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最近、中国海軍の沖縄近海での示威行動は、中国共産党の太平洋進出へ野望を露骨に表したものだが、ついに、これを世界に公言した。 その証拠が次の記事。 中国軍、第1列島線突破を断言 海上摩擦増加も 中国国防大学の戦略研究所所長を務める楊毅少将は7日までに、中国メディアに対し「中国の海洋進出は必然で、どんな包囲網も海軍の歩みを阻止できない」と述べ、沖縄、台湾、フィリピンを結ぶ「第1列島線」に沿った米軍による海上包囲網を突破する考えを明確にした。 第1列島線について軍の内部文書では最近「国益拡張にとり最大の障害」と反発が強まっているが、軍幹部が公言するのは珍しい。 沖縄近海の東シナ海や太平洋で今後、海上摩擦が頻発しそうだ。 楊少将は中国紙、国際先駆導報に語った。軍のシンクタンク、軍事科学院の研究員を務める羅援少将も同紙に「第1列島線を中国台頭の障害にさせない」と強調し、「中国の国家利益が及ぶ海域はどこでも海軍が保護するべきだ」との認識を示した。 同紙は、中国海軍艦隊が3、4月に沖縄と宮古島の間の宮古水道を通過し、軍事演習を実施したのは
「日米に対し中国海軍に列島線の概念はないことを示す狙いがある」と解説した。 (共同通信 )
◇ 普天間移設に関連する議論が白熱し、今、沖縄タイムスの読者欄が面白いと書いたが、問題を突き詰めると、結局わが国の安全保障、国防をどう考えるかに行き着く。 昨日(9日)の沖縄タイムス読者欄も安全保障に関し二つの異なる意見を掲載しバランスを計ったようだが、やはりサイレント・マジョリティの声を抑えることは出来ず覚醒した「読者の声は」燎原の火のように広がりつつある。 二つの「読者の声」は後ほど紹介するとして、先ず冒頭の記事だが、中国共産党の楊毅少将が太平洋の進出レーンとして突破を公言した第一列島線と第二列島線を図で示すとこうなる。
中国が国威発揚のため死に物狂いなった北京オリンピックが終わり、そして進行中の上海万博が終わると、更なる国威発揚のため中国海軍による太平洋への進出が予想されていたが、その予想が現実となってきたようだ。 最近では中国艦艇10隻が沖縄本島と宮古島の間を分断して南下し、沖の鳥島を二度も周回した。 監視のため追尾した自衛隊護衛艦に対し中国哨戒ヘリが二度近接飛行し挑発した。 しかも自衛隊哨戒機にロックオン(銃器の照準を合わすこと)し、あからさまな軍事的示威行動で挑発した。 中国の軍事膨張に晒されるわが国にとって、沖縄の持つ地政学的価値は益々重要性を増している。 だいぶ前に見たテレ朝の「TVタックル」で、森永卓郎氏が米軍基地不要論をぶち上げ、「フィリピンから米軍基地を追い出してもフィリピンは平和である」とネゴトを言ったことを思い出したが、 フィリピンでは米軍基地を追い出した後一体何が起きたか。 森永氏の脳ミソは中国は常に「友好、友好」を叫ぶ平和的友好国と刷り込まれているのだろう。⇒消えた友好会館 沖縄と中国 米軍基地が撤去されるの待っていたかのように、中国軍は南沙諸島を占拠した。 沖縄タイムス「読者欄」にたどり着く前に、少し回り道して「南沙諸島問題」に触れておく。 南沙諸島問題 戦後沖縄を占領した米軍の中にはフィリピン人の兵隊も多くいた。 当時の沖縄人にとって、フィリピン人の兵隊も持てる国アメリカの軍隊の一員であり、フィリピン人も金持ちに見えた。 フィリッピン兵と結婚して、除隊後フィリッピンに帰り、予想と違った貧乏生活に驚いて逃げ帰った戦争花嫁の話もはよく聞いた。 戦後、独立したフィリッピンには米軍基地が当然のごとく居座っていた。 フィリピンの米軍基地は植民地時代以降、約100年に渡って米軍基地があり、沖縄の米軍基地と共に、冷戦期のアメリカの重要な軍事拠点であった。 ベトナム戦争や湾岸戦争の際にも利用され、沖縄と同様、米軍基地は地元の人々に雇用をもたらしたが、 その一方、負の遺産としての基地犯罪、事故、騒音、環境汚染など 様々な問題が住民の基地撤去運動が加速した。 フィリピンの人々は根強い米軍基地撤去運動の結果、冷戦の崩壊や1991年のピナツボ火山の噴火を機に、両国は米軍基地の撤去に合意し、 1992年 フィデル・ラモス、大統領に就任と同時に米軍撤退が完了した。 フィリピン政府は基地跡の経済開発を進め、代表的な基地であるスービック海軍基地は大工業・リゾート地帯に姿を変え、 クラーク空軍基地はその広さと空港設備を利用し、アジア 太平洋のハブ空港を目指し開発が進められている。 そして、産経新聞にはこんな記事も出た。 フィリピン、スービック米海軍基地跡地 再開発加速 経済特区の対象拡大http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/asia/122486/ <■クラーク国際空港と連携
