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自衛隊の小さな応援団、」ハッピーニュース2011−新聞協会

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とりあえず【動画】でこの感動的なニュースを・・・。

【動画】警察・自衛隊に 小さな声援

 

大賞は「夢は流されない」=ハッピーニュース2011−新聞協会

 4月6日の「新聞をヨム日」を前に、日本新聞協会は5日、読んで幸せな気分になった新聞記事とその理由を募集した「HAPPY NEWS 2011」の受賞者を発表した。今年2月12日付の北海道新聞朝刊で東日本大震災の被災者を取り上げた「夢は流されない」を読んだ北海道帯広市の馬渕智子さん(46)が大賞に選ばれた。(2012/04/05-15:13)

        ☆

東日本大震災以来、暗いニュースが続いている日本にも明るいニュースはあった。

大賞には洩れたが、優秀賞に選ばれた「小さな声援」の動画には思わず涙した。 

最近涙腺が緩くなったのは歳のせいなのか。 

いや、そうではない。

幾つになっても、感動すれば、涙も出る。

福島で、被災地に向かう自衛隊や警察の車に朝夕、手書きのメッセージを掲げ手を振る小学生の姉弟。 

子どもたちの感謝の声援に敬礼やガッツポーズで応える自衛隊や警察。

 

自衛隊が大嫌いな朝日新聞もこれを記事にしていた。

 支援の車に「ありがとう」 福島の姉弟手振り続け3カ月

asahi.com 2011年7月20日17時1分

写真:警視庁の車に手を振る広野あみさんと諒君=福島市飯野町青木、山吉写す
警視庁の車に手を振る広野あみさんと諒君=福島市飯野町青木、山吉写す

 福島県の沿岸部の被災地と福島市を結ぶ国道114号沿いに毎日朝と夕、小学生の姉弟が立っている。福島市立青木小学校6年生の広野あみさん(12)と4年生の諒君(10)。行方不明者捜索などで行き来する警察や自衛隊の車両に手を振り続け、3カ月になる。

 夕方、福島市飯野町青木の峠道。警視庁のパトカーが来た。2人はカレンダー裏に書いた「おかえり!!」「いつもありがとう」のメッセージを急いで広げ、手を振って「お疲れさまでした」と大きな声をかけた。警察官も手を振り返した。

 始業式だった4月6日、通学路の国道114号は全国から派遣された警察と自衛隊の車両が連なり、横断できないほどだった。「大きくなったら、人を助ける仕事がしたい」という諒君が、登校前と下校後に手を振るようになった。やがてあみさんも加わった。車が多く通る時間に合わせ、平日は午前6時20分と午後4時半からそれぞれ1時間余り国道脇で待つ。

 1日も欠かさず、雨の日もカッパを着て立つ。手作りのメッセージボードは雨にぬれ、今は五つ目だ。

 「警察や自衛隊の人が手を振ってくれるのがうれしい」とあみさん。活動の最終日に車から降り、記念撮影をしてくれる警察官や自衛官も多い。2人の自宅には各地からたくさんの写真や手紙が届く。陸上自衛隊福島駐屯地は「君たちの応援は私たちの大きな力となり、活動の原動力となっています」。警視庁第6機動隊は「時にはつらい時もありますが、諒君とあみちゃんが応援してくれたおかげで、とても勇気づけられました」とお礼を書いた。

 「2人の根気には脱帽です。好きでやっているから苦にならないんでしょう」と母親の清美さん(36)は見守る。夏休みもしばらく続けるというが、最近は支援部隊の撤収が進み、1台も通らない日もある。「それはそれで、いいことなんだよね」と親子で話し合っている。(山吉健太郎)

                      ☆

一方、今朝の沖縄タイムスが、自衛隊によるPAC3配備で、再発狂した。

狂った見出しの紹介です。

■一面トップ

≪PAC3警備に銃携行≫

石垣の陸自実弾入り

自衛隊施設以外 国内初

■二面トップ

配備・警報・・・憂う県

攻撃地域表示「看過できない」

■三面トップ

「衛星」に備え警報試験

県内7市町村で不具合

PAC3配備完了

石垣港に2機到着

■社会面トップ

≪「衛星」敢行に影≫

県内キャンセル出始める

石垣 物々しい警備

市民「迷彩服怖い」

PAC3配備歓迎する声も

■第二社会面トップ

≪緊急情報網に穴≫

那覇44ヶ所 音声流れず

市民「聞けても逃げられぬ」

■社説

「衛星」打ち上げ問題

ちぐはぐな政府の対応

          ☆

石垣市の街の声の紹介

★自営業の女性(41)「ここ数年、島に自衛隊がどんどんはいってくるようになった。この光景が日常になってしまうのが怖い」

★市内の女性(70)「孫が迷彩服の隊員の姿に、テレビで見た戦争を重ねて怖がっていた」「そもそもこれだけの人や車が石垣に入る必要があるのか。燃料費も上がり、飲食を切り詰め税金を払っている。税金の無駄使いじゃないのか」

★看護師の男性(38)「配備の必要は感じる。尖閣問題もあり、海保だけでは手に負えないときもあるだろう。島に自衛隊基地があってもいいと思う」

 

                ☆

【おまけ】

昨日5日の石垣市民のコメントです。

         ☆

 石垣島地方の実況中継です。
今朝、午前7時頃、自衛隊艦船接岸中のところ、次々と乗用車で岸壁に乗りつける
市民の一人から解説を受けました。頼もしく、頼りにしている様子の市民でした。

新港埋立地に通ずる「サザンゲートブリッジ」は、一般通行は禁止、
ブリッジ、港に通ずる交差点に警備の警察官が配置され、
現在のところ、特に異常はなく、市民は平常で大丈夫です。

