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■「辺野古テント村」の取材
昨日午前9時家を出て一路高速道路を北に向かった。
名護市役所を訪問し、そのご「辺野古テント村」を取材した。
その後辺野古公民館に大城康昌辺野古区長を訪ね2時間に渡り取材し「辺野古テント村」についての驚くべき事実を聞くことができた。
取材内容は追々報告するが、大城康昌辺野古区長によると、沖縄2紙はオフレコを平気で暴露したり、事実を捻じ曲げた歪曲記事を書くので、抗議したところ辺野古集落には寄り付かなくなったとのこと。 長時間の取材の後、公民館近くの「たんなは食堂」で美味しいソーキソバを食べて、午後3時過ぎ帰宅した。
筆者の娘が名護に嫁いだ関係で最近名護にはよく行く。
行く度に名護市役所を車窓に見るが、今回改めて見ると、名護市民には申し訳ないが、あの廃墟を思わせる怪しげな外観は一体誰の設計だろうか、とつくずく考える。 特に小雨に翳む夕暮れ時に市役所を正面から見ると、まるで魔物の棲む館のような妖気を感じるのは筆者だけだろうか。
このような複雑な外観の設計を止めて、シンプルな設計にしていたら、素人考えでも、建築費は2、3割は安く上がったとだろう、と考える。
名護市役所では、安里順・名護市企画部広報渉外課(基地対策)・課長に面談した。 安里課長に面談した理由は安里氏が名護市の公有財産管理者で名護市の財務管理者でもあるので、辺野古海岸に左翼団体が設営した「辺野古テント村」に関する名護市の見解及び現在どのように対処しているかを聞くためであった。 安里課長との面談で驚くべき事実が判明したがこれについては後ほど詳述する。
テレビに出るジャーナリストや評論家たちが「辺野古を現地取材してきた」などとドヤ顔で述べるレポートの類は大抵は次のようなものであることを現場で確認することが出来た。
彼らは先ず名護で稲嶺市長に取材し「県外移設と反戦平和」の決まり文句を聞かされ、その足で許田から山越えをして東海岸の辺野古区に行き、浜辺に設営された「辺野古テント村」へ行くのが定番。
そしてそこに座り込む反日左翼団体に取材し、それを以って「沖縄の民意」と報告するのが通常である。
これを見た県外の人々は市長のお膝元の名護市も現地の辺野古地区も一致団結して「県外移設」が民意であると考える。
いや、県外の人々だけではない。
筆者の友人知人約十名に「辺野古テント村」についての認識を聞いてみたら概ね次のような意見であった。
「辺野古区民が設営したテント村だが、今では過半数は県外出身の支援者で占められている」
ところが大城区長によるとテント村の「住民」には辺野古の地元民は1人もいないという。
ほとんどが本土から流入した左翼集団だとのこと。
昨日もテント村に待機しテント村の状況を説明してくれたのは三重県出身の若い女性であった。 「貴方たちととは反対の立場です」と述べたが「いろんな立場の人に聞いて欲しい」と辺野古海岸の地図のあるパンフレットを示して丁寧に説明してくれた。
テント村は違法だと言ったが、弁護士に聞いたら違法ではない、と信じ込んでいる様子である。 ここで彼女と違法性を争ってもラチがあかないので近くにある辺野古公民館に大城区長を訪ねた。
大城区長との長時間に及ぶ話は興味津々たる内容であった。
その詳細は、後日改めて報告するとして、東海岸に面する辺野古地区を含む旧久志村と山で隔てられた旧名護町が合併したこと自体に無理があり、同じ東海岸の宜野座村と合併したほうが自然だったとは大城区長がふともらした感想であった。
そう、筆者のような沖縄県民でさえ、名護市に行く機会はあっても山越えをして東海岸の辺野古を訪問する機会はめったにない。
一つ山を越えた東海岸に面する辺野古地区は西海岸の名護市とは別世界の印象である。
したがって辺野古に関する情報は沖縄2紙から得ることになる。
「辺野古テント村」と大城辺野古区長を訪ねる気になった契機は、過日の沖縄タイムス社会面の最下部の見落としがちな場所にそっと掲載されているベタ記事である。
「テント村・」に拡声器
