竹野内 豊
『実在した大場大尉を演じるに当たり、サイパンの戦地を訪れたいと申し出た。「戦争を体験していない自分がどうやって兵士を演じられるのか。役作りのしようがなかった」。現地で見たのは、おびただしい弾痕、そして小さな洞窟だった。「本当に狭い所なんですが、そこに十数人が身を潜めていたと聞きました。その証拠に、地面が当時唯一の食料だったカタツムリの貝殻で、びっしりと覆われていた」。それを見た時、当時の人々の息づかいを感じたという。「胸を引き裂かれそうな気持ちになりました。この空気感を、スクリーンから伝えなきゃいけないと思った」
兵士役の俳優たちとともに、軍事訓練も受けた。2週間の訓練だったが、他に仕事があって最後の3日間しか参加できなかった。「他の方々は、もう出来上がっていて、全然ついていけない。たった1日で声がかれてしまった。不安でしたが、やるしかなかった」。撮影中、平山監督からは「それじゃ武士に見えない」と声が飛んだ。「その都度、身が引き締まる思いでした。平山さんの厳しい指導がなければ、とてもじゃないけど演じきれなかった」』
ご参考 竹野内豊:「尊ぶという言葉を忘れないで」 映画「太平洋の奇跡」公開 http://mainichi.jp/enta/cinema/news/20110211mog00m200015000c.html
唐沢寿明(タイでの撮影について映画パンフレットより) 「やはり日本では戦場を体感して演技するのは難しいし、向こうへ 行くと弾は空砲ですけれども銃はすべて本物を使用しますから。 日本でモデルガンを遣うのとは迫力がまったく違って、撃つと体への 反動も凄いんです。乱射すると、銃の反動で体が負けそうになりましたよ。
本文
◎読売新聞/太平洋の奇跡―フォックスと呼ばれた男―」主演 竹野内 豊
誇り高い兵の魂感じた
「現場からホテルへ帰る車に乗った瞬間に、みんな気を失ってしまうような過酷な撮影でした。でも、ラヨーンは狭い所なので、どこに行っても誰かと会って、自然に信頼関係ができたのは良かったです」=鈴木毅彦撮影
日本軍玉砕後のサイパンで、少数の兵士と民間人を率いて最後まで米軍に立ち向かった大尉がいた。実話を基に描く戦争大作「太平洋の奇跡―フォックスと呼ばれた男―」(平山秀幸監督)が公開中だ。主演は竹野内豊。戦場の兵士になりきる迫真の演技を見せた。(小梶勝男)
撮影は、タイ・パタヤ湾近くの町ラヨーンにあるジャングルをサイパンに見立て、夏の2か月間、オールロケで行われた。「体感で40度以上、やけどしそうな暑さ。じっとしていてもどんどん体から水分が出て行った」。敵への総攻撃の場面では、脱水症状になった。「カットがかかっても立ち上がれない。体じゅうがつってしまって。でも、しょせんは疑似体験。実際は正面から実弾が飛んでくるわけで、それを想像すると、すべてを捨てなければ戦えないと思いました」
大場大尉(竹野内豊、右)は木谷曹長(山田孝之、左)らとともに、16か月もの間ジャングルに立てこもり、民間人を守りつつ米軍を翻弄する
第2次大戦末期。大場栄大尉は、玉砕で上官を失った少数の兵士、そして民間人を指揮し、サイパン島最高峰のタッポーチョ山に潜んで米軍への抵抗を続ける。やがて米軍は彼を「フォックス」と呼び、畏敬の念を抱くようになる。
実在した大場大尉を演じるに当たり、サイパンの戦地を訪れたいと申し出た。「戦争を体験していない自分がどうやって兵士を演じられるのか。役作りのしようがなかった」。現地で見たのは、おびただしい弾痕、そして小さな洞窟だった。「本当に狭い所なんですが、そこに十数人が身を潜めていたと聞きました。その証拠に、地面が当時唯一の食料だったカタツムリの貝殻で、びっしりと覆われていた」。それを見た時、当時の人々の息づかいを感じたという。「胸を引き裂かれそうな気持ちになりました。この空気感を、スクリーンから伝えなきゃいけないと思った」
兵士役の俳優たちとともに、軍事訓練も受けた。2週間の訓練だったが、他に仕事があって最後の3日間しか参加できなかった。「他の方々は、もう出来上がっていて、全然ついていけない。たった1日で声がかれてしまった。不安でしたが、やるしかなかった」。撮影中、平山監督からは「それじゃ武士に見えない」と声が飛んだ。「その都度、身が引き締まる思いでした。平山さんの厳しい指導がなければ、とてもじゃないけど演じきれなかった」
