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オバマ米大統領の演説を米国民が、星条旗の小旗を持って聴いても、SPにとがめられることはない・・・と思う。
昨日安倍首相が沖縄入りし、那覇市内で演説をした。
安倍首相を応援する知人が、日の丸の小旗を掲げながら演説を聴いていたら、不審人物と間違えられ、SPに誰何されたとのこと。
日本国の総理大臣の演説を国旗を持って聴いたら不審人物に見える・・・日本はやはり、普通の国ではない。
それにしても、SPもご苦労さんです。
以下は、日の丸の小旗の「不審人物」の手記です。
<平和通りを通ってパレットへ行きました。物々しい警備にも関わらず、一体誰が来るのか平和通りの人々は誰も知らない。安倍総理が来られて握手して貰いました。一人日の丸小旗は目立ちすぎ?安倍総理も戸惑った表情だったような?「日本を、沖縄をお願いします」と言いたかったのに何も言えず。偶然会って「安倍総理が来るよ」と教えたご婦人は私の日の丸小旗に「準備いいね」と笑顔でした。帰りにも「握手したよ。して貰った?」と嬉しそうに声をかけてくれ、安倍総理を追っかけていきました。
パレット久茂地前まで歩く。
那覇市議候補者の弁士が短く話す。仲井真知事も来られて、「こんなに集まったのは初めて」と述べる。県庁前広場ギッシリ。パレット久茂地前広場ギッシリ。5時半頃安倍総理到着。携帯動画を撮りながら時々日の丸小旗をふる。一人だけ。違和感。SPがさっきから後ろに張り付いているのがわかる。安倍総理演説途中そのSPが近づき言う。
SP「さっきから日の丸をふっているのは何故?」
仰天して私「えっ!駄目なんですか?」
SP「安倍総理のファンという事で…」
私「そうです。ここは日本国です。日本国の総理が来られて日の丸をふるのが駄目なんですか」
SP何かいえ大丈夫ですみたいな事を言い去る。
とてもショック!意味が分からない。交差点の向こうには「NOオスプレイ」の薄汚い連中がわいていた。3人位(笑)注意するのは向こうじゃないの?
一人浮いている状態で更にSPに意味不明な質問をされ奇妙な気持ちになるが安倍総理の沖縄上げ演説に余計に日の丸をふったりして…。演説が終わってお帰りの際、皆さんと握手しながら通り過ぎる時、前列の方々と握手しながら目が合いました。笑顔で「ああどうも」とお声をかけていただきました。またしても何も言えず微かに「お願いします」と言ったきり、ただただ頷くだけでした。安倍総理は去っていきました。沢山の人々に送られて。
宜野湾まで行こうと思っていたのですが
混乱した頭と暑さで少し疲れたので帰って来ました。行ってもまた、浮くだろうなぁと思い…。
日の丸はみんなと一緒にふるのが楽しい。何か悲しくなってきました。疲れたので少し寝ます。
追記:汚長那覇市長はきていませんでした。那覇市議選挙の候補者もいたのに。これないのか?、来たくないのか?。宜野湾コンベンションにはくるのでしょうか?だとしても随分お偉いですね?県知事よりも日本国の総理よりも。>
安倍首相は参院選直前に、憲法9条改正の必要性を明言した。
これまでの選挙戦でも憲法改正の発議要件を緩和する96条改正を憲法の争点としてきたが、いよいよ「9条改正」という本丸に切り込んだ格好だ。 筆者は当初から、憲法の争点は堂々と「9条改正」にすべき、と考えていたが、安倍首相も終に覚悟を決めた様子だ。
「平和憲法」を金科玉条のように奉る沖縄メディアが、発狂しまくると思ったら、やはり昨日16日の沖縄タイムスの一面トップはこれだ。
そして、今朝の沖縄タイムスは、選挙特集記事で、こんな見出しが・・・。
会見阻止へ 動き再び
活動停滞の「九条の会」
そして社会面の左トップは「2013年参院選をー争点をかんがえる憲法」という連載記事で、こんな大見出し。
奪われたふるさと
「軍国」再来気がかり
記事は戦争体験者の、日本軍に酷い目にあったという「うらみつらみ」を書き並べている。
「2013年参院選・・・」のタイトルがなければ、戦争体験特集と勘違いする内容だ。
安倍首相の「憲法改正」に投票したら、戦争が始まるという印象操作なのだろう。
こんな見え透いた手を使うとは、沖縄タイムスは読者を舐めきっている。
その安倍首相が菅直人元首相に「名誉毀損」で訴えられたという。
菅元首相が安倍首相を提訴 原発事故めぐり「メルマガで中傷記事」
2013.7.16 14:59
民主党の菅直人元首相は16日、国会内で記者会見し、東京電力福島第1原発事故をめぐり、安倍晋三首相が「菅総理の海水注入指示はでっち上げ」と題したメールマガジンを配信し、現在もネット上で掲載しているのは名誉毀損(きそん)だとして、安倍首相に対し、該当するメールマガジンの削除と謝罪を求め提訴したことを発表した。
