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よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします国が県対し、埋め立て取り消しの「執行停止」と「代執行」という豪華二本立てで、法廷闘争を迫ってきた。
ただ代執行の場合、主役は防衛省から国交省に変わる。
つまり公有水面埋立法を管轄するのは国土交通省であり、防衛局が埋め立て申請を県に申請したのは、県にその職務を委託したからに過ぎないからだ。
したがって代執行とは国交省が本来権限のある埋め立て承認業務を県に代わって代執行するということ。
法廷闘争では勝ち目がないことは百も承知の沖縄タイムスは、「世論に期待」などと最初から場外乱闘による霍乱作戦を予告していた。
今朝の沖縄タイムスは、まさに読者の感情に訴える発狂見出しのオンパレードである。
その迷作の一部を抜粋・紹介する。
■一面トップ
県の取り消し停止
国交省「普天間危険に」
辺野古 国が代執行
首相「県は違法だ」
翁長知事「強い憤り」
県、係争委に不服請求
■二面トップ
矛盾含みの政府案
法の「いいとこ取り」
代執行審査 県にも利点
■三面トップ
「まるで独裁政権」
県、国の代執行批判
知事取り消し国交相が停止 強引手法に驚き
■第二社会面
「知事語気強め反論」
基地押し付け打破に信念
■社会面トップ
国の茶番 怒り噴出
市民「基地造らせぬ」
国交省に賛同の声も
わが国は法治国家なので法令の定めるとおり問題解決をはかると主張する国側に対し、沖縄の知識人といわれるこの人物は、法令無視で辺野古移設を実力で阻止する,と息巻いている。 ⇒国の思い通りにはさせない ー 辺野古新基地建設阻止のために行動しましょう! 辺野古代執行手続き 政府が知事の取り消し停止 読売新聞 2015年10月27日政府は27日午前、沖縄県の米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古沿岸部への移設問題で、翁長雄志(おながたけし)知事による移設先の埋め立て承認取り消し処分を撤回させるため、地方自治法に基づく「代執行」の手続きに着手することを閣議了解した。石井国土交通相は取り消し処分の一時的な執行停止を決めた。政府と県の対立は法廷闘争に発展することが確実となった。
国に代わって自治体が行う法定受託事務で、国が代執行の手続きを取るのは初めて。
菅官房長官は27日午前の記者会見で、取り消し処分について、「何ら瑕疵(かし)のない埋め立て承認を取り消す違法な処分だ。普天間飛行場の危険性除去が困難となり、外交・防衛上、重大な損害を生じるなど、著しく公益を害する」と批判した。石井国交相は記者会見で、執行停止の理由について「取り消しにより、普天間の移設作業の継続が不可能になり、住民に重大な損害が生じる」と説明した。
政府は代執行の手続きに入り、国交省は28日にも沖縄県に是正勧告書を郵送する。県が勧告に応じない場合は高裁に提訴し、勝訴すれば、国交相が取り消し処分を撤回する。
2015年10月27日 Copyright © The Yomiuri Shimbun国と県が法廷で争うことになれば、20年前、当時の大田知事が軍用地の強制使用を巡る代理署名を拒否し、基地問題を巡って双方が正面から対立して以来の事態となる。 石井国交大臣は閣議のあとの記者会見で、沖縄防衛局の申し立てを認め、埋め立て承認を取り消した翁長知事の決定を執行停止した。 その理由について、「普天間基地の移設計画が継続不可能となり、住民が被る損害があるとしたためだ」と述べた。 また、「沖縄県の翁長知事による埋め立て承認の取り消しで普天間基地が抱える危険性が継続し、アメリカとの信頼関係に悪影響を及ぼすことによる外交・防衛上の損害など、著しく公益を害する。是正を図るため代執行などの手続きに着手し、あすにも知事に勧告文書を郵送する」と述べた。
国が代執行を決定したことは、県にとっては想定外だったようだが、国にとっては予定の行動だった模様。
なぜなら防衛局による国交省に対するるい不服申請と「取り消しの執行停止」を省略して、いきなり「代執行」に及んだ場合、国が不利になる。
代執行を県が拒否し、法廷闘争に入った場合、県の「取り消し」は有効のまま存在することになる。
つまり埋め立て工事は中止したままになる。
工事を継続したい国としては、執行停止が決定すると同時に代執行を公表したほうが、工事の継続に有利だと判断したのだろう。
■今後の道筋
(1)県が国地方係争委員会に審査請求をして、県の主張が拒否された場合⇒県が高裁に提訴。
(2)国交省が代執行を開始して、県が是正勧告を不履行の場合⇒国交省が高裁に提訴
(2)ー1、高裁で国交省が勝訴⇒県が最高裁に上告
(2)-2、高裁で県が勝訴⇒国が最高裁に上告
【電子号外】国、辺野古埋め立て代執行へ 国交相、取消処分は「違法」 琉球新報 2015年10月27日 11:48 クリックで拡大(PDFファイル683KB)
【東京】政府は27日の閣議で、米軍普天間飛行場の辺野古移設に関する県の埋め立て承認取り消し処分は「違法だ」として、地方自治法に基づく代執行の手続きに入ることを全会一致で了承した。国が地方公共団体の法定受託事務に対して代執行の手続きを取るのは初めてとなる。石井啓一国交相は同日午前の閣議後会見で「翁長知事の違法な埋め立て承認の取り消し処分は著しく公益を害する」として、県に対し28日に是正勧告文書を郵送する考えを示した。
