Quantcast
Channel: 狼魔人日記
Viewing all articles
Browse latest Browse all 9761

七つの顔の男の息子が日航社長就任!

$
0
0

 よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします

 上原正稔を支援する三善会にご協力をお願いします。

終戦直後に作られた日本映画を見ると、戦前の「封建的社会」の呪縛から抜けきれない旧世代の大人たちと、アメリカから輸入された「民主主義」を享受する若者との対立を描く場面が頻出する。 戦前は弾圧されていた言論も、GHQがもたらした「平和憲法」により言論の自由が保障された・・・つまり言論の自由はGHQの日本占領によって保障されたという誤解を、戦後70年近く経っても信じている人が今でも少なからずいる。 これは戦前の日本を暗黒時代として否定する「自虐史観」の結果だということが出来る。 だが、GHQが日本占領と同時に行った占領政策は「言論・表現の自由の保障」とは逆方向のきわめて巧妙な言論弾圧であった。 GHQは「言論及ビ新聞ノ自由ニ関スル覚書」(SCAPIN-16)発令し、言論の検閲を始めた。 これに関連して、封建的風潮を蔓延させるという理由で、「剣劇映画禁止令」を出す。 その当時の映画スターは時代劇、現代劇とお互いに住み分けられており、嵐寛壽郎、片岡千恵蔵ら戦前からの時代劇スターは「剣劇映画禁止令」で事実上職を失うことになる。 昭和天皇が、沖縄に主権を残しながら米軍に長期リースで租借させるというい「委任統治」を模索しておられた頃、 1人の時代劇俳優が、転進を考えて苦慮していた。     陛下より3歳年下の片岡千恵蔵のことである。                以下はマッカーサーが生んだ「七つの顔の男」に加筆したものです。            ☆          子供の頃、心踊らして観た時代劇、と言うよりチャンバラ映画には数々の想い出がある。

片岡千恵蔵と言っても50歳以下の世代には片岡鶴太郎の弟子かと間違えられるほど遠い人になってしまったが、千恵蔵は当時のチャンバラ映画のヒーローだった。

若い人の中には名前だけは知っていると言う人もいるだろうが、先代林家木久蔵がオーバーなモノマネをするセリフ不明瞭な昔の時代劇スターと言った程度の知識だろう。

昔の時代劇スターは歌舞伎出身が多く現代劇に出る事は殆ど無かった。

ちょん髷に刀を振り回す立ち回りにも歌舞伎の要素が取り入れられていたと聞く。

そのチャンバラ映画専門の片岡千恵蔵がちょん髷代わりに黒のソフト帽をかぶり、刀の代わりに二丁拳銃を構えてバタバタとギャング団を撃ち倒す映画には面食らった。

今で言えば高橋英機の桃太郎侍のイメージが突然黒い背広に黒ソフトで拳銃を乱射するようなモノだ。

いや、もっと衝撃的だった。  高橋英機は元々日活デビューの頃は現代劇青春スターだったし、テレビのトーク番組でもファンにはお馴染みなので背広姿もけしておかしくは無い。それに時々はテレビドラマの現代劇にも出ているようだ。

片岡千恵蔵のギャング映画登場の衝撃は今の時代劇スターでは、例え里見浩太郎や、松方弘樹をもってしても例える事は出来ない。 いやいや、「暴れん坊将軍」のマツケンが突然、マツケンサンバを踊りだした以上の衝撃であった。

その衝撃の映画は「名探偵・多羅尾伴内シリーズ」と言うシリーズもので最初に観たのは小学校3年か4年生の頃那覇市の「国際劇場」か「平和館」のどちらかで見た。

シリーズのうち何編見たかは曖昧だが、筋書きは大体決まっていた。

場面は客の帰ったキャバレーか遊技場。

悪の親玉と十数名の子分達が捕らわれの身の令嬢を脅している。

令嬢の悲鳴! 親玉が「殺(や)っちまえ!」と命ずる。

令嬢に迫る危機。

其処へフラフラと1人のお馴染みの人物が現れる。

八の字髭にロイドめがね。 ソフト帽子にくたびれた背広で悪漢の前に立つ。

今までの騒音は一瞬沈みかえり、一同は動きを止めてこの男を凝視する。

沈黙を破って親玉が怒鳴る。

「お前は誰だ!」

待ってました! 

ここでお馴染みの極め台詞!