安倍首相のメールマガジンは平成23年5月20日付配信。首相は「東電はマニュアル通り淡水が切れた後、海水を注入しようと考えており、実行した。しかし、やっと始まった海水注入を止めたのは、何と菅総理その人だった」と記載。その上で「海水注入を菅総理の英断とのウソを側近は新聞・テレビにばらまいた」としている。
菅氏は「内容は全くの虚偽の情報に基づく。私の名誉を著しく傷つける中傷記事だ」と述べた。
☆
現役の首相が二代前の首相に訴えられるというは、前代未聞だ。
この話しを聞いた瞬間二つの事が脳裏を過った。
先ず一つ目は、同じバカでも「自分で頭がいいと勘違いしているバカほど始末に終えないものはない」ということ。 鳩山、菅と偏差値の高い学校を出た総理大臣のバカ振りを見れば誰でも納得だろう。
もう一つは、この裁判は百に一つも菅元首相に勝ち目はない、ということ。
なぜなら、菅氏には「毀損すべき名誉」など存在しないと思うから。
そもそも安倍首相が問題の発言をしたのは、震災直後の2011年5月。
それを今頃になって提訴したのは、現場を一番知る人物の吉田所長がなくなるのを見計らって「死人に口なし」を狙ったのではないか。
安倍がメルマガを配信したのは 2011年5月20日
菅がそのメルマガに怒って提訴したのが 2013年7月16日
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130716/stt13071614480001-n1.htm
それに、菅元首相が原発事故処理で、不始末を仕出かしたことは、既に教科書にも出ていることであり、提訴するなら教科書も一緒に提訴すべきではないのか。
山川の歴史教科書、菅直人政権「震災処理の不手際もあって総辞職」と“認定”
菅元首相【拡大】
民主党の菅直人元首相が、高校の歴史教科書で“ダメ首相”と認定された。来春から高校生が使う教科書に、東日本大震災や福島第1原発事故への対応の不手際で内閣総辞職に追い込まれた−との記述があるのだ。菅氏は在任時、口癖のように「俺は歴史に名を残したいんだ」と語っていたというが、トホホな形で願望がかなってしまった。
菅内閣を取り上げたのは、歴史教科書のシェアトップを誇る山川出版社の「日本史A」と「新日本史」。先月末、文科省の検定で合格となった。
日本史Aには「震災処理の不手際もあって菅内閣は同年(=2011年)8月に総辞職に追い込まれ(た)」とある。新日本史は「菅内閣は、原発事故による放射能汚染の情報を十分に国民に開示しなかったことや、震災からの復興計画の立案と実行が遅れたことから、国民の批判を浴びて倒れた」と厳しい。
震災後、20もの「本部」や「会議」を設置して指揮系統を混乱させたり、生半可な知識を持ち出して原発事故の現場に介入するなどして「史上最低の宰相」と呼ばれた菅氏の内閣を、教科書的に淡々と記述している。
菅内閣の部分は担当していないが、日本史Aの執筆陣の1人である東京大学の加藤陽子教授(日本近現代政治史)は「政府事故調や国会事故調も指摘したように、(1)十分な設備や装備がなかった緊急対策拠点の現状(2)責任を負うべき閣僚を中心とした事故対策本部を設置できなかった(3)事故に関する同時的な記録を残す姿勢がなかった−などの事実を受けて、そのような表現がとられたのだろう」と語った。
ただ、「菅内閣が他の内閣と比べて不適切な処理をおこなった、という意味ではない」ともフォローした。
文科省によると、山川出版社は12年度の日本史教科書販売数で、計50万冊とシェアトップ。今後、他の教科書にも同じ記述がなされれば、全国の高校生が「菅内閣=震災・原発事故対応で失敗した」という歴史観を吸収し、次世代に語り継ぐことになる。
今回の歴史的評価について、菅事務所は「教科書の記述については承知しておりません」とコメントした。
■関連記事
⇒【視線】“不手際”で教科書に載った菅直人元首相 政
☆
>全国の高校生が「菅内閣=震災・原発事故対応で失敗した」という歴史観を吸収し、次世代に語り継ぐことになる。
これで菅氏は震災・原発事故で失敗した歴史上の人物として次世代に語り継ぐことになる。(爆)
おそらく、このくだりを書いた執筆者は、あまりの「ブーメラン男」に涙を流しながら書いたのだろう。(勿論笑い過ぎの涙)
菅氏の原発事故の不手際については「吉田元所長死去で菅元首相、ネット上で大暴走」に詳述されているが、裁判では彼が、キレ菅の本性を表し、どのようにどなり散らし、でたらめな危機管理をしたかが関係者の証言で明らかになるはず。