石井氏は会見で「審査請求の審査過程で取り消し処分を公有水面埋立法に照らして、違法だと判断した」などと説明した。さらに防衛省が知事の効力を一時停止するために提出した執行停止申立書についても「普天間飛行場の移設事業の継続が不可能、飛行場周辺住民などが被る危険性を継続するなど重大な損害が生じる」などとして、防衛省の訴えを全面的に認めることも決定した。執行決定書は27日に発送し、沖縄防衛局に到着すると効力を発する。
沖縄防衛局は14日に執行停止申立書と行政不服審査法に基づく審査請求を国交省に提出。県は防衛局に反論する形で21日にその意見書と弁明書を国交省に提出していた。【琉球新報電子版】
エルドリッヂ研究所代表・政治学博士 ロバート・D・エルドリッヂ
異論排除の圧政的体質 左翼縁故で回る教授と記者これまでの論点で、地元メディアに力を与えすぎた沖縄の構造的な問題(「沖縄のメディア事情」)、その力の乱用と民主主義の危険(「沖縄メディアの同業者同盟」)、この現状を改善する必要性(「改革を要する沖縄メディア」)と、沖縄メディアを細部にわたって検証してきた。
本稿では、沖縄の地元メディア(琉球新報や沖縄タイムス)がどんなに不適切で偏見に満ちた悪い報道をしても許されてきた数多くある理由の中から一つを検証してみたい。沖縄の学術界の状況、すなわち、メディアが推進する反基地運動の恩恵を受けてきた大学及び教員の役割についてである。
沖縄には職業専門学校や専門学校以外に、七つほど大学・短大がある。国立の琉球大学や私立の沖縄国際大学などのキャンパスに足を踏み入れると、まるで反基地活動拠点に来たかのような印象を受ける。反政府、オスプレイ配備反対、日米同盟反対、基地反対、自衛隊反対、安保法制(「戦争法案」)反対などのスローガンが書かれたポスターや大きな立て看板であふれている。これらは通りかかる人々に訴えかける。政治に無関心な人々や自分自身のペースで、自分なりに結論にたどりつきたい人々にとっては不快なものだ。
実際、沖縄の大学は米軍や自衛隊の基地との交流がほとんどない。大学教員や学生グループから基地を訪問したいという要請があるが、これらはあまりにもまれなケースだ。基地からのセミナーや講義に関する学校への案内は無視される傾向にある。学生のためのインターンシップの案内も同様である。
これは驚くに値しない。教員のほとんどは県内出身で、その多くが同じ大学の出身者であり、左翼思想、そしてその一部は極左主義に傾倒しているのは不思議ではない。軍隊に入ったことがある教授は一人もいない(また、私が知る限り、政府で働いた経験のある教授もいない)。これでは、専門家として自信を持って国際安全保障や国政を議論することはできまい。彼らは自分たちのイデオロギーに一致した著書、地元紙、または主観的経験を拠所にしたオピニオンしか持ち得ない。しかも、地元メディアから転職した上級学位を取得していない「教授」や「講師」さえいる。異なった観点が示されないため、教員の偏った考えをそのまま学生が引き継いでしまう(その悪循環が過去からある)。
また、地元の大学を卒業した学生が地元メディアに就職するのは当然あることだ。新聞社は積極的に学生を募集する。中でも、自分の出身大学や所属ゼミから後輩を選ぶ。自分が師事した教授からの協力や推薦も受けている。記者になったら恩師からの識見や紹介を頼りにする。そして、こうした学者を記事で定期的に紹介し、あるいは、評論家として執筆を依頼する。
地元メディアが騒ぐ出来事でその現象が見られる。例えば、米海兵隊の幹部(私自身を含めて)が、普天間飛行場のゲート前で十数人程度が行う、時に暴力的な反基地“平和”運動やヘイトスピーチの実態や性質について発言をした後、その発言を地元メディアは「思いやりのないもの」と、書きたい放題の批判をする。発言は真実で、その時もその後も他の多くの根拠で立証されていたとしてもだ。地元のお抱え学者らは、米軍は地元市民を大事にしないという趣旨のコメントを求められ、喜んで責務を果たす。彼らは実際に米軍が何を言ったのか、その理由や背景については知る由もない。
学者というものは、穏やかで理論的で、かつ、注意深い分析や平穏な省察に基づいていなければならない。学者は扇動的なメディアの攻撃に自分の名前や名声を貸すべきではない。残念ながら、沖縄ではこの風潮が蔓延しすぎている。毎日のように、学者らが出来事の詳細を常に知ってはいないのにコメントを発し、時には件の学者の学術的定評でなく、新聞が編集方針に沿った発言に書き上げるのを許してしまっている。
沖縄の政治的公正に賛同しない学者は大学内で面と向かって罵られる。大半の学者やメディアと異なった見方を表明したり、違う政治的見解の人々と関係を持っているという理由で執拗な批判を受けている教授を個人的に5、6人知っている。今年3月下旬、ある教授から連絡があり、私は彼が所属する同大学内の研究所の客員研究員のポストを辞任するよう求められた。彼は私の支援者になっているため大学で批判を受けている。沖縄の学術環境の“圧政的”性質が原因で沖縄を離れてしまった学者たちもいる。地元メディアは“オール沖縄”なので、もちろんのこと、同調しない考え方をする人々の排除にいそしむのだ。
沖縄の大学の問題を議論するだけで本が一冊書けそうだ。本論文では、地元メディアと地元学術界が不快なほどの密接な関係にある状況はメディアと学術のどちらにとっても不健全だと指摘しておきたい。メディアはチェックされなければならないし、学術界はメディアから距離を置きながら独立していなければならない。
しかし、現在の沖縄の学術界はメディアを恐れ、恩義を受け、市民社会が望んでいるようなメディアのチェックができなくなってしまっている。
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