文科省の15日の通知ですっかり判断力を失ってしまった(元々なかった)琉球新報が、支離滅裂な社説を書いて全国の恥さらしになっている。 一々反論するのもバカバカしいのでスルーしておや。
ところがあまりにもデタラメな論旨にたまりかねた読者のYamotoさんから反論のメールをいただいた。
とりあえず琉球新報の社説を「鑑賞」してからYamamotoさんの反論をお読み下さい。
琉球新報社説 2011年9月17日
地方教育行政への国による介入であり、重大な問題をはらむ。八重山教科書問題をめぐる文部科学省の15日の通知のことである。
通知は事実上、竹富町教育委員会に採択教科書の変更を求めているとも受け取れる。
判断変更を求めるのなら、国による介入以外の何物でもない。この介入が許されるのならば、地方教育行政法は無きに等しい。自治の精神に真っ向から対立する行為だ。文科省には、事の重大性をよく認識してもらいたい。
翻った態度
経過を振り返る。石垣・竹富・与那国3市町の教育委員会の諮問機関・八重山採択地区協議会(玉津博克会長)は8月23日、公民の教科書に「新しい歴史教科書をつくる会」系の育鵬社版を選び、3市町教委に答申した。
玉津会長が選定手法を大幅変更した上での選定だった。その一つ「順位付け廃止」は、「『1種絞り込み』を禁じた県教委の通知に違反している」というのが廃止の理由だったが、協議会で、従来も1種絞り込みは行われていないと反論が出ると、玉津氏は「ノーコメント」と説明を避けた。
教科書を読み込んで推薦する調査員は、協議会の規定で「役員会で選任」となっていたが、役員会を経ず玉津氏が独断で選定した。
その後、石垣・与那国両市町教委は答申通り採択したが、竹富町教委は育鵬社版を不採択とし東京書籍版を選んだ。
このため、3市町教委は9月8日に地区内全教育委員による協議を行い、育鵬社版を不採択とし、東京書籍版を採択した。
この間、県教育庁は文科省の助言を基に協議の進め方などを3市町教委に助言してきた。
だが13日になって文科省が態度を翻す。中川正春大臣は8日の採択について「協議が整っていない」との認識を示し、森裕子副大臣は「文科省が認めているのは8月23日の答申」と述べた。
文科省はさらに、県教育庁に対し、採択地区協議会の「結果に基づき」、同一の教科書を採択するよう3市町への指導を求めた。
8日の結果は認めず、23日の結果を有効として一本化を求めるのだから、事実上、育鵬社版採択を求めるに等しい。
地方教育行政法は教科書採択権が市町村教委にあると定める。竹富町教委の決定はそれに基づく。
一方、地区内の教科書一本化を求める教科書無償措置法はあくまで国の財政措置の要件を定める法だ。それを基に、国が竹富町教委に判断を変えろと求めるのは、越権も甚だしい。
そもそも、教科書に関する「執行権」を法が明記している市町村教委の判断より、「答申」する諮問機関にすぎない採択地区協の判断を優先すべきだという根拠は何なのか。理解に苦しむ。
国と地方は対等
2000年の地方自治法改正で、国と地方自治体の関係は対等ということになった。国の通知などは、単なる技術的助言という位置付けだ。
市町村教委が採択する教科書をめぐり、国が、特定の教科書を選定しなければ補助負担金を支出しない、というのであれば、改正地方自治法の精神に反する。県教育庁は、国地方係争処理委員会に持ち込んで争っていい。
文科省がこうした論点を把握していないとは思えない。通知が県教育庁の「指導を求める」内容で、自ら「指導」していないのはそのためだ。8日の採択について「整っていない」との表現にとどめ、「無効」としていないのも、市町村教委の判断の重さを知るからだろう。今後、自治を阻害しない判断をするよう期待したい。
県教育庁は16日、あらためて3市町教委に一本化を求めた。8日の協議は有効という認識だが、文科省の通知を受け、もう一度、3市町教育委員による協議が行われる見通しだ。文科省の不当とも思える通知にめげず、あくまで合議で一本化を目指す姿勢は高く評価したい。
現在、3市町教委の間はもとより、石垣、与那国両市町教委の内部でも意見が割れている。
一連の問題は、地方教育行政法と教科書無償措置法の矛盾を明るみに出した。県教育庁も3市町教委も、法の不備を乗り越えて粘り強い議論、「熟議」を展開し、一本化を成し遂げ、沖縄の自治能力の高さを示してほしい。
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以下はYamotoさんの反論です。
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題名:八重山を見くびるな!!