その意味でこの裁判は、国民にとっては絶好の情報公開で、知る権利のチャンスかもしれない。
絶滅危惧種の仲間入りの一歩手前の民主党。
元総理の提訴は「窮すれば通じる」というより「貧すれば鈍する」のお諺がお似合いである。
>【会議映像公開】菅直人首相が本店に乗り込んだ!東電役員らにはモザイク…-産経フォト
☆
■世界日報 7月15日掲載
【連載】貶められた旧日本兵−「援護法」に隠された沖縄戦の真実 (8)
「パンドラ訴訟」/
梅澤、赤松両隊長の名誉回復を
近年、沖縄戦関連で三つの裁判が行われ、そのうち一つは係争中である。
既に最高裁判決が出た「大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判」(大江・岩波訴訟)と「沖縄靖国合祀取消訴訟」、それに福岡高裁那覇支部で係争中の「パンドラの箱連載掲載拒否訴訟」(以後、「パンドラ訴訟」)である。
三つの訴訟はそれぞれ原告と被告、そして表面上の訴因は違っているが、実質の争点が沖縄戦をめぐる認識であり、さらに論点を絞ると「沖縄戦と援護法の関係」になるという共通項を持つ。
「大江・岩波集団自決訴訟」は最高裁判断で原告側の座間味島元戦隊長の梅澤裕氏や渡嘉敷島戦隊長の故赤松嘉次氏の弟、秀一氏が敗訴した。一方、最大の争点である「集団自決の軍命」については被告側は立証することができなかった。
2012年6月15日、「沖縄靖国合祀訴訟」で原告側である遺族の敗訴が確定した。この裁判は沖縄戦などで亡くなった戦没者の遺族5人が「家族を靖国神社に無断でまつられ、肉親を自由に追悼する権利を侵害された」と主張して、靖国神社のほか、神社に戦没者の名前を提供した国に、合祀の取り消しと慰謝料の支払いを求めたもの。
原告のリーダーである金城実氏は、父親の戦死を「犬死に」と罵ったが、援護金を返納してから訴訟に踏み切るのが筋だった。
他の原告は、避難壕の外で死を迎えた主婦や2歳の幼児らの遺族らだが、援護法適用のため「準軍属」とされ、合祀された経緯があった。
「パンドラ訴訟」は、琉球新報夕刊に2007年5月から掲載中の連載「パンドラの箱を開ける時」が急きょ中断したことに対して筆者の上原正稔氏が損害賠償を求めているもの。未掲載の部分は、米軍兵士の手記に基づき、慶良間諸島における集団自決の真相を解明するもので、両隊長の名誉回復に向けてのメッセージでもあった。
沖縄戦史の捏造(ねつぞう)は軍命を必須条件とする援護法適用により生み出された悲劇であり、その一番の被害者が「軍命で住民を自決させた極悪人」という汚名を着せられた梅澤、赤松両隊長ということになる。
上原氏は2011年1月、提訴時の記者会見の席で、梅澤、赤松両隊長に沖縄県民を代表して謝罪。「存在しない軍命令」で援護金を受給した沖縄人の複雑な心境を代弁した。
しかし、沖縄のメディアはまるで申し合わせたように提訴の事実を黙殺し続けている。沖縄県民でさえ、この裁判のことを知る者はほとんどいないのが現状だ。両隊長の実質的な名誉回復こそが歪められた沖縄戦史を是正する第一歩ではなかろうか。
上原氏は提訴に際し次のように述べている。
<最終稿(181回目)で、赤松さんと梅澤さんは集団自決を命じておらず、それは援護法の適用外の住民が援護金を貰うために嘘の報告を出し、そのために赤松さんと梅澤さんをスケープゴートにしたのだ、という旨の原稿を出したら、(琉球)新報はその最終稿をボツにするという前代未聞の暴挙に出た>
7月29日、「パンドラ訴訟」の高裁判決が下される。
(「沖縄戦の真実」取材班)
=終わり=
☆
沖縄メディアが報じる「残虐非道な日本兵」による「壕の追い出し」について、沖縄メディアが決して報じることのない証言を、昨日に引き続き紹介する。
■2、中曽根源良元警部(沖縄戦当時警防課課僚)の証言
「沖縄県警察史」平成5年3月 第二巻 711頁〜712頁
知念半島が安全地帯になるということで、その方向に住民を誘導した。住民は「友軍が負ける事は無い。友軍と一緒にいた方が安全だ」という事で友軍と一緒に南下する者が多かった。
その頃から米軍は、非戦闘員・住民にビラを撒いた。米軍のビラには、安全地帯とそこに行く方法が指示されていた。道は、どこを通りなさい。昼間行動しない。手を挙げて、男は裸になりなさい等と色々親切に書かれていた。
このビラを本島に信じて、その通りに行動した人たちは効果的に良かったと思う。
警察は、住民を知念方面に誘導しょうとするが、うまくいかなかった。
住民誘導が上手く行かなかった理由は、米軍側最高司令官のバクナー中将の戦死のせいだといわれている。
日本軍沖縄守備隊と激烈な戦闘を展開した連合軍最高指揮官のバクナー中将が、6月18日喜屋武半島真栄里の高台の前線において海兵隊視察中に戦死した。
