第32軍司令部壕の説明文から「慰安婦」「住民虐殺」などの文言を削除したことについて、最近の仲井真知事の発言は従来とは何か一味違った切れ味がある。
これまでのように沖縄2紙の顔色を気にしながら曖昧な発言を繰り返すのではなく、自信を通り越して余裕さえ感じる。
それも極悪複合体が、しつこく同じ質問を繰り返せば繰り返すほど自信の度合いが強くなっていると感じる。
1日の県議会で、仲井真知事は「(慰安婦が存在したという)証言が確証を得られないと言って入る中で、書くべきかどうかというのは常識でわかるものではないか。したがってこれは書かない」と文言復活を強く否定した。前日は記者団の質問に対し、文言削除は「良識の問題」としていたのを、県議会では「常識の問題」と一歩踏み込んだ発言をした。
共産党の前田政明氏が「知事の良識は、県民の願いを踏みにじる判断だ」と食い下がると、仲井真知事は「ご冗談を」と一蹴したという。
ということは、しつこく文言復活を迫る前田氏や沖縄2紙は県民の「良識」どころか人間としての「常識」さえ欠落した連中と県知事が公言したことになる。
お見事である。
彼らの「非常識」を認めて文言復活を認めでもしようものなら、彼らの「非常識」の輪は一気に拡大し、今度は「ひめゆりの搭」の説明文に「ひめゆり学徒は日本軍将校の慰安婦だった」などの文言を書くように迫るようになるだろう。
なにしろ反日左翼複合体には日本国民としての良識はおろか人間としての最低の常識さえ持ち合わせいないのだ。
「ひめゆり学徒は日本軍将校の慰安婦だった」と公言してはばからない人物がいる。
高嶋伸欣琉球大学名誉教授のことである。
八重山教科書問題で「識者の見解」などとデタラメな情報を垂れ流し、反日活動の必ず顔を出してくるこの人物の言動を辿れば、極悪複合体が反日という共通目的のため地下茎で強く絡み合っていることがわかる。
彼らは日本を貶め、沖縄を貶めるためには手段を選ばず、あらゆる反日活動の場面には登場する。先日予告した「ひめゆり学徒は日本軍の慰安婦だった」に関連する雑誌『WILL』の対談の関連部分を再度引用する。
小林
先日、「報道2001」に出ていた高嶋伸欣琉球大学教授は「ひめゆり部 隊が慰安婦になっていたことがある」と発言したことがあるんですよ。全くの嘘 話なのに、ひめゆり部隊の語り部さんたちは抗議の声を上げないんです。結局、 反戦平和側の人間だから、仲間割れすれば右派・保守派を利すると考えたんでし ょう。これには腹が立ちました。「ひめゆり部隊」の名誉をしっかり守れ、と言いたい。
私がこんな説教がましいことを言うのも、この歳になったからであって、 当時の空気を知る世代がいなくなれば、言ったもん勝ちになって、嘘の証言が事 実として通ってしまう。だから私は生きているうちに声を大にして言っておきた いのよ。 高嶋伸欣氏が東京の高校教師をしていた頃、とんでもないでたらめな本を出版している。 ひめゆり学徒を慰安婦と貶めた著書 『教育勅語と学校教育−思想統制に果した役割− 』(岩波書店 、 1990年11月20日)。その後高嶋氏は琉球大学の教授となり沖縄紙で「識者の意見」などと称して沖縄県民を貶めてきたことは周知の通りである。 高嶋氏のトンデモ本をこれを断罪する上杉千年氏の著書『検証「従軍慰安婦」』(全貌社1996年9月)から該当部分を引用する。 高嶋氏は、沖縄県民を『皇国民』に仕立て無意味な戦争に駆り立てた「皇民化教育」の象徴として「天皇・日の丸・君が代」への徹底的攻撃が学校を中心に実施されてきた。 しかし、反日左翼複合体にとっては、こうした運動だけでは「皇民化教育」の実態を暴露するのは不十分と考えた。 そこで、『皇民化教育』に踊らされる県民の愚劣な実態を捏造し公表する以外にないと判断した。 そのためには、沖縄で最も聖なる存在である『ひめゆり学徒』に代表される殉国の乙女とその引率教師を汚し辱めることこそ効果的として、"ひめゆり学徒にも従軍慰安婦がいた”という妄言の論文の公表となってくる。 ■「ひめゆりの乙女」おも汚す究極の「反戦平和」 沖縄の反戦平和論の支柱をなしているのが「皇民化教育」批判であるである。 そこで、『皇民化教育』の実態を暴露するために『ひめゆり学徒隊』の「忌まわしいい事実」を捏造し公表するという究極の反戦平和論が進行したのである。
