今回の「防衛局長不適切発言」も本来ならオフレコ発言を一面トップで報じるべきかどうかというジャーナリズム論が、一転「沖縄県民を侮辱し差別した」として沖縄問題に変換されてしまっている。
民主党政権がことさら沖縄を腫れ物扱いする理由は、15年にも及ぶ日米の努力の結果合意を見た「普天間移設」を、鳩山元首相が「最低でも県外」と実行不可能な発言をしたことによる。
従って民主党政権が続く限り、沖縄に過剰反応し腫れ物扱いをせざるを得ないというのは自業自得ともいえる。
だがこれ以上政府と沖縄との不毛な「腫れ物扱い」の関係が続く限り基地問題は解決できない。
普天間移設はわが国の安全保障の問題であり、国防問題である。
沖縄の基地問題を「小指の痛み」に例えて「小指の痛みを知らないのは差別だ」と叫んで「沖縄問題」に変換する向きもある。 確かに「小指の痛みは全身の痛み」だが、人間の本体が死んだら小指も死んでしまう。
⇒米軍基地は差別ではない!
日本が滅んだでしまったら、同時に沖縄問題も消えてしまう。
国防問題である基地問題を沖縄問題とは切り離せ、とネットの毒舌論客池田信夫氏が論じている。
同和や在日と同じくタブー化されつつある沖縄問題を「刺激的」と前置きしているが、刺激的でもなんでもない冷静な正論である。
極めて的を射た正論を、刺激的と感じる人こそ沖縄をことさら特別視し、まるで腫れ物でも扱うような人である。
実は沖縄問題を必要以上に情緒的に捉える人たちこそ沖縄問題解決のガンである。
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基地問題を沖縄問題から切り離せ 池田信夫今週のテーマは「沖縄」。問題提起の意味で、少し刺激的な意見を書きます。今回の沖縄防衛局長の発言は、いまだに正確な事実がわからないのに、彼を更迭して幕引きしようとしていますが、環境影響評価書の提出を男女関係にたとえる意味がわからない。評価書を出すのが、それほど悪いことなのでしょうか。
地元が反対しているというが、どんな迷惑施設でも地元は反対します。橋本政権から15年近く協議を続け、いったん地元も合意した計画を撤回したら、もう国内で基地の建設はできない。米国務省のケビン・メア元日本部長も指摘するように、そもそもアメリカは普天間基地を移設する必要がなく、それは伊丹空港や福岡空港ほど危険でもない。次の航空写真は、1945年に基地ができたときのものですが、まわりにほとんど住宅はない。
ところが次の2000年の写真では、住宅が密集しています。
つまり現在の住民のほとんどは、基地ができた後に引っ越してきた人々なのだから、危険だと思うなら引っ越せばいい。普天間基地の移転は、沖縄で選挙に弱い自民党が地元に金を落とす公共事業として始まったのです。
辺野古にも、基地の補償金として「北部振興策」に8年間で600億円(市民1人あたり100万円)にのぼる国費が投じられており、島袋市長の時代に名護市は基地の受け入れを決めたのだから、民意は明確です。いま地元が言っているのは「基地はいやだが補償金だけはもらっておく」というルール違反です。反対するなら、600億円を返してからにしてほしい。
本質的な問題は、沖縄の基地は極東の安全保障にとって不可欠だということです。中国の軍事力がここ20年で20倍になったともいわれる中で、力のバランスが崩れると何が起こるかわからない。相手が常識的な話のできる国ではないことは、尖閣諸島の事件でわかったはずです。グアムへの移転は戦略的に危険であり、「最低でも県外」などという話はまったくナンセンスだということが判明した以上、辺野古がいやなら普天間が残るだけです。
沖縄の問題は、在日や同和の問題と似ています。地元の政治家が本土の負い目を利用して、いつまでも「沖縄の心を傷つけた」などという情緒的な理由で基地に反対するのは、メア氏もいうように問題を長期化させて補助金を引き出すたかりだといわれても仕方がない。本土はいつまで、沖縄に謝り続けなければならないのでしょうか。基地を感情的な問題とからめるのはもうやめ、日米同盟の中で沖縄をどう位置づけるのかという戦略的な議論をすべきです。
「弱者の恫喝」という言葉がある。 言われなき差別を受けていた弱い立場の人々が、かつて差別していた人々の贖罪意識に付け込んで強い立場変身し恫喝することをいう。 かつて差別されていた「同和」の人達が言葉狩りに目を光らせ、徒党を組んで恫喝に走ればあの大物ジャーナリストの筑紫哲也氏でさえ、発言に言いがかりをつけられ土下座させられたという。日記は、琉球新報の「田中失言」に関する一面報道を、捏造新聞の暴走だとして批判してきた。
