以下は自民党の長尾議員の発言を報じる共同記事。
自民党の長尾敬氏、「沖縄メディアは特殊」発言を認め趣旨を説明
2015年6月27日 13時45分
ざっくり言うと 長尾敬衆院議員は27日、自民勉強会での発言の一部を自身のものと認めた 認めたのは「沖縄の特殊なメディア構造をつくってしまったのは…」との発言 長尾氏は「報道すべきことを報道してほしいということだ」と説明した 自民・長尾氏、自身の発言認める 「沖縄メディアは特殊」 2015年6月27日 13時45分自民党若手国会議員らの会合で報道機関に圧力をかけて言論を封じようとする議論が出た問題で、出席していた自民党の長尾敬衆院議員(比例近畿)は27日、会合での発言の一部を自身のものと認めた。
認めたのは「沖縄の特殊なメディア構造をつくってしまったのは戦後保守の堕落だった。左翼勢力に完全に乗っ取られている」との発言。
大阪市内で地元市議らとの会合後、共同通信の取材に答えた。
長尾氏は発言の趣旨について「反社会的な行動をする人がいる実態がある。報道すべきことを報道してほしいということだ」と説明した
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>認めたのは「沖縄の特殊なメディア構造をつくってしまったのは戦後保守の堕落だった。左翼勢力に完全に乗っ取られている」との発言
>「反社会的な行動をする人がいる実態がある。報道すべきことを報道してほしいということだ」
長尾氏の上記発言はすべて沖縄2紙に言及している。 どどの部分が問題なのか説明してほしいものだ。
発言しただけで問題というのなら、それこそが言論封殺ではないか。
新聞、テレビなどの大手メディアに限らず、大小の出版社も含むメディア業に携わる業者は、ある種の文言に過剰反応する。
「言論弾圧」「民主主義の否定」などだ。
「言論弾圧」「民主主義の否定」などと批判される者を擁護しようものなら、全メディアを敵に回し、その猛攻撃を受ける覚悟をしなければならない。
いや敵に回るのはメディアだけではない。
メディアに扇動された全国民から「言論弾圧者!」或いは「民主主義の敵!」などの罵声を浴びせられることも覚悟せねばならない。
メディアに掲載されることを一種のステイタスと考える知識人は、空気を読むのに敏感である。 当然メディアの論調に迎合し「言論弾圧者」「民主主義の敵」を糾弾するコメントを発表する。
今回の百田発言の場合がその典型だ。 私人に過ぎない百田氏の発言をヒステリックに批判するメディアが大多数を占めた。
メディアが、全国民を敵に回すことに躊躇することも理解できないわけではない。
そんな中、週刊文春と週刊新潮があえて渦中の栗を拾う行為にでた。
最新号で、百田発言を取り上げたが、週刊文春が全メディアを敵に回すのを恐れたのか、腰の引けた記事に終始しているのに対し、週刊新潮(7月9日号)が鋭い切り口で沖縄2紙の捏造報道に迫っている。
「私を「言論弾圧男」に仕立て上げた大マスコミに告ぐ」と題する手記を掲載した週刊新潮7月9日号から、その一部を抜粋、引用する。
白でも黒と書いてきた「琉球新報」と「沖縄タイムス」
沖縄県の県紙「琉球新報」と「沖縄タイムス」は合わせて約36万部。
地元では圧倒的シェアーを誇っており、他の新聞はないに等しい。
ライバル同士のように見えるが、「反基地」「反安保」のためなら犯罪者を正義の人に仕立てることも平気だ。
そして沖縄では両紙のの報じたことが「事実」になる。 白いものを黒と書いている。
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著作権の関係で途中は省略するが、本文は琉球新報の言論封殺を提訴し勝訴した地元のドキュメンタリー作家・上原正稔さんの言葉を借りて、次のように断罪している。
その上原さんが言う。
