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人間の鎖?一部のサヨクイベントでしょう!

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よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします   ブログセンターランキングへクリックで応援願います。     去る日曜日(16日)に行われた「人間の鎖」というサヨクイベントを沖縄タイムスはあたかも県民が「島ぐるみ決起」をしたような針小棒大というよりサヨクのアジビラのような報道をしていた。   このバカ騒ぎについては「逆風って気持ちいい!」の縁側さんが的確かつ皮肉に満ちた楽しい?エントリーをされているので、当日記はスルーしようと思ったが、「世界一危険な基地」の近くに最近転居したばかりの筆者としては、記録保存のためにも(タイムス記事は直ぐリンク切れになる)、遅ればせながら取り上げてみた。
因みに縁側さんの義理のお母様も「世界一危険な基地」のフェンスの間近に、楽しくお住まいとのこと。     
 普天間を包囲 1.7万人が返還要求 豪雨の中「人間の鎖」 2010年05月17日 手をつなぎ、「人間の鎖」で米軍普天間飛行場を包囲する参加者=16日午後2時33分、宜野湾市野嵩(伊藤桃子撮影) [画像を拡大]
   【宜野湾】米軍普天間飛行場の無条件返還を求める「普天間基地包囲行動」(同実行委員会主催)が16日、宜野湾市で行われ、同飛行場の外周約13キロを“人間の鎖”で囲んだ。本島中部に大雨・洪水警報が出される中、約1万7000人(主催者発表)が参加。県内移設を軸に移設先見直しの最終調整を進める政府に、あらためて反対の意思を発信した。有力な移設先候補に挙げられている名護市の稲嶺進市長も参加し、地元の伊波洋一市長と共同で、県内移設断念と県民の基地負担軽減などを求める共同声明を出した。  市民団体が主導してきた同飛行場の包囲行動は、2005年に続き5年ぶり5回目。今回は初めて、宜野湾市をはじめとする中部7市町村の首長が共同代表に就任した。包囲行動後の会見で、伊波市長らは「これだけの雨にもかかわらず包囲が成功し、普天間の閉鎖・返還や県内移設反対を訴える県民の思いを内外に示せた」と意義を強調した。  稲嶺市長が加わって行われた共同声明発表で両市長は、「普天間の危険性除去と県内移設は別問題」「国土面積0・6%の沖縄に、県民の人権と環境を無視して新基地をつくるべきではない」などと訴えた。  包囲行動は午後2時から3回にわたり実施され、1回目は数カ所でつながらなかったものの、2回目以降は成功した。騒音の激しい地域の住民や米軍ヘリ墜落事故が起きた沖縄国際大学の関係者も参加し、手を取り合った。  15日に沖縄が本土復帰して満38年となったばかり。本土では米軍基地の削減が進んだが、沖縄にはいまも在日米軍専用施設の7割以上が置かれている。沖縄戦中に接収された普天間飛行場は現在、宜野湾市の面積の約25%を占める。  在日米軍再編に伴い、日米は06年、名護市辺野古沿岸部にV字型の滑走路を備えた代替施設建設で合意。昨年発足した新政権は見直し作業を進めたが、現在はくい打ち桟橋方式などに修正した上で辺野古に移設する案を最有力としている。
                        ◇ 筆者は物好きにも今年の2月から「世界一危険な基地」の近くに移転し、現在宜野湾市市民である。 友人の中には、「あまりサヨクの悪口ばかり書いているので、身の危険を感じて米軍基地の近くに逃げたのでは」と心配する向きもあるが、決してそうではない。(笑) 以前の浦添市にはおよそ30年住んだが、8人の大家族で住んでいた家も、子供たちが巣立ってしまい夫婦二人には大きすぎて、掃除も大変だという連れ合いの嘆き節を尊重して、相応の住まいに移転した。 そしたら、たまたま其処が「世界一危険な基地」の近くだったと言う極めて単純な「引越し物語」である。 