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八重山日報の続編です。
■八重山日報 1/27 23:30 更新
ドキュメンタリー作家上原正稔の挑戦!?
R紙の言論封殺との戦い 江崎 孝
■2007年、沖縄のメディアは集団発狂した■
ここで時間を5年前の2007年に巻き戻してみる。この訴訟の本質を見極めるためには、上原氏の原稿に何が書かれていたかという点と、もう一つ重要な点は、その原稿が掲載拒否された2007年5月の沖縄の社会的時代背景である。
平成19年(2007年)3月、文科省が高校の歴史教科書の検定意見で、沖縄慶良間諸島でおきた集団自決に関し「軍の命令によるもの」という従来の記述を削除するよう求めた。 地元2紙は連日、「集団自決」に関する特集を組み検定意見を撤回することを求めるキャンペーンを大々的に張った。そしてその年は9月20日に行われた左翼勢力主催の「高校歴史教科書検定意見撤回を要請する県民大会(11万人集会)」へと狂気のように雪崩れ込んで行った年である。
各市民団体、労働団体が抗議声明が連日の紙面を飾る騒然とした状況の中、私はドキュメンタリー作家の上原正捻氏がR紙の夕刊に連載していた沖縄戦記「パンドラの箱を開ける時」を深い興味を持って愛読していた。
というのは実証的戦記を得意とする上原氏が当時話題沸騰であった集団自決の「軍命論争」に関し、どのように記述するかが関心の的だったからだ。上原氏とは面識はなかったが、従来の沖縄戦の研究者のように、戦争の持つ影の部分のみを捉えて無理やりイデオロギー問題にすり替える手法をとらず、沖縄戦の真実の物語を追及している異色の沖縄戦研究者として関心を持っていた。上原氏が始めた1フィート運動を取り上げた沖縄テレビ制作『むかし むかし この島で』は、第14回FNSドキャメンタリー大賞ノミネート作品となり、沖縄テレビのサイトでは、上原氏の沖縄戦の記録発掘に対する姿勢がどのようなものかを垣間見ることができた。 これも上原氏の「パンドラの箱を開ける時」に興味を持った一因であった。 http://www.fujitv.co.jp/b hp/fnsaward/14th/05―330.html
当時私と同じように上原氏の「パンドラの箱を開ける時」の連載に注目している人物がいた。産経新聞那覇支局長をしていた小山氏のことだ。私は小山さんのブログを愛読していおり、6月16日のブログに第2話「慶良間で何がおきたか」が20日の夕刊から始まり、慶良間の集団自決がテーマになることが書かれていた。そこには上原氏は、「圧力に屈することなく執筆する」と話していたと記されていた。私が長年関心を持っていた集団自決の軍命論争の核心が愈々上原氏の筆により語られる、と期待に胸が膨らんだのを記憶している。 (つづく)
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