【名護】「日本侵略を許さない国民の会」と書かれたのぼりを掲げた男女6人のグループが17日正午ごろ、普天間飛行場の移設に反対する市民団体が座り込む、名護辺野の通称「テント村」を訪ね、テントの撤去を求めた。 市民団体によると、グループのメンバーがテントに入り一時騒然となったが、近くで警戒していた名護署員が駆けつけ、大きなトラブルには至らなかった。 グループは拡声器を使って主張を繰り返し、約20分後に現場を後にした。
☆
稲嶺名護市市長は「辺野古テント村」移設反対」」の撤去を来求める辺野古区民の要請に対して、憲法の表現の自由などを盾にして撤去に応じていない。
社会 2011年11月5日 10時10分
【名護】名護市辺野古区(大城康昌区長)は4日までに、米軍普天間飛行場の辺野古への移設に反対する市民団体のメンバーらが座り込みを続けている通称「テント村」の立ち退きを求めた。
区役員らが3日、テント村を訪れ、ヘリ基地反対協議会に対し、口頭で説明した。同区行政委員会で立ち退きするよう求める議決しているという。同協議会は「討議して結論を出す」としている。
テント村は辺野古漁港近くにあり、市が土地を管理している。撤去可能なテントに県内外から連日、座り込みの支援者らが集まっている。
同区は地域住民の散歩コースであること、夜間に未成年者がテント内に立ち入り飲酒などの行為をする恐れがあることなどを理由に退去を求め、市を仲介役に話し合いを続けてきた。
市は憲法で集会、結社、表現の自由が認められていることから同区に「撤去を強要できない」と伝えていた。市議会9月定例会の一般質問では辺野古区出身の宮城安秀市議が「区民運動を展開してでも、撤去させたい」と述べていた。
テント村での座り込みは移設計画で国がボーリング調査に乗り出した2004年4月19日に始まった。
稲嶺名護市長の理不尽な態度にたまりかねた辺野古住民が763人の撤去要求の署名を提出している
このニュースは全国紙の報道によるとこうなっている。
辺野古「テント村撤去を」住民763人の署名提出
米軍基地移設
日米両政府が米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設を目指す沖縄県名護市辺野古区の大城康昌区長は2日、移設に反対する市民団体が座り込みを続けている「テント村」の撤去を求め、区民763人分の署名を稲嶺進市長に提出した。
区は昨年7月から市と市民団体に立ち退きを求めてきたが実現しないため、1月下旬から約2週間、署名活動を実施。区内の高等専門学校の学生を除く住民約1500人の半数以上の署名を集めた。
署名を受け取った稲嶺市長は「話し合いで解決できる方法を模索したい」と応じたが、同席した区民からは「早く解決しないと、実力行使をしようという若者も出かねない」といった声も出た。
(2012年3月3日 読売新聞)
注目すべきはテント村の「住民」はほとんどが県外の活動家であり、大城区長が指摘するように辺野古野住民は皆無という事実。
【在特会】辺野古テントへのカウンター
http://www.nicovideo.jp/watch/sm17282327
■米軍との親善の象徴、辺野古「アップルタウン」
辺野古集落の入り口には、かつて栄えた「アップルタウン」のモニュメントがある。
「アップルタウン」は辺野古住民に慕われたアップル中佐の名にちなんで付けられたことを知れば、沖縄2紙の垂れ流す歪曲記事で「鬼畜米兵」の報道を読まされる読者には驚く人もいるだろう。
アップル中佐と「アップルタウン」の関係をを説明する看板がある。
沖縄のマスコミが報道する扇情的な記事を見ると「米軍基地の公害に」怒り狂う県民が憎悪むき出しにヤンキーゴーホームを叫んで、島ぐるみ運動を起こしている」・・・といった印象を受けるだろうが、元々キャンプシュワーブ」を誘致した辺野古住民は「普天間基地容認」の態度である。(本心では歓迎でも容認と言わざるを得ないのは気の毒であるが)
辺野古地区のHPによると、アップル中佐 と区民の交流は次のように述べられている。
《基地建設の着工を機に新しいまちづくりの機運が高まり、昭和33年に上集落のまちづくりがスタートしました。このまちづくりにおいて多大な協力をしてくれたアップル中佐に因んで町名が「アップル町」と命名されました。その後、この開発によりまちは急成長し昭和40年には309世帯、2,139人の規模となりました。》
◆米兵と辺野古住民の心温まる交流
