抗議文例はこちらで
エネルギーを中東の石油に依存するわが国とって、アルジェリアで起きた人質テロ事件の邦人被害者が10人も出たことは、一企業の被害と他人事で見過ごすことは出来ない。 中東から石油を運ぶシーレーンには南シナ海があるが、そこはヤクザ国家中国が「北京の湖」だと主張する無法海域になりつつあるからだ。 さらに東シナ海では尖閣諸島を自国の領土と主張し、中国船や航空機が連日、わが国の領海、領空の権益を侵犯しているのは周知の通り。(沖縄紙が報じないだけ) 中国により南シナ海のシーレーンを封鎖されたら、中東の石油に依存するわが国は、ABCD包囲網により石油の輸禁をされた昭和16年の暗い時代に逆戻りする。全国民がテロによる被害者に対し我がことのように心を痛めている最中に、沖縄からは「欠陥機オスプレイ」というデタラメ情報を鵜呑みしゆすりおたかりの乞食集団」が上京し、「金よこせ」の乞食集会を開くと言う。 情報弱者の一般県民が騙されるのならともかく、言動の影響力極めて大きい各首長や議員代表が144名も雁首を揃えて、乞食行動をするとは・・・沖縄の恥である。
今朝の沖縄タイムスによると「差別」をネタ恫喝するゆすりたかりには弱腰の様子で、どうやら官房長官、防衛相、外務相、沖縄担当相の四閣僚が対応するが、首相の対応は困難だという。
当日は安倍新内閣にとって初めて国会開催日であり、そんな多忙を極める時期に乞食集団の対応をさせられる閣僚にとってはとんだ大迷惑な話である。
デタラメ情報を元に「建白書」なる時代がかった抗議文を安倍首相に突きつけるといきまいているが、そんなデタラメな連中を相手にする必要はないが、どうしてもと言うのなら官邸の守衛さんにでも受取ってもらえばよい。 沖縄県庁のつもりで守衛を押し切って強行突入でもしたら遠慮なく逮捕すればよい。(守衛さんも迷惑だろうが)
沖縄2紙が垂れ流した「欠陥機オスプレイ」の神話を狂信しているのは首長だけではない。 沖縄で識者と呼ばれる方々までも「オスプレイは欠陥機」と沖縄2紙に従がって大合唱するのだから、もはや「狂信者の群れ」と言わざるを得ない。
作家というより「サヨク活動家というほうが相応しい目取真俊氏もこの有様である。
☆
「ゆすりたかり集団」が口にする「差別」の他に「小指の痛み」という沖縄では有名な言葉がある。
稲嶺名護市長などは、ある時は「多数決に従がうのが民主主義」と言いながら、その一方では「小指の痛み」という印象的な言葉を利用(悪用)して少数意見に従がえという。 稲嶺名護市長の言う民主主義とは、欺瞞に満ちた二枚舌の民主主義であるから呆れてしまう。
ヒジャイさんが稲嶺名護市長の民主主義の欺瞞について詳述されている。
その中で反日サヨクが常用す便利な用語「小指の痛み」についても触れたいるので、とりあえずヒジャイさんのブログの該部分を紹介する。
稲嶺名護市長は、
「日本政府はいつも米国政府が認めない、許してくれない、と米国追随だ。親の独立国家、民主主義国家という意味での対等な交渉をすべきだ。県民がこれだけ反対しているところに押し付けるのは民主主義国家として許されない」
と述べている。
民主主義国家であるならば県民が反対していのを押し付けるのは許されないと稲嶺市長は主張するのである。稲嶺市長がこのように主張する裏には辺野古区民の主張を「名護市民総意」「県民総意」の名のもとに封殺していることがある。
辺野古区民は条件付きで普天間移設に賛成している。しかし、稲嶺市長は封殺している。
名護市と辺野古区の関係は、国と県の関係と同じである。
国が民主主義国家であるならば、国は県の要求を受け入れなければならないと稲嶺市長が主張するなら、名護市は辺野古区の要求を受け入れなければならないことになる。
稲嶺市長は、
「喜屋武真栄先生が小指の痛みということを話してから時間はたったが、現在もなお差別と不条理が続いていることを、その現実を伝えることが大切で、必要だと思う」と体全体を国、小指を県に例えて、県の要求を国は受け入れなければならないと主張している。国と県の関係は市と区の関係とまったく同じである。ところが、
