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当日記を愛読している知人・友人から、よく毎日「八重山教科書問題」だけで毎日ネタが続くものだと、半ば呆れたメールをもらったりする。
言われて見ると8月の初め以来発狂新聞に付き合っていたら、この問題だけで実に173件もエントリーしたとなると我ながらいささか呆れてしまった。
ブックマーク⇒八重山教科書採択問題(173)
しかし、その間ネタ不足に悩むことがなかったのは、沖縄タイムス、琉球新報、八重山毎日新聞等の発狂新聞が連日、入れ替わり立ち代りでデタラメ記事を垂れ流してくれるせいである。
発狂新聞がブログネタを提供してくれるのは一面ありがたい話だが、その反面そのデタラメ記事を鵜呑みにして、真実を見誤る読者が多いということにもなり、痛し痒しである。
八重山毎日と琉球新報のデタラメ記事にすっかり洗脳された読者の投稿文を,文末の【おまけ】で紹介する。
洗脳の度合いがかなりきついので、ここでは勘弁してもらって、読者各自で突っ込みを入れて欲しい。 このお方は、発狂3紙が徹底的に隠蔽した「不都合な真実」を知らずに洗脳された典型的な読者ということが出来る。
県教委の無為無策をブレない姿勢と評価する面々が信じてやまない論点は次の二つに集約できる。
1)玉津石垣市教育長によって違法に強行された規約改正を含む「教育改革」が全ての間違いの原点である。
2)9月8日に県の狩俣課長の同席のもとに行われた「協議」は合法的である。
ところが「発狂3紙」はこの二つをまともに検証する気配はない。 検証すれば己の首を絞めることになるからである。
わずかに、公開どころか存在さえしなかった「9・8協議」の会議録も訴訟の必要性からボイスレコーダーから作成したが、これを公表したら訴訟は戦う前に敗北を認めることにもなりかねない。
そして検証はスルーして、そのような事実がなかったにも関わらず、次のようなデマを現在も垂れ流し続けている。
「9・8全教委協」で行われた狩俣課長が強行したペテンにも等しい違法行為の数々を報道するメディアは、八重山日報を除いては一社もないという徹底した「全体主義」である。
これではネットに疎い読者が、県教委の越権行為とその後の無為無策を「一貫してブレない」と評価するのも致し方ない、とも言いえる。
ちなみに、八重山地区のローカル紙である八重山日報は、ネットを通して全国の読者が読むことが出来る。
今朝の沖縄タイムスに、徳島で行われたNIE学会の記事が出ており、大阪市の小学校教諭が、教育に新聞を活用すると生徒の間に「ニュースコミュニティ」が成立するとの研究結果を報告している。ちなみにNIE(Newspaper in Education)とは、学校などで新聞を教材として活用することを指すらしい。
勿論この先生は新聞は全てバランスの取れた報道をしていると信じて疑わないようであるが、デタラメ新聞に洗脳された読者のことを書いていて、新聞による教育でコミュネィティが出来ると聞いた瞬間、オウム真理教と高学歴信者のことが脳裏を過った。 どんな一流大学で勉強した者でも麻原の吐くデタラメを妄信するとあのような重大犯罪を犯すようになるのである。 先生方が新聞を妄信して生徒のコミュニティーつくりに手を貸すと、判断力を失った「新聞の言うことは絶対正しい」と信じる「オウム信徒」を学校内に作るようなものである。
デタラメ記事で小学生がコミュニティーを作ってしまったら、どんな大人に育つやら。
少なくとも「発狂新聞」が猛威を奮う沖縄でのNIEは勘弁して欲しいものである。
さて、巧妙な印象操作で読者を誤誘導するのがお得意の琉球新報の、この期に及んでの呆れる社説を引用する。
琉球新報 社説 2011年11月25日