危険な地区なら人口は減少するはずだが、沖縄全県の人口が例年増加しているのと同じく、基地の町辺野古でも人口は増えている。
サヨク新聞の報道だけ見ると沖縄とは「米兵の強姦魔が徘徊し、女子中学生を見ると犯しまくり、泥酔米兵が住民を引き逃げする危険地域」という印象を受けるだろう。
だが戦後、基地と共存し発展してきた辺野古地区では、毎年、基地との交流をはかる行事を行い米兵も参加し和気あいあいと極めて友好的にやってきた。
毎年行われる地域と基地との友好をはかる為の地域行事にはこんなものがある。
◆区民運動会
毎年、辺野古区民運動会に11班として参加するキャンプシュワーブの人たち。
◆大綱引き
大綱引きの観戦に米兵を招待したり、一緒に綱を引いたりしています。
◆辺野古の「アップルタウン」の由来となったアップル中佐
1956、年米軍の基地担当将校として赴任したアップル中佐をに辺野古区民は敵意を露にしていたが、アップル中佐が辞任して沖縄を去るときには辺野古住民は彼を好きになっており別れを惜しんだという。
沖縄マスコミは、基地公害を訴えるとき「小指の痛み」という情緒的文言を使うが、辺野古移設の当事者である「辺野古野の気持ち」、つまり「小指の気持ち」は全く無視している。
辺野古住民が長年米軍基地と共存共栄してきた努力の結果「辺野古移設」を容認しているのに対し、
ほとんどの県民が見たこともないジュゴンのためテント村を作り「ジュゴンを救え」などと叫んでいるサヨク団体の意見を「民意」と報道する沖縄マスコミの罪は大きい。
「1996年の返還合意から14年間の紆余曲折を完全に無駄にしてしまった」直接の責任は、勿論民主党政権にある。
名護市民ののび太さんが、辺野古の大綱引きに参加した経験をコメントして下さっているので下記に転載しておきます。
辺野古の祭り のび太さんのコメント
昨年、3年に1回開催される辺野古の大綱引きを初めて見たのですが、たいまつを掲げ、ほら貝が鳴り響き、昔ながらの衣装を身につけた男達の勇壮な姿に感動しました。観光化され見世物になっているエイサーとは異なり、琉球民族の伝統と誇りを感じさせるものでした。その中に米軍の方々が協力・参加なさっているのが驚きでした。スピーカーから聞こえるアナウンスも日本語と英語の両方でなされていましたし、綱引きにいたっては、ウチナー(沖縄)もアメリカー(米軍)も一緒になって盛り上がっていました。ナゴンチュー(名護人)の私ですら知らなかった辺野古の事情を、他の市町村や県外・大気圏外(鳩山)の人々にはイメージできないと思います。地元メディアの偏向で、本当の民意が沖縄県内に伝わっていないです。稲嶺市長も知らないんじゃないですか?地元町内会の清掃や敬老会も選挙出馬することになって初めて顔を出すようになったと知人が言っていましたので、けっこう世間が狭い方のようですよ。
■誰も知らない辺野古の真相
昨日は名護市役所、「辺野古テント村」そして大城辺野古区長と取材して回り沖縄2紙が報じない驚くべき事実を知ることが出来た。
前述のように詳細は今後数回に分けてレポートする予定だが、テント村の中を見学のとき、内部にいたシベリアンハスキー犬について付いてだけ報告しておきたい。 大城区長らによる再三の立ち退き要請に対し、夜間はテント村から「住人」たちが撤収する約束を取り付けたが、夜間空き家になった」テント村の警護に大型犬をテント内部に放っているとのこと。
大人しい辺野古区民はこの大型犬の夜間放置に関し特に反対していないが、海岸の無人のテント小屋に事情を知らない青少年が忍び込んだりしたらどうするつもりだ。
子どもたちにとって獰猛な大型犬は熊にも等しい危険な動物である。
他人の空き地に勝手に違法な構造物を作り、その警護に獰猛な大型犬を放置するとは人権団体は何も騒がないのか。
住民の生活よりジュゴンを守れと叫ぶ連中には、子どもたちが犬に咬まれるのも何とも思わないのだろうか。
4月中に辺野古住民大会が行われるとのことで、その後本気になって違法な「テント村」の撤去に立ち上がるかどうかを決めるとは、大城区長の話。 辺野古集落を車で一回りしたが村のいたる所に左翼の立て看板や横断幕が目に付き、静かな集落がよそ者の「反日左翼集団」に蹂躙されているとの印象を受けた。
辺野古区民はお人好し過ぎる!
