「集団自決」(強制集団死)の軍命を明記するよう活動する「9・29県民大会決議を実現させる会」(仲西春雅世話人)が、県庁1階の県民ホールで「集団自決」や会の活動などを展示するパネル展を企画して県教育庁に後援を依頼したものの、「後援の規定」を理由に断られていたことが31日までに分かった。同庁は取材に対し、後援を認めれば会を支持することになるとして「議論のある問題で教育庁が特定の立場をとることはできない」と話した。
教科書検定で「集団自決」の日本軍の強制に関する記述が削除されたことに抗議する県民大会が2007年に開催され、当時の仲井真弘多知事や、那覇市長だった翁長雄志知事のほか、同庁からも当時の仲村守和教育長も参加した。軍命を削除した検定意見の撤回を文部科学省に求めた。大会当時と現在で、異なる立場をとった同庁の判断が問われそうだ。
07年の県民大会から10年になることから、県民大会決議を実現させる会が改めて「集団自決」や教科書問題について考えてもらおうと企画。同会のメンバーが昨年から今年初頭にかけて複数回同庁に後援を依頼したが、断られた。同庁から後援できない理由は明示されなかったという。県民ホールでの展示は県や県教育庁の後援が必要なため、同会は後援を依頼していた。
パネル展は6月23日の慰霊の日の前後と9月上旬の各1週間の展示を計画。県民大会や同会の関連資料や各社の教科書、慶良間諸島での「集団自決」体験者を撮影してきたカメラマンの山城博明氏の写真などの展示を予定していた。
同会の仲西世話人は「『教科書に真実を』と10年間活動してきた。『集団自決』の実相や会の活動を県民に知らせたい」とパネル展の実現を切望した。
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では、沖教組の巣窟と看做されている県教育庁が突然路線変更をし、「政治的中立」などと言い出した理由は何か。
県教育庁が突然「政治的中立」に変身したからではない。
「オール沖縄」の分裂騒動が原因である。
「オール沖縄」の中でも共産党系支援に回った翁長知事に対し、社民党系職員の巣窟である県教育庁の諸味里前教育長が唐突に安慶田副知事の口利き疑惑を内部告発したのも「オール沖縄」の内部分裂の結果である。
以下は拙ブログのサルベージをして下さったた東子さんにバトンタッチをしよう。
県教育庁が「集団自決」展後援せず 「特定の立場とれない」 2017年4月1日 06:30」
「集団自決」(強制集団死) 教育庁 実現させる会
http://ryukyushimpo.jp/news/entry-470913.html
>後援を認めれば会を支持することになるとして「議論のある問題で教育庁が特定の立場をとることはできない」と話した。
>大会当時と現在で、異なる立場をとった同庁の判断が問われそうだ。
教育庁は、「軍命あり」に肩入れしない。
つまり、はっきり立場を変えたということね。
沖縄の特殊事情を中央は理解していない。
本土の奴らに理解させねばならぬ。
と、沖縄が作り上げた話の浸透に沖縄の行政あげてやってきたが、それを教育庁は止めた。
さて、どうして、何度も沖縄は「集団自決」の「軍命」を蒸し返すのか。
それは、2007年の「11万人集会」の恫喝で、当時の福田首相が「軍命は確認できなかったが『関与』はあった」という「軍の関与」を入れたからだ。
「沖縄「集団自決」否定された軍命! 2015-11-26 07:05:23」
http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/23258c3b22833a0cf1abbbc2781d5796
>沖縄2紙が実際には約2万人程度の集会を「11万人集会」(11万6000人と表記)と大幅水増し報道で政府を恐喝した。
>そのため、当時の福田首相・町村官房長官のコンビは、軍命削除の「検定意見の撤回要求」は拒否したものの、「軍の関与」という妥協案を飲まされた。
>集団自決は戦時中のことであり、中には手榴弾で自決したものもいたため、軍命の有無にに関係なく広義の「軍の関与」という曖昧な文言でごまかした。
>妥協の産物として「軍の関与」を認めようとする政府の弱腰に、藤岡拓大教授が「『軍の関与も認めてはいけない』と、反論した
>「軍の関与のもとに集団自決が起こった」という文を作ってみればわかるように、これは結局「軍命令説」や「軍の強制」と同じ虚構を教えることになる。
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