■那覇市立中央図書館の言論封殺に、断乎抗議する! (抗議文例はこちらで)
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琉球新報の言論封殺に戦いを挑んでいる上原正稔さんの訴訟へのカンパ協力は支援団体の三善会へお願いしております。
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【名 義】サンゼンカイ
発狂新聞を筆頭に極悪複合体の面々が声高に叫ぶ「4・28屈辱の日」(講和発効の日)を、当時10歳に美少年?だった筆者はリアルタイムで体験した。
当時の筆者は、学校で壁新聞を作る係りだったため毎日の新聞には目を通していたおませな子どもだった。 講和発効の意味はおぼろげながら「祖国日本が一人前の独立国として世界の仲間入りできる日」でいどの理解はしていた。 学校の先生方は授業でも「沖縄を返せ」などの労働歌を教えたくらいで、「祖国復帰が沖縄の悲願」ということは胸に叩き込まれていた。 結果として「講和発効は祖国復帰の第一歩」といったような壁新聞を書いたような記憶がある。 当時の沖縄タイムス、琉球新報を見ても「講和発効を祝賀する」といった論調なので、おそらくその影響を受けたのだろう。
幼いながらも「4・28講和発効の日」を実体験し当時の沖縄紙の論調を知る筆者にとって、全沖縄で祝賀した「4・28講和発効の日」を突然降って湧いたように「屈辱の日」などと叫ぶのは理解できない。 ましてや県知事までもが、天皇皇后両陛下が参加される式典への招待を政治的理由で出席拒否するなどとんでもない話である。
沖縄2紙は例の通り一部の識者談話などを利用し、講和発効の日を「屈辱の日」と捉え、県民の総意などと騒ぎ立てているが、これも「一犬虚に吠え万犬これに和す」の類である。
虚に吠える犬を尻目に「不都合な真実」を伝える八重山日報のコラムはまさに寸鉄人を刺すのたとえ通りである。
■八重山日報 2013年4月14日
1952年4月28日は…1952年4月28日はサンフランシスコ講和条約が発効し、太平洋戦争敗戦国だった日本が独立を回復した「主権回復記念日」。一方、沖縄は本土から切り離され、米軍統治下のまま置かれたため、県民にとって「屈辱の日」とされた◆しかし復帰後40年を経て、今なおこの日を「屈辱の日」と呼び、政府の式典に反対する声があることに、多くの県民が戸惑いを感じている。なぜなら、ほかならぬ沖縄で「屈辱の日」という言葉そのものがすでに風化しているからだ◆日本が独立を回復した「4・28」は、まぎれもなく20年後に沖縄が日本に復帰した「5・15」へのスタートラインになった。復帰が達成された時点で、「屈辱の日」という言葉の風化は始まっている。現在、この言葉が持ち出されるときには、当時の県民の思いとは違った、別の意図がある。それは、4・28式典の反対運動と基地問題をリンクさせようとする政治的思惑だ◆「屈辱の日」の歴史的事実は当然語り継がなくてはならないし、県民の複雑な思いを訴えることも必要だ。だが現在、本土の人たちに向かって「屈辱の日」だと声高に訴えることが果たして妥当なのか。屈辱感は他人に強要するようなものではない。県民の1人として、もっと慎ましさを求めたいと思うのだが。
☆ 一方、主権回復式典に抗議する虚犬の群れが、八重山教科書問題で騒動を起こした「ゾンビの会」の面々と重複するのは彼らの行動パターンがいかにも単純であることを示し、わかりやすい。 もはや自分の脳ミソで思考するには遅すぎるのだろうか。☆
2013年4月13日
主権回復式典と自衛隊配備に抗議 平和憲法を守る協が声明発表 安倍首相へ送付 安倍晋三内閣総理大臣に宛ての抗議声明を発表した記者会見=12日八重山地区労働組合協議会や沖教祖支部、いしがき女性9条の会など8団体で組織する平和憲法を守る八重山連絡協議会(仲山忠享会長)が12日、記者会見を開き4・28主権回復の日式典と石垣島・宮古八重山地域への自衛隊配備に反対する声明を発表。11日付けで安倍晋三内閣総理大臣に宛てて、抗議書を発送したとしている。
☆
■沖縄タイムスが昭和天皇糾弾!