続く
☆
【おまけ】
県立高校PTA会費流用「裏給与問題」は沖縄2紙が必死になって矮小化をはかっている。
監督責任者の大城浩教育長自身が西高校の英語教諭時代に「裏給与」を受取った疑惑が浮上しているからである。
極悪複合体の一員である沖縄2紙が同じ仲間の大城教育長を必死に庇うのは想定内だが、この問題はイデオロギーを離れて子を持つ親なら誰でも関心のある全県的問題である。
沖縄2紙は八重山教科書問題同様に「不都合な事実」を隠蔽しようとしているのに対し、八重山日報がこの問題も大きく報道してくれた。
アッパレである。
民間感覚「高過ぎる」 那覇西高校PTA 手登根安則会長(48)県立高校の教員が「ゼロ校時」と呼ばれる早朝講座で保護者から手当を受け取っていたことは、以前から問題だと指摘していた。本土では、こうした事例がないことを知っていたからだ。教員が早朝講座や課外授業で手当を受け取っているのは、沖縄と九州の一部しかない。
教員には、時間外勤務の手当として給与に4%を上乗せした『教職調整額』がある。従来、早朝講座は時間外勤務だというので、教員は保護者から手当を受け取ってきたが、どこまでが教職調整額でカバーされる時間帯なのかはっきりしない。保護者も、どこまで報酬を支払っていいのか見えてこない。
那覇西高の教員は45分の早朝講座で3千円を受け取っているが、民間の(時給の)給与水準からすると、あまりにも高い。今年2月、「金額で歩み寄りはできないか」と学校に持ちかけ、評議員会で話し合ったのが今回の問題の発端だった。
教員は「ぼくたちは特別職だ。カウンセラ―は1時間で5千円取る。ぼくたちは安いほうだ」と言った。私は、あいた口がふさがらず「PTAのお母さんは昼間働いて、ご飯を作ってこの会議に参加し、帰宅してから片付けをしている。そんなお母さんたちこそ特別職だ」と反論した。
「手当をもらえないならゼロ校時には協力しない」という教員もいた。「ゼロ校時がなくなると、子どもの深夜はいかいが増える。勉強について行けない子が出て、国公立大に行く子が激減する」とも言われた。まるで脅迫だ。
那覇西高は、県内で最初に早朝講座をスタートさせた高校だ。それから各高校に広がった。20年前は全県で200人程度だった国公立大の進学者が、現在では千人に増えた。学校側は「ゼロ校時の効果だ」と言うが、この20年で変わったのは、進学塾が増えたことだ。国公立大の合格者の9割は進学塾に通っている。ゼロ校時だけが理由というのはナンセンスだ。
私は教員に支払われた報酬について「基準を出してほしい」とPTA事務担当者に要求したが「ない」と言われた。何と、手当の受け渡しは口頭での伝承だったのだ。
学校側は、PTAからのお願いでゼロ校時が始まったような話をしているが、学校とPTAがゼロ校時について交わした覚え書きもない。ゼロ校時がPTA主催だというのは、教員が手当をもらうための方便ではないか。最初から手当ありきの悪しき慣習だったのだと思う。
ゼロ校時は子どもの学力を上げるためというお題目で始まったが、それから20数年、沖縄の学力はどうなったのか。全国で最下位だ。学校は「子どもがついてこれないから、本来なら授業時間で教えることを、ゼロ校時で教えている」と言う。しかし本来は授業で教えることをゼロ校時で教えているなら、課外授業として親に手当を請求するのは、理屈に合わない。悪く言えば、指導力不足を親に負担させている。ゼロ校時は通常の授業の延長だと言っているうちは、学力は伸びない。
全県で年間1億円余が教員に支払われながら、なぜ沖縄の学力は全国最下位なのか。よしんばゼロ校時がPTAからの依頼だったとしても、結果を出していると言えるだろうか。