勿論、新聞が伝える「危険な基地」の危険性を感じたことは一度もないし、ヘリの騒音で悩まされたこともただの一度もない。 で、上記の「人間の鎖」の件だが、1・7万人(主催者発表)が大量水増しであることは近隣住民の冷ややかな態度を見ればすぐ分かる。  新聞の誇大なアジ報道とは裏腹に、騒いでいる連中は宜野湾市民ではない。 ほとんどが外来種の「プロ市民」だけで宜野湾市民は日々の生活に追われるただの傍観者に過ぎなかった。 報道によると鎖の輪を繋ぐのに苦労したようだが、語るに落ちると言おうか、自爆とも言えるのだが、鎖は容易には繋がらなかったという報道である。 「基地を取り囲む人間の鎖」という「絶好の図」を写した航空写真が沖縄タイムスには一枚も掲載されていない。 それはさておき、鎖が容易には繋がらなかったというだけでも不可解なことにタイムスは気がつかないのか。 (縁側さんのブログによると琉球新報にも航空全景写真は載っていないらしい
今朝の琉球新報より ) もし、普天間基地が人家もまばらな地域に存在しているのならともかく、「人口密集地のど真ん中に位置する」・・・これが普天間基地の「売り」ではなかったのか。  現在の宜野湾市の人口はおよそ9万人余もある。 新聞が報道するように「世界一危険な基地」に、市民が本当にセッパ詰まっているのなら、近隣の住民有志1〜2万人が、鎖に参加するため家を飛び出てきてもおかしくないはずだ。 そうなれば鎖が繋がらないどころか混雑して鎖の輪に割り込むのさえも苦労したはずではないか。 人間の鎖は実際は繋がらなかったのだ。 普天間住民の中には冷ややかどころか、「暇な組織労働者達が店の営業妨害をしている」と、ご立腹の商店主もいたくらいだ。 「11万人集会」⇒「九万人集会」⇒「1・7万人の人間の鎖」 沖縄紙が撒きき続ける「ウソの連鎖」を信じる県民は少ない。 (三宅雪子民主党議員の「当たり屋詐欺」を信じる国民が少ないのと同じ。⇒三宅雪子衆議院議員の大嘘が明らかに 〜もはや議員辞職しかない三宅衆議院議員〜) ちなみに筆者は、雨なので野次馬見物も止めて家にいたのだが、買い物に出ていた連れ合いが、帰宅するなり「混雑していた」という。 「人間の鎖でか?」と聞いたら、 「何それ?」ときた。 混雑していたのは、チラシに書かれた特売に群がる主婦達のことで、普天間第二小学校の直ぐ近くにある「日本一危険なスーパー」には、人間の鎖とは全く別の世界の世界があった。 それでも、地元二紙がこのサヨクイベントを針小棒大に報じると、「島ぐるみで決起す!」といった印象を全国に撒き散らすのだから本物の宜野湾市民としては迷惑な話である。 「島ぐるみ決起」と言えば、「売れない評論家」(名付け親は池田信夫氏)センセが、琉球新報にまるでドンキホーテもビックリのKYなアジ文を寄稿していると読者のコメントで知った。 だが、琉球新報を取っていない筆者はわざわざ読むまでもないと失念していたが、某評論家センセが自分のブログで公開したようなので、遅ればせながら読ましていただいた。 それが、これ⇒「琉球新聞」掲載の拙稿「普天間問題再考(2)」の再録。 読んでビックリ言葉もないが、このお方以前は典型的右翼発言で知られ、沖縄の「反戦平和運動」を口汚く罵倒していたと記憶する。  だが、集団自決訴訟が話題になって以来沖縄マスコミに摺り寄って沖縄反戦運動のシンパのような節操のない文を琉球新報に寄稿した。 当日記はドンキホーテも驚くその文を批判と言うより笑ったことがある。 当日記の古い読者なら先刻ご存知のことだろうが詳細は次にリンクしてあるので、興味のある方は適当に読み飛ばして欲しい。 ⇒琉球新報の大失態!幻の「曽野綾子誤字・誤読事件」幻の「曽野綾子誤字・誤読事件」 琉球新報掲載の「決起文?」については、既にに読者の太平山さんがワサビの効いたコメントを下さったので、前にも紹介したが(コメント欄紹介 【追記】あり)、昨日の関連コメントも続けて紹介しておく。
◆太平山さんのコメント 暴動のススメ(1) 狼魔人さま

