太陽よりも眩しいものだ。米須精一、グレン・ネルソン、グレン・スローターの三人組が洞窟に隠れている住民数千人を救出した話、轟の壕で玉城朝子さんとい美しい女性が数百人の住民と兵士を説得し、投降させた話など例を挙げればキリがない。僕は数々の戦争の物語を伝えてきたが、まだ伝えていない大切な物語がある。それは慶良間の?集団自殺?の話だ。そこには誰も語らない、語れない物語がある。そこには、?希望の光?が残されているのだろうか。
慶良間の?集団自決?をめぐる論争
2007年沖縄では沖縄タイムスと琉球新報が「慶良間の集団自決は軍命令によるものだ」というキャンペーンを張り、ほとんどの読者は「赤松と梅澤が自決を命令した」と思い込んで「安心」している。この問題は、渡嘉敷の海上挺進第三戦隊長であった故赤松嘉次さんの弟、秀一さんと座間味の海上挺進第一戦隊長であった梅澤裕さんが「自決命令を出していない」として、その名誉を傷つけたとする「沖縄ノート」の著者大江健三郎さんと出版社の岩波書店を訴えたことに起因する。だが、その真の原因は五十年間のロングセラーを続けている沖縄タイムスの『鉄の暴風』に在ることは誰の目にも明らかだ。
一九五〇年沖縄タイムス、(販売元朝日新聞)は『鉄の暴風』を2万部発刊した。この本によって「赤松大尉と梅澤少佐は集団自決を命令した極悪人」であることが「暴露」され、そのイメージが定着した。一九七〇年、曽野綾子さんが赤松さんら第三戦隊の隊員らに取材し、現地調査を行い、『ある神話の背景』を著(あらわ)し、「赤松嘉次さんは集団自決を命令していない」と発表した。だが、沖縄の人々が曽野綾子さんの真実の言葉に耳を傾けることはなかった。僕もその一人だった。ちょうど、孵化したばかりの雁の雛が、最初の目にした動物を母親だと思って、ついて行くように、若い頃植え付けられた先入観を払拭することは困難なのだ。 (つづく)
☆
【おまけ】
八重山日報が「教科書問題⇒「パンドラの箱掲載拒否訴訟」⇒県立高校PTA会費裏給与事件」と県民の知る権利を守るため1人奮戦するなか、八重山毎日新聞はいい歳して苔むした革命思想にかぶれた執筆者にコラムを担当させ読者の洗脳に必死の様子だが、ネットの普及した昨今、このような絶滅危惧種の寝言のようなコラムで騙される読者はいない。
読者のほうが数段進んでいることに八重山洋一郎なる執筆者は気が付いていないのはお気の毒とである。(涙)
以下は石垣市民の怒りのコメントです。
☆
4月26日2012
PAC3を含む自衛隊が…
Category: 不連続線
http://www.y-mainichi.co.jp/news/19941/
---------【引用】-----------------------------------------------------------
PAC3を含む自衛隊が撤収したと思ったら、また新たに奇妙なことが起こりつつある
▼石原東京都知事が尖閣を購入するとのたまうた。
全くのワーベーグトゥ(余計なおせっかい)である。
こんな発言はかえって近隣諸国の反発を買うばかりだ
▼国境問題というのは昔から戦争による決着か、
あるいは双方に不満を残す妥協案によるしかなかった。
石原氏は愛国熱をあおって緊張を高めるつもりなのか。
英雄気取りで本人はいい気持ちであろうが
それはあまりにも短慮というものだ。
イザコザが起これば困るのは八重山の我々、
特に尖閣近海に出漁している漁民たちだ
▼紛争状態となったらいったいどうするつもりなのか。
それが拡大して戦争にでもなれば、これだけ武器が発達してしまった現代においては
もはや勝者はいない。双方とも破壊的な打撃を受けるだけだ
▼尖閣問題は関係国いずれにも大きな不満を残す外交交渉による以外ない。
いくら時間がかかってもその妥協案が見付かるまではどの国も尖閣については
手を出さず棚上げしておく。何も起こらないことが我々にとって最大の利益なのだ。
ただ今現在が曲りなりにもその状態を保っているのだ
▼とにかく現場から遠い人たちの勝手な思い込みによる無責任な愛国熱は
全くもって迷惑以外のなにものでもない。
(八重洋一郎)
・・・・・【引用終わり】
18世紀フランス暴力共産主義革命家「ブランキ」を唯一崇拝する無政府主義アナーキスト、
ブランキ八重山洋一こと、八重山毎日新聞「不連続線」筆者の一人、八重洋一こと、
「糸数用一」の国際情勢の変化、国際政治が読めない者の学生運動時代のまま思考停止した
70代の者の化石思考研究のため、全国読者の皆様にぜひご一読願います。
購読料を支払い、毎週このようなクズ論考を朝っぱらから読まされる読者の気持ちの
一端をぜひご理解願います。
この者、「論語」の知識をひけらかし、「くさった人間はどうしようもない」と過去に
何かに物を書いていますね。
一人「独善の境地」にいて、他者を愚か者、と自惚れた化石思考の「現代の革命家」を
自称する「不潔な、まやかし」の不連続な「不連続線」の書き物を紹介しました。
国民の切なる現実的思いを知らず、石原知事を愚弄しする。
全国の読者をバカにするのもいい加減にしろ!!
【追記】
八重山日報紙面に上原正稔さんの「人間の尊厳を懸けた闘い?」の投稿を
拝読しました。
・・・「友人らは勇気がある」と評するが、それは勇気ではない。
「人のために尽くす。自分のために尽くすな。」とぼくの尊敬する
ロジャー・ピノー先生から教えられた。その言葉を守っているだけだ。・・・
読後、とても印象に残る言葉でした。
石垣島より
★
〜緊急事態基本法を制定しよう〜
■■安全保障セミナーのご案内■■
謹啓 陽春の候 皆様におかれましては益々ご健勝の事とお慶び申し上げます。
昨年の東日本大震災から1年が経過しましたが 瓦礫の処理や原子力の問題等で四苦八苦している状況であります。先般の北朝鮮のミサイル実験、尖閣における中国の領海侵犯等私たちを取り巻く東アジアの情勢は緊迫した状況であります。しかしながら自然災害や有事などの緊急事態に対応しきれないのが日本の状況であります。今回は特に中国の軍事力、人権問題等の現状ついて又北朝鮮や中国の行動の根本にある共産主義思想について下記の通りセミナーを開催致します。ご多忙とは存じますが皆様お誘い合わせの上御参加賜りますようお願い申し上げます。 謹白
記
*日時 平成24年5月4日(金)13:30開場
14:00〜16:30
*会場 護国神社 社務所ホール 那覇市奥武山町44
098−857−2798
*講師 国際平和研究所所長 渡辺芳雄氏
セミナー? 隠された中国の脅威
セミナー? 共産思想の脅威と我々の覚悟
*会費 1000円(資料代等)
主催 世界平和連合沖縄県連合会
後援 沖縄県平和大使協議会
問い合わせ 090−3014−0183(小湊)
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