「琉球新報社説《越権行為も甚だしい》―沖縄の自治力を示そうー」に対する反論
9月17日、琉球新報に「越権行為も甚だしい》―沖縄の自治力を示そうー」と題する社説が掲載された。私なりにその内容を要約すると
(1)文部科学省に問い合わせてその指導、了承の下に9月8日の地区内全教育委員による協議を行い、育鵬社の公民教科書を不採択にしたのに、文科省が裏切ってその協議を認めなかった。
(2)そもそも国と地方は対等であり、国から偉そうに指導を受けるいわれなどない。地方には自治権がある。今回の国の言うことなど越権行為もはなはだしく、従う必要などない。
というものである。
まず(1)についてであるが、事実誤認も甚だしい。文科省が指導したことは、あくまで各教育委員会がそれぞれで了解した上でということであって、各地区の教育委員が全員そろって多数決ということとは全く異なる。
文科省が、各教育委員会がそれぞれで了解した上で、と指導することは当たり前である。なぜなら、今回いみじくも竹富町がごねて今回の問題を引き起こしたように、採択は最終的には、個々の教育委員会で行うことであると法律で決められているからだ。したがって、9月8日の法律上の根拠に欠けた協議会(全教委協の協議ー引用者)が仮に有効だったとしても、各教育委員会が了解していなければ、そこで振り出しに戻ってしまう。だから協議会(同上)で決まったことが最終決定になるには、各教育委員会が個々に了解していることが絶対条件だ。
だから「法律的な根拠はちょっと怪しいけど、まあ各教育委員会がみんな納得づくなら、もし前回(すなわち育鵬社採択)と異なる結論となっても、ドンマイということにしましょう」というのが、文科省の担当官、担当部署の見解だったのではないかと私は推定する。これだって、文科省の担当官にとっては、うれしくないというか、かなりリスキーな判断であったのではないかと思う。なぜなら、仮に石垣島や与那国町の教育長が9月8日の協議会の採決方針に賛成して、結果的に育鵬社が否決されたとしよう。そこでそのことに納得がいかない他の委員や、あるいはすでに途中経過を耳にしている市民や町民がいたらどうなるだろうか?彼らがそれを不服として訴えを起こさないとも限らない。もし私が八重山住民ならそうするにちがいない。
訴える側は、なぜ法的に瑕疵のない手続きで一旦決まっていたことを、法的根拠のないプロセスで勝手に変えるのかと訴えるであろう。そうなると法的根拠のないやりかたに最終的なお墨付きを与えた文科省は責任を負わされ大変厳しい立場に立たされることになる。
役人としては、法律の解釈の違いとか、他の法令とコンフリクトしているとか、規定する条文がないとかいうことで訴えられるのはまだしも、今回のように、一方できちっとした進め方をしているのに、他方の恣意的に法的根拠のない指導に従わせたというようなケースで訴えられることほど、避けたいと考えることはないのではないか?その上、このような例外を認めると、実は我々も協議会(同上)の結論には反対で、独自に選びたかったので、同じようにさせてくれ、という所が他にでてくることだって考えられる。法や行政の秩序が完全にくずれるのである。
そのようなことを考えると、そもそも、各教育委員会が了解済みなら、という条件でも9月8日の協議(同上)には法的根拠が危うく波乱含みであるのに、「個々の教育委員会で了解の上」というポイントを外して文科省が指導するわけがない。
ここで、9月8日の協議に賛成した県の役人なり八重山の教育委員なり、新聞社の諸氏は胸によく手をあてて考えてみればよい。あなた方は9月8日の協議(同上)を開くべく、策略を立てて、採決して有効性を主張している。もし、竹富町の委員が5対0でなく3対2であったら、同じ策略をして、おなじ多数決をして、同じように有効性を主張したのか?100%それはないと私は断言できる。その時々の委員の数で、開かれたり開かれなかったりする協議に正当性のかけらもない。ご都合主義もはなはだしい。そんなものに何の根拠もないのである。
私が文科省の担当官だったら、にべもなく8月23日の結果だけが有効だと指導しただろう。しかし担当官は、一応沖縄の顔を立ててくれたのか、うまくまとめてほしいということで、「個々の教育委員会で了解の上」にだったらとりあえず構わないと、指導したのかと思う。
それは、かなり沖縄に配慮した判断だったに違いない。