こんばんは。今日のエントリーでのコメントでは無いのですが、先日の石原さんへの返信ということでよろしくお願いします。

石原さん、こんばんは。返事が遅れましてすみませんでした。いつも感動的な話、ありがとうございます。先日の投稿は石原さんへの語りかけとなっていますが、途中(檄文の引用)からは山崎氏になっていますのでご理解のほどを。石原さんを難詰しているようで(謝)。

山崎氏の情報ありがとうございます。そうですね、氏のブログで三島由紀夫、小林秀雄、江藤淳の名を見ると保守ではないかと思うのですが、彼が批判・糾弾する人はすべて保守陣営の人ですから、訳が分からない人ですね。琉球新報で氏の写真をみましたが、佐高信に似ていてどうにも保守論客とは思えず、典型的な左翼顔だなと私は感じました。

新報での論考を読みましたが、「命懸けで蜂起する時」と言葉は格好いいのですがブログを読む限りにおいては本音は「暴動のススメ」であると捉えました。私は暴動と聞くと1970年12月20日のコザ暴動を思い出しますが、山崎氏も当然それを知っていて「夢よもう一度」の如く、あの暴動の再現を待ち望んでいる感がします。大田昌秀元県知事もそうですね。大田氏も暴動には思い入れが深いのか、これ以上県民を怒らせると暴動が起きるぞと日米両政府に警告していますね。

低次元の暴動に三島の「檄」を引用するのは三島への冒涜だと思うのですが、これは沖縄左翼に対する痛烈な皮肉であるとも考えました。その皮肉を琉球新報が掲載する、そのパラドックスが可笑しかったのですね。ですから私は琉球新報に聞きたくありました。三島の檄文をどう思うかと。
「暴動のススメ」(2)
三島由起夫が自決したのは私が高校生の時、ラジオから流れて来る「檄文」を聞いて体が小刻みに震え、涙が止まらなかったことが思い出されます。沖縄返還の2年前、1970年11月25日の事でした。最後の絶叫はまさに「英霊の絶叫」です。

コザ暴動は三島事件より前だったのではないかと思っていましたが後だったのですね。1970年12月20日のことでした。そこで私はフト思ったのですが、あの暴動は三島事件に触発されたのではないかと、そんな気がしてならないのです。おとなしい沖縄県民があのような暴動を起こすとは考えられなかった。

私は当時、あの暴動のニュース聞いて快哉を叫ぶどころかこれで沖縄返還が遅れるのではないかと非常に心配したものです。米軍の報復だってあり得た。焼き討ちされた80台以上の車両の賠償は誰がやったのか、おそらく日本政府ではないかと私は推察するのですが。それにしても佐藤栄作総理大臣は偉かった。三島を狂人呼ばわりしたのを除いては。

三島が自決したのは沖縄返還問題も大きな要因となっていますので、沖縄とも因縁が深いなと今さらながら思います。果たして現在、幾人の日本人がそして沖縄の人があの檄文を知っているのでしょうか。この場でそれを紹介するのは三島を冒涜するのではとの思いもありますが、山崎氏の引用に曲解されないよう、また現在の日本が三島が予言した通りになっているのを思えば、改めてふり返ってみたい「檄文」だと思いますので最後の部分のみ抜粋紹介します。 ―三島由紀夫「檄」―


「・・・沖縄返還とは何か?
本土の防衛責任とは何か?
アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。
あと二年の内に自主権を回復せねば、左派のいふ如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終わるであらう。

われわれは四年待った。
最後の一年は熱烈に待った。
もう待てぬ。
自ら冒涜する者を待つわけにはいかぬ。
しかしあと三十分、最後の三十分待たう。
共に起って義のために共に死ぬのだ。
日本を日本の真姿に、戻してそこで死ぬのだ、生命尊重のみで魂は死んでもよいのか、生命以上の価値なくして何の軍隊だ。
今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。

それは自由でも民主主義でもない。
日本だ。
われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。
これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。
もしいれば、今からでも共に起ち、共に死なう。
われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇ることを熱望するあまり、この挙に出たのである。」                         ◆


「売れない評論家」は、確か「反戦平和運動」を支援する琉球新報も名指しで罵倒していたと記憶するが、そのエントリーは削除されており、証拠隠滅は済んでいる模様で、しばらくは「反戦平和運動」支援者を気取るのでしょうか。 それにしても最近のセンセの必死で琉球新報に媚びる姿は涙ぐましい。 よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします   ブログセンターランキングへクリックで応援願います。

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