さて、「4・28屈辱の日」と関連し「天皇メッセージ」という文言がしばしば新聞に登場している事実に読者はお気づきだろうか。
新聞は、さすがに「天皇メッセージ」をサヨクブログが主張するように、「天皇が命乞いのため沖縄を米国に売る意渡した」などとは断定していないが、いかにも意味ありげに「天皇メッセ^ジ」を繰り返し報じ、お得意の印象操作に終始している。
ところが本日15日付の沖縄タイムスが社説で「天皇メッセージ」を取り上げ「昭和天皇糾弾」の第一歩を踏み込んできた。
彼らの究極の目的が、「22年テーゼ」による「天皇制の廃止」であることは明らかである。
「検証4・28 政府式典と天皇 政治利用の疑いが強い」と題する社説の該当部分をこうだ。
<昭和天皇は戦後、全国各地を巡幸し、戦後巡幸が一段落した後も、国体や全国植樹祭などの行事に出席するため各県を訪問した。 だが激しい地上戦の舞台となり米軍政下に置かれた沖縄には、戦後一度も足を運んでいない。 1975年初訪米の際、「米国より先に沖縄にいくことはできないか」との意向を周辺に漏らしたといわれるが、沖縄には反対論が根強く、実現しなかった。 87年に開かれた第42回国民体育大会(海邦国体)への出席も、病気のため急きょ取りやめになった。 戦争責任の問題も、米国による沖縄の長期占領のを進言した「天皇メッセージ」の問題も、ついに本人の口から語られることはなかった。 昭和天皇の晩年の歌が残っている。
「思わざる病となりぬ 沖縄を訪ねて果たさむ つとめありきを」>
>戦争責任の問題も、米国による沖縄の長期占領のを進言した「天皇メッセージ」の問題も、
この文言に沖縄タイムスの昭和天皇糾弾の本音が垣間見えるが、同紙が昭和天皇糾弾を密かにもくろんでいることは昨年11月の記事にも既に表れていた。
共同配信ながら屋良朝笛知事(故人)に日記の発掘を、得たいの知れぬ「識者」の意見として昭和天皇が「沖縄に犠牲を強いたという負い目」などと強引に決め付けているのが目立つ。
屋良朝苗氏の日記=沖縄県公文書館
昭和天皇が1975年の初訪米を前に「米国より先に沖縄県に行くことはできないか」との意向を側近に示していたことが13日、分かった。沖縄県公文書館が今年9月に公開した当時の屋良朝苗知事(故人)の日記に、宇佐美毅宮内庁長官(当時)の話として記されていた。
昭和天皇は47年9月、連合国軍総司令部(GHQ)に米軍の沖縄占領継続を求めた「天皇メッセージ」を伝え、その後の米軍の沖縄駐留に影響を与えたとされる。識者は「沖縄に犠牲を強いたという負い目が、訪問に強い意欲を持った背景にある」と分析。当時の昭和天皇の沖縄に対する思いを伝える貴重な記録として注目されそうだ。 2012/11/13 19:55 【共同通信】
☆
沖縄タイムスは「昭和天皇糾弾」の社説の5日前、沖縄の反日サヨク複合体の間では人気の高い元外交官・孫崎享氏を使って「昭和天皇糾弾」の露払い記事を掲載している。
■孫崎氏の「昭和天皇糾弾!」
「沖縄に現地取材し、沖縄県民の生の声を聞いてきた」などといいながら、実際は沖縄の新聞記者のレクチャーを受けたり、過去記事のコピーを取材の成果として大事なお土産に持ち帰る輩が多い。
その書き物の内容が沖縄2紙を書き写したとしか思えないの噴飯ものが多いので、すぐ化けの皮が剥げるからだ。
最近元外交官の孫崎享氏が頻繁に沖縄2紙に登場し、沖縄紙に媚を売るような駄文を書き連ねたり、講演会をしたりで沖縄訪問で多忙のようである。
4月10日付沖縄タイムスの連載特集「日米同盟再考(22)」に、孫崎氏の「活発化する沖縄独立論」と題する寄稿をしている。 そのタイトルが示すとおり沖縄紙に媚を売っているのが見え見えだ。 一体、沖縄の何処の誰が「沖縄論を活発化している」のか、沖縄県民としては、聞いてみたいものである。
沖縄独立論は10数年前、琉球大学の某中国人教授が「沖縄県民の四人に1人は独立希望」というデタラメなアンケートをした時、「居酒屋沖縄独立論」が盛んだったが、最近では居酒屋酔談でも聞かなくなった。
この元外交官氏、沖縄2紙が松島某大学教授のイカれた「沖縄独立論」を針小棒大に報道した沖縄紙でも見て「活発化」などと錯覚したのだろうが、なんとも失笑物の人物である。
その駄文の書き出しは次のように始まる。
