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前のエントリーで、最近の司法は人権より表現の自由の方に軸足を置いた判断が多いと書き、幾つかの例を示した。
配信された通信社の記事をそのまま掲載した地方紙と通信社の言論の自由に関する訴訟と「集団自決自決訴訟」に関する最高裁の判断ではいずれも表現の自由に重きを置いた判断をした。
もうひとつ例示した日教組がプリンスホテルを提訴した例は、日教組側の勝訴に対し、新聞各社は「言論・集会の自由を守った」日教組の勝利を声高らかに賛美した。
プリンスホテルという私企業が日教組の「言論・集会の自由」を弾圧するほどの権力を有するはずはない。 ホテル業として宿泊客のことを第一に考えた結果、問題のある日教組大会を拒否したわけであり、当然契約違反による違約金等の支払いは覚悟のうえでの日教組大会開催の拒否であったはずだ。
したがって新聞各社が騒ぐ「言論・集会の自由」云々はプリンスホテル側としてはお門違いと考えたであろう。
そのお門違いで、琉球新報が声高に「集会の自由・表現の自由は憲法の認める、最も大切な基本的人権の1つだ」と吠えた当時の社説を全文引用する。
琉球新報 2008年2月3日
企業の社会的責任の自覚を、限りなく疑わせるものだ。理不尽な暴力に屈した末の判断であるならば、この国は果たして法治国家としての資格を備えているのか。そんな批判も、一概に的外れとも言えまい。
日教組(森越康雄委員長)が予定していた教育研究全国集会の全体集会を、会場となっていたグランドプリンスホテル新高輪(東京都港区)が、一方的に使用を断ってきた。右翼団体による妨害行為などを理由にしている。
教研集会は学力、指導方法、いじめなどの問題について、全国の教職員が研究、話し合いをする場だ。1951年以降、毎年1回の全国集会を実施しているが、全体集会が中止に追い込まれたのは初めて。これまでも、集会のたびに右翼団体の街宣車が会場周辺をマイクでがなりたてるなど、妨害行為を繰り返している。
今回の教研集会は2日から4日までの日程で、全国から延べ1万2000人の参加、全体集会には約3000人が出席の予定だった。
昨年5月、日教組はホテルと会場の使用契約を交わした。ところが11月になって、右翼団体による妨害の可能性などを理由に、ホテル側が一方的に契約破棄を通告してきた。日教組の申し立てに基づき、今年1月には東京地裁が会場使用を認める仮処分を決定、さらに東京高裁もホテル側の抗告を棄却していた。
裁判所が結論を出した後も、ホテル側はかたくなに使用を拒み続けていた。集会を開けば右翼の妨害で客や周囲に迷惑を掛ける、というのが言い分だ。また、右翼の妨害行為などについて、契約の前に日教組から説明がなかった、とも主張している。
これに対する東京地裁の認定はこうだ。日教組は前回の集会に関して、街宣車が来て警察が警備した、とホテル側に述べており、説明責任は果たしている、とする。
集会中止を発表した森越委員長は「司法の判断に従うのは法治国家の基本。ホテルの姿勢は自由や民主主義を壊滅させるもの」と批判したが、当然の認識だろう。
直接、右翼などの脅迫があったのだろうか。ホテル側の態度を見ると、こう疑われても仕方ない。
集会の自由・表現の自由は憲法の認める、最も大切な基本的人権の1つだ。今回のホテル側の態度は、こうした権利をも奪うものと批判されかねない。
企業の社会的責任とは何か。いま一度、思い起こすべきだ。理不尽な行為に対してはむしろ批判の声を上げ、さらに日教組や警察と一体となって対策を練り、集会の進行に万全を期す。こうした毅然(きぜん)とした態度こそが、求められているのではないか。不法者を喜ばすような愚だけは、避けるべきだ。
☆
■私人の論争
「集団自決訴訟」が先日の最高裁で原告敗訴と確定した後、教科書検定に関して記者団に問われた高木文科相がこのように答えた。
「私人の論争なので司法が下した判断についてコメントする立場にはない」(沖縄タイムス)
この「私人の論争」という耳に馴染まない文言は高木大臣が、記者に問われてとっさに出た言葉ではなく、文部官僚が熟慮して考えた言葉である。
最高裁判断があった4月22日の午後、文部科学省教科書課は既に次のようなコメントをしている。
「この訴訟は一般の市民間の法的な争い。教科書検定の内容が問われているものではなくコメントする立場に無い」(23日琉球新報)