「政府は(普天間の辺野古移設を)容認する皆さんがいるというが、全体ではわずかで、それを頼みの綱に(辺野古移設を)は白紙に戻さないというのは民主主義国家としてあってはならない」というのである。
名護市では辺野古は「小指の痛み」であるし地元である。辺野古の痛みとは過疎化である。
県から見ても辺野古は小指であり地元である。
しかし、稲嶺市長は辺野古を「小指の痛み」「地元」として認めないのだ。
稲嶺市長の主張をそのままそっくり名護市に当てはめるなら、名護市は辺野古区の要求を聞き入れなければならないということになるのだが、しかし、他方では、辺野古移設は少数であるから民主主義国家として許されないというのである。
もし、稲嶺市長が辺野古にやっていることを正しいとするなら、国が県の要求を蹴るのが正しいと稲嶺市長は主張していることになる。
もし、国は県の要求を受け入れなければならないと主張するならば、稲嶺市長はテントを撤去し、普天間飛行場の辺野古移設を受け入れなければならない。
しかし、稲嶺市長は名護市では少数意見を封殺する「総意」政治を実施し、国には少数意見を取り入れなければならないと民主主義を主張し、県の要求を受け入れるように主張している。
政治権力を握れば全体主義になり、少数者の時は民主主義を標ぼうする。それが稲嶺名護市長である。
稲嶺市長は、
「日本政府はいつも米国政府が認めない、許してくれない、と米国追従だ。真の独立国家、民主主義国家という意味での対等な交渉をすべきだ」
と、米国追従だから日本国家は民主主義国家ではないと主張している。
日本が民主主義国家であるか否かは米国追従の問題とは関係がない。
国の政治を国民に選ばれた政治家がやっているか否かである。国会議員は国民の直接選挙で選ばれた。自民党が過半数の議席を確保したので、衆議院でも参議院でも賛成多数で自民党の安倍首相が選出された。日本の政治は衆議院、参議院の立法機関と安倍内閣の行政によって行われていく。日本は民主主義国家である。
稲嶺市長が米国追随だから日本が民主主義国家ではないという主張するのは、本当は日本政府に原因があるのではなく稲嶺市長の政治思想に問題がある。
稲嶺市長の政治思想を判断するには名護市の市政を見ればいい。稲嶺市長は法的に違反しているテント撤去の要望を辺野古区が法的に正しい手続きで要望したが、適法内でしか許されない「表現の自由」であるのに、違法な設置をしているテントを「表現の自由」という理由づけで、辺野古区の要求を蹴った。
「地元」は辺野古であり、「地元」の辺野古区が普天間飛行場の移設を認めているのだから、民主主義なら辺野古の要求を受け入れるのに、名護市長は「地元」の要求を無視して、辺野古移設を受け入れていない。
名護市長の市政は民主主義ではない。名護市長は民主主義思想家ではない。
日本は民主義主義国家である。米国も民主主義国家である。しかし、中国は民主主義国家ではない。共産党一党が支配している独裁国家である。
安倍晋三首相は対ASEAN外交5原則に「自由、民主主義、基本的人権など普遍的価値の定着と拡大へ共に努力」を掲げた。
アメリカは共産党独裁国家中国が周辺国に侵略するのを抑止している。
フィリピンは米軍基地がある間は中国に侵略されなかったが、米軍基地を撤去した途端に、中国は南沙諸島に侵略してきた。フィリピンは中国の侵略を防ぐために米軍の応援を求めている。米軍はフィリピン軍と共同演習をするなどして中国の侵略を抑止している。
法的に軍隊ではない自衛隊はアジアの国々と直接連携することはできない。アジアの国々と連携できるのは米軍だけである。もし米軍がいなかったらアジアの国々は中国に侵略され、中国のいいなりになっていただろう。
アジアの民主主義国家と平和を守るためには米軍が必要であり、安倍首相が掲げるアジアで「自由、民主主義、基本的人権など普遍的価値の定着と拡大へ共に努力」するには米国との共同がどうしても必要である。
アジア・日本の民主主義と平和を守るために米国と協力し合うことが稲嶺市長には「対米追従」に見えるのである。
日本政府と米政府がお互いの利益を守るために政治合意することが、稲嶺市長には「対米追従」に見えるのである。