学びの主役は子どもたちである。3市町の教育委員会は原点に立ち返り、生徒や保護者、学校現場が納得する教科書選びをやり直してほしい。公民教科書の採択をめぐる八重山地区の混乱のことだ。
この問題では、石垣市教委と与那国町教委が教科用図書八重山採択地区協議会(会長・玉津博克石垣市教育長)の答申に従って育鵬社版を、竹富町教委は独自の判断で東京書籍版を採択している。
答申に従わない竹富町について、中川正春文部科学相は「教科書無償給与の対象外」と発言しているが、世論調査で示された民意は逆に育鵬社版選定を疑問視している。
繰り返し指摘してきたが、八重山教科書問題は採択協の玉津会長が独断的に教科書の順位付け廃止や調査員選定、協議会の非公開、無記名投票による選定を進めたことが発端だ。
文科省は玉津氏主導の不透明、非民主的な選定手続きを不問に付し、育鵬社版を選んだ8月23日の採択協を「規則に従ってなされた」として有効と見ている。
しかし、採択協議会は非公開で行われ、その後、委員が教科書を読まず実質審議をしていなかったことが判明した。文科省はずさんな選定を容認するのか。
文科省が採択協の運営や審議の在り方に言及しないのは、民主主義、教育に対する生徒の信頼を著しく損ねている。文科省の「事なかれ主義」は犯罪的ですらある。
地域住民や教育関係者の間では玉津氏主導の選定手続きに対し、愛国心を強制し周辺諸国の脅威を強調する「『新しい歴史教科書をつくる会』系教科書の採択ありき」との疑念が渦巻いている。
世論調査によれば、県民は社会科教科書で「愛国心」「領土問題」よりも「平和教育」「人権・平等」を重視している。悲惨な沖縄戦の教訓、米軍に人権を蹂躙(じゅうりん)されてきた県民の戦後体験からすれば、これは自然な感覚だ。教科書選定でもこうした県民感情は大切にされてしかるべきだ。
県教育委員会(中野吉三郎委員長)は3市町教委に同一教科書の採択を働き掛ける方針を再確認した。文科省はこの機会を逃さず県教委と連携し収拾を図ってほしい。
非民主的な教科書選びは全国どこであろうと許されない。文科省は自覚してほしい。このままでは民主主義を語る資格を失う、と。
☆
>玉津会長が独断的に教科書の順位付け廃止や調査員選定、協議会の非公開、無記名投票による選定を進めたことが発端だ。
記者が恣意的に「独断的」という否定的文言を使用しているが玉津会長が行った教育改革は、従来の会議録さえ存在しない沖教組の違法な教科書採択を是正する意図があり、そのための順位付け廃止や調査員選定、協議会の非公開、無記名投票による選定などはすべて意味があり、なおかつ法令に則って行われた適法な改革である。
>世論調査によれば、県民は社会科教科書で「愛国心」「領土問題」よりも「平和教育」「人権・平等」を重視している。悲惨な沖縄戦の教訓、米軍に人権を蹂躙(じゅうりん)されてきた県民の戦後体験からすれば、これは自然な感覚だ。教科書選定でもこうした県民感情は大切にされてしかるべきだ。
そもそも世論調査で教科書を決めるというのも奇妙な話だが、その調査自体も連日「反育鵬社キャンペー」をたら流した後、誘導尋問のようなアンケートしても僅かに50%を越す程度ではなかったのか。> >
>民主的な教科書選びは全国どこであろうと許されない。文科省は自覚してほしい。このままでは民主主義を語る資格を失う、と。
これは驚いた。
民主主義を蹂躙し、法令を踏みにじってまでイデオロギーに拘るのは琉球新報ではなかったのか。
上記引用文をそっくりお返ししたい。
最後に一つ、玉津会長が「9・8協議」で多数決で決めた協議を無効だと主張することに対し、「8.23協議会」でも多数決で決めたのだからダブルスタンダードだ批判する向きがある。
これに対して玉津会長は「(八重山採択協議会は)多数決で決めると規則で決めてある」と説明しているがこれを報道する生地を八重山日報以外では見た記憶がない。