「両紙の抗議声明は何をかいわんや。 百田さんの発言は全く同感です。 どっちは言論の自由を侵したのかと言いたいですよ」
そして本文は最後を、次のように結んでいる。
沖縄に言論の自由はない。
「琉球新報」「沖縄タイムス」の自由があるだけである。
週刊新潮の取り上げた「百田発言」
週刊新潮は「うぬぼれ『自民党』の構造欠陥」としてやはり同じように自民党批判に力を入れており、記事本文に百田氏の名前はほとんど登場していません。記事中、編集部の見解を匂わせているのが後半で「白でもクロと書いてきた『琉球新報』『沖縄タイムス』という小見出しにおいて2紙が百田氏への抗議声明を発表したことをこのように否定的に扱っている部分。
一作家の冗談話を大上段で批判する様は異様と言うしかないがまた特集の最後で、過去に琉球新報で連載を拒否されたことのあるドキュメンタリー作家の言葉としてこのように百田氏を擁護する姿勢を鮮明にしたまま記事を終えています。
百田さんの発言はまったく同感です。どっちが言論の自由を侵したのか、と言いたいですよ週刊新潮の百田氏擁護はこれだけではありません。特集記事の直後には2ページを使って百田氏自身による書き下ろしを掲載。「私を『言論弾圧』男に仕立てあげた大マスコミに告ぐ」というタイトルで当時の経緯を詳細に、百田氏自身が説明しています。
百田氏はこれまでの主張と同様、冗談であったことを繰り返すとともに、強調して書いたマスコミを強く批判。
新潮は更に、今度は櫻井よしこ氏の連載コラムでも「百田氏発言、朝日に批判の資格はあるか」として百田氏による説明を元に勉強会当時の経緯をなぞり、その上で朝日新聞や沖縄の2紙について「多様な物の見方と多角的な情報提供を拒否し続けている」「多角的多層的な情報を報じているか」と疑問を呈しており、結果的に百田氏側からの文章になっています。
とは言え百田氏に関する言及で櫻井氏がこうも語り百田氏自身にも落ち度があったことをにじませており、これが唯一目を引きますが編集部の見解ではないため、週刊新潮全体としては百田氏を強く擁護する姿勢が際立っています。
メディアへの圧力についても氏は「難しい」と語り、話題を変えている。ただ、その言葉だけをとれば、追及される脇の甘さはあった。 文春と新潮の記事が注目される背景週刊文春と週刊新潮の「百田発言記事」がどのようなスタンスで書かれるのかについては騒動当初から高い関心を集めてきました。というのもベストセラー作家である百田尚樹氏が執筆したことで知られる「殉愛」にまつわる様々な疑惑についてこれまで、両誌がほとんど触れてこなかったことが背景として横たわっているためです。
週刊文春には現在、百田氏が連載小説を掲載中であることや新潮社からは「フォルトゥナの瞳」が出版されているなど、ベストセラー作家とのつながりが深いためであるのか、「殉愛」の問題に対しては読者の期待を裏切る編集が既に半年以上続いているため、今回大騒動となった「百田発言」を文春・新潮がどのように伝えるかは今後の「殉愛」問題への姿勢を占う上でのリトマス試験紙的な役割を担っていたと言えます。
また百田氏は「殉愛」が出版される前に、週刊文春がやしきたかじんさんの長女による手記を掲載しようとした際にこれを圧力で潰したという疑惑を「百田尚樹『殉愛』の真実」が伝えていることからも「言論弾圧」に通じる今回の騒動をどのように扱うかに関心が集まっていました。
「2つの新聞つぶさないと」発言問題で知っておきたい百田尚樹「週刊誌に対する言論弾圧疑惑」【おまけ】
百田氏の「田んぼの中」発言に関連する過去記事をサルベージした。
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伊波市長の言いがかり!米総領事に論破される 2010-09-19伊波洋一宜野湾市長が出演した9月5日放映のテレ朝「サンデーフロントトライン」に関連する古い記事を引用する。
