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以下に紹介する「支援依頼文」は、3月20日に行われた「上原正稔講演会」の会場で配られたパンフレットを引き写したものである。
「パンドラの箱掲載訴訟」をご支援下さい
三善会では、平成23年1月31日に上原正稔氏が新聞社を提訴した裁判「パンドラの箱掲載拒否訴訟」を支援する為、支援金のご協力をお願いしております。 支援金は、主に裁判の支援支援、その他報告会・講演会等の開催・広報活動に活用させて頂きます。
ご協力いただける方は、ご自身の郵貯の講座とキャッシュカードを作り、以下の口座に振込み頂けましたら、振り込み手数料はかかりません。 よろしくご協力お願い申し上げます。
ゆうちょ銀行 総合口座(普通)
記号 17010 番号 10347971
三善会(サンゼンカイ)
沖縄県宜野湾市真栄原1−11−1−702
三善会 会長 當山正範
本来なら講演会の直後、当日記でも紹介して皆様のご協力を仰ぐつもりでしたが、沖縄ではその前月まで、美優さんの心臓手術のカンパが町の話題になっており、2億円余のカンパが集まったと新聞が騒いでいる矢先であり、上原さんへのカンパ依頼は少し時期をずらしてお願いすべきと考えていた。
⇒ 美優さん4月5日渡米 来月3日、九大病院に転院(2011.2.25)
ところがその後ご承知の東日本大震災が日本を襲い、それに対する支援金のカンパ以来が連日のようにテレビから流れる状況で、ますます上原さんの支援カンパを言い出しにくい状況になった。
五月になって訴訟の第一回公判が開かれるに及んで、ここに改めて「訴訟支援のカンパ」をお願いする次第です。
その間、読者の義挙人さん、ヒロシさんなどすでにカンパご協力いただいた方も多数おられるようなので、この場を借りて改めて御礼を申し上げます。
筆者は上原さんとは公演会の後数回面談する機会があったが、逢引?の場所は那覇農蓮市場内のびっくり食堂か三越横のマクドナルド。
びっくり食堂はともかく、女子中学生の嬌声が騒がしい国際通りのマックで二人の不審人物が逢引きを重ねる理由はただひとつ。
コーヒーが120円と安いからである。
しかもおかわりは自由というから、いつも長話にいたる二人の不審者にとってこんな安価な逢引き場所は他にはないのである。 先日行った某喫茶店等は一番安いコーヒーが500円、しかもおかわりを頼めばもちろん有料であるというから。
筆者の懐具合が年中寂しいのはさておき、上原さんの懐具合は寂しいどころの騒ぎではない。 上原さんは一昨年『うらそえ文藝』で沖縄2紙の歪曲・捏造報道を名指しで批判して以来、沖縄の言論界では村八分の状況にあり、その原稿を掲載するメディアは新聞もちろんあらゆる出版に出版を拒否されている。
文筆での収入を断たれた上原さんは、最近サンスクリット語の研究による沖縄語の解明に没頭し、『ウチナー口の起源・序章 〜サンスクリット梵語が明かす大いなる秘密』と題する小冊子を知人の協力を得て自費出版したが、その内容が専門的過ぎるのと1000円という高価格のため売れずに困っている模様である。
そんな経済状況で巨大組織である琉球新報を相手に提訴するのだから、訴訟経費等で悩むかと思いきや、ご本人はいたって楽天的で悩んでいる様子は一向に感じ取れない。
訴訟代理人を引き受けて下さった徳永弁護士の手弁当による協力はもちろんだが、支援団体である三善会の支援があってこその訴訟だと考える。
1月31日の提訴以来、徳弁護士は打ち合わせのために数回来沖しているが、そのときも経費は手弁当である。
上原さんは生来の陽気な性格のせいか一向に懐具合の寂しさを気にする様子は見えない。
さて、懐の寂しい二人の不審人物が中学生の嬌声が渦巻くマックで逢引きする話に始まり、長々と前口上を述べたが、これは上原さんが提訴した裁判への協力をお願いしたいからである。
沖縄の言論界を「全体主義」で支配する琉球新報。
歴史を歪曲して憚らない琉球新報に鉄槌を下すため上原正稔さんが、文字通りの徒手空拳で起こした「パンドラの箱掲載拒否訴訟」の支援のため、ここに改めて支援カンパをお願いする次第であります。
「パンドラの箱掲載拒否訴訟」については、カテゴリーを設けましたので、同訴訟の詳細についてはご参照下さい。
さて、「人生全て塞翁が馬」が口癖の上原さんは何事にも全て前向きである。
だが、筆者は先日の集団自決訴訟の最高裁判決を聞いて、ある程度の予測はしていたものの、残念な気分は拭い去れなかった。
そして日本の法曹界が「戦後民主主義」の呪縛から解き放たれるにはまだ長い時間を要すると感じ暗澹たる気分にに陥るらざるを得なかった。
読者の町工場の親方さんから関連のコメントをいただいているので、改めて紹介したい。
★
法曹界を支配する、空気。 2011-04-25 18:21:55 町工場の親方
チャンネル・桜、掲示板、
『沖縄集団自決冤罪訴訟を応援しよう』、スレより。
北辰様の言葉
>私たちの国が些かなりとまともになる為には、きっと気の遠くなるような時間が必要なのだろう。
それでも、私たちは諦めてはならない。
歩みを止めてはならない。
「百人斬り訴訟」、支援者として戦ったものとして。
雑誌、「WILL」、2010年6月号
〔ある編集者のオデッセイ〕ーーー「日本が仕立てた南京虐殺のの、『実行犯』・・・堤尭
世界に喧伝された、「百人斬り競争」、事件。日本の、「汚名」、を雪がんと