一方の騙まし討ちのような「9・8協議」の協議は議決のための規則もないので、当日は皆の成り行きで多数決で決めている。
西部劇で良くあることだが保安官が容疑者を逮捕して判事が到着して正式な裁判が開かれる前に、群集が容疑者を引きずり出して、口々に「縛り首だ!」と叫ぶシーンがある。
この場合、縛り首賛成は多数決だが、法的根拠のない多数決で縛り首を実行したら殺人罪に問われることになる。
そう、「9・8協議」は議決の取り決めさえもない「井戸端会議」のような懇親会であり、ここで成り行きで決められた多数決に何の法的根拠もないのは言うまでもない。
【おまけ】
■八重山毎日新聞 11月27日 【投稿】
教科書問題の結末を迎えるに当たって
〜9・8協議決議を起点に着地点を目指して〜 黒島精耕
一、もはや議論は尽くされた
6月末、教科書採択協議会の規約改正を機に始まった教科書問題
もおよそ5カ月の長きにわたる議論を経て、いよいよ結末を迎える
に至った。その間、わたしも3度にわたり、本紙のお世話になっ
た。「八重山地区教科書採択の仕組みの問題点〜子どもの手により
よい教科書を〜」(8月18日)、「無理が通れば道理引っ込む〜
再協議による打開への道を〜」(8月30日)、「八重山地区教科
書採択の行方〜県教育庁の方針を受けて〜」(9月21日)の通り
である。またマスコミにおいて、それぞれの社説で、わたしの手も
とにあるだけでも本紙が6回、琉球新報が6回にわたって本問題に
ついて論じている。それだけではない。県内の各民主団体や平和団
体がそれぞれの立場から本問題を取り上げ、問題の本質がどこにあ
るかを論じている。これらの論調の中でもとりわけ、いまわたしの
心に印象深く残っているのが本紙不連続線における八重洋一郎氏の
4度にわたる本問題の本質に迫るするどい指摘である。八重山住民
はもとより、全県民の意思を代弁しているような内容で、とても感
銘を受け、早速本人へ敬意の電話をし、感謝を申し上げたところで
ある。そしてさらに、これまでの論議を整理し、分かりやすくまと
めていただいたのが、琉球新報に掲載された仲山忠克弁護士の「憲
法の文科省見解〜八重山教科書問題〜」である。この論文の提起に
よってこれまで議論されてきた教科書問題の論点がよくまとめら
れ、同問題についての議論は尽くされたものと思われる。あとは関
係当局がどう決着をつけるかにかかっている。
二、ホップ・ステップ・ジャンプを踏まえた決着
わたしはこれまでの論議を通して、本問題の流れを次のようにと
らえている。すなわち、6月末に提起された規約改正問題の時点を
ホップとして位置づけるとすればこれに基づいての手法によって協
議された8月23日の採択時点はステップとして位置づけられよ
う。これがいわゆる8・23の協議における答申で、石垣・与那国
両教委がこの答申を拘束力のあるものとして重視しているのに対し
竹教委がこれに異を唱えたことにより協議はまとまらず、その決着
は再協議の場に持ち込まれた。これが全教育委員による協議であ
り、いわゆる9・8協議決議である。これがジャンプの位置づけで
この時点で、同問題は決着したものだと考えている。これで教科書
問題は終わりだと思っていたところに、例の中川文科大臣の発言で
ある。これについては先に述べた仲山論文で明快な答えが出ている
すなわち、本問題の終点ー着地は、育鵬社ではなく、東京書籍だと
いう結論である。
三、着地点への3つの対応
マスコミをはじめ、県内の多くの世論が、教科書問題は9月8日
の協議決議を持って決着したものとみていた。本問題は流れとして
は、ホップ・ステップの段階を経て、さらにジャンプをもって一応
決着したものだとしてとらえ、あとはその着地点を待つのみであっ
た。ところが、着地寸前になって文科大臣により、何ら根拠のない
石垣・与那国教育長の県を飛び越えた例の公文書により「協議は
整っていない」発言となり、さらにひどいことにはこれがさらに発
