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集団自決者も準軍属に、貶められた旧日本兵(4)

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【連載】貶められた旧日本兵−「援護法」に隠された沖縄戦の真実 (4)

遺族会幹部証言/集団自決者も準軍属に

 沖縄県遺族連合会のある役員は、同会が内部向けに発行した記念誌を提供してくれ
た。

 同誌に掲載されている座談会では、援護法の申請・適用に従事した遺族会幹部の苦労話がつづられている。その中で戦没者の処遇に関する発言のみを抜粋、引用する。ある幹部は語る。

 <就職十日目に「厚生省から係官が来るから座間味と渡嘉敷の集団自決を調べて来なさい」と言われて慶良間に行きました。援護法が出来たばかりで勉強もしていなかったので驚きながら、すぐ船で座間味に行き二泊して村役所で集団自決の話を聞き、船を用意してもらい渡嘉敷に渡り、渡嘉敷に二泊して集団自決の状況を聞き取り、事務所に戻ってレポートを提出しました。「大変な仕事を仰せつかったなあ」と思いましたが、のちに集団自決も戦闘協力で「準軍属扱い」処遇につながったのでいいことをした、と今ではおもいます。
 これが私の遺族会での初仕事です。>

 一人でも多くの県民に援護法を適用させるよう努力をしたことが証言で分かる。

 <戦没学徒の身分確定は、「十七歳以上は軍人」という規定があって四、五年生は十七歳以上で軍人なのですが「十七歳以下は軍属、女子は軍属」つまり一番戦死者が多い通信隊は二、三年生で十七歳未満で、肩章をつけていたのに軍属なんです。

 これには納得がいかず昭和三十年に「沖縄戦戦没学徒援護会」を作ってそこを中心に陳情や街頭での署名運動を展開しました。

 一万名の署名が集り、日本遺族会事務局長だった徳永正利先生が来沖された時にこれをお預けして、本土に持ち帰られ、国会で激論されて五年位かかって「男子学徒の戦没者は年齢を問わず全員陸軍上等兵にする」「女子は軍属とする」と身分が確定されました。>

 17歳以下の学徒は誇りを持って日本軍と一緒に戦ったのであるから、「軍人」「軍属」として扱われるべきだとする遺族会の主張が認められた。戦後盛んに言われたように、沖縄県民、その中でも、学徒隊は「被害者」でも「哀れな乙女」でもないのである。

 また、軍人軍属の戦死を証明する「死亡公報」も重要な事務処理のひとつだった。
遺族の申し出を元に、戦没日時、場所、死亡時の状況、発見者を添えることが必要とされていた。

 <「沖縄戦で亡くなった軍人・軍属の死没処理」がありました。

 沖縄戦で戦没した沖縄本籍の軍人・軍属の数は約二万五千名なんですが、昭和二十九年の時点で死没処理された戦死公報の受領者は六千八百名。まだ約一万八千名が戸籍上は生きていて、「援護金の請求が出来ない遺族」が大勢いました。それで「戦死公報をとる」ため各市町村を回り、学徒は「現認書」(現認書類)、軍人・軍属は「申立書」を、遺族から聞いて代筆して書きあげました。>

(「沖縄戦の真実」取材班)

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              ☆

 

【おまけ】富村順一氏の独白

       

将校と自決した慰安婦

 実は私は約五年間、大阪の高島屋の前で路上生活をしながら沖縄戦を訴えてました。梅沢隊長は何十回も私の所へ来て下さいました。

 一番悲しいのは、慰安婦から従軍看護婦になった女性のことです。一人の将校が重傷を負い、慰安婦だった朝鮮人女性が野戦看護婦となり、看病に当たった。重傷の将校は意識が朦朧としたのか、「お母さん、お母さん」と叫ぶので、その看護婦は自分の乳房を将校の口に含ませたようです。すると二、三分は唸り声も治まるが、また繰り返す。その野戦看護婦はそばに居た衛生兵達に「外へ出て下さい。わたしがお伴します」と云って、自分の乳房を将校に含ませた儘、手榴弾を爆破させ、自爆したということです。この朝鮮人慰安婦は当時朝鮮は日本だったので、日本の皇民化教育を受け、日本の女性として誇りを以て、負傷した将校と共に自決したのだと思います。

沖縄人の見た沖縄戦? −座間味に咲けよ桜と木槿−      

 昭和史研究会会報130号 沖縄人の見た沖縄戦 ? 富村順一

 

