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大田昌秀 『集団自決写真』の嘘

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破廉恥ペンギン市長が、16年も続いた「南の島のペンギン王国」を追放されて2年。

以来、八重山地区に吹く風の流れが変わった。

ペンギン市長を極左独裁政権の座から引きずりおろしたのは石垣市民の良識であった。 

流れが変わり空気が変わった。 

長年八重山地区を支配してきた極悪複合体の強大な力にも陰りが見え始めた。  

昨年夏から続いてきた教科書採択問題は極悪複合体が死守すべき最後の砦のはずだった。 

彼らが構築してきた巨大ダムにも亀裂が生じてきた。 

どんな堅固なダムも市民の良識という水圧に耐えることは出来ない。

八重山地区に吹く風は沖縄全県にも影響を及ぼし始めた。

 

このところ極悪複合体(反日左翼複合体)の活動が連戦連敗だと書いた。 

ネットの普及による県内からの反撃と連動するように全国版論壇誌の反撃が始まった。

雑誌「WILL」5月号で、ジャーナリストの鴨野守氏が極悪複合体の象徴とも言える大田昌秀元沖縄県知事を一刀両断にし、その歪曲と捏造の手口を白日の下に晒した。

鴨野氏は沖縄戦の現地取材では、本土ジャーナリストの中ではもっとも数多く、そして長期にわたり綿密な取材をしたことで知られ、その成果として集団自決の真相を綿密に取材した「あばかれた「神話」の正体」(詳伝社 平成21年)などの著書がある。

以下は「WILL」5月号に掲載の鴨野氏著「大田昌秀 『集団自決写真』の噓」の引用である。

鴨野氏著「大田昌秀 『集団自決写真』の噓」

「鉄の雨」とも称される米軍の凄まじい艦砲射撃で、地形が変わったとまで言われる沖縄戦。「ありったけの地獄」と形容された沖縄戦を象徴する写真が何点かある。そのなかの一つが、沖縄を代表する著名人の手で改かいざん竄されていた。本稿はその事実をはじめて明らかにするものである。

 野原に叩きつけられたようにして横たわる婦女子。その顔や腕、手足は血にまみれている。鎌、やかん、草履が散乱するなかに折り重なって人が倒れている。草に隠れた犠牲者も含めれば、住民の数は十人ほどか。

まさに「無残な最期」の場面である。この写真は、戦後六十余年が過ぎてなお社会問題となり、軍命令の有無をめぐって法廷でも論争となった「集団自決」の現場の記録として、広く知られている。

 これをはじめて「手榴弾による集団自決」として、琉球新報社発行の写真記録『これが沖縄戦だ』で紹介したのが、大田昌秀元沖縄県知事である。

 一九二五年、沖縄生まれの大田氏は四五年三月、沖縄師範学校在学中に、鉄てつけつきんのうたい血勤皇隊の一員として沖縄戦を戦った。戦後は早稲田大学を卒業したあと、アメリカに留学。ジャーナリズム研究を進めるなか、一九七六年から七七年はじめにかけて、米国防総省で膨大な数の沖縄戦関係の写真を発見し、正式な手続きを経て一千数百点を沖縄に持ち帰った。

 これを整理したものが、地元の球新報』紙上に一九七七年三月二十八日付から百二十九回にわたり、「これが沖縄戦だ」として連載された。同年九月七日には単行本化され、那覇出版社から発売された。

 この本を見ると、上記の写真は見開きで掲載されていることから、同著の目玉であることがわかる。だが、筆者が沖縄県立図書館で調べたところ、『琉球新報』の連載には、この衝撃写真は掲載されていなかった。「スクープ」とも言える写真を新聞に掲載せず、連載が終わってからまとめた写真集に掲載したのはなぜなのか。

 理由は定かでないが、気になる箇所があった。それは、掲載時の写真説明である。「米軍の説明では、本島南端で砲撃による死とあるが、あきらかに手榴弾による集団自決とみられる(六月二十一日)」

 写真は、米軍の従軍カメラマンが撮影したものだ。キャプションも当然、カメラマンが付ける。いつ、どこで撮り、どのような場面だったかは、撮影者の記録が一番、信頼が置ける。