展して、「竹富町への教科書は有償」との文科省の決定によって、
結末寸前において流れは止まっている。ジャンプした後、東京書籍
に降りよう賭したまさにその寸前において、文科大臣の待ったがか
かり、東京書籍上空において宙に浮いた流れは止まったままである
その事態にどう対応していくのか。それには3つの対応が考えられ
る。1つは、県教委の示すもっとも現実的な対応で、9・8を踏まえた
市町教委の再協議による着地である。2つは、住民の父母会の提起した署名運動による文科大臣発言の撤
回である。そして3つ目は、教科書をえらぶ会の2人の母親によって提起され
た裁判による着地である。この3つはいずれも9・8協議による決
議を有効としてとらえ、これを起点に、東京書籍版公民教科書を子
どもたちの手に渡すという目的は一つであるが、終点に至る対応に
おいて、その着地点を求め、取り組みを展開しているところである
終わりに、ここでわたしが特に強調しておきたいことがある。そ
れは第1に教育行政当局に対してである。まず地元3市町教委はこ
れまでの論議を踏まえ、八重山教育の新しい夜明けを迎えるために
いま一度しっかりした協議をしていただきたいということである。
もしそれができないのであれば県教委の示す指導・助言および援助
(規定では、援助をしなければならない)を真摯(しんし)に受け
止めていただきたい。また、県教委に対してはこれまで文科省に対
してぶれることなく、一貫して対応してこられた姿勢に対しては敬
意を表すと同時に事態が事ここに至っては、文科省の指導・助言お
よび援助(規定ではすることができる)にこだわらず、リーダー
シップを発揮し、ここで断を下していただきたいということであ
る。まさにいまがタイミングである。
第2に、住民の会としては、文科大臣の発言の撤回を求め、署名
運動をさらに強化拡大し、断固初志貫徹まで戦い抜く決意である。
それにしても玉津教育長は何を勘違いしてのことか、憲法で保障さ
れている署名活動に対し、圧力をかけるようなことだけは直ちに止
めていただきたい。何よりも玉津教育長には8・23協議会におけ
る議事録の説明責任を果たしていただきたい。このことを強く求め
るものである。
第3に石垣・与那国両教委と文科省当局の不条理の判断に対し、
やむにやまれず立ち上がった2人の母親の、裁判に訴えてでも終点
の着地を見いだそうとする姿勢には、本当に頭が下がる思いであり
ぜひ志を共有し、目的貫徹まで共に頑張っていきたいものである。
私の教科書問題への投稿もこれをもって終わりにしたい。そのた
めにも最後に一言。文科大臣はこれまでのメンツにこだわることな
く、直ちに発言を撤回し、東京書籍版公民教科書を認めていただき
たい。これが正当な手続きであり、八重山はもとより県民の大多数
が求めている民意だからである。また、文科省の撤回発言の前に県
教委にお願いしたい。本県教育の最高責任を担う立場において、い
ま求められている地方分権化の時代にふさわしく、21世紀ビジョ
ンに示された時代を切り開く意味において県教委には、ぜひ長期に
わたる教科書問題の終末、結末に際し、主体性をもって英断を発し
ていただきたい、ということを強く求めて、私の本稿結びのことば
としたい (新栄町16の25)
【おまけ】2
「オトシタレの読んだか!ブログ」さんが八重山毎日の「投稿」についてキツーイコメントを書いておられるので、リンクしておきます。
【おまけ】3
本日28日は県教委が仕事をしたといアリバイ作りのため、3教育長が税金を使って県庁まで呼びつけて「意見交換」をする日である。
「ヒジャイ 日々の詩」さんも「今さら3教育長意見交換とはあきれる」と嘆いておられる。
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