<私は最近沖縄を訪れることが多い。 気付いたことは、沖縄の政治家や言論界の相当の人々が独立論に傾いていたり、今真剣に検討しはじめていることである。>
孫崎氏の言う「沖縄の政治家や言論界の相当の人々」が誰なのか聞いてみたいものだが、これを見ただけで孫崎氏の沖縄取材がいかにいい加減なものであるかがわかる。
さらに孫崎氏は「沖縄独立論は今後ますます活発化すると思う」と文を結んでいるが、その見当違いはまさに爆笑ものである。
孫崎氏が取ってつけたように「沖縄独立論」を述べるのは、「政府が1952年のサンフランシスコ講和条約発効から61年を迎える4月28日に主権回復を記念する式典を開くことについて沖縄では反発が出ている」として、沖縄が米国施政下に置かれ、主権を回復した本土と切り離された4月28日は「屈辱の日」と沖縄紙が騒いでいることに関連付けているからである。
孫崎氏は「歴史の事実を見れば沖縄が米国統治下に置かれたのには日本政府の関与もある」と述べている。
これまでの孫崎氏の沖縄紙に媚びる論調からいえば「歴史の事実を見れば沖縄が米国統治下に置かれたのには日本政府の責任である」などとと激しく政府を糾弾するはずなのだが、さすがに当時の日米両国の力関係を考慮に入れれば「関与」という曖昧な文言でお茶を濁すしか手立てはなかったのだろう。
だが、孫先氏は「天皇メッセージ」で「沖縄を米国に売り渡した」という沖縄サヨクがないて喜ぶように印象操作しようと思ったのか、あえて「天皇メッセージ」と題する小見出しを付けた次のような文を書いている。
<天皇メッセージ
私は著書『戦後史の正体』で「マッカーサー元帥のための覚書1947年9月20日)を紹介した。 これは1979年、進藤栄一・筑波大学助教授(当時)が米国の公文書館から驚くべき文書を発掘し、雑誌『世界』で発表したものだ。 宮内府御用掛かり寺崎英成がGHQ政府顧問代理ウイリアム・シーボルトを訪れ、天皇からのメッセージを伝えている。
「天皇の顧問、寺崎英成氏が、沖縄の将来に関する考えを私に伝える目的で、時日をあらかじめ約束したうえで訪ねてきた。 寺崎氏は、米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう天皇が希望していると、言明した。(略)さらに天皇は、沖縄(および必要とされる他の諸島)に対する米国の軍事占領は、日本が主権を残したままの長期租借ー25年ないし50年、あるいはそれ以上ーの擬制(フィクション)にもとづいてなされるべきだと考えている」>
孫崎氏は天皇メッセージに加えて、江戸時代の薩摩の琉球侵攻、さらに明治政府の琉球処分に言及し、沖縄と中国の関係強化による「経済自立」を説いて、今後沖縄独立論はますます盛んになると言うのだ。
ここで「沖縄独立」については、あまりにも荒唐無稽なので、付き合うのは止めにするが、孫崎氏が主張する「天皇メッセージ」による「4・28屈辱の日」について批判しておこう。
日本を占領したマッカーサーは絶対的権力を誇ったが、意外なことに6年余の日本統治期間に面会した日本政府の要人は少なく、マッカーサーが信頼できる日本側の代表として議論したのは吉田茂と昭和天皇の2人だったと言われている。
逆にいえば昭和天皇と吉田茂もマッカーサーを戦勝国アメリカの代表として全幅の信頼を置いていたことになる。
そんな状況で昭和天皇は、当時の日本の政治家の誰もが思いも及ばぬ国際情勢に対する洞察力と政治力を発揮し、マッカーサーを合計11回も訪問し日本の将来について議論をしているが、その内容はマッカーサーとの「男の約束」で現在もその全貌は明らかにされていない。 その間に「天皇メッセージ」がマッカーサーの政治顧問を通じてワシントンに伝えられたとされている。
■講和調印当時の日米の立場の差、
そして講和条約が調印される1951年9月8日を目前にした4月11日、マッカーサーは朝鮮戦争の作戦に関しトルーマン大統領との対立により突然更迭され、後任のマシュー・リッジウェイ中将が第二代最高司令官に就任する(就任後に大将へ昇進)。
当時日本国民にとって守護神のように慕われていたマッカーサーの突然の更迭劇に、マッカーサーを信頼していた昭和天皇と吉田茂首相にも動揺が走った。 「臣吉田」と自称するほど昭和天皇を敬愛していた吉田茂と昭和天皇がマッカーサーの更迭により動揺し、日本の政治に乱れが生じて講和調印が不首尾に至るのを恐れた米国務省は、後に日本の復興に大きな役割を果たすダレス国務長官を日本に派遣し、司令官が代わってもGHQの政策に何ら変更もないと説得した。