今回の琉球新報の社説のように文句をつけられる筋合いはないのである。せっかくの配慮をあだで返されたという感じである。要はお墨付きを貰おうと国を利用しようと思ったのに、意のままにならなかったから、ごねているだけなのである。
(2)のポイントについて考えてみよう。これがこの反論の最大の眼目である。
さて、この社説では、国と地方は対等なのに、偉そうに指導されるいわれはないと言っている。社会を運営していくためには様々な決め事がある。国単位で決定しなくてはいけないこと以外、なるべく各地方の自治で治めることが望ましいことはそのとおりだ。
しかし、ここで本当に地方自治が大事だと思っているなら、当然のこととして想起すべきことは、「八重山は沖縄にあって地方である」ということなのである。つまり「国と沖縄」とまったく同じ構図が「県と八重山」というところにも存在するのである。
では、沖縄県庁にしても、琉球新報や沖縄タイムスにしても、八重山の自治をどれだけ尊重したのか?すくなくとも、石垣市と与那国町は正当な手続きで、育鵬社の教科書を選択したのだ。そのことに対する配慮がこれまでただの一つもあったのだろうか?報道等を見ている限り、石垣市と与那国町の決定を尊重しようという態度は完全に皆無であった。それどころか、石垣市と与那国町の意向を圧殺しようと躍起になっていた。そのどこに地方自治の精神があるのだ?ここで石垣市、与那国町、竹富町の関係にはそのような上下関係はない。たまたま今回はこういう結果になったが、これがもし他の教科書に協議会で決まれば、それに従っただけである。まさに育鵬社の歴史教科書がそうなっている。
要するに「我こそは沖縄のルールである」と思っている沖縄県庁、琉球新報や沖縄タイムスなど面々は、はっきりいって八重山の自治など歯牙にもかけてないのだろう。地方自治など特に意識していない人たちだって、石垣市や与那国町が決めている教科書を無理やり他の教科書にするなんて、なんて乱暴で身勝手な行為だと感じるであろう。それを平気で行ったということは、「八重山なんて地方の奴らは黙って沖縄中央のいうことに従え、地方が自治などほざくのはおこがましい」というのが、彼らの本音なのだ。
竹富町の方々もよく考えて見られるがよい。たまたま今回は、沖縄中央の意向と一致したけど、彼らの本音は、以上述べたとおり、八重山など黙って沖縄のルールブックである我々に従っていればいいのだ、というものなのである。それでいいのか?八重山の誇りというか矜持はないのか?本当にそれでいいのか?
八重山はこのような無法な、道理のかけらもない、県や沖縄マスコミ(八重山日報はのぞく)のごり押しに決して屈してはならない。堂々と自らの正当性を主張されたい。
それにしても(1)(2)に共通するのは、自分の都合のいいところだけをつまみ食いしようとする身勝手なご都合主義である。
沖縄の子供たちは決してこのようなご都合主義を見習ってはいけない。それは大変卑しい行為だ。このような面々がルールブック顔をしている沖縄の子供たちが、とても可哀そうに思う。今回の問題がきちんと道理にしたがって解決され、沖縄によい教育がなされることを切に望む。
☆
【追記】 発狂新聞が撒き散らす報道だけに頼ると、石垣市は左翼天国の島といった印象操作を受けがちだ。 だが、極左・ペンギン市長を16年にも及ぶ独裁支配の椅子から引きづり下ろした良識ある石垣市民だ。 このことを忘れてはいけない。 発狂新聞の沖タイ、新報に負けず劣らずキチ外報道を垂れ流している八重山毎日新聞。 これを糾弾する有志が、下記のような横断幕を市内各地に張ってキチ害新聞を糾弾する必見写真です。 ■中国・北朝鮮の横暴に目をつぶり反日・反米を説く 隠れ共産主義マスコミ 赤旗毎日新聞
偏向報道による八重山世論へのミスリードをやめよ! (マスコミを見守る
会)
必見写真<写真>
http://p.tl/wjYv
■共産党新聞赤旗と八重山毎日新聞の主張はほとんど同じ「赤旗・毎日新聞!」
国旗、国家、自衛隊、憲法問題等、すべて同じ見解(マスコミを見守る会)
必見写真」<写真>http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/09/821eb931d1169e2d7367fca40f0cba69.jpg
http://p.tl/ZEOW
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