本日午後、たまたま派遣自衛隊員と出会い、話す機会がありました。
「ご苦労さま」と声をかけ、左翼「デモ」について問い、特になかったとのこと。
「このような事態に『デモ』あれば市民は許さない」と激励したところ、
若い隊員は微笑み、その笑顔はとてもよかったです。
市民の信頼、隊員のいちばんの頼りであるように思いました。

それにしても、今朝の八重山毎日新聞「不連続線」の筆者八重洋一郎こと、
「八重山洋一(邂逅発行人糸数用一)」の「不連続線」コラムは国際政治に無知か、
八重の工作員らしき表現の「不連続線」不連続コラム、「視野は世界 視点は郷土」
を標榜する地元新聞コラムの主張、現実の社会との乖離に唖然としました。

この「不連続線」筆者八重洋一郎(糸数用一)氏、「心の底から共感を覚えた」という
与那覇尚子さんの投稿(下)を発見。25日(日)から飛んで、飛んで、飛んで、3/29(木)に
掲載されていましたね。(添付PDFファイル)

投稿(上)与那覇さん、地元在住者と思っていましたが、都会暮らしの者で、アジビラふうの文調、
プロ市民のように思われますが、この投稿に「不連続線」筆者八重山洋一氏は
「心の底から共感を覚えた」ようです。

「そして沖縄全体、八重山全体、与那覇さんにならってその意志を強く持つべきだ
とつくづく思わされたのである。」と結んでいます。

手前勝手な思いであり、読まされる読者には余計なお世話だ!!(怒)

(今は廃刊の)「日本最南端のタウン情報誌 月刊ゆう」2001年5月号八重氏巻頭エッセー
「さざなみ通信」から、

「・・・ちなみに政治的人間で私が唯一好きなのは19世紀フランスの革命家ブランキ
(1805年〜1881年)である。彼は決して徒党を組まなかったがかえってそれ故に
あらゆる権力にとって最大の危険要因であった。
彼はその76年の生涯のうち33年間を牢獄で過ごしている。・・・・
・・・・・中略・・・・・
さして勤勉でもない私如き人間をも何十年と数学教育にたずさわらせてきた。
何事も始まりは〇からである。
その第一歩が〇からの出発であってもなんらひるむことはない。
かくて私は子供達と共に成長していく純粋な時間を心から楽しむのである。

ところで、私は次の話も非常に好きだーこれは『論語』にあるのだが。
ある時、孔子が、怠けて昼寝をしている弟子に言った。
『朽木(きゅうぼく)彫るべからず=くさった木には彫刻はできない』。

そうなのだ。解らないところから始めるのは何でもない。

しかしくさった人間はどうしようもない。」


彼、八重山洋一は、一応、物が書けるだけに、いろいろと書いています。
それだけに、彼の考えはとても解りやすいです。

アナーキスト(無政府主義者)を自称して憚らないのは、地元読者をバカとでも
思っているかのようで、鼻持ちならぬ思い上がりな物書きが、いつのまに購読料を
支払う新聞にエラソーに「不連続線」コラムに自説の物書きとして登場、有頂天に
なっているようですが、読者には迷惑至極ものですね。

購読料(お金)を支払って、アナーキスト(無政府主義者)の書き物を読まされるのは
たまったものでありません。「公害」そのものです。

(続く)

石垣島読者より

 

昨日、夕刻の送信文について・・・・
革命家が徒党を組まなかった。???・・・・・

以下、調べてみました。

> 私(*八重洋一郎)が唯一好きなのは
> 19世紀フランスの革命家ブランキ(1805年〜1881年)
> 彼は決して徒党を組まなかった。

・・・・・*WEB検索より引用・・・・・

ブランキの「四季の会」
http://www.kaho.biz/blanpui.html
 ルイ・オーギュスト・ブランキは1805年2月1日生まれ、
若い頃にジャーナリストとして共和主義的秘密結社カルボナリ党と
かかわったことから革命家の道へと投じることになった。
1830年にフランスで起こった「七月革命」(註1)実現に一役かった
ことから勲章を授けられるが、しかし彼は七月革命後の大ブルジョアの支配(註2)
に見切りを付けて極左共和派へと突き進み、31年と32年、さらに36年と
3度に渡って獄に投じられた。彼の信条は「革命達成のための唯一の具体的要素、
それは力である。剣を持つ者はパンを持つ。武装した労働者のみちみちたフランス、
それこそ社会主義の到来に他ならぬ」というもので、官憲の目を逃れつつ徹底的な
暴力革命を遂行するために極秘裡に結成した「四季の会」がよく知られている。

 「四季の会」の特色はその組織にある。
まず7人が1「週間」と呼ばれる小隊を結成し、「日曜日」がその指揮をとる。
4つの「週間」をあわせて「月」、3つの「月」をあわせて「季節」、
4つの「季節」をあわせて「年」となり、これだけで365人のメンバーを
統轄することになる。この中では指揮官のみが口頭で相互の連絡をとるものとされ、
それ以外の会員間の連絡は禁止されていた。メンバーは武器や弾薬の準備を義務付けられ、
新入会員の勧誘法や逮捕された際の心得といったことも徹底されていた。

 その「四季の会」は39年5月12日にパリ市庁と警視庁を襲撃した。
赤旗を掲げる数百人の会員は極左学生、青年弁護士、ジャーナリスト、労働者、
一部のブルジョアからなっていた。しかし彼等はその日の夕刻には壊滅し、
ブランキ本人も捕えられて死刑の判決を受けてしまう。もっとも国王ルイ・フィリップは
刑死したブランキが英雄になることを恐れて終身禁錮に減刑し、
さらに47年4月に釈放した。

以下、略す。

・・・・・・・引用終わり・・・・・・

石垣島読者より



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