 そのカメラマンが「本島南端で砲撃による死」とした写真説明を、著者の大田氏は「あきらかに手榴弾による集団自決とみられる」と強引に変えているのである。

 ここに、大田氏の悪意が透けて見える。「あきらかに手榴弾による集団自決とみられる」という一文は、日本語としておかしい。「あきらかに」とはじまるのであれば、末尾は「集団自決である」と言い切るのが自然だ。しかし大田氏は、集団自決であると断定できる根拠を持っていなかった。そこで、「集団自決とみられる」と曖昧な表現でぼかしたのであろう。

 致命的なミスがもう一つある。写真に写っている遺体を見てほしい。

 これが「あきらかに手榴弾による」ものだろうか。手榴弾が炸裂したのであれば、遺体の一部が激しく損傷しているか、またはバラバラになる可能性もある。ところが、写真の遺体にそのような痕跡は見当たらない。鉄血勤皇隊の一員として沖縄戦に参加した経験を持つ大田氏ならば、そんなことは百も承知のはずだ。

           ★

このまま最後まで一気に全文を紹介したい衝動に駆られるが、現在店頭で発売中の月刊誌のことゆえ、続きは是非本屋さんでお買い上げの上読んで頂きたい。

月刊WiLL(マンスリーウイル)5月特大号の目次

【2大スクープ】
?中国が作った「沖縄占領憲法」全文
?大田昌秀「集団自決写真」の嘘


【 総力大特集 南京大虐殺は捏造だ!】
「日中共同研究」の大罪
西尾幹二 福地惇 福井雄三 柏原竜一

朝日は中国の代弁者だ 山際澄夫

「南京事件」の虚構は簡単に証明できる 冨澤繁信


「南京事件」証拠写真はすべてデッチ上げ 溝口郁夫

誰が「南京大虐殺」を捏造したか? 古荘光一

新聞が報じたその日の「南京」 グラビア特集

 

 (参考)

大田氏の著書の写真のキャプションに見る捏造の時系列

発行 昭和52年9月7日(1977年) 写真記録「これが沖縄戦だ」
編集者 大田昌秀 発行所 琉球新報社 発売 那覇出版社
米軍の説明では、本島南端で砲撃による死とあるが、あきらかに手榴弾による集団自決とみられる(6月21日) 
発行 1977年9月15日  沖縄戦記録写真集 日本最後の戦い
発行者 佐久田 繁 写真提供 米国防総省 発行所 月刊沖縄社 編集 神谷、中曽根
発売元 新日本教育図書株式会社
米第32連隊の布陣地帯からのがれようとして、弾丸に倒れた非戦闘員たち(6月21日)。米軍の説明はこうあるが、写真は集団自決の現場のように見える。

発行 昭和55年3月3日(1980年) 戦争と子ども―父より戦争を知らない子たちへ―
著者 大田昌秀 発行所 那覇出版社 (*小学校高学年対象と思われる*)
沖縄では、平和時にはとうてい考えることさえできない住民の「集団自決」が決行された(1945年3月)

発行 昭和57年3月3日(1982年) 平成2年7月1日 13刷 記録写真集 沖縄戦
編集 那覇出版社 発行所 那覇出版社 写真提供 米国防省・米陸軍省・米海兵隊本部・米航空隊
▲前線から逃げる途中に砲弾に倒れたと米軍の説明にはあるが、あるいは集団自決のようにもみえる(6月21日)

発行 1982年8月10日 総史 沖縄戦
編集者 大田昌秀 発行所 株式会社 岩波書店
慶良間列島における住民の(集団自決)・(米軍の説明では本島南端での(砲撃による死)とある)

昭和58年12月10日(1983年)改訂一刷 写真記録「これが沖縄戦だ」改訂版
著者 大田昌秀 発行所 琉球新報社 発売 那覇出版
手榴弾による集団自決(米軍の説明では、本島南部での砲撃による死とある。)

1984年First Edition Copyright 1984 by Masahide Ota
“MASS SUICIDE” OF WOMEN AND CHILDREN
Morbidly afraid of being captured by Americans as a result of intensive Japanese military propaganda, many civilians chose suicide with hand grenades , knives and
whatever weapon available.
マサヒデ オオタによる1984  1984の第一版著作権


1987年10月24日 初版1刷 
写真記録 沖縄戦後史(7頁)
編者 沖縄タイムス社 発行所 沖縄タイムス社 印刷 文進印刷株式会社
集団自決 爆発音と悲鳴、慶良間列島における住民の集団自決?はこの世で目にした最も痛ましい光景だった=1945