日本は民主主義国家であり、米国も民主主義国家である。民主主義国家どうしの政府が自国の利益のために政治合意をするのは多々あることであり、日本政府が日本の利益のために米国と合意するのは当然である。
そのことが米国の利益のためだけに合意していると見えるのは稲嶺市長の考える日本の利益と日本政府の考える日本の利益が違うということである。
稲嶺市長は普天間飛行場へのオスプレイ配備に反対している。日本政府は賛成している。稲嶺市長は名護市民に選ばれた。日本政府は国民に選ばれた。稲嶺市長は名護市の利益を考える立場である。日本政府は国の利益を考える立場である。
オスプレイ配備は名護市の利益に関係ない。国の利益に関係ある。名護市の利益を守る立場の稲嶺市長は真剣に国の利益を考えただろうか。
オスプレイは老朽化したCH46との交代機である。交代することによって事故の危険性を低くすることができる。
オスプレイが配備されると海兵隊のアジアへの移動が飛躍的によくなり、中国の周辺国の強化が一段と進む。アジアの平和と民主主義国家が守られる
それなのになぜ稲嶺市長には「米国追従」に見えるのか。理由は稲嶺市長が反米主義者だからである。それ以外の理由は考えられない。
「オスプレイ配備撤回を伝えるために行くべきだが、オール沖縄の意味で県外移設、地位協定も同じもので、県内の状況をしっかりと伝える」
と、少数の賛成者はいると認めながら、オール沖縄を主張するのは稲嶺市長が全体主義だからである。
全員が賛成することはないというかんがえから、。徹底的に討論した後に賛成多数で決めるのが民主主義の基本である。オール沖縄とは反対者を除外する全体主義である。民主主義と全体主義は違う。民主主義なら少数意見が多数意見に変わることがある。しかし、全体主義は少数意見を抹殺するから少数意見が多数意見に変わる可能性はない。民主主主義と全体主義は違う
稲嶺氏は全体主義者であり、反米主義者である。
☆
さて、「小指の想い出」じゃなく、「小指の痛み」については、同じように反日サヨクが常用する「沖縄は捨石」と絡んで過去にも詳述している。
一部編集しそれを再掲する。
米軍基地撤廃派の常套句で、こんな意見を良く聞く。「米軍基地が日本の国防になるのなら、日本の全県に均等に分散させよ」「沖縄だけに集中させるのは差別だ」などなど。
その瞬間、これらの文言は自己破綻に陥る。
米軍基地撤廃を叫ぶなら日本国内から国外に移設するのが筋論のはずだが、その同じ口で「米軍基地を日本国内に均等に分散」と叫ぶのが矛盾と言うのだ。 沖縄では本来相容れないはずの「米軍基地撤廃派(安保反対派)」と「安保容認派」が共闘しているから不思議なのである。 各種の抗議活動を見ると、「国外移設派」と「県外移設派」が共闘している。
今回の「東京行動」がその典型だ。
もう一つの破綻を指摘しよう。
この意見の致命的過ちは、米軍基地とゴミ処理施設を同一視していること。
米軍基地は国防のためであり、その設置する場所は自ずと限られてくる。
つまり地政学的条件に適しない地域にいくら住民が誘致したとしても、設置したら無用の長物になるのが米軍基地だ。
その点沖縄は「太平洋の要石」(keystone of the Pacific)といわれるように地政学上国防のためには重要な位置にある。
沖縄返還前の米軍車両のナンバープレートにはkeystone of the Pacificという標示があった
「日本は沖縄を本土防衛の捨て石にした」とよく言われるが、米軍の攻撃進路に、他の地域にあった沖縄を持ってきて捨て石にしたわけではない。
米軍が沖縄を本土攻撃の重要地点、つまり攻撃の要(かなめ)石と考えたから日本本土攻撃の進路に位置する沖縄に攻撃をかけたのだ。
そう、沖縄は「捨石」ではなく「要石」だったのだ。
ただ、物事には常に二つの側面がある。
現在の位置に沖縄が存在するということは、国防の他に、経済上も要石でありメリットである。
一方日本侵略を狙う国にとっては攻撃の要石であり、そこに住む住民にとってはデメリットになる。 沖縄にとってデメリットであることは沖縄戦における米軍の猛攻撃を見れば明白である。
沖縄がその地政学的優位性を生かして琉球王国を経営してきたことは周知のの通りだ。