「七つの顔の男だぜ。」

勿論演ずるは時代劇のヒーロー(だった筈)の片岡千恵蔵。

悪の親玉はこれも時代劇の悪役でお馴染みの進藤英太郎。

「七つの顔の男 多羅尾判内シリーズ」の名場面である。

この進藤親分、時代劇では越後屋から小判の贈答を受け、

「越後屋、お前もワルだのう」

「そういう代官様はもっとワルで御座います」

「ケッ ケッ ケッ・・」

・・と声を潜めて何度笑ったことか。

最後は千恵蔵扮する正義の剣士に何度切られた事か。

そして虚空をつかんで何度死んだことか。


進藤親分は懲りもせずに、ギャング映画でも悪事の限りをつくしていた。

次の場面は愈々この映画のクライマックス。

七つの顔の男は拳銃を構えている悪漢の群れを前にして変装(しているつもり)のロイドメガネ、八の字ヒゲ、くたびれた背広を一気に剥ぎ取る。(本当に瞬く間に)。

おー! 何とその下から現れたのは黒の背広の上下に何故か茶色っぽかった帽子も黒に変ってしまっている。 勿論シワ一つ無いビシッとした筋目入りだ。

それから延々と自己紹介を始める。

「ある時は片目の運転手、ある時は謎の中国人、ある時は多羅尾伴内、ある時はパイプの画家、またある時はセムシ男、しかるにその実体は!?」

「正義と真実の人、藤村大造だ!」

(この藤村大造の出自は良く分からない・・・が、そんな事はどうでも良かった)。

変装の達人と言う設定らしいが誰の目にも千恵蔵がバレバレというのに当時は何の疑念も持たず手に汗を握って観ていた。

自己紹介がやっと終わると、今度は事件の謎を解説する。

敵地に乗り込むのに得意の変装で敵を欺いて秘密を探ると言う筋書きだ。

何故かその間悪漢の群れは手に拳銃を持ったまま凍りついたように動かない。

一同の前に仁王立ちで長演説をする千恵蔵を手に拳銃を持った悪漢の手下が何故撃たないのかは問うヤボなファンはいなかった。

長い解説が終わった頃合を見計らって進藤親分が又しても怒鳴る。

「殺(や)っちまえ!」

その一声が合図だ。

拳銃の乱射戦で画面は入り乱れる。 ・・・が何故か悪漢の弾は一発も当たらない。 

窓ガラスは派手な音を出して割れるが。

ところが千恵蔵の拳銃は確実に敵を倒していく。 拳銃の弾が何発入りだったかを気にする人はいなかった。
大方勝負がついた頃を見計らったようにパトカーのサイレンが鳴り、警官隊が現場に雪崩込み悪漢の残党を取り押さえる。