クラーク空軍基地とともに米軍が1991年にフィリピンに返還したスービック海軍基地跡を管轄するスービック湾開発庁(SBMA)は、免税措置が受けられるスービック自由貿易港(フリーポート)を中心とした経済特区を周辺地域にも拡大するなど、複合的な再開発をめざす新たな20年計画を12日までにまとめた。クラーク空軍基地跡の本格的な国際空港化とも連携して、官民合同で東南アジアの経済開発ハブ(中核)をめざす。(河崎真澄) (中略)
≪国際物流一体化≫
一方、マニラ市内から近いニノイ・アキノ国際空港の機能を、ほぼ全面的に移転することが決まったクラーク空軍基地跡の国際空港も、経済特区として再開発が進んでいる。スービックからクラークを経てルソン島中部のタルラックを結ぶ総延長約90キロの有料道路が近く開通する予定となっており、港湾インフラを中心とした商工業のエリアと、空港インフラが整う国際物流エリアが“一体化”する環境が調う。> ◇ 跡地利用では、「経済特区」、「自由貿易港(フリーポート」、「国際物流」、「官民合同で東南アジアの経済開発ハブ(中核)をめざす」、・・・ どこかの新聞で良く見るような「夢のような文言」が踊っているが、実際はどうなっているのか。 夢は幻に終わった。 沖縄はフィリピンの成功を学ぶべきなのだが、成功は幻だったのだ。 沖縄の新聞でフィリピンの米軍基地跡地利用についての成功談を聞いたことが無い。 米軍基地撤去でフィリッピンが得たものは何だったのか。 得たものは、相も変らぬ「貧困」と「不安定な治安」だったのだ。 もう一つ、沖縄紙が触れてほしくない重大な「不都合な事実」が、 これだ! 米軍がフィリッピンから引き揚げた途端に、中国は南沙諸島の軍事基地化を加速した。http://asyura.com/0401/senkyo2/msg/903.html 米軍がいなくては打つ手のないフィリピンは、恥も外聞も無く「ラバーカンバック」を歌いだした。 追い出した恋人に⇒在沖海兵隊訓練 比、受け入れ表明(2008.8.2) 脱線が続いて「沖縄タイムス読者欄」にたどり着く前に紙面が尽きたので、続き(読者の声)は夕方のエントリーで紹介します。 つづく よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします ブログセンターランキングへクリックで応援願います。
最近、中国海軍の沖縄近海での示威行動は、中国共産党の太平洋進出へ野望を露骨に表したものだが、ついに、これを世界に公言した。 その証拠が次の記事。 中国軍、第1列島線突破を断言 海上摩擦増加も 中国国防大学の戦略研究所所長を務める楊毅少将は7日までに、中国メディアに対し「中国の海洋進出は必然で、どんな包囲網も海軍の歩みを阻止できない」と述べ、沖縄、台湾、フィリピンを結ぶ「第1列島線」に沿った米軍による海上包囲網を突破する考えを明確にした。 第1列島線について軍の内部文書では最近「国益拡張にとり最大の障害」と反発が強まっているが、軍幹部が公言するのは珍しい。 沖縄近海の東シナ海や太平洋で今後、海上摩擦が頻発しそうだ。 楊少将は中国紙、国際先駆導報に語った。軍のシンクタンク、軍事科学院の研究員を務める羅援少将も同紙に「第1列島線を中国台頭の障害にさせない」と強調し、「中国の国家利益が及ぶ海域はどこでも海軍が保護するべきだ」との認識を示した。 同紙は、中国海軍艦隊が3、4月に沖縄と宮古島の間の宮古水道を通過し、軍事演習を実施したのは
「日米に対し中国海軍に列島線の概念はないことを示す狙いがある」と解説した。 (共同通信 )
◇ 普天間移設に関連する議論が白熱し、今、沖縄タイムスの読者欄が面白いと書いたが、問題を突き詰めると、結局わが国の安全保障、国防をどう考えるかに行き着く。 昨日(9日)の沖縄タイムス読者欄も安全保障に関し二つの異なる意見を掲載しバランスを計ったようだが、やはりサイレント・マジョリティの声を抑えることは出来ず覚醒した「読者の声は」燎原の火のように広がりつつある。 二つの「読者の声」は後ほど紹介するとして、先ず冒頭の記事だが、中国共産党の楊毅少将が太平洋の進出レーンとして突破を公言した第一列島線と第二列島線を図で示すとこうなる。