この沖縄の地政学的地位を如何ともしがたい「宿命論」として受け止め、それをプラスに捉えるかマイナスに捉えるかは。
これは県民が決めればよい。
「沖縄宿命論」に関し、過去にエントリーした「 小指の痛み」を加筆編集して再掲する。
沖縄に米軍基地が集中しているのは戦略的地位に沖縄が存在する宿命である。
これが沖縄宿命論だ。
その一方で東西冷戦が終わった現在、沖縄に戦略的価値を求めるのはナンセンスだという非宿命論もある。
非宿命論に従うと、日本の防衛に沖縄だけを盾にするのは不公平だから、米軍基地は日本全国に公平に分担させよということになる。
米軍基地はゴミ処理場なみに地元住民の同意とスペースさえあるなら日本全国何処でもよいという論法だ。
普天間基地を「県外・国外」と叫ぶドサクサ紛れにに、米軍基地の全面撤去を叫ぶサヨク勢力も蠕動し始めた。
繰り返し言おう。
これこそが今回の144人の首長たちの「東京行動」だ。
2010年の「4・25県民大会」が開かれた日の沖縄タイムス社説はその勢力に呼応するように「[歴史の節目に]宿命論と決別するときだ(2010年4月25日 )という仰々しいタイトルだった。
[歴史の節目に]宿命論と決別するときだ
2010年4月25日 09時55分
圧倒的な基地負担が沖縄の宿命であるはずがない。国による不合理な押し付けを拒否し、きょう、県内各地から多くの住民が県民大会に集う。
米兵暴行事件に抗議して開かれた1995年の10・21県民大会以来の島ぐるみ運動だ。仲井真弘多知事をはじめ41市町村の全首長(2人代理)、政党、各種団体、市民が一丸となって米軍普天間飛行場の県内移設に反対の意思を表明する。
「県外・国外移設」の可能性を十分に追求しない政府の不誠実な対応に抗議し、党派を超え世代を超えて「県内移設ノー」の意思を示すのは初めてである。その波紋は大きく広がるだろう。基地沖縄の宿命論に終止符を打つときだ。
米兵暴行事件への対応策として、橋本龍太郎首相は「米軍の兵力構成について継続的に米側と協議する」との総理談話を発表したが、実現しなかった。小泉純一郎首相は2004年10月、普天間について「県外、国外の両方を考えていい」と発言したが、その8カ月後、「自分の所にはきてくれるなという地域ばかりだ」とあっさり撤回した。鳩山由紀夫首相が「最低でも県外」と公言したことで県民の期待はかつてなく高まった。
普天間問題を考える上で最も重要な要素は、政権交代によって生じた住民意識の変化である。急浮上した辺野古修正案であれ勝連沖埋め立て案であれ、県内移設はもはや不可能だ。歴史の歯車を後戻りさせるようなことがあってはならない。
政府はこれまで沖縄の「地理的優位性」を強調し、米軍基地の必要性を主張してきた。台湾海峡に近く、北朝鮮から適度な距離にある、と政府関係者はいう。
しかしその論に具体性は乏しい。沖縄駐留の海兵隊は約2000人の遠征隊を動かす編成で、任務は紛争地での自国民救出など限定的だ。
海兵隊を運ぶ艦船は長崎県佐世保に配備されている。朝鮮半島情勢が悪化したとき、船は佐世保からいったん南下して沖縄で隊員や物資を載せ、再び北上する。北朝鮮を警戒するのなら九州中北部に海兵隊を集約させたほうがよっぽど合理的だ。
海兵隊はアジア太平洋で広範に活動しており、絶えず日本をガードしてくれていると考えるのは都合のいい思いこみだ。「日米同盟=基地提供=沖縄」という固定観念は事実を直視しないために起きる幻想にすぎない。
戦後日本は経済復興を優先した。安全保障については米国に多くを委ね、米軍駐留をすべての前提としてきた。それが外交・防衛の原則となり、「同盟管理」さえ間違えなければ日本は安心だと信じ込んできた。
米軍がらみの事件事故で地位協定の問題が浮上し、それが主権にかかわる内容をはらんでいても、同盟が傷つかないよう沖縄だけの出来事として切り捨てられる。成熟した民主主義社会で、このような負担の不公平を放置し続けることは許されない。
「アメとムチ」によって基地移設を押し付けられる地域は、住民同士の対立感情が深まり、崩壊の危機にさらされる。環境汚染が指摘されても地元自治体に基地内立ち入り調査の権限はない。