1988年6月23日 語りつぐ沖縄戦 珊瑚の島燃えて
編集 「語りつぐ沖縄戦 珊瑚の島燃えて」編集委員会 監修 大田昌秀
(*小学校高学年対象と思われる*)  印刷所 中和印刷紙器株式会社
発行 沖縄県学校用品株式会社
慶良間列島における住民の悲劇(手りゅう弾による「集団自決」と考えられる)

1990年3月31日(平成2年) 渡嘉敷村史 通史編
編集 渡嘉敷村史編集委員会 発行 渡嘉敷村役場 印刷 株式会社 南西印刷
親が子を,子が親を殺した集団死だろうか それとも-・・・・1945年3月〜7月

発行 平成2年5月20日(1990年)改訂13刷 写真記録 「これが沖縄戦だ」改訂版
編著者 大田昌秀 発行 那覇出版
写真 (キャプション無し)
改訂版の刊行にあたってという挨拶文が大田昌秀氏によって書かれ、序として仲宗根政善琉大名誉教授によって書かれ、文中に「大田氏は、集団自決の惨状の写真は、目をおおわしめ、ここにのせるに忍びないと記している。」とあります。

発行 1990年6月15日 大田昌秀「平和」を語る
著者 大田昌秀 発行所 公正・公平で心ゆたかな文化県政をつくる県民の会
住民の集団自決か

1991年9月7日 初版第1刷 人間が人間で無くなるとき(58・59頁)
著者 大田昌秀 発行所 沖縄タイムス社 印刷 文進印刷株式会社
米軍の捕虜になるのを恐れて、集団自決した民間婦女子たち。(1945年6月21日)


1998年9月18日 改訂増補版第一刷 改訂増補版 写真記録 沖縄戦後史1,945-1998
編者 沖縄タイムス社 発行所 沖縄タイムス社 印刷 文進印刷株式会社
集団自決 米軍の捕虜になるのを恐れ、集団自決したとみられる民間婦女子たち―1945年6月21日

発行 2002年3月20日 これが沖縄だ 改訂版 写真記録
編集者 大田昌秀      発行 那覇出版社
手榴弾による集団自決(米軍による説明では、本島南部で砲弾による死とある)

グラビア 少女が負傷した写真
*血みどろになった少女は(実は、この子は、日本兵の暴力から身を守るため、少女の姿にさせられていた少年であった)*

                   ★

当日記の読者なら既にご存知のはずだが、上記赤字表記の「少女」が実は、少年だった・・・というのも驚きだが、ところがやはり少女だった。

事ほど左様に大田氏の著書は十重二十重のウソでまみれており、到底常人の理解の及ぶものではない。

 

 

【おまけ】

沖縄の風は、本土から吹くネ風にも変化が見える。

 
以下は、反日勢力を斬る(2)さんを全文引用させてもらいました。

産経、沖縄の反日2紙を斬る

産経新聞が反日メディアの沖縄タイムズと琉球新報の偏向報道を激しく批判した。
一時、ワイドショーのニュース解説で、コメンテーター達が「沖縄タイムズ」や「琉球新報」をスタジオに持ち込んで、カメラに見せながら、本土の新聞には書いてない事が書いてある、本土の人も読むべきだと言っていたのを思い出す。(確か川村晃司や横尾和博だったと記憶している)
しかし、誰が見たって、フツーの人が読めばバリバリの赤新聞で、沖縄の人達がこの2紙にマインド・コントロールされているかと思うと同情したくなる。
沖縄県民の米軍基地への異常な程の反発や、集団自決問題などへのこだわりをみると、この2紙の罪深さを感じる。
沖縄タイムズ社の「鉄の暴風」や大江健三郎の「沖縄ノート」が一時囃されたが、日本にとって害あってこそ何の利益ももたらさなかった。
大江に至っては「自衛隊員は同世代の恥辱だ」「自衛隊員のところにお嫁に行くな」とまで自衛隊を貶したが、大震災の後、「91.7%が自衛隊に良い印象を持っている」という世論調査が出た。自衛隊の本来の責務とはやや異なる任務で評価を得たとは言え、ケンザブローの顔が見たい。
 