それは、筑波大学付属高校社会科教諭高嶋伸欣著『教育勅語と学校教育』(平成2・11・20、岩波ブックレット)によってである。 それには、平成55年の社会科地理研究大会が那覇市開催された折に、記念講演をした「地元の歴史学者」が、次のように発言したと紹介している。 ≪足手まといの「ひめゆり学徒隊」 沖縄戦といえば先ず最初に連想される「ひめゆり部隊」についても、美化されすぎているとし、「実は正規の看護婦からみれば、足手まといになったような状態もかなりあったようです」と述べた。(2頁) 従軍看護婦もいた『ひめゆり学徒隊』 中には、これもいいたくないことですけど、真実を語るべきだ思いますのでいいますが、彼女たちは単に野戦看護婦であっただけでなく。ときには高級将校の慰安婦の役割まで押し付けられた子どもたちもいたのです。・・・」と。 私たちは衝撃を受け息を飲んだ。たしかに当時の日本軍の性格からすれば、ありうることと思えた。≫(2〜3頁」 ≪さらに「ひめゆり同窓会」(沖縄県立女子師範・沖縄県立第一高女の同窓会で結成)の関係者や沖縄の研究者たちをたづねてまわった。「残念だがそれが事実です」という回答が数人からあった。 ただし、「ひめゆり部隊」の少女の中に該当者がいたとしても一人か二人だろう。 むしろそれ以外の若い女性が大部分のはずだとのことだった。≫(4〜5頁) 高嶋氏は、沖縄の乙女たちが従軍慰安婦を志願した理由は講演後に質問した所、講師は次のように回答したという。 ≪身も心も”お国”(天皇)のために捧げることこそ最高の美徳だと徹底して“教育”洗脳されていた所で、その天皇の軍隊”皇軍”の将校の求めだったのだから、女でもお役に立てるのだと思いこそすれ、疑問を感じる余裕などなかったのだ。≫ ≪求めている側の日本軍の将校の地位が高ければ高いほど名誉なことだとして、地元の側でも指導者層が進んで身内の子女から生かせたくらいだ≫(3〜4頁)」 以上が「沖縄戦の悲劇と公民か教育」(2〜70頁)の要旨である。 この論旨よりして「ひめゆり学徒隊」に従軍慰安婦がいたのだから、その他の学徒隊、即ち、県立の第2高女、(白梅学徒隊)・第三高女(名護蘭学徒隊)・首里高女(瑞宣学徒隊)私立の」積徳高女(積徳学徒隊)でも、「指導者層」である引率教師により、「名誉なこととして」「すすんで」提供されてということになり、すべての学徒隊の教師と生徒の名誉は汚されたことになる。
■”根も葉もない話し”と訴える「ひめゆり関係者」
高嶋氏のあまりにもデタラメナ記述に怒り心頭の)上杉千年氏は早速反論のための調査を開始する。
高嶋氏は、沖縄国体に向けて「沖縄戦・国土が戦場になったとき」(昭和52年・青木書店)で、「将校用慰安婦と皇民化教育」と題して執筆したが、「そのような事実はないという反論が沖縄の人々から提起」(10頁)されなかったとしている。
しかし、それは「同署」では、「沖縄住民に将校用の慰安婦の提出を求め、それに対して多くの若い女性たちが応じていた」という漠然とした表記であったからであろう。
それに対して、今回の論文は、極めて具体的である。 そこで「ひめゆり学徒隊」の関係者に意見を伺った所、次の回答を得た。
≪生徒の遺族・金城和彦国士舘大学教授より
金城氏は2人の令妹を「ひめゆり学徒隊」に捧げた方で、「嗚呼・沖縄戦の学徒隊」(昭和53年,原書房)等の著者でである。 また、ご尊父和信氏は「ひめゆりの塔」等を建設された方である。
