太平洋戦争末期の沖縄戦で亡くなった北海道のアイヌの人たちの慰霊祭が15日、糸満市で行われ、アイヌの人たちの伝統の儀式で犠牲者の霊に祈りをささげました。
慰霊祭が行われたのは沖縄戦で亡くなった住民や兵士を弔うために昭和41年に建立された糸満市真栄平の南北之塔です。
この地域では北海道の旭川市の部隊に召集された多くのアイヌの人たちが犠牲になったとされていて、北海道のアイヌの人たちが毎年、慰霊祭を行っています。
15日は、旭川市の川村兼一さんなど4人と地元の人たちあわせて50人が先祖を弔う伝統的な儀式、「イチャルパ」を行いました。
川村さんたちは儀式のために作ったいろりの前でアイヌ語の祈りのことばをささげ祭壇に果物や水を供えて沖縄戦で亡くなった同胞の霊を慰めました。
沖縄戦では1万人余りの北海道出身者が犠牲になりましたが、アイヌの人たちが何人亡くなったのかはいまも正確にはわかっていません。
川村さんは「この塔は地元の人たちによって守られてきた。今後も慰霊の儀式と沖縄の人たちの交流を続けていきたい」と話していました。
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「アイヌの塔」については沖縄2紙が捏造記事をばら撒き、おかげでアイヌの塔(南西の塔)の管理者である糸満市真栄平地区の皆様が大迷惑している事実を、当日記が暴露した。
そのため、沖縄2紙が捏造記事を報道しなくなったのではないか。
コメント欄に関連するコメントガあったので、久しぶりにサルベージ記事を紹介する。(寝過ごしたのも理由のひとつでスー笑)
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アイヌに乗っ取られた慰霊の塔⑯ 2010-06-16
沖縄戦に関連する記事で、沖縄紙が明らかなウソを流し続ける例を、過去記事に加筆して紹介する。
「ウソも繰り返せば真実になる」とはよく言われることだが、本来そのウソを正すべき立場の新聞が、実はそのウソの発信源であるという例は枚挙に暇がない。
周知の通り、集団自決に絡む沖縄の新聞報道でも、自分のイデオロギーを押し通す為に確信犯的に誤報を流し続けた例は数多い。
沖縄紙が「平和」、「連帯」、「差別」といった枕詞の付く運動に敏感に反応し、検証もなく誤報を垂れ流すことはよく知られたこと。
糸満市の真栄平地区の住民が建立した「南北の塔」が、左翼集団と連帯したアイヌの団体によって、あたかもアイヌによって建立された「アイヌ人の戦士」を祭る塔であるかのようなウソの報道が一人歩きを始めている。
沖縄にある慰霊塔は南部に集中しているが糸満市真栄平にある「南北の塔」について、そのいわれを知るものは県民はおろか糸満市民でさえ少ないといわれる。(筆者自身も最近まで知らなかった)
「南北の塔」の建立者である真栄平地区の関係者に取材することもなく、確信犯的に「アイヌの塔」の印象操作をする琉球新報、沖縄タイムスの恥知らずな記事がこれ。
平和へアイヌの祈り 南北の塔、戦争犠牲者弔う 糸満市 琉球新報2006年5月18日 沖縄戦で犠牲になった人々を供養する参列者=糸満市真栄平の南北の塔 【糸満】アイヌ民族の先祖供養祭「イチャルパ」が14日、糸満市真栄平の南北の塔で行われ、アイヌ民族を含む沖縄戦で犠牲になった人々を弔った。川村アイヌ民族記念館長の川村シンリツ・エオリパック・アイヌさんが主宰。アイヌ民族と連帯する沖縄の会(まよなかしんや共同代表)のメンバー、真栄平区民ら約70人が参列して祈りをささげた。
アイヌの衣装を着た川村さんらが火を取り囲み、酒をささげた。続いて参列者らは果物などを供え、同じように酒をささげ儀式を行った。
儀式を終えた川村さんは「沖縄戦で亡くなった北海道の人の名簿を見たが、名字だけでアイヌと分かる人はたくさんいて、もっとしっかり調べなければならない。平和を願うこの儀式をこれからも続けていきたい」と話した。
南北の塔は1966年、真栄平区民とアイヌ民族の再会の中で建立され、南北の戦争犠牲者を追悼するという意味から「南北の塔」と名付けられた。
アイヌ儀式で供養/糸満・南北の塔 戦死者に哀悼(沖縄タイムス)
アイヌ儀式で供養/糸満・南北の塔 戦死者に哀悼