日本の敗戦を実感し、投降を呼びかけられながら、大場大尉たちはなぜ山を下りなかったのか。「撮影を終わった今も、当時の方々の誇り高い魂は、現代の我々ではとうてい理解できないと思います。でも、理解はできなくても、その魂は確かにそこにあったんだと、感じることはできました」
(2011年2月18日 読売新聞) (サイパンのたたかい、Battle of Saipan)とは大東亜戦争(太平洋戦争)中、1944年6月15日から7月9日に行われたアメリカ軍と日本軍のマリアナ諸島サイパン島における戦い。ホランド・スミス中将指揮のアメリカ軍第2海兵師団、第4海兵師団、第27歩兵師団が斎藤義次中将が指揮する日本軍第43師団を潰滅させ、サイパン島を占領した。 http://eiga.com/news/20110214/25/竹野内豊主演「太平洋の奇跡」興収20億突破へ絶好の滑り出し 2011年2月14日 20:31 興行ランキング1位に登場した竹野内豊主演
「太平洋の奇跡 フォックスと呼ばれた男」
(C)2011「太平洋の奇跡」製作委員会
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[映画.com ニュース] 竹野内豊の主演映画「太平洋の奇跡 フォックスと呼ばれた男」が、2月11日に全国300スクリーンで封切られ、公開3日間で観客動員33万1967人、興行収入約3億9045万円の大ヒットスタートを記録。国内興行ランキングに初登場で1位に君臨した。 同作は、日米開戦70年特別企画として元米海兵隊員ドン・ジョーンズが発表した「タッポーチョ『敵ながら天晴』大場隊の勇戦512日」(絶版)を映画化。太平洋戦争の激戦地サイパン島で、わずか47人の兵力で米軍4万5000人を神出鬼没な戦略で翻ろうし、畏敬の念を込めて“フォックス”と呼ばれた実在の人物・大場栄大尉と、米軍側のハーマン・ルイス大尉、双方の視点で描く。 パソコンと携帯を使ったアンケートによれば、客層は男女比62対38で男性が中心。年齢別では50代が最も高く32.2%、次いで40代の27%と、史実に基づくストーリーに共感を抱くシニア層が興行をリードする展開となった。男性を中心にしたシニア層からの厚い支持も奏功し、休日だけでなく平日の動員も期待できる息の長い興行が予想される。 平山秀幸監督とチェリン・グラック監督が共同でメガホンをとった同作は、すでに英国、アイルランド、ドイツ、オーストリア、スイスでの公開が決定している。さらにフランス、ベルギー、オランダなど多数の国と配給を交渉中。「日本人としての誇りを忘れてはならない」と強く訴えていた竹野内の願いが、実現する日はそう遠くない。 (映画.com速報) Subject: マーチャンメルマガ「映画『太平洋の奇跡ーフォックスと呼ばれた男』を観て
2011年2月16日2時10分17秒 水曜日
「太平洋の奇跡ーフォックスと呼ばれた男」という映画を観た。アメリカとの戦争中激戦地の一つであったサイパン島で、たった47人の兵力で4万5千人もの米軍を翻弄した実在の人物、大場栄大尉を描いた作品である。米軍は大場大尉のことを畏敬の念を込めて「フォックス」と呼んでいたという。
映画は物量豊富な米軍に対して貧弱な装備で壮絶な戦いを繰り広げる日本兵や貧しい生活をしている日本の民間人を描くと同時に、大場大尉の指揮官としての苦悩や的確な判断力、指導力を表現していた。サイパン島守備隊である第43師団が玉砕した後も大場隊はタッポーチョ山を拠点にゲリラ化し日本軍の降伏後も遊撃戦を展開、米軍の説得工作にも「上官の命令がない限り闘う」姿勢をくずさなかった。しかし、ついに1945年11月27日、天羽馬八陸軍少将の正式の降伏命令を受け投降することとなった。同年12月1日大場隊47名は戦死者に対し3発の弔銃を捧げ慰霊をした上で軍装を整え日章旗を掲げ隊列を組んで軍歌を歌いながら行進・下山し投降する姿に惚れ惚れするような日本人らしさを感じた。投降式典において大場大尉は投降の証として自身の日本刀を抜いてアメリカ軍に渡す、さぞや悔しかったろうと思うと、涙が溢れて止まらなかった。