発言した居酒屋席には約10社のマスコミが同席していたにもかかわらず、またあの沖縄タイムスでさえも発言の真偽確認できなかった「失言」を、琉球新報一社のみが報道し、同席した他のマスコミが、翌日から琉球新報に追随した事実からも「失言」の曖昧さがわかる。
それに今回の八重山教科書問題でも明らかなように、琉球新報のイデオロギーのためには事実を歪曲・捏造するという日頃の報道姿勢から判断して捏造の疑念が拭えないのだ。
何よりも琉球新報の体質を表すのには、自社の紙面に長期連載した沖縄戦記の執筆者の上原生稔さんから「言論封殺」で提訴され係争中であるという厳然たる事実も琉球新報の劣化の証左ということが出来る。
評論家の田原総一郎氏が「劣化するマスコミ」として琉球新報を批判しているので紹介する。
劣化するマスコミ、「失言」報道はナンセンスだ
田原総一郎 2011年12月02日
一川保夫防衛相は11月29日、不適切な発言をした田中聡沖縄防衛局長を更迭した。30日付の各紙朝刊を読むと、どの新聞も「更迭は当然だ」という論調で報じていた。
田中前局長の発言は悪趣味の極み。だが……
田中氏の発言は28日夜、沖縄で開いた新聞記者やテレビ局の報道記者との「オフ懇」(オフレコ懇談、非公式懇談会)の場で飛び出した。
米軍普天間基地の移設に必要な環境影響評価(アセスメント)の評価書を沖縄県に12月中に提出するかどうかを記者に聞かれ、田中氏は「犯す前にこれから犯しますよ、とは言わない」と答えたというのである。
この発言を報道したのは琉球新報のみ。オフ懇の場では記者は黙って発言を聞き、翌日の新聞に記事を書いた。すると、「発言はとんでもない」と大騒ぎなり、大手各社が後追いしたのである。オフ懇には9社が参加していたという。
田中氏の発言は、悪趣味の極みだ。相当下品である。その点で田中氏を擁護するつもりはまったくない。
しかし、これはオフ懇での発言である。公式には話せない内容を本音でしゃべり、記者にその背景や前提などを知ってもらうのがオフ懇の主旨である。
発言に異論があるのなら、記者はその場で論争せよ
私は信頼する新聞記者何人かに話を聞いてみたが、「新聞記者であるならば、オフレコは守らなければならない。もし内容に問題があるのなら、その場ですぐに論争すべきだ」と言っていた。
記者が黙って聞き、翌日の新聞にドンとその発言を出す。これは完全にルール違反である。
発言が重大問題であり、報道すべき内容だと判断したのなら、記者はその場で相手にそう言うべきである。そして相手が記者の言い分に対して「いや、これはこういう意味だ」と答えたのなら、それを含めて報道すべきである。
オフ懇での発言を「よし、もらった」とばかりに新聞に書き立てるなど、まさにルール違反。足をすくうどころか、だましているようなものだ。
今年9月、野田内閣の発足から9日で経済産業相を辞任した鉢呂吉雄氏の失言問題の頃から、マスコミはおかしいぞと私は思っていた。
マスコミの質が低下していると思う理由
あの問題は次のような経緯から生まれた。
鉢呂経産相が原発被災地を視察した感想を聞かれ、「残念ながら、周辺の町村の市街地は人っ子一人いない、まさに死の町という形でした」と答えた。この「死の町」が不適切だと新聞やテレビで叩かれ、さらに別の場で鉢呂氏を取り囲んだ記者に「放射能をつけちゃうぞ」と発言したことまで大きく報じられたのである。
鉢呂氏に防災服の袖をこすりつけられるような仕草をされた記者は冗談だと思って記事にしなかったが、その場にはいなく、又聞きしたテレビ局がオンエアして大騒ぎになり、各紙が翌日に後追いしたのだった。
このように「してやったり」とほくそえむようなマスコミの質を私は問いたい。こんなことを繰り返していては、「言葉の魔女狩り」をやっているようなものだ。政治家や官僚たちは「何か言ったら大騒ぎになるかもしれない」と警戒し、本音を語らなくなってしまう。オフ懇など誰も開かなくなるだろう。
マスコミの質が下がっていると感じることは他にもある。オフ懇などで聞いた話を週刊誌に売る記者がいるのだ。「オフレコの場で聞いた内容は新聞には書けない、だから週刊誌に売ろう」というケースが結構ある。一体いつから記者の倫理感が失われたのだろうか。
暴力団と写真を撮ってはいけないのか?