基地問題は沖縄問題という地域限定の問題なのではない。この国のあり方が問われているのだ。
沖縄に米軍基地が集中している理由を、沖縄の置かれている地政学的的位置に求める宿命論に対する反論のようだ。
このところ連日紙面を飾る米軍基地に対する恨み辛みの記事を読んでいると、なぜかその昔、伊東ゆかり歌った「小指の想い出」の歌いだしを想いだす。(古過ぎる〜笑)
♪〜あなたが噛んだ 小指が痛い〜♪
好きな彼氏に噛まれる小指の痛みは、ほろ苦い、いや「ほろ甘い」想い出を伴うのだろうが、沖縄の新聞に時折現れる「小指の痛み」には、伊東ゆかりの甘ったるい歌声とは似ても似つかぬ「恨み辛み」がこもっている。
好きな彼に噛まれるしか能のない小指が、美食三昧に明け暮れる口を羨んで見たところで、仕方のないこと。 小指は小指として生まれた宿命である。
一方、足の裏に言わせると小指はまだマシな方だ。 臭い靴の中で一生踏みつけられおまけに水虫の攻撃を受ける足の裏の身にもなって見ろ。
だが、そう言い出したらキリがない。
「口が堪能した美食のケツ末を一生処理し続ける自分は差別ではないか」、
と今度は肛門が騒ぎ出す。
だからと言って肛門で美食を味わうことも出来ない。
肛門が口を羨んでもせんなきこと。
小指には小指の宿命があり、肛門には肛門の宿命がある。
■沖縄タイムス記者・牧港徳三が描いた適わぬ夢
沖縄が地政学的に重要な位置に存在することを嘆いて、沖縄を浮島にして日本国中好きなところに移動させたい。
こんな白昼夢を見た沖縄タイムスの記者がいた。
所詮それは叶わぬ夢だが。
ここに『鉄の暴風』の執筆者で沖縄タイムスの先輩記者でもある故牧港徳三氏が書いた「沖縄宿命論」がある。
『うらそえ文藝』(第10号 2005年刊)に寄稿の「ある種の記憶」という随想の中で牧港氏は次のように書いている。
《私は、以前こんな風に書いた。「沖縄・地理の宿命論。この地理的宿命論は他にもある。陸の孤島と化したことのある東・西ベルリン、或いは現在の南北朝鮮。南・北ベトナム。その地域によって分かれている地理的宿命論である。沖縄の落ち込んでいる不条理は、純粋に地理の生んだ陥穽とはいえないが、アメリカによって生まれた基地の重圧を一身に背負う沖縄は、偶然とは言え、一種の『地理の宿命』であることは間違いあるまい。
仮りに、沖縄が、四国か、九州の海岸か、或いはオホーツク海の氷島の傍であっても、いっこうにかまわない。白昼のミステリーと笑いとばせばよい変幻夢を、沖縄の今日の歴史は刻んでいる。」・・・と、かつて私は書いたことがある。(「無償の時代」)》
続けて牧港氏は、自身の沖縄戦の悲惨な体験を回想記風に綴った後、この随想を次のように締めくくっている。
「私はいつか書いた。沖縄が洋上に浮かぶ島なら、・・・その地理的宿命論という奴を放り出したい思いの一途な思いが時々頭をもたげるのである。」と。
回りくどい表現ながら、沖縄が洋上に浮かぶ島なら、沖縄を宿命論の及ばない他の地域へ移動させたいと願望しているのである。
勿論はこれは牧港氏の夢想であり、現実には沖縄を他地域に移動させることは出来ない。
小指がそうであるように。
だが、沖縄が、マスコミが喧伝するような基地公害で住みづらい地域であり、それを我慢できない県民なら、他県へ移住することは自由である。現在の日本では基地のない地域へ移住するのを妨げる法律はない。
ところが逆に近年他県から沖縄へ移住する人が増加している。
沖縄県の人口は毎年増え続けているし、「世界一危険な基地」を抱える宜野湾市野人口増加は県内でも特に著しい。
モノレール設置の立ち退き料をたんまり貰った那覇市のプロ市民が「世界一危険な基地」のある宜野湾市に移住した例もあるくらいだ。
米軍基地の公害を嘆くのなら、基地のないところへ移住すればよい。
雪の降らない暑い沖縄に生まれた宿命を嘆くなら、雪見酒を楽しめる雪国へ移住すればよい。
花見の宴を羨むなら、桜の名所に移住すればよい。
沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
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