両少尉の遺族は提訴した。およそ裁判の名に値しない裁判が始まった。
元、「文芸春秋」、編集長が縦横に綴る、「痛快!編集無頼の記」
の冒頭は次の文で始まります。
『南京記念館」、を訪れ、前稿の末尾にこう書いた。
ーーー一枚の写真の前に長いこと立ち尽くした。二人の日本軍将校が写っている。野田毅・少尉と向井敏明少尉だ。二人はいわゆる、「百人斬り競争」、事件で、ここ雨花台で銃殺された。
見ているうちに、ムラムラと日本の司法、最高裁への怒りが湧いてきた。
以下、この裁判の酷さ、裁判所側がいかに、原告側を敗訴させるため、証拠を潰したかについて書かれています。
05年、一審判決は、「原告らの世紀雄を却下する」、(主文)、と告げた。前掲の両書で裁判の経過を辿れば、こんなデタラメ裁判もあるのかと憤りを禁じえない。
これはもはや裁判の名に値しない。
原告は十五人の証人を申請した。いずれも南京虐殺の虚妄、ひいては両少尉の無実を証言できる。中に南京戦に参加した証人が数人いて、およそ当時の状況が、「中国人と見れば老若男女を問わず虐殺し、それが六週間も続いた」、などという荒唐無稽とはまったく違う状況だった事実を証言する手筈だった。
たとえば稲垣清氏は南京陥落後の四日目から、一ヶ月以上も南京に滞在した。その間、そのようなこと、(虐殺)、は一度も見たことも聞いたこともなかったという。だとすれば30万人を4日で殺せるのか。
彼等証人たちは、いずれも九十歳前後で、後がない。せめて彼等の証言を残らず公判記録にとどめ、のちの世の史家に供したかった。
ところが東京地裁は前出の佐藤カメラマン一人だけの証言を聞き、あとの14人は却下した。
通常、これだけの証人をカットするのは、「聞かなくてもわかっている」、とする場合だ。稲田弁護人は裁判官の心理をそう忖度して安堵した。ところがあとで思い至る。佐藤氏は、「南京虐殺は100%あり得ない」、と証言した。なにしろ九十歳の身を車椅子に乗せ、「中共とケンカするんだ」、という気構えで臨んだ証言だから迫力がある。
「私の撮った写真があの記念館に飾られているのは恥ずかしい。遺族に対して申し訳ない」、とまで証言した。
これを聞いて裁判官は後の証人を怖れて却下したとしか考えられない。
原告側は本多勝一ら二名の証人尋問を申請したが、いずれも却下された。これまたおかしな訴訟指揮だ。
浅海ノホラ話を一段と増幅させ、遺族等に辛酸を舐めさせた当の本人に尋問できない。もっとも本多が証言台に立ったとしても、ぬらりくらりの詭弁に終始するだろう。・・・・
一審の判決理由を要するに、
ーーー両少尉の職責、日本刀の性能からして、「百人斬り」、を記事の内容どおりに実行したかどうかについては疑問の余地がある。しかしながら重要な部分において、一見して明白に虚偽とはいえない。これについては原告側で立証しなければならない。よって請求を棄却する。・・・
立証行為を散々に妨げておきながら、そのくせ立証を求める。そもそも、「なかった」、ことの証明は、「悪魔の証明」、と呼ばれて難しい。まして七十年まえのことだ。
それでも原告側は残り少ない存命の証人らを集めるなどして懸命の努力をした。それを無にしておいて、判決は、「疑問の余地がある」、としながら、両少尉を、「南京虐殺の実行犯」、として認定した。
稲田弁護人は書いている。
・・・今にして思えば、真ん中に座った裁判長は挙措動作に落ち着きがなかったと思います。左手の若い裁判官は、何度も私たちの方へ同情的な視線を送ってくれたように感じます。右手の年嵩の裁判官は中立的な態度で無表情でした。
裁判長だけが、視線が定まっておらず、被告席や私どもや傍聴席をチラチラ見ておられました。手を組んだり外したりで、一番体の動きがあったように覚えております。・・・・
判決を聞いて、マサさんは嗚咽を抑え切れなかった。
ーーー法廷全体が一瞬思い沈黙に包まれました。が、すぐに、「よしッ」、という賛同の声が傍聴席のあちこちから起こりました。新聞社側の支持者だと思います。私どもの側は寂として声もない状態でした。
掛け声は例の親衛隊からでもあったろう。遺族が背負う、「汚名」、が続く。いや遺族だけではない。日本の、「汚名」、が続く。なのに遺族に一掬の情けも示さず、自国を黒塗りにして歓喜する手合いがこの日本にはいる。・・・・
百人斬り訴訟際裁判を経験して、私は今回の最高裁判決に何の期待もしていませんでした。堤尭氏の上記の文章に語られているように、日本の司法は、民法、刑法、商法に関する裁判でしたら、法に基づいた、納得のいく判決が出されます。しかしイデオロギーに絡んだ、裁判になると、異常な判決が下されます。
稲田朋美・弁護士が、「考えられないような、異常な訴訟指揮から見ても、最初から、我々に勝たす意思はなかった、としか考えられない」、と語っていたのも尤もとおもいました。
どんな筋の通らぬ、ムリな理屈をつけても、「朝日」、「岩波」、大江健三郎らを絶対に有罪にはしない、という強固な空気を感じました。
しかし、嘘や不条理は永久に続くものでないと、確信しています。
>教科書検定に詳しい高嶋伸欣琉大名誉教授は「中学生が読めば、戦争だから犠牲は仕方ない、と受け取られかねない。だが沖縄戦では日本国民が自国民を組織的に虐殺した。そんな国は他にはない」と話し、加害と被害の所在と実態を明確にする必要性を強調した。
こんなのが、時の審判にたえられるものでありません。
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