“無理解”メア氏 「近くに建設許す宜野湾市に疑問 琉球新報 2008年7月12日
基地の危険性とは別に周辺での自治体の建設基準に疑問を示すケビン・メア在沖米総領事=11日、浦添市の在沖米国総領事館
ケビン・メア在沖米総領事は11日の定例記者会見で、伊波洋一宜野湾市長が米軍普天間飛行場は米軍内部の安全基準に違反すると指摘しているのに対し「基地外の建設を制御する安全基準で、逆に滑走路の近くの基地外になぜ、宜野湾市が建設を許しているのかという疑問がある」と答えた。強制的に接収され、建設された米軍基地の成り立ちを踏まえない配慮を欠いた11日の「メア発言」に、伊波市長や宜野湾市民からは「無理解」「(住民とは)逆の発想」と憤りが噴出した。
米軍普天間飛行場は、米軍内部の安全基準に違反しているとする伊波市長の指摘に「逆に滑走路の近くの基地外に、なぜ、宜野湾市が建設を許しているのか疑問」と反論したケビン・メア在沖米総領事。
基地外の建物建設について「米政府は日本の基地外の建設に何も権限がない。日本政府と県と市がコントロールしているので、米側は何もできない。普天間の滑走路の南の進入灯の近くにタワーができているが、これも安全の面で米側からはよくない。でも米側からは何もできない」と日本側の責任であることを強調した。
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ケビン・メア前在沖米総領事は、現在米国務省で対日政策の実務を総括する日本部長に起用され、普天間移設では米側の実務者の一員である。
メア氏の後任には、在日米大使館のレイモンド・グリーン安全保障政策課長が就任してる。
メア氏は総領事就任前は在日米大使館の安全保障部長を務め、普天間飛行場の移設問題など、在日米軍再編にも深く関与してきた。
ただメア氏は日本語が達者なため新聞の取材にもほとんど日本語で対応し、いわゆる情緒的ニュアンスを排除してストレートに話すため、沖縄紙では「無理解」とか「悪代官」などと感情的に罵倒される場面が多かった。
ケビン前在沖米総領事、どんなストレートな発言をしていたいたのか、新聞報道で探ると、
こんな発言があった。⇒メア総領事 宜野湾市長訪米効果を疑問視
伊波市長の訪米効果は沖縄タイムスでさえ疑問を呈しており、お膝元の宜野湾市議会からも非難を受けているが、メア総領事が「本当のこと」をストレートに話すことが、お気に召さないらしい。
もみ手をしながら、「県民感情はよく理解できるが・・・」とお決まりの枕言葉を使って、「県民感情はよく理解できますが、市長さんの訪米はあまり効果が・・・」などと語尾を濁せば気に入ってもらえたのでしょうに。(この際、理解の有無は問題ではなく、枕詞の有無が問題なのである)
上記記事も伊波宜野湾市長の抗議にストレートに反論したために、「無理解」と情緒的形容詞を冠されている。
早速琉球新報が社説でメア氏に反論しているが、他の地域の例を挙げて、「普天間飛行場も似たようなものだ」とは、ずいぶん乱暴な理屈だ。
論理的反論が無理だとわかると、「こんな米総領事、要らない」ときた。
メア発言 こんな米総領事、要らない 琉球新報・社説2008年7月13日
<米軍普天間飛行場の危険性に関して、総領事は11日「滑走路近くの基地外になぜ、宜野湾市が(住宅)建設を許しているのか疑問がある」と、従来の持論を繰り返した。つまり「基地の近くに後から勝手に住宅を造る住民と、それを許可している宜野湾市が悪い(だから騒音があろうが危険があろうが、米軍に責任はない)」などと、こう言いたいのだろう。
爆音訴訟で日本政府が主張している「危険への接近」理論と同じ理屈だ。普天間飛行場が米軍内部の安全基準に違反しているとする伊波洋一宜野湾市長の指摘にも反論したつもりかもしれない。何と独善的な考え方なのか。普天間基地がどういう経緯でできたのか知らないわけでもあるまい。単なる無知なのか。知っていながら知らないふりをしているのか。