【糸満】沖縄戦に動員され戦死したアイヌ民族の日本兵らを追悼するアイヌの儀式「イチャルパ」が十七日、糸満市真栄平の南北の塔前の広場で行われた。北海道旭川市から参加した川村シンリツ・エオリパック・アイヌさん(川村アイヌ民族記念館長)ら県内外の五十人が、火の神に酒をささげ、アイヌの言葉でみ霊を慰めた。
供養祭はアイヌ民族と連帯する沖縄の会(まよなかしんや代表)が主催。毎年、5・15平和活動の一環として行っており、今年で九回目。
まよなかさんは「日本の先住民族であるアイヌと琉球民族が一緒になって、日本に住むすべての人々の権利が保障される社会をつくっていこう」と呼び掛けていた。
川村さんは「アイヌの戦没者を沖縄の方々が祭っていただき大変ありがたい。これからも毎年、続けていきたい」と話していた。
南北の塔は一九六六年、真栄平区とアイヌの元兵士らによって建立された。沖縄戦で亡くなった、北海道から沖縄までのすべての人々を祭っている。
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「南北の塔」建立の実相を知るものは今では、糸満市民はおろか糸満市職員でもいない。 勿論北海道のアイヌ側も関わったとされるTが亡くなってしまって事実を知るものはいない。彼らは「真栄平地区の住民たちがアイヌの塔を善意で管理している」と本気で信じているようだ。
アイヌ人と沖縄人が共に慰霊の塔の前で慰霊行事を行うことに異論を唱えるものはいないだろうが、マスコミによって事実が歪められ、左翼運動に利用されるとなると真栄平区民でなくとも異論を唱えたくもなる。
沖縄の新聞は、真実を明らかにすべきだと思うのだが、それをすると、例年「アイヌの塔」の前で行われる「反戦平和イベント」に水をさすことになるので、あえてそんなことはしないだろう。
人間には悲しい習性があるもので、自分の生まれ育った地域では当然と思っていた習慣と違うものに接すると奇異の眼で見る傾向がある。
若かりし頃初めて上京したとき、居酒屋に入り「さけ茶漬け」のメニューを見て
「ヤマトンチュは酒で茶漬けをするのか」と恐れ入った友人の話には笑った。⇒沖縄の食文化雑感
習慣の違いは、特に食べ物に関して著しい。
が、それが一歩誤ると差別に向かうので要注意である。
沖縄の方言で「イチャリバチョーデー」という言葉がある。
直訳すれば「行き会えば兄弟」、何かの縁で知り合ったものは兄弟みたいなものだという意。
「袖触れ合うも他生の縁」に近い意味を持つ。
アイヌ人が毎年糸満市の真栄平地区にある「南東の塔」の前で行う先祖供養祭「イチャルパ」を行うという。
何かの縁でアイヌ人も塔建立に関わったたわけだから、地元の人がこれを排除する理由は無い。
それこそアイヌ人でも皆「イチャリバチョーデー」である。
ただ、アイヌの供養祭「イチャルパ」は発音が似てはいるが、沖縄方言「イチャリバチョーデー」とは言語的には何の関係もないし、
地元住民は、マスコミの歪曲報道により、真栄平区民が建立した「南北の塔」が、あたかも「アイヌ人が造ったアイヌ兵士の遺骨を祭る」と喧伝されているのに困惑している。 つまり軒を貸して母屋を取られることを危惧しているのである。
沖縄南部の戦跡巡りをした人なら気が付くことだが、沖縄には全国46都道府県の碑はあるが、「沖縄県の碑」だけはない。
筆者が小学校時代、遠足といえば決まって「南部戦跡巡り」と「中城(なかぐすく)公園」だった。
南部戦跡といっても現在のように碑の乱立はなかったので、行く場所は「ひめゆりの塔」、「健児の塔」そして「 魂魄の塔」の三つの塔と相場は決まっていた。
各県の塔が乱立する中、あえて「沖縄の塔」を挙げるとすれば、この「魂魄の塔」がそれに相当するだろう。
肉親の遺骨を確認できなかった多くの遺族にとっては、「魂魄の塔」がその遺骨を納めた場所となっているからだ。
真栄平区民が建立した「南北の塔」は真栄平地域界隈で亡くなった身元不明の遺骨を納めた碑であるから、そこにアイヌ兵士の遺骨が収納されている確証はない。
マスコミが流布させた「アイヌの塔」の神話は一人歩きを始めて、止まることを知らない。
苦難の歴史や芸能紹介 アイヌ民族と交流の夕べ 2006年5月17日
何事も左翼活動家が絡んでくると話が妙な方向に歪められてくる。
左翼団体にはこのように蝿がたかってくる。