救出された令嬢が我に返って警部(何故かいつもマヌケな役)に尋ねる。

「あの方は?」

一同が辺りを見回すと既に「あの方」の姿はない。

警官の1人がわざとらしく叫ぶ。

「警部! ここにこんな手紙が!」 

さすがに手紙の内容までは憶えていない。

七つの顔の男は一枚の置手紙を残して何処(いずこ)へともなく去っていく。

去りゆく男の背中に「完」の文字。


この映画は全部で11シリーズあって第一作は終戦の翌年の1946年に作られている。

私が始めて見たこのシリーズは第四作目の「三十三の足跡」というタイトルだった。

制作年は1948年だから多分7歳のころ観たのだろうか。

結局1960年の11作目でこのシリーズは終わってしまい、千恵蔵も進藤親分も晴れて時代劇の世界に戻った。

千恵蔵と並ぶ時代劇のスターに市川右太衛門がいる。
真っ白に塗った顔、ド派手な衣装それに眉間の刀傷が売り物の「旗本退屈男シリーズ」も子どものころ良く観た。

やはり7歳前後に那覇の栄町にあった「沖縄劇場」で観た映画であの右太衛門が黒いソフトに黒背広そして拳銃を携えていたのを憶えている。

タイトルははっきり憶えていないが「海のジーメン?」とかいったようなタイトルだったような気がする。 

映画を観た後、ジーメンとはどういう意味か、と親にしつこく聞いた憶えがある。

こちらの方は七つの顔シリーズほど人気が無かったのか、右太衛門の拳銃を持つ姿を見たのはこの一作だけだった。

時代劇専門のスター千恵蔵や右太衛門が戦後の一時期、ちょん髷を黒のソフト帽子に代え、刀を拳銃に持ち替えたのには深い訳があった。

                  *


昭和21年、日本占領中のGHQは、日本刀を振り回すチャンバラ時代劇は軍国主義を煽り立てる危険があるとして禁止の「剣劇映画禁止令」を出した。

学校の体育教科では剣道や弓道と言った武士道に関わるような教科も禁止された。

以後、連合軍の占領中は剣劇が製作できないことになり、時代劇スターを含む映画界は対応策を迫られた。

時代劇の大スター片岡千恵蔵のために現代活劇の構想が練られた。

試行錯誤と苦心の末、黒いソフト帽に黒い背広で決め二丁拳銃を構える名探偵「多羅尾伴内」を主人公とする『七つの顔シリーズ』の登場となる。

時代劇のチャンバラは拳銃による銃撃戦に置き換えられ、内容は毎回ワンパターンの千恵蔵が七変化をするミステリ活劇というものであった。

映画は大評判となり、大ヒットを記録して、以後はシリーズ化されることになった。

千恵蔵と並ぶ時代劇スターで旗本退屈男で有名な市川右絶太衛門も黒のソフトに黒背広で現代活劇映画に転進を求めたが成功しなかった。 テレビCMの犬の父親の声でお馴染みの北大路欣也の父上だ。 まもなくGHQにも「チャンバラ映画禁止令」のバカバカしさが分かり解除されたが、「多羅尾伴内シリーズ」は千恵蔵の代表作となり時代劇に復活後もシリーズは続いた。

名探偵多羅尾伴内は瓢箪から駒で、マッカサーの判断ミスによって生まれたともいえる。

余談だが、マッカーサーのチャンバラ映画や剣道の禁止令を解除した後も「剣道は人殺しを教える武道だから学校では禁止すべき」と叫ぶ婦人団体がいた。
            ☆ さて、当日記の欠点では有るが、これまでは次のニュースに至る極めて長い、いや長すぎるプロローグである。 七つの顔の男のご子息が日本航空の社長となり、日航再建に尽力するというニュース、これが本文である。              ☆              

 片岡千恵蔵さんの息子、植木氏が日航社長に

クリックすると新しいウィンドウで開きます
植木義晴氏(撮影日・2012.1.14)         

   経営再建中の日本航空は13日、大西賢社長(56)が会長に退き、後任に植木義晴(うえき・よしはる)専務執行役員(59)を昇格させる方向で最終調整に入った。来週にも決定し、年度内に就任する見込み。稲盛和夫会長(79)は名誉会長となる見通し。植木氏はパイロット出身。日航トップにパイロット出身者が就任するのは初で、父親は大正、昭和の時代に映画界の一翼を担った俳優、故片岡千恵蔵さん。その血筋も申し分なし!

 腕利きのパイロットとして第一線で活躍した植木氏が、今度はトップとして経営の“操縦桿”を握る。しかも父親は、戦前戦後の時代劇で活躍した俳優、故片岡千恵蔵さん。銀幕の大スターだった父親譲りのイケメンも注目となりそうだ。

 日航関係者によると、植木氏は京都府出身で、航空大学校卒業後の1975年に日航入社。パイロット、運航乗員訓練企画部長、グループのジェイエアで副社長、稲盛氏が会長に就任した2010年2月に本社の運航担当執行役員となり、同年12月に専務執行役員に抜てきされた。

 パイロットとして長年勤務し、その操縦技術には社内でも定評があるという。経営側に立ってからは、稲盛会長の経営哲学を吸収し、経営者としての素質を評価されたようだ。

 日航は今年秋の再上場を目指して準備中。2010年1月の経営破綻から2年で、収益力強化にも成果が出つつあり、植木氏を中心とした新たな体制で再建に向けた改革を加速させる。

 植木氏は現在、路線統括本部長として新規路線の開設計画などを担当し、稲盛会長の経営方針を着実に実行できると判断されたとみられる。

 日航は経営再建に向けて不採算路線の撤退や人員削減などリストラを実行した結果、11年9月中間連結決算で営業利益1061億円と大幅な黒字を確保した。

 ただ、欧州の金融不安などで経営環境は厳しい状況が続いており、植木氏には新たな「成長戦略」の立案が求められる。“安定飛行”の予測はつかない。

 また、再上場に向けた安定株主の確保も課題だ。日航は、株主でもある官民出資の企業再生支援機構とともに、上場で確実に資金を集めるため、取引先などに一定の株式を引き受けてもらうことを検討している。しかし、破綻前の株主だった取引先は大きな損失を出しており、順調に集まるか不透明な情勢だ。