宜野湾市伊佐浜では戦後、米軍がブルドーザーと武装米兵による銃剣で住民を脅し追放した。抵抗する住民を暴力で退けて家屋や農地を破壊、その後にキャンプ瑞慶覧を強引に建設した。先祖伝来の土地を追われた住民は、うち10家族がブラジルへの移住を余儀なくされた。何もない原野に基地が造られたわけではない。普天間飛行場も似たようなものだ。戦後、住民が避難先から戻ると、すでに基地が建設されていた。>
果たして琉球新報の批判は正しいのか。
冒頭で触れた9月5日のテレ朝「サンデーフロントライン」で、大谷昭宏氏が普天間基地のレポートをしているが、同番組に出演した伊波市長は「普天間第二小学校の移転を妨害したのは反基地団体だった」と暴露され、さらに味方と思った大谷氏に、「実現が困難な反基地を叫ぶ前に基地周辺の危険な住宅を移転させるのが先決」と迫られ、逆切れしてしまった。
正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現さんが、詳しくその番組を報告されているので、関連部分を引用させていただいた。
◆以下引用。
1945年アメリカ軍は本土への爆撃のため、民有地を接収し、普天間基地を建設した。1945年
土地を奪われた人々、終戦後、やむなく基地の周辺に居住。
その後、基地の周りは人口増加に伴い、自然に市街地化していった。
1973年
宜野湾市の3割以上は基地が占め、住める場所が限られていたためだ。
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しかし、この番組は、酷い嘘だらけだ。
戦前、飛行場が建設される前のこの地域にはいくつかの泉が存在し、それらを水源に畑作が営まれる丘陵地だった。
普天間飛行場が出来たのは、1945年だ。
1953年には滑走路が延長されたが、その頃にも普天間飛行場の周辺には殆ど何もなかった。
普天間飛行場の周辺に人口が増え始めたのは、宜野湾村が市になった1962年頃からであり、有名な普天間第二小学校が建設・開校したのも1969年だ。
それでも、翌1970年の写真を見ても判るように、普天間飛行場の周辺には、まだ殆ど家などはなかった。
現在、普天間飛行場の周辺にある住宅や学校や会社などの殆どは、最初に普天間飛行場が出来てから25年以上経った後につくられたのであり、テロ朝の「サンデー・フロントライン」が放送したように「普天間飛行場の場所に住んでいた多くの人々が追い出され、土地を奪われた人々が終戦後やむなく基地の周辺に居住した。」ではない。
それなのに、この番組は、あたかも現在普天間飛行場周辺に住んでいる人々が米軍に追い出されたために基地の周辺に居住しているかの如く放送していた。
また、そのことを、1945年と1973年の普天間飛行場周辺の航空写真を放映して演出していた。
しかし、1973年は、1945年に基地が出来た後に約30年も経ってようやく市街地化した頃なのだ。
酷いインチキ番組なので、テロ朝(03-6406-5555)に電凸した。(続きは⇒正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現)
―――――――――― ◆引用終了 テレ朝の視聴者を誤誘導するナレーションは論外として、普天間基地の空中写真を時系列で見る限り、伊波宜野湾市長の抗議も、琉球新報の援護射撃も単なる言いがかりとしか受け取れない。 結論を云うとこうなる。 伊波市長の抗議に、「逆に滑走路の近くの基地外に、なぜ、宜野湾市が建設を許しているのか疑問」と論理的に反論したケビン・メア在沖米総領事に対して、 伊波市長も琉球新報も「無理解」という情緒的文言でしか対抗できなかった。
メア総領事の一本勝ちである。
それにしても、他の地域の例を挙げ、「普天間飛行場も似たようなものだ」と開き直る琉球新報には呆れて言葉を失う。