中国が国威発揚のため死に物狂いなった北京オリンピックが終わり、そして進行中の上海万博が終わると、更なる国威発揚のため中国海軍による太平洋への進出が予想されていたが、その予想が現実となってきたようだ。 最近では中国艦艇10隻が沖縄本島と宮古島の間を分断して南下し、沖の鳥島を二度も周回した。 監視のため追尾した自衛隊護衛艦に対し中国哨戒ヘリが二度近接飛行し挑発した。 しかも自衛隊哨戒機にロックオン(銃器の照準を合わすこと)し、あからさまな軍事的示威行動で挑発した。 中国の軍事膨張に晒されるわが国にとって、沖縄の持つ地政学的価値は益々重要性を増している。 だいぶ前に見たテレ朝の「TVタックル」で、森永卓郎氏が米軍基地不要論をぶち上げ、「フィリピンから米軍基地を追い出してもフィリピンは平和である」とネゴトを言ったことを思い出したが、 フィリピンでは米軍基地を追い出した後一体何が起きたか。 森永氏の脳ミソは中国は常に「友好、友好」を叫ぶ平和的友好国と刷り込まれているのだろう。⇒消えた友好会館 沖縄と中国 米軍基地が撤去されるの待っていたかのように、中国軍は南沙諸島を占拠した。 沖縄タイムス「読者欄」にたどり着く前に、少し回り道して「南沙諸島問題」に触れておく。 南沙諸島問題 戦後沖縄を占領した米軍の中にはフィリピン人の兵隊も多くいた。 当時の沖縄人にとって、フィリピン人の兵隊も持てる国アメリカの軍隊の一員であり、フィリピン人も金持ちに見えた。 フィリッピン兵と結婚して、除隊後フィリッピンに帰り、予想と違った貧乏生活に驚いて逃げ帰った戦争花嫁の話もはよく聞いた。 戦後、独立したフィリッピンには米軍基地が当然のごとく居座っていた。 フィリピンの米軍基地は植民地時代以降、約100年に渡って米軍基地があり、沖縄の米軍基地と共に、冷戦期のアメリカの重要な軍事拠点であった。 ベトナム戦争や湾岸戦争の際にも利用され、沖縄と同様、米軍基地は地元の人々に雇用をもたらしたが、 その一方、負の遺産としての基地犯罪、事故、騒音、環境汚染など 様々な問題が住民の基地撤去運動が加速した。 フィリピンの人々は根強い米軍基地撤去運動の結果、冷戦の崩壊や1991年のピナツボ火山の噴火を機に、両国は米軍基地の撤去に合意し、 1992年 フィデル・ラモス、大統領に就任と同時に米軍撤退が完了した。 フィリピン政府は基地跡の経済開発を進め、代表的な基地であるスービック海軍基地は大工業・リゾート地帯に姿を変え、 クラーク空軍基地はその広さと空港設備を利用し、アジア 太平洋のハブ空港を目指し開発が進められている。 そして、産経新聞にはこんな記事も出た。 フィリピン、スービック米海軍基地跡地 再開発加速 経済特区の対象拡大http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/asia/122486/ <■クラーク国際空港と連携
クラーク空軍基地とともに米軍が1991年にフィリピンに返還したスービック海軍基地跡を管轄するスービック湾開発庁(SBMA)は、免税措置が受けられるスービック自由貿易港(フリーポート)を中心とした経済特区を周辺地域にも拡大するなど、複合的な再開発をめざす新たな20年計画を12日までにまとめた。クラーク空軍基地跡の本格的な国際空港化とも連携して、官民合同で東南アジアの経済開発ハブ(中核)をめざす。(河崎真澄) (中略)
≪国際物流一体化≫
一方、マニラ市内から近いニノイ・アキノ国際空港の機能を、ほぼ全面的に移転することが決まったクラーク空軍基地跡の国際空港も、経済特区として再開発が進んでいる。スービックからクラークを経てルソン島中部のタルラックを結ぶ総延長約90キロの有料道路が近く開通する予定となっており、港湾インフラを中心とした商工業のエリアと、空港インフラが整う国際物流エリアが“一体化”する環境が調う。> ◇ 跡地利用では、「経済特区」、「自由貿易港(フリーポート」、「国際物流」、「官民合同で東南アジアの経済開発ハブ(中核)をめざす」、・・・ どこかの新聞で良く見るような「夢のような文言」が踊っているが、実際はどうなっているのか。 夢は幻に終わった。 沖縄はフィリピンの成功を学ぶべきなのだが、成功は幻だったのだ。 沖縄の新聞でフィリピンの米軍基地跡地利用についての成功談を聞いたことが無い。 米軍基地撤去でフィリッピンが得たものは何だったのか。 得たものは、相も変らぬ「貧困」と「不安定な治安」だったのだ。 もう一つ、沖縄紙が触れてほしくない重大な「不都合な事実」が、 これだ! 米軍がフィリッピンから引き揚げた途端に、中国は南沙諸島の軍事基地化を加速した。http://asyura.com/0401/senkyo2/msg/903.html 米軍がいなくては打つ手のないフィリピンは、恥も外聞も無く「ラバーカンバック」を歌いだした。 追い出した恋人に⇒在沖海兵隊訓練 比、受け入れ表明(2008.8.2) 脱線が続いて「沖縄タイムス読者欄」にたどり着く前に紙面が尽きたので、続き(読者の声)は夕方のエントリーで紹介します。 つづく よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします ブログセンターランキングへクリックで応援願います。