一連の問題を見ていて、「日本のマスコミは危ない」と私は危惧する。それを正面から言う人も少ない。「大変だ」と大騒ぎしているのが最も安全で、「ナンセンス」と批判すると自分の身が危ない。だから誰も何も言わなくなるのである。
11月26日深夜の「朝まで生テレビ」(テレビ朝日)で「激論!暴力団排除条例と社会の安全」というテーマの討論をした。暴力団排除条例に批判的な人物も賛成の人物もパネリストとして招き、議論した。このテーマを取り上げるマスコミは他にない。
島田紳助さんが今年8月に芸能界引退の記者会見を行ったが、なぜ彼は引退しなければなかったのか。ある週刊誌が、彼が暴力団幹部と一緒にいるところを撮った写真を発表するのを恐れたからだろうか。
私自身、暴力団員と一緒に並んだ写真は20〜30枚ある。なぜなら、取材したときに写真を撮っているからだ。
取材をすれば一緒に食事することもある。相手のことをとことん聞くために、お茶を飲みながら時間をかけて取材することもある。暴力団と写真を撮ってはいけないのか? 一緒に食事をしてはならないのか?
暴力団排除条例について、なぜ議論しないのか
今、暴力団に所属している人はアパートが借りられないらしい。ホテルも暴力団関係者は宿泊することができないことがある。暴力団がタクシーに乗ろうとすると運転手は拒否する。弁護士ですら、暴力団の弁護から逃げ腰になる……。
暴力団が飲食店などから「みかじめ料」と呼ぶ一種の用心棒代をとっていたが、今は違法とされている。警察が「そんなことは暴力団に頼まずに警察に頼め」と言ったところで、もし何かあったときに警察は本当に助けてくれるのだろうか……。こうしたことを「朝まで生テレビ」で話し合った。
私は、暴力団がのさばる社会はよくないと思うし、暴力団を弁護する気はない。
しかし、暴力団排除条例について議論がないのはおかしいと考える。警察も、暴力団員を更生させる努力をしないまま、またその議論もしないまま、ただ「排除」するというのはおかしくないか。
暴力団との「付き合い」や「関係」とは何なのか。テレビ業界は「暴力団と関係のあるタレントやタレント事務所は使うな」としているようだが、どういった「関係」なら悪いのか、その線引きはとても曖昧である。
本質を議論できない社会になるのが怖い
新聞やテレビは問題の本質を論じるべきなのに、まったく論じない。枝葉末節なことばかりを取り立てて、大騒ぎをする。
ひどいと感じるのは、週刊誌がタレントの実名を出して、「誰それは暴力団の結婚式に出席した」などと書き立てることだ。それでいて暴力団排除条例についての議論はいっさいしないのである。これこそマスコミの質が落ちたと思う瞬間である。
こうしたマスコミの姿勢はきわめて不健全である、と言わざるを得ない。
最も怖いのは、本質的なことが議論されない社会に次第に傾いていくことである。
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≪発言に異論があるのなら、記者はその場で論争せよ
私は信頼する新聞記者何人かに話を聞いてみたが、「新聞記者であるならば、オフレコは守らなければならない。もし内容に問題があるのなら、その場ですぐに論争すべきだ」と言っていた。
記者が黙って聞き、翌日の新聞にドンとその発言を出す。これは完全にルール違反である。
発言が重大問題であり、報道すべき内容だと判断したのなら、記者はその場で相手にそう言うべきである。そして相手が記者の言い分に対して「いや、これはこういう意味だ」と答えたのなら、それを含めて報道すべきである。
オフ懇での発言を「よし、もらった」とばかりに新聞に書き立てるなど、まさにルール違反。足をすくうどころか、だましているようなものだ。≫
12月3日 最低限の信義を守ってこそペンの力 産経抄 2011.12.3 03:50