司令官の戦死により報復の念に燃える米軍は、投降を呼びかけてもそれに応じなければ一転して、容赦無い攻撃を続けた。
馬乗り、催涙ガス、黄燐弾、手榴弾、火焔放射等による攻撃が多く、時にはガソリンを流して火を放つなどもしている。また、三和地区では、国吉部落、真栄里部落が米軍の無差別攻撃を受けている。
■3、 池原徳英 (沖縄戦当時 宮里徳英 警察特別行動隊員警部補)の証言
「沖縄戦・敵中突破 −沖縄警察別動隊の記録−」 (新沖縄文学20号1971年7月 沖縄タイムス社)157頁
辻町方面に派遣された小隊等は、大きな自然壕に避難していた千名以上の市民に誘導しようとしたが、応じなかったので、抜刀して壕外に追い出し、隊員が一糸乱れぬ統制下の下に、冷静な行動で、郊外に避難させた。
■4、壕の追い出しという山川氏の証言
1971年11月号 潮 「生き残った沖縄県民100人の証言」
繁多川の壕には島田知事はじめ、那覇署の本部員、真和志村の玉城村長は職員とその家族など百数十名がこもっていた。
5月10日ころ、球部隊のある中隊から那覇署に対し、作戦上の必要といって繁多川の洞窟を明け渡すように要求される。
翌朝「真和志村長は何処だ!真和志村長はいるか」とどなる大声で、皆いっせいに飛おきた・・略・役場職員とその家族およそ70人を、那覇署員が手分けして誘導し、壕を探すことにした。こうしてこの人々は、50日間住み慣れた繁多川の洞窟をあとにした。・・・ 略・・彼等を誘導した警官たちの報告によると「途中で砲弾や機銃をうけ、幾人かが倒れ、また幾人かが傷つき、そのうえ行く先々のどの壕も、どの墓も負傷兵や避難民がいっぱいで中に入れてもえらえず、ついに散り散りになった」という。玉城村長も夫婦二人きりになって、転々と避難をつづけていたが負傷して死んでいったといわれる。《那覇市史 2−6(八)島尻郡旧真和志村戦争記28〜29頁》
■ 《球部隊の壕の退去勧告は、避難勧告であった可能性が高いと判断できる記録》
?1993年3月22日発行 沖縄県警察史 第2巻(昭和前編)によると、
5月12日、荒井警察部長は警察特別行動隊を編成し出発させる。その頃、戦線の切迫に伴って那覇警察署は繁多川の壕から真玉橋に移動した、と記されている。
?2003年4月25日発行 沖縄の島守 によると、4月24日 日本軍防御第二線が米軍によって突破された為、第32軍司令部は島田知事に「首里・那覇地区の非戦闘員は即刻立ち退き、29日ころまでに南部地区に非難せよ」と下令、島田知事は27日に南部の市町村長・署長会議を招集。
5月4日黎明、日本軍防御第三線を死守する為、日本軍は総攻撃をかけるが、失敗。戦線はさらに押し下げられ首里周辺に危機が迫った。
?防衛省 沖縄戦の記録より
4月22日、第32軍司令部は、第24師団と独立混成第44旅団(島尻在)の北方陣地(首里付近)への転用を決心した。(前田高地以西は第62師団、以東は第24師団)この時独立混成旅団も北進を命ぜられた旅団司令部は識名にあった。独立混成第15連隊が真和志村一帯に展開する(28日から29日)第1大隊は松川付近、第2大隊は壷屋付近に展開。即ち、真和志村一帯は、独立44旅団が陣地を占領して、近く激戦が予想される地域である。
★
『パンドラ訴訟』の高裁判決は、7月29日に下されます。
■カンパ協力のお願い■琉球新報の言論封殺に戦いを挑んでいる上原正稔さんの訴訟へのカンパ協力は支援団体の三善会へお願いしております。
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【金融機関】ゆうちょ銀行
【口座番号】記号:17010 口座番号:10347971
【名 義】サンゼンカイ.
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【金融機関】ゆうちょ銀行
【店 名】七〇八(読み:ナナゼロハチ)
【店 番】708
【口座番号】普通:1034797
【名 義】サンゼンカイ
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ライター・ブログ「狼魔人日記」管理人 江崎孝
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「沖縄に内なる民主主義はあるか」の内容紹 沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所
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