月間「部落解放」⇒アイヌ文化振興法10年
左翼団体が「南北の塔」を扱うとこうなる。
⇒http://blogs.yahoo.co.jp/tatakau_yunion_okinawa/
20818212.html たたかうユニオンへ! ↓
アイヌ儀式で供養、沖縄-アイヌ連帯
糸満・南北の塔でアイヌ儀式でアイヌ戦死者哀悼・供養
沖縄戦に動員され戦死したアイヌ民族の日本兵らを追悼するアイヌの儀式「イチャルパ」が十七日、糸満市真栄平の南北の塔前の広場で行われた。北海道旭川市から参加した川村シンリツ・エオリパック・アイヌさん(川村アイヌ民族記念館長)ら県内外の五十人が、火の神に酒をささげ、アイヌの言葉でみ霊を慰めた。 供養祭はアイヌ民族と連帯する沖縄の会(まよなかしんや代表)が主催。毎年、5・15平和活動の一環として行っており、今年で九回目。 まよなかさんは「日本の先住民族であるアイヌと琉球民族が一緒になって、日本に住むすべての人々の権利が保障される社会をつくっていこう」と呼び掛けていた。 川村さんは「アイヌの戦没者を沖縄の方々が祭っていただき大変ありがたい。これからも毎年、続けていきたい」と話していた。 南北の塔は一九六六年、真栄平区とアイヌの元兵士らによって建立された。沖縄戦で亡くなった、北海道から沖縄までのすべての人々を祭っている
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昨日のエントリーの「南北の塔を考える会」の手記の続きを引用する。
≪間違った記述の本が多い
昭和56年に『南北の塔』という本が出版されている。 この本は、元アイヌ兵士からの聞き取りで書かれたというが、その中に地元を無視したような書きぶりがある。 元アイヌ兵士の行動を称えることと、アイヌ兵士が真栄平の人々に呼びかけて南北の塔を建てたようなことが書かれている。 寄付をしたことが美談になることはよいが、誇張しすぎている。 その後、この本を参考にして書かれた本が沖縄でも出版されているが、間違った記述が多い。 沖縄タイムスの『大百科事典』(『沖縄大百科事典』-引用者注)、太田昌秀著の『慰霊の塔』、高教組南部支部の『歩く、見る、考える沖縄』、沖教組島尻支部の『南部戦跡巡り』、本土でも『沖縄戦でたたかった兵士』等まだまだあるが、これらの出版物にはこれらの出版物には南北の塔は全てアイヌとの関係で書かれている(ただ一冊、沖縄県から出された『沖縄の聖域』だけは正しい)。≫
ウソの情報を撒き散らしている新聞社、発刊者を拾ってみると、
沖縄タイムス⇒『沖縄大百科事典』
太田昌秀⇒『慰霊の塔』
高教組南部支部⇒『歩く、見る、考える沖縄』、
沖教組島尻支部⇒『南部戦跡巡り』
なるほど左翼団体がドキュメンタリーを著すると「反戦平和」に捉われて事実を歪曲することは『鉄の暴風』の場合と同じだ。
赤い脳ミソの著者が発刊すると、事実が歪曲されるということを見事に証明するリストだ。
沖縄タイムスは、取材相手が沖縄にいるにも関わらず、取材もせずにデタラメを書き散らした。
この点でも『大沖縄辞典』は『鉄の暴風』と軌を一つにしている。
さて、糸満市真栄平の「南北の塔を考える会」の手記引用を続けよう。
≪・・・ラジオ、テレビは墓参団が来沖するたびに、アイヌのことを中心に報道するので、ウソも百回いえば本物になるとかで、私達がいくら努力しても訂正されそうもない。 不可解なことだが、北海道のある町から、真栄平の区長や役員等に感謝状と記念品が贈られている。 南北の塔の維持管理に感謝するとのことらしい。 又、地元の知らない中に、アイヌ兵士が30余柱合祀したなどのマスコミ報道もある。 ところが、南北の塔にアイヌ出身者の遺骨があるという確証はないとおもう。 なぜならば、他県人からすれば無名戦士の墓であり、魂魄の塔と同じだからである。≫(続く
完結編!アイヌに乗っ取られた慰霊塔 イヨマンテの夜と魔女の洞窟 2010-06-18
南の島にある小さな戦没者慰霊の塔を巡る北と南の本家争い・・・関係ない読者にとっては興味のもてないと思われる話題を二日に渡ってエントリーした。
昨日の続編で終わりにしようと思ったのだが、予測に反してアクセスが多くコメントも頂いたので、しつこく本日も「南北の塔」についてのエントリーです。