その時、約5ヵ月後に迫った講和条約についてもダレスが吉田に「講和会議の開催地に意見はあるか」と問うと「、吉田は「それより誰が全権が、自分がなるかどうかわからない」などと投げやりな態度で対応した。
吉田はワンマンとあだ名され健康の秘訣は「人を食うこと」などと人を食った発言で有名な人物。
全幅の信頼を置いていたマッカーサーの当然の更迭に対し不満があったのか、大統領の特使ともいえるダレスの問いに投げやりな態度を示したが、これに対しダレスが言った言葉が、当時の日本とアメリカの力関係を如実に示す史料になるので引用する。
ダレス米国務長官
「講和条約に関する日本政府の立場を君(吉田)は誤解している。 この件は米国政府が義務からではなく、行為と善意をもって進めているので、日本政府は相談を受けるだけの資格しかないのだ」
このような弱い立場の日本が「天皇メッセージ」により、結果としては「沖縄を米国統治下に置いた」ことにはなったが、「潜在主権」による期限付き租借(リース)という当時の日本の政治家の誰もが考えも付かない奇手で米国の「信託統治の提案」に牽制をかけたことはまぎれもない事実であり、「天皇メッセージ」こそが国際的に弱い立場の当時の日本が出来た精一杯のかつ最善の意思表示だった、と言うことができるのではないか。
沖縄タイムスの歴史歪曲は常習犯なので珍しくないが、孫崎氏は元外交官という肩書きが信じられないほど、講和発効当時の敗戦国と戦勝国アメリカの圧倒的力の差についての認識が欠落している。
沖縄紙のご機嫌取りに汲々とすると、このような悪意に満ちた「天皇メッセージ」の解釈が出てくると言う典型的見本である。
沖縄タイムスと孫崎氏よ、恥を知りなさい!」
参考エントリー:
新たなゆすりネタ、天皇出席は憲法違反?「4・28屈辱の日」、
【おまけ】
2013年4月14日 09時52分
サンフランシスコ講和条約発効から61年となることし4月28日に政府主催で開かれる「主権回復の日」の記念式典について、沖縄県を除く46都道府県知事のうち、本人が出席するのは19人にとどまることが沖縄タイムスが実施した緊急アンケートで分かった。別公務を理由に「代理出席」と答えた知事も同数の19人で、その半数以上は出先の東京事務所長を充てるとしている。(粟国祥輔)
知事の出席が過半数を割り込むなど、安倍晋三政権の式典への意気込みとは裏腹に、全国的には関心が低いことが明らかになった。
アンケートは、都道府県知事に対する政府の出欠確認の期限翌日の11日にファクスで調査票を送付。12日までに神奈川県を除く45都道府県から回答を得た。新潟県は出席するが、誰が対応するかは未定。
式典に「出席」と答えた知事にその理由を尋ねると、ほとんどが「政府主催の式典」(岩手県など)を挙げた。安倍首相の地元、山口県の山本繁太郎知事は「国を挙げて行われる式典であり、県民を代表して出席する」と回答した。
「主権回復の日」の政府式典をめぐっては沖縄では逆に奄美群島、小笠原諸島と共に日本から切り離され米軍統治下に置かれた「屈辱の日」で、県議会野党・中立会派を中心に「4・28政府式典に抗議する沖縄大会」の開催を決めるなど県内で反発が広がっている。
仲井真弘多知事は条約発効が米軍統治につながったことや、その後の27年間の異民族支配を経験した多くの県民感情に配慮し、高良倉吉副知事を代理出席させる。
☆
沖縄タイムスはお得意のアンケート調査により、「4・28式典」に県知事が参加するのは、46都道府県中19人だと、全国的に関心が低いと誇らしげに報じている。
だが県知事が参加できる状況でありながら「政治的意図」のためあえて代理参加にしたのは沖縄と滋賀県だけだという。
そのうち滋賀県知事は沖縄県に配慮しての欠席とのことだから、事実上「政治的意図」で県知事が欠席するのはやはり沖縄県一県だけと言うことになる。
上原正稔を支援する三善会からの御知らせです。
パンドラの箱掲載拒否訴訟控訴審
第1回口頭弁論のお知らせ
上原正稔氏の戦いをご支援下さる皆様、いよいよパンドラ訴訟の控訴審が開始されて参ります。
一審では途中から裁判長の交代という不運もあり、皆様のご期待にそう事が出来ませんでした事を衷心よりお詫び申し上げます。