片岡 千惠藏(かたおか ちえぞう)
 明治36年(1903年)3月30日 - 昭和58年(1983年)3月31日 享年80歳)は、大正・昭和期の俳優。本名は植木 正義(うえき まさよし)。戦前・戦後の長期にわたり、時代劇人気を支えた剣戟スターである。

 

       ★ 

 

産経抄 1月15日

 昭和30年代の正月、楽しみのひとつは「東映」の時代劇映画を見ることだった。それも正月やお盆限定で、主役級の俳優がずらり並ぶ「オールスター映画」である。「忠臣蔵」や「清水次郎長」ものが主だったと思うが、子供心にも胸をときめかせたものだ。

 ▼中でも「主役中の主役」を張っていたのが片岡千恵蔵と市川右太衛門だった。ともに「御大」と言われていた大物だ。オールスター映画となると、ポスターの2人の名前の順番をどうするか、台詞(せりふ)やカットの数をどう割り振るか、スタッフの悩みだった。そんな話も伝わっている。
 ▼その片岡千恵蔵さんが亡くなって29年近くがたつ。だが昨日、サンケイスポーツなどで久しぶりにその名前を見て驚いた。経営再建中の日本航空の社長に就任が固まった植木義晴氏の父親だという。調べてみると、確かに千恵蔵さんの本名は「植木正義」である。
 ▼千恵蔵さんは4男1女の子宝に恵まれた。だがこの世界の風潮とは異なり、亡くなったときは誰も芸能人を継がず、銀行員や医師など「堅い」職業を選んでいた。義晴氏も航空大学校から日航に入り、腕こきのパイロットとして知られてきた。
 ▼もっともそのパイロットから経営トップへというのは日本の航空業界では初めてだという。むろん経営者としてはまだ「無名」に近い。父親の映画のように難問をバッタバッタと切り倒し、軌道に乗り始めた経営再建を進められるかまだ分からない。
 ▼とはいえその父親も東映の取締役をつとめる「重役スター」として知られた。若手俳優から慕われていた「御大」のDNAを買われての抜擢(ばってき)なのかもしれない。東映映画を見て育った世代としてはつい応援したくなる。
 

 【おまけ】

そういえば片岡千恵蔵が演じる金田一耕助は、七つの顔の男と同じく、黒いソフトにダークスーツで決めていた。

 

【おまけ】その2

■八重山日報 1月15日

見出し


1月14日尖閣諸島開拓の日
上陸要請を継続
中山市長 式典で決意


台湾総統に馬氏再選
中台改善継続へ


「諸島を守る行動を」
尖閣開拓の古賀氏称える


台湾総統選で馬氏再選
中・台安定を選択
格差や失業に課題


政治協議へ圧力
中国平和統一に力


記者の目
○…尖閣諸島開拓の日の14日に合わせるかのように、中国の漁業監
視船が尖閣諸島付近に姿を現した。昨年8月には、尖閣諸島が日本
領だと明記した育鵬社の公民教科書が選定された翌日、漁業監視船
が尖閣諸島に接近している。偶然の一致か。八重山住民への威嚇
か。市民からは「中国にも八重山ウォッチャーがいるのかな」との
声も。


自費購入で
竹富町教科書
平野文科相も
 平野博文文部科学相は13日、就任記者会見で、八重山地方の中学
公民教科書採択問題について「共同採択制度のもとで教科書の無償
給付をしており、理解してもらうしかない」と述べ、独自採択を決
めている竹富町に自費購入を求める姿勢を示した。
 文科省はこれまでに、同地方の採択地区協議会が選定した育鵬社
版と異なる東京書籍版を選んだ竹富町に無償給付しないことを決
定。平野文科相もこの方針に変わりがないことを強調した。
 平野文科相は「竹富町の意見を踏まえて、採択の在り方がこのま
までいいのか検討したい。事務方に指示する」とも語った。

■八重山毎日 1月15日

見出し

中山市長 「上陸許可」訴え
尖閣諸島開拓の日式典
国に学術調査、慰霊祭求める
尖閣利活用にも意欲


資料200点を展示
「尖閣開拓展」始まる


「岩礁管理を石垣市で」
「尖閣の日」シンポで提言
権利の明確化求める


「開拓の日」制定祝う
尖閣諸島を守る会
 

 よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします

 上原正稔を支援する三善会にご協力をお願いします。

 


Viewing all articles
Browse latest Browse all 9761

Trending Articles