この話題を書くにあたり、「南北の塔」に関わった北海道の方々を「アイヌ人」と一くくりで書くことに抵抗は感じた。
だが、「沖縄で反戦平和」を叫ぶ人々のことをマスコミは一くくりで「沖縄人」と書いている。 一くくりにされても困る沖縄人が多数いても、マスコミは馬耳東風である。
「南北の塔」の北海道の関係者もそれに対応して敢えて「アイヌ人」と書かしてもらった。
因みに沖縄在住20年の知人の元北海道民に「南北の塔」について聞いてみたら、「南北の塔」はおろか、アイヌ人との逸話も聞いたことがないという。
「真栄平区民が建立した慰霊塔にアイヌ人が寄付をして、それが縁で毎年アイヌの慰霊祭が行われる」
これだけの話だったら、「イチャリバ(行き会えば)チョーデー(兄弟)」で、
北と南の心温まる交流の話題でこれに異論を挟むものはいなかったはずだ。
ところがこの話に「左翼」という接着剤が関わってくると「在日」や「同和」といった団体が金魚の糞のようにくっついてくる。
当然のように沖縄マスコミが針小棒大に騒ぎ立てるといういつものパターンである。
このように「南北の塔」の建立者である真栄区民にとって迷惑なことがまかり通っている原因は、間違いだらけの出版物やマスコミの一方的な報道にある。
糸満市が発行した「糸満市における沖縄戦の体験記集」(平成8年発行)に記載の「南北の塔を考える会」の手記を続けて引用しよう。
手記ではデタラメな記述の本やマスコミ報道の例を次のように列記している。
≪・真栄平に「わしは南北の塔をたてました。」
・これは、まぎれもなく、アイヌの建てた塔です。
・アイヌの人が建てた塔がある。
・南北の塔を建てたのは、アイヌの下級兵士と住民です。
・住民と相談して慰霊の塔をつくることにした。
・アイヌの墓がある。
・アイヌ兵士39柱を合祀した。
・塔名も、ごく自然に南北の塔にしたのです。
このような表現が、国民や県民、市民の誤解をまねいている。しかし、事実は、塔の建築中に、T氏(アイヌ人)が世話になった真栄平出身のK氏を通じて寄付の申し込みがあった。そこで塔碑をつくることになり、役員会で塔名を決定し、K氏の紹介である石材店に発注することになった。 そこで石材店に寄付申込者のK氏を呼んで「費用の件で200ドル以上かかるがよいか」と再確認して了解を得た。 その場でT氏から「私のきぼうだが、キムンウタリと関係者の氏名を刻んでくれないか」との要望があり刻名することに決定した。 これが真実である。
したがって、本にあるようなことは、誰かが作り出したものである。 寄付を受けるまでは役員の誰一人としてT氏を知らなかったし、会ったこともない。
従って、「すすめて建てさせた」、「名前も自然にきまった」などありえない話である。 南北の塔はマスコミや関係図書の中ではアイヌ中心に書かれたり、報道されたりするので、市民権はアイヌにあるように思われている。 このままでは、戦争体験者が語れなくなる頃には、籍はアイヌに移ってしまうおそれがあり、今、区民がその解決に向けて立ち上がっている。≫
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南北の塔の所有・管理について真栄平区民がこだわるのには訳がある。
沖縄戦で多くの身元不明の遺骨が魂魄の塔に葬られたが、真栄平区民にも多くの身元の確認できない戦没者がでた。
自分の墓に埋葬することの出来ない身元不明の区民の遺骨が南北の塔に祀られている。 真栄平区民は墓参のとき「南北の塔」に向かってウタンカー(遥拝)をして身近な人は線香をあげて供養をしている。 自分の先祖の遺骨を祀る南北の塔を他人に任すことは出来ないという心情が、真栄平区民が南北の塔にこだわる理由である。
マスコミの歪曲報道により、南北の塔が「アイヌ化」されていくのを憂い、「南北の塔を考える会」の手記は次のように結んでいる。
≪これを解決するには、公の記録として残し、民間資料にあるアイヌ中心の記事を訂正することである。 子々孫々に、南北の塔はまぎれもなく真栄平の塔であると語りつぐために筆を取りました。 市民の、ご理解、ご協力をお願いします。≫
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