では何故文科省はこの裁判を「私人の論争」とか「市民間の法的争い」と市民間の争いに拘るのか。
一方の被告側は、高裁、最高裁各判決後のコメンで、この裁判は「表現自由の勝利である」と述べている。
■最高裁判断直後⇒軍関与認めた判決確定 「集団自決」めぐる岩波・大江訴訟 2011年4月23日
「表現の自由」に考慮し、公益目的で真実性のある書籍が新たな資料により真実性が揺らいだ場合、記述を改編せずに出版を継続しただけでは不法行為とはいえないとした。
■大阪高裁判決直後⇒最高裁に棄却求める 岩波訴訟判決報告会2008年11月23日
秋山弁護士は高裁が「新たな資料などで批判、再批判が繰り返され意見が形成されていく。その過程を保障することが民主主義社会の存続の基盤を成す」などと示したことを紹介し、「判決は新たな資料の出現で表現が萎縮(いしゅく)することの不利益は大きいという判断を示した」と説明。表現の自由が重視された判決として評価した。
ここで再度憲法21条を引用する。
第21条〔表現の自由〕
1 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
教科書検定意見は「表現の自由」を侵犯する「検閲」であると主張したい被告側が、最高裁判断を「表現の自由」の勝利であると位置づけたい気持ちはわかる。
だが憲法第21条第2項が禁止している「検閲」は、判例の定義では概ね次のように定義される。
1 行政権が主体となって、
2 思想内容等の表現物を対象とし、
3 その全部又は一部の発表の禁止を目的として、
4 対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に発表前にその内容を審査した上、
5 不適当と認めるものの発表を禁止すること
(最判昭59年12月12日)。
一方の被告側は、何とか今回の裁判の結果を教科書検定に結びつけ教科書検定が憲法21条第2項でいう検閲に相当し、憲法違反であると主張したいのである。
翻って「集団自決訴訟」が私人の法的論争であるという文科省側のコメントは、この裁判は行政が主体となる「検閲」とは何ら関係がないと主張したいのである。では、上記引用の「日教組・プリンスホテル」訴訟で、琉球新報が高らかに謳う「表現の自由」はどうか。
これも明らかに「日教組vsプリンスホテル」という私人同士の論争であり、少なくとも政府という国家権力が介入した話ではない。
したがって琉球新報が垂れ流すご高説がいかに無知でピントはずれであるかが良くわかる。
では「パンドラの箱裁判」ではどうなるか。
琉球新報という私人が上原正稔という私人の原稿掲載を拒否したからといって、言論封殺ではあっても、言論弾圧というのには疑問が残る。
通常、言論弾圧とは国家権力が検閲等の手段で言論を弾圧することであり、もちろん現行の憲法では禁じられていることである。
ところが無知な琉球新報は、私人間の争いである「日教組・プリンスホテル訴訟に対して、憲法21条の表現の自由を適用したピンと外れの社説を書いた。
琉球新報の社説が正しいとしたら、自身が被告人となる「パンドラの箱訴訟」では、被告の琉球新報側が憲法違反をして検閲をしたことになるではないか。
大笑いの巨大ブーメランである。
もちろん法律の専門家が代理人を勤める法廷では琉球新報のような無知な発言は無いと思うが、その第一回公判が愈愈今月の連休明けに行われる。
★講演会のご案内★
沖縄県祖国復帰39周年記念大会
■日時:平成23年5月15日(日) 開演13:30〜16:00
■参加費: 500円 学生無料
■会場: かでな文化センター 嘉手納町嘉手納588
(町役所隣・かでなロータリー内)
■主催: 沖縄県祖国復帰39周年記念大会実行委員会
実行委員長:中地昌平
■共催、連絡先:日本会議沖縄県本部 那覇市若狭町1−25−1(波の上宮)
090−1942−1675(仲村)
プログラム
●第一部: 「今明かされる祖国復帰の真実」
※全国の各界代表、県民代表、先島代表ほかより挨拶
●第二部: 「記念講演」
★「尖閣諸島・沖縄を守れ」
講師:青山繁晴 独立総合研究所主席研究員
★「日本経済の復興と成長と虚構の中国経済」
講師:三橋貴明 作家、経済評論家
●第三部: 沖縄祖国復帰記念パレード
※希望者のみ
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