1日から2年後の3月に卒業する大学生の就職活動が解禁された。4年生の夏が近づいてから「就職どうする?」とぼちぼち会社訪問を始めた「昭和世代」と違い、今は長引く不況で有名大学を出てもすんなりと就職は決まらないそうだ。
▼近ごろは、就活には何の役にも立たない小欄のところにも何人か「記者になりたい」と訪ねてくる。そのとき判で押したように聞かれるのが「記者になるためには何が必要ですか」という質問だ。
▼正解はいくつもあるだろうが、「信義を守る気概だ」と格好良く答えるようにしている。記者は、頼まれもしないのに他人の悪口を書き、他人にみせたくない暗部を世間に暴くのを生業としているからこそ、人間としての最低限の信義は守らねばならない。当たり前の話だが、実はかなり難しい。
▼前沖縄防衛局長が、記者との酒席での発言がもとでクビになった一件がいい例だ。前局長は、小社を除く約10社の記者を居酒屋に集めて、発言を直接引用しないことを前提とした「完全オフレコ」懇談であると念を押し、宴会を始めたという。
▼酒もすすんだ前局長は、米軍普天間飛行場問題にからめて「(女性を)犯す前に犯しますよと言うか」と暴言を吐いたとされる。懇談会に記者が出席した琉球新報は、翌日の朝刊1面トップでとりあげ、彼は即クビになったが、同じ新聞人として恥ずかしい限りだ。
▼暴言を聞いた琉球新報の記者は、なぜその場で「沖縄をばかにするのか」と一喝しなかったのか。記事にするなら「看過できない発言なのでオフレコ扱いできない」と宣言し、酒杯を伏せて立ち去るのがプロの記者だ。最低限の信義を守ってこそペンの力は光るはずである。
☆ 琉球新報の暴走について「産経抄」は「同じ新聞人として恥ずかしい限りだ」として最大級の批判をしている。 かく言う筆者も「人間として最低の信義もも守れない」琉球新報には同じ県人として恥ずかしい限りである。 田中防衛局長は、本人が正確には何を言ったかは不透明のまま、集団リンチにあい即クビになった。 発言の真偽はともかく、地元紙が一面で報道したこと自体が問題だという。 伝聞情報をもとに付和雷同し追従報道をした他マスコミも問題だが、相手が沖縄というだけで過剰反応し、本人の弁明を聞く前から更迭も止むなしと決めていた政府の態度も問題だ。 「一犬影に吠ゆれば百犬声に吠ゆ」、の世界ではなかったのか。 沖縄をことさら腫れ物扱いする政府の態度こそ、ある意味、差別の極地ではないのか。 政府、マスコミ共々このように沖縄を特別扱いする悪しき慣例は、今後の沖縄の諸問題の解決に大きな禍根を残すことになりはしないか。 ☆ J-CASTニュース
沖縄防衛局長「犯す」発言 正確には何と言ったのか不透明
2011/11/30 19:21
オフレコ記者懇談の「失言」を報じられ更迭された田中聡・沖縄防衛局長は、本当に報道の通り、「犯す」という表現を使ったのだろうか――インターネット上でそんな素朴な疑問も上がっている。
田中氏本人が「記憶はない」と否定していることに加え、「記者懇談」での発言の割には、「本社の記者はその場にいなかった」とする間接情報報道が意外に多いことが影響しているようだ。もっとも、発言の趣旨については田中氏への同情論は極端に少なく、批判的な声が圧倒的だ。
夕刊見だしで「犯す前に言いますか」
田中氏の発言とされる「犯す前に言いますか」の文字が、朝日新聞と毎日新聞の2011年11月29日付の夕刊1面(東京最終版)に踊った。
沖縄の地元紙、琉球新報が、28日夜の「完全オフレコ記者懇談会」で、田中氏が米軍普天間飛行場の移設問題に関連して「これから犯しますよと言いますか」と発言した、との報道を「追いかけた」内容だ。
ただ、両新聞の30日付朝刊記事によると、朝日は「(懇談での)発言時には同席していなかった」、毎日は「参加していなかった」。