「ひめゆり部隊」の女学生は、軍属として野戦病院壕で負傷兵の看護(第一線で)に命の限りを尽くしたのが実相で、慰安婦になったのがいたというのは、絶対にありえないことで、それは為にする左翼の常套手段で、散華した乙女たちの御霊に対ししても絶対許してはならない暴言である。
引率教師の未亡人・玉代勢秀子女史より
玉代勢女史の夫君玉代勢秀文沖縄師範学校女子部助教授は、「ひめゆり学徒隊」の引率教師として散華されている。そして女史は、夫君の音信30通を「ひめゆり教師の手紙」(昭和63年、二戸来社刊)として敢行されている。その返信は、「根も葉もないこんな恐ろしいことをでっち上げる人間もいたものですね。聖なるひめゆり学徒、戦火を潜り抜けた生存者に対して残念極まりない思いです。生き残りの親しい友人に聞いていましたがそのようなことは絶対ないということでした」
ひめゆり同窓会長・嶺井百合子女史より
私は「ひめゆり同窓会」会長に書面を事前に送付し4月15日(平成4年)に電話をした。その要旨を示してみよう。
問:「ひめゆり隊」にも従軍慰安婦がいたという話は本当でしょうか・
答:「そいうことは、ありうることではありません。
問:「貴方のご年齢は・・・。そうすると「ひめゆり隊員」ではなかったのですね。」
答:「ひめゆり」のことは良く知っています。絶対にそのようなことはありません。
問:「金城国士舘大学教授も強く否定してみえますが、そうですね。」
答:「金城さんの仰る通りです。」≫
☆
故上杉千年氏の「検証『従軍慰安婦』(全貌社)の引用で、高嶋伸欣琉球大学教授の「ひめゆり学徒日本軍の慰安婦」説がいかにデタラメであるかは自明であるが、ひめゆり学徒の高齢化で生存者がほとんどいなくなったのを見越して、高嶋教授がテレビなどで発言しているとしたら人間の屑として唾棄すべきである。
上記インタビューに応じていた嶺井女史も既に逝去されている。
⇒嶺井百合子さん死去/ひめゆり同窓会前会長(1999.10.18)
この高嶋という人物、沖縄左翼の代弁者として沖縄紙に頻繁に登場するが、学者というよ極左活動家と言う方が相応しいと何度も指摘してきた。
だがここで疑問に思うのはいくら活動家とはいえ、全く根も葉もないことを言いふらすはずもない。
どからか流れ出た伝聞情報にちがいない。
その伝聞の情報源は本人の著書ではこう説明されている。
平成55年の社会科地理研究大会が那覇市開催された折に、記念講演をした「地元の歴史学者」が、「ひめゆり学徒には日本軍の慰安婦もいた」発言したと紹介している。
ここでは「地元の歴史学者」とだけ記しているが、こんな重要問題を自著やテレビで公開に名前を伏せているのはいかにも不自然である。
この件について現在沖国大と言論封殺」の戦いを続行中の、惠隆之介氏が一体どこの歴史学者がそんなことを言いふらしているのかと高嶋氏に直接問いただしたところ、その歴史学者とは安仁屋政昭沖国大教授のことだと明言したという。
では全くの嘘話なのに、ひめゆり部隊の語り部たちが講義の声を上げないのか。
何故これほど明らかなデタラメが活字になったりテレビで公開されていつというのに沖縄メディアが沈黙しているのか。
「反戦平和は免罪符」という法則が働いて、高嶋教授や安仁屋教授の主張がどんなに嘘八百でも、小林氏の指摘するように、同じ反戦平和側の人間だから、仲間割れすれば右派・保守派を利すると考えるのだろう。
それよりも極左学者、沖縄メディア、反戦語り部たちが同じ反日左翼複合体の構成員であるからといったほうがわかりやすい。
その意味では八重山問題も第32軍壕説明板問題も「ひめ百合学徒慰安婦説」も地下茎ではしっかり結びついているということが出来る。
ひめゆり学徒を冒涜し沖縄を貶め、日本国の解体を企む反日左翼複合体を沖縄から放逐すべきと考える人、
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