沖縄の教員は、手当を受け取る慣習の中で、自らの資質を高める努力をおろそかにしてこなかったか。本土のように、信念を持って子どもに体当たりする先生がいれば、手当を出さなくても学力は伸び、合格者が増え、先生は誇りを得る。沖縄にはそれがない。「金ありき」はいかがなものか。
個人的な意見だが、今回の問題の責任は県教委と学校にあって、現場の教員にはあまりないと思う。教員は最初からお金をもらうことが慣習になっているシステムに組み込まれてきたのだ。おかしいと思っても、自分だけもらわないことはできなかっただろう。
県教委の職員はほとんどが教員出身で、自分も学校現場で手当をもらい、事実関係は認識していた。なのに、コンプライアンス(法令順守)に配慮しなかった。県教委と学校の責任は重い。
しかし私は、ゼロ校時は継続するべきだと思う。学力や生活習慣の向上に一定の効果がある。ただ、その中の生活習慣については、親がお金を払ってやるべき事ではない。親の家庭教育の範疇(はんちゅう)に入ることだ。親にも危機意識がなく、安易に学校任せにしていた。
親が手当を払うにしても、どの時間帯までが教職調整額でカバーされているのか、根拠をはっきり示し、金額は県内一律にしてほしい。PTAの財力、手当額の大小で、公教育の場で格差を作り出すことは、望ましくない。
有志の会は、ゼロ校時の手当は上限でも千円、下限はゼロ(無報酬)が妥当だと考えている。PTAは役所ではないから、民間の基準で支払えばいい。教員がどうしても、もっとほしいというのであれば、公費負担にするべきだ。そのときは一緒に要請してもいい。
沖縄は、朝が早く昼間が長いという特色がある。私は県教委に、ゼロ校時は1校時にするべきだと提案している。授業開始を繰り上げれば、ゼロ校時は時間外勤務ではなくなる。その分、授業が早く終わるので、課外授業や部活も早く始められる。
子どもから必要とされる教員は、県に兼職兼業願いを出して、堂々と有料の講座を開けばいい。
ゼロ校時の代わりに、校内でPTA主催の進学塾を開いてはどうか。外部から民間の塾講師を招く。学力のレベルを高めるために、徹底的に指導してもらう。
教員に対しては「結果を出せなかったから辞めろ」とは言えないが、外部講師であれば、結果を出せないなら責任を追及し、契約を打ち切ればいい。保護者が出す報酬の効果が、手に取るように分かるはずだ。
子どもを全国最下位の学力から救い出すためなら、PTAはお金を惜しまない。
教育の現状を変えるために、多くの人たちに有志の会(?090―8305―4896)に参加してほしい。 (談)
☆
早朝講座 無承認で報酬 県立高校 八重山も受領中止 県教委、違法性認める
■■沖縄県祖国復帰40周年記念大会についてお知らせ■■
政府や沖縄県は特定の限られた人々で復帰40周年の式典を行う予定です。
当然の事ながら、祖国復帰40周年は、県民あげ、国民をあげて祝うべきものと思います。
私共は、以下のように県内外の有志により、祝賀行事の実行委員会を立ち上げ記念行事を企画致しましたので、多くの方々の参加をお願い申し上げます。
◆祖国復帰40周年記念大会
5月12日(土)会場:宜野湾市民会館
入場料:500円 会場1200席
オープニングセレモニー:13時30分
県内外の有識者挨拶
特別提言:ペマ・ギャルポ桐蔭横浜大教授「我が祖国チベットと沖縄」
基調講演:津川雅彦(俳優)
「日本人の誇り―沖縄県祖国復帰40周年を迎えて」
琉球・国まつり太鼓 若手30人による演舞
閉会16時
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主催:沖縄県祖国復帰40周年記念大会実行委員会
連絡先:波の上宮内 090−6831―0989 坂本まで
Fax098(868)4219
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