また、朝日1面記事は、琉球新報報道を引用する形で田中氏発言に触れ、毎日1面記事は、「防衛省関係者によると」として、田中氏が「『犯す前に犯しますよと言いますか』と発言したという」と指摘している。
沖縄タイムスも同様の「追いかけ記事」を書いているが、「発言時、本紙記者は離れたところにいて発言内容を確認できなかった」そうだ。「(懇談翌日の)29日に複数の出席者に取材し、確認した」としている。
琉球新報報道などによると、28日の懇談会へ出席したのは、報道9社9人の記者と、防衛局から田中局長と報道室長の2人のため、沖縄タイムスは他社の記者から話を聞いた、と読める。
勿論、記者たちが普段報じている「誰かの発言」は、伝聞情報のことも多く、「普段の取材・報道と変わらない」という指摘もある。
「『犯す』というような言葉を使った記憶はない」
しかし今回は、居酒屋で開かれた「記者懇談会」での発言ということで、「発言を確認した取材先は他社の記者」という状況に違和感を持つ人もいるようだ。また、「飲酒」や「周囲の雑音」による影響を想定してか、報道されている田中氏発言の内容の正確さに疑問の声もある。
「(発言は女性に対するものだと)勝手に(記者が発言の)行間を足すことに違和感」(ツイッター)といった指摘だ。
田中氏はどう弁明しているのか。防衛省が公表した内容によると、評価書をいつ提出するのか、に関する話題の際、「私から、『やる』前に『やる』とか、いつ頃『やる』とかということは言えない」「(略)乱暴にすれば、男女関係で言えば、犯罪になりますから」
という趣旨の発言をした記憶があるとしている。さらに、「少なくとも、『犯す』というような言葉を使った記憶はない」とも主張している。もっとも、「今にして思えば、そのように解釈されかねない状況・雰囲気だったと思う」として、「お詫び申し上げたい」と謝罪している。
弁明を信じるならば、「やる」という表現が、「提出をやる(する)」という意味ではなく、性行為を連想させる言葉でもあることから「犯す」報道につながった可能性も感じさせる。
最初に報じた琉球新報に「出入り禁止通告」
では、懇談会で田中氏発言を聞いていたが、「オフレコ縛り」を重んじ、琉球新報報道以降に報道した社は、発言をどう伝えているのか。
時事通信は、「(女性を)犯すときに、『これから犯しますよ』と言うか」
「(読売)記者が参加した」とだけ触れている読売新聞(30日付朝刊)は、「犯す前に(これから)『やらせろ』とは言わないでしょ」
時事と読売とでは、趣旨は似通っているが、表現はかなり違う印象も受ける。
もっとも、最初に「オフレコ破り」で報じた琉球新報は自信満々だ。なにしろ、田中氏に評価書関連の質問をして、問題となった発言を引き出したのは同紙記者だからだ。
田中氏とどこかの社の記者が交わしている会話を遠巻きに聞いていたわけではない、というわけだ。30日記事で報告している。
ちなみに、発言を報じると沖縄防衛局に通告すると、「(公表すれば)琉球新報を出入り禁止することになる」と警告してきたという。
結局、田中氏が、朝日や毎日が見だしにもとったように「犯す前に言いますか」と発言したのか、「〜という趣旨の発言をした」にとどまるのか、ははっきりしない。
ネットや各種報道をみると、「細かい言葉尻の違いは問題ではなく、そこににじみ出た認識が問題なのだ」との解説がある一方、「『犯す』と言ったのか、『犯すという趣旨の発言』はしたが『犯す』とは言っていないのか」で印象は大きく変わる、との声もある。
普段は「マスコミによる言葉狩り」に厳しい反応を示す傾向もあるインターネット上でも、今回は田中氏への同情論はあまり見受けられない。更迭を発表した一川保夫・防衛相が言ったように「弁解の余地はない」との見方が大勢だ。