私は戦争を美化する気持ちなどさらさらないが、日本を守る、日本人を守るためにこんなに苦労して戦った先輩たちが居たことに、今に生きるわれわれは感謝し、子供たちに教えていかなければならないと思う。アメリカと戦争したことさえ知らない子供がいるというのは大人が悪い。調べると、大場大尉は復員後会社の社長や愛知県蒲郡市の市議会議員を務め平成4年に亡くなっておられる。
兵士役の俳優たちとともに、軍事訓練も受けた。2週間の訓練だったが、他に仕事があって最後の3日間しか参加できなかった。「他の方々は、もう出来上がっていて、全然ついていけない。たった1日で声がかれてしまった。不安でしたが、やるしかなかった」。撮影中、平山監督からは「それじゃ武士に見えない」と声が飛んだ。「その都度、身が引き締まる思いでした。平山さんの厳しい指導がなければ、とてもじゃないけど演じきれなかった」』
ご参考 竹野内豊:「尊ぶという言葉を忘れないで」 映画「太平洋の奇跡」公開 http://mainichi.jp/enta/cinema/news/20110211mog00m200015000c.html
唐沢寿明(タイでの撮影について映画パンフレットより) 「やはり日本では戦場を体感して演技するのは難しいし、向こうへ 行くと弾は空砲ですけれども銃はすべて本物を使用しますから。 日本でモデルガンを遣うのとは迫力がまったく違って、撃つと体への 反動も凄いんです。乱射すると、銃の反動で体が負けそうになりましたよ。
本文
◎読売新聞/太平洋の奇跡―フォックスと呼ばれた男―」主演 竹野内 豊
誇り高い兵の魂感じた
「現場からホテルへ帰る車に乗った瞬間に、みんな気を失ってしまうような過酷な撮影でした。でも、ラヨーンは狭い所なので、どこに行っても誰かと会って、自然に信頼関係ができたのは良かったです」=鈴木毅彦撮影
日本軍玉砕後のサイパンで、少数の兵士と民間人を率いて最後まで米軍に立ち向かった大尉がいた。実話を基に描く戦争大作「太平洋の奇跡―フォックスと呼ばれた男―」(平山秀幸監督)が公開中だ。主演は竹野内豊。戦場の兵士になりきる迫真の演技を見せた。(小梶勝男)
撮影は、タイ・パタヤ湾近くの町ラヨーンにあるジャングルをサイパンに見立て、夏の2か月間、オールロケで行われた。「体感で40度以上、やけどしそうな暑さ。じっとしていてもどんどん体から水分が出て行った」。敵への総攻撃の場面では、脱水症状になった。「カットがかかっても立ち上がれない。体じゅうがつってしまって。でも、しょせんは疑似体験。実際は正面から実弾が飛んでくるわけで、それを想像すると、すべてを捨てなければ戦えないと思いました」
大場大尉(竹野内豊、右)は木谷曹長(山田孝之、左)らとともに、16か月もの間ジャングルに立てこもり、民間人を守りつつ米軍を翻弄する
第2次大戦末期。大場栄大尉は、玉砕で上官を失った少数の兵士、そして民間人を指揮し、サイパン島最高峰のタッポーチョ山に潜んで米軍への抵抗を続ける。やがて米軍は彼を「フォックス」と呼び、畏敬の念を抱くようになる。
実在した大場大尉を演じるに当たり、サイパンの戦地を訪れたいと申し出た。「戦争を体験していない自分がどうやって兵士を演じられるのか。役作りのしようがなかった」。現地で見たのは、おびただしい弾痕、そして小さな洞窟だった。「本当に狭い所なんですが、そこに十数人が身を潜めていたと聞きました。その証拠に、地面が当時唯一の食料だったカタツムリの貝殻で、びっしりと覆われていた」。それを見た時、当時の人々の息づかいを感じたという。「胸を引き裂かれそうな気持ちになりました。この空気感を、スクリーンから伝えなきゃいけないと思った」
兵士役の俳優たちとともに、軍事訓練も受けた。2週間の訓練だったが、他に仕事があって最後の3日間しか参加できなかった。「他の方々は、もう出来上がっていて、全然ついていけない。たった1日で声がかれてしまった。不安でしたが、やるしかなかった」。撮影中、平山監督からは「それじゃ武士に見えない」と声が飛んだ。「その都度、身が引き締まる思いでした。平山さんの厳しい指導がなければ、とてもじゃないけど演じきれなかった」
日本の敗戦を実感し、投降を呼びかけられながら、大場大尉たちはなぜ山を下りなかったのか。「撮影を終わった今も、当時の方々の誇り高い魂は、現代の我々ではとうてい理解できないと思います。でも、理解はできなくても、その魂は確かにそこにあったんだと、感じることはできました」