二審に於いては、複雑に歪曲された沖縄戦史や戦後の県民救済の為に軍命を捏造した援護法について詳しく知り得ない判事にも容易に理解し易い準備書面の作成と琉球新報社の悪意のある違法行為を浮き彫りにする法廷戦略を準備して参りました。
高裁は短期決戦になるものと予想致しております。引き続きご支援のほど宜しくお願い申し上げます。
第1回の口頭弁論並びに報告会を下記の如くに開催致しますので、ご出席賜りますようにご案内申し上げます。
■口頭弁論
日時:4月18日(木) 午前10時開廷
場所:福岡高等裁判所那覇支部(那覇地裁に同じ)
■報告会
日時:4月18日(木) 午前10時半より(口頭弁論終了後)
会場:奥武山護国神社二階会議室
参加費:無料
お問合せ: 090−9780−7272 ニシコリまで
琉球大学学生の主催による「沖縄紙批判」の講演会の御知らせです。
『報道 されない沖縄』 琉大講演会 〜沖縄の歴史と役割を見つめなおす〜
主催者メッセージ
沖縄では、「県内移設反対、オスプレイ反対が県民の総意である」という論調が支配的です。しかし、それを繰り返してきて、普天間問題は解決したでしょうか?また、オスプレイ反対という意見は、日本と東アジアの安全保障に留意しているでしょうか?
「辺野古区民の八割が移設を条件付きで容認している」、「移設の是非を問う名護市民投票では、本土の反対派が大勢入ってきて反対するよう働きかけをした」という事実がありますが、県内のマスコミは、これをほとんど報道しません。
このような「報道されない沖縄」を知れば、基地問題についてもっと柔軟な解決策が見出だせると思います。将来の沖縄を担うのは我々「沖縄の若者」なのです。
日時:4月17日(水)18:10開演
場所: 琉球大学 法新111
講師:宮本雅史氏(産経新聞那覇支局長)
主催:沖縄から日本を考える学生の会 代表:法文三年次 外間 完信
お問い合わせ:tj.from.okinawa@gmail.com
普天間の固定化を認めない
「一日も早い辺野古移設を進める」
■市民大会■
政府は去った3月22日に普天間飛行場を名護市辺野古に移設するための、埋め立て申請書を提出しました。17 年間1ミリも動かなかった普天間飛行場の移設が実現しそうな状況となりました。この機会を失っては、もう固定化される他はないでしょう。理想論である県外移設を訴えても、受け入れ先を宜野湾市民のために苦渋の選択で表明しているのは名護市の辺野古だけであり、全国どの地区も未だに意思表示をしておりません。
そこで、私たちは、宜野湾市民のために断腸の思いで受け入れを表明した辺野古区民と、名護市漁業組合へ心より感謝申し上げると同時に、将来の子や孫に負担と禍根を残さないために、「普天間基地の一日も早い辺野古移設を求める市民大会」を開催致します。
宜野湾市を世界一安全で暮らしやすい街に変えて行くためにも、多くの市民の皆様方のご参加を心より御案内申し上げます。市民一人ひとりの「あなたの勇気ある行動」が今、普天間飛行場の固定化を防ぐことにつながります。
○日時: 4月18日(木)
開場 午後6:30 開演 午後7:00
○場所 JAジュピランス(宜野湾市役所向かい)(電話098−862−0005)
○参加料:無料(カンパ歓迎)
プログラム司会 仲村 実子
■実行委員長挨拶 山城康弘
■宜野湾市民代表挨拶 元宜野湾市議・平安座唯
■宜野湾市民からの声 江崎 孝(ブログ・狼魔人日記)
■名護市民代表 「名護市民の真実の声」我那覇 真子
■基調講演
又吉 康隆(ヒジャイ出版)
「普天間飛行場の一日も早い移設は辺野古しかない!」
普天間の固定化を認めない宜野湾市民の会 連絡先:070−5485−9631
「かみつく?」
目下全県の主要書店で好評発売中です。
お急ぎの方、沖縄県外の方は
ネットから御注文をお願いします。
ezaki0222@ybb.ne.jp
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沖縄のの出版界に衝撃!
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著者:又吉康隆
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