閑話休題
 
今回、産経新聞か2紙を攻撃したのはとても良いことだ。
昨今の野田首相の「命がけ増税」を全紙一斉にヨイショしているが、「増税はデフレをさらに悪化させ、税収は逆に落ちるから止めろ」と一紙ぐらい弓を引くメディアは出ないものか。
産経新聞にはその筆頭に立ってもらいたい。
 
産経新聞(2012/03/31)
外患見ない沖縄の2県紙 琉球新報と沖縄タイムス
 
【野田政権考】
 沖縄で大きな影響力を持つ二大県紙の琉球新報と沖縄タイムスは、3月14日付朝刊1面のトップ記事で、同じニュースを取り上げた。在日米海軍の輸送ヘリと小型輸送機各1機が13日に−沖縄県などの自粛要請があったにもかかわらず−民間空港である石垣空港の使用を「強行」したというもので、総じて批判的なトーンだった。このヘリは中将の搭乗を意味する三つ星マークがついており、米第7艦隊司令官(スコット・スウィフト中将)の専用機だった。実は、司令官は東日本大震災の追悼式に出席後、艦隊へ帰還するため石垣空港でヘリに乗り替えたのだという。空港使用の自粛要請自体も疑問だが、そもそも第7艦隊の司令官が旗艦へ戻るのに、空港を使わせたくないというのは了見が狭すぎないか。
 
 ◇震災追悼式からの帰途
 第7艦隊はトモダチ作戦で救助・救援に奮闘してくれた。その縁で、司令官は3月11日、都内での政府主催の大震災1周年追悼式に出席。13日に厚木基地から輸送機C12で石垣空港へ飛び、司令官専用ヘリHH60に乗り換えた。米軍機の空港利用は待機を含め1時間15分だった。
 日米地位協定の第5条は民間空港の使用を米軍に認めている。今回、米軍は事前に使用届を出していた。司令官の搭乗は公表されなかったが、艦隊行動の秘匿と軍要人の安全確保から当然だろう。
 14日付朝刊の見出しはこうだ。
【琉球新報】
 「米軍が石垣空港使用」「自粛要請も強行」「08年以来 周辺で抗議集会」(以上1面)「『緊急』に疑問符」「米軍 石垣空港使用強行」「恒常化の懸念も」(以上2面)「米軍機石垣飛来 市上空旋回に怒り」「観光への影響懸念も」(以上社会面)
 
【沖縄タイムス】
 「米軍機、石垣空港使用」「県・市の自粛要請無視」「知事、緊急外使用に『遺憾』」(以上1面)「軍利用に拍車 市民警戒」「石垣に米機 一方で歓迎派も」(以上社会面)
 沖縄タイムスは、市民有志でつくる八重山防衛協会のメンバーが「トモダチ作戦」に感謝する横断幕を掲げたことに触れたが、全体として米軍の空港使用に批判的なトーンだったことに変わりはない。琉球新報の歓迎の動きへの言及は沖縄タイムスよりそっけなかった。司令官搭乗の可能性は琉球新報だけが言及したが、トモダチ作戦と関連させる視点はなかった。
 2紙が、司令官の大震災追悼式出席をキャッチしていたかどうかは分からないが、大震災1周年のこの時期、トモダチ作戦を思い出し、少しは寛容になってもよさそうなものだ。
 
 ◇中国軍が喜ぶ?
 国家間の同盟も、人と人との心の絆が基盤だ。あまりに狭量な態度は日米同盟深化に逆行し、沖縄県民を含む日本国民の安全を損なう方向へ作用しかねない。
 沖縄県は緊急時以外の民間空港の使用自粛を米軍に求めてきた。仲井真弘多知事(72)も2紙もこの自粛要請を破ったとして反発した。しかし、沖縄は今や国防の最前線となっている。その地域での同盟国軍への過度の制約は中国軍を喜ばせるだけだと思われる。
 2紙は、3月16日に中国国家海洋局の海洋調査・監視船が尖閣周辺の領海に侵入したことは地味に報じるばかり。北朝鮮の長距離弾道ミサイルに備えた地対空誘導弾パトリオット3(PAC3)配置には社説で、「南西諸島に新たな緊張を持ち込むことにならないか心配」(沖縄タイムス、3月20日付朝刊)「軍備増強のエスカレーションを招きかねない」(琉球新報、3月23日付朝刊)と懸念する。身近に迫る外患は気にならないのだろうか。(政治部 榊原智(さとし))

 

 

 

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