(2011年2月18日 読売新聞) (サイパンのたたかい、Battle of Saipan)とは大東亜戦争(太平洋戦争)中、1944年6月15日から7月9日に行われたアメリカ軍と日本軍のマリアナ諸島サイパン島における戦い。ホランド・スミス中将指揮のアメリカ軍第2海兵師団、第4海兵師団、第27歩兵師団が斎藤義次中将が指揮する日本軍第43師団を潰滅させ、サイパン島を占領した。 http://eiga.com/news/20110214/25/竹野内豊主演「太平洋の奇跡」興収20億突破へ絶好の滑り出し 2011年2月14日 20:31 興行ランキング1位に登場した竹野内豊主演
「太平洋の奇跡 フォックスと呼ばれた男」
(C)2011「太平洋の奇跡」製作委員会
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[映画.com ニュース] 竹野内豊の主演映画「太平洋の奇跡 フォックスと呼ばれた男」が、2月11日に全国300スクリーンで封切られ、公開3日間で観客動員33万1967人、興行収入約3億9045万円の大ヒットスタートを記録。国内興行ランキングに初登場で1位に君臨した。 同作は、日米開戦70年特別企画として元米海兵隊員ドン・ジョーンズが発表した「タッポーチョ『敵ながら天晴』大場隊の勇戦512日」(絶版)を映画化。太平洋戦争の激戦地サイパン島で、わずか47人の兵力で米軍4万5000人を神出鬼没な戦略で翻ろうし、畏敬の念を込めて“フォックス”と呼ばれた実在の人物・大場栄大尉と、米軍側のハーマン・ルイス大尉、双方の視点で描く。 パソコンと携帯を使ったアンケートによれば、客層は男女比62対38で男性が中心。年齢別では50代が最も高く32.2%、次いで40代の27%と、史実に基づくストーリーに共感を抱くシニア層が興行をリードする展開となった。男性を中心にしたシニア層からの厚い支持も奏功し、休日だけでなく平日の動員も期待できる息の長い興行が予想される。 平山秀幸監督とチェリン・グラック監督が共同でメガホンをとった同作は、すでに英国、アイルランド、ドイツ、オーストリア、スイスでの公開が決定している。さらにフランス、ベルギー、オランダなど多数の国と配給を交渉中。「日本人としての誇りを忘れてはならない」と強く訴えていた竹野内の願いが、実現する日はそう遠くない。 (映画.com速報) Subject: マーチャンメルマガ「映画『太平洋の奇跡ーフォックスと呼ばれた男』を観て
2011年2月16日2時10分17秒 水曜日
「太平洋の奇跡ーフォックスと呼ばれた男」という映画を観た。アメリカとの戦争中激戦地の一つであったサイパン島で、たった47人の兵力で4万5千人もの米軍を翻弄した実在の人物、大場栄大尉を描いた作品である。米軍は大場大尉のことを畏敬の念を込めて「フォックス」と呼んでいたという。
映画は物量豊富な米軍に対して貧弱な装備で壮絶な戦いを繰り広げる日本兵や貧しい生活をしている日本の民間人を描くと同時に、大場大尉の指揮官としての苦悩や的確な判断力、指導力を表現していた。サイパン島守備隊である第43師団が玉砕した後も大場隊はタッポーチョ山を拠点にゲリラ化し日本軍の降伏後も遊撃戦を展開、米軍の説得工作にも「上官の命令がない限り闘う」姿勢をくずさなかった。しかし、ついに1945年11月27日、天羽馬八陸軍少将の正式の降伏命令を受け投降することとなった。同年12月1日大場隊47名は戦死者に対し3発の弔銃を捧げ慰霊をした上で軍装を整え日章旗を掲げ隊列を組んで軍歌を歌いながら行進・下山し投降する姿に惚れ惚れするような日本人らしさを感じた。投降式典において大場大尉は投降の証として自身の日本刀を抜いてアメリカ軍に渡す、さぞや悔しかったろうと思うと、涙が溢れて止まらなかった。
私は戦争を美化する気持ちなどさらさらないが、日本を守る、日本人を守るためにこんなに苦労して戦った先輩たちが居たことに、今に生きるわれわれは感謝し、子供たちに教えていかなければならないと思う。アメリカと戦争したことさえ知らない子供がいるというのは大人が悪い。調べると、大場大尉は復員後会社の社長や愛知県蒲郡市の市議会議員を務め平成4年に亡くなっておられる。