 オモニーが語る木槿さん

 話は違いますが、私が高島屋の前の軒下で五年以上、雨の日も風の日も路上生活していた頃、月に二、三回私の所にホルモン焼きやキムチの漬物を持ってくるお婆ちゃんがいました。時々私が訴える話をじっと聞いていましたが、ある日のこと「実は座間味島に木槿の木を植えたい」という話がありました。「何故あなたは座間味島に木槿の木を植えたいのですか」と訊いたところ、「一年足らずであったが座間味に居りました。金木槿という友達が座間味島で戦死をしました。実は私は木槿さんと一緒にお仕事をしていました」と話されたのです。木槿と同じ釜山の出身で、座間味島に来たようです。金木槿さんとは隣近所で、朝鮮人に騙されて日本に来てくれと云われ、慰安婦にさせられたと云うことです。「木槿の家もよく知ってますが、名前と同じような木槿の木を彼女のお父さんが庭に植えていて、毎年その花は咲いてます。私はその木槿の花を見るのが辛くて、また日本にやって来ました。」

 余り詳しくは語りませんでしたが、座間味島で日本兵と共に自決した金木槿さんの友であり、戦場の慰安婦でもあり、また看護婦でもあった女性でした。

 朝鮮人に騙され慰安婦に 

 その女は釜山の中学校を卒業してます。木槿さんは大正生まれで、日本人として生まれて日本人として学校に行ったそうです。そうして朝鮮の病院で見習い看護婦をやっていたのですが、同じ朝鮮人に、日本に病院の仕事があるからと騙されて日本に連れて来られたのです。強制連行されたのではありません。これはそのオモニーの話です。

 そのオモニーは奥さんを亡くした韓国人の後妻になってホルモン焼き屋をしていたんです。難波にお店があったようで、一週間に一遍来てくれました。そして私が梅沢さんと相談して書いた座間味の看板を見て話しかけてきたのです。私はあんな達筆の看板は書けない。私が頼んで梅沢さんが公園で書いたんです。

 私が高島屋の正面玄関の前でそんなことが出来たのは、野村秋介さんのお蔭でもあるんです。野村秋介さんが山口組の南一家のヘンジャンテさんに頼んでくれたんです。東京でも野村秋介さんが、やくざ者に妨害されないように紹介状を書いてくれ、木刀まで貰いました。

 桜と木槿を座間味の島に

 私はその女性と約束したことがあります。いずれ一緒に力を合わせてあの座間味の島に木槿だけではなくて、日本の桜も植えようではないか。一緒に自決した軍人は桜に譬え、木槿は韓国の花であるから、二つ一緒に並べて植えれば、天国の二人も喜ぶのではないか、というような話をしたこともあります。 だがそれから私は高島屋の前に出られなくなって、その小母さんと会うことが出来なくなりましたが、たしか大阪の生野区にいらっしゃるという風に話してました。

 もし自決した慰安婦が日本人であったならば、大和撫子として誉め称えられたと思う。

 今度の裁判(集団自決冤罪訴訟―中村)は元部隊長を支援するだけではありません。元部隊長の無実を明らかにすることで教科書を正しく直すことも私の目的の一つです。

 また仮え朝鮮人慰安婦であっても、戦場で従軍看護婦となり、負傷した日本軍人のお供をして自決したとなれば、放っておいてはいけません。日本人として日本の教育を受け、少くとも大和魂があったからこそ、自決したと私は思ってます。私は大和魂には余り賛成しませんが、彼女はそう信じて日本軍人のお供をした訳ですから、私は日本政府だけでなく国民もその慰安婦に感謝すべきだと思います。

 自決した沖縄出身の大城明さんにとっては六十年経ってもまだ戦争は終っていなかった訳です。その自決に追い込んだのは『沖縄タイムス』、沖教組、関係者が捏造した本が原因です。これでは大城明君も報われない。また野戦看護婦として自決した金木槿さんも浮ばれない。いま私は、いずれ体が回復すればあの座間味島に木槿の木と桜の木を植えたいのが願望です。そのことについて協力して下さるという方々もいらっしゃいます。私は一日も早くそれが実現出来るようにいま努力しています。彼女は日本の教育を受け、私の想像では大和撫子の魂をもって自決し、お供したと思います。(完)

              ★

 沖縄タイムスなど沖縄メディアが担ぐ神輿にに乗った富村順一氏。

沖縄タイムス御用達の識者でいる限りは、沖縄メディアに文章を書いたり、講演活動などで、それなりの生活が出来たはず。

だが、富村氏が独特の動物的嗅覚で「集団自決の真相」を知ってしまってからは、それまでの生活は一変、極貧生活になる。 

富村氏の経済的基盤を支えていたサヨク勢力との付き合いを一切断ったからだ。

そしてサヨク活動家の暴力で、車椅子生活を余儀なくされても「大江・岩波集団自決訴訟」では不自由な体をおして原告応援に駆けつけた。

「人間、死ぬ前には嘘はつかない」という話しは、どうやら本当のようだ。

 

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琉球新報の言論封殺に戦いを挑んでいる上原さんの訴訟へのカンパ協力は支援団体の三善会へお願いしております。

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沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所

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