抗議文例はこちらで
かつて「差別」という言葉は同和解放同盟が「ゆすりたかり」に使う金のなる木だった。 だが同和が大人しくなった現在、「差別」を「ゆすりたかり」に使うのは沖縄の専売特許となった。 今朝の沖縄タイムスには那覇空港の新滑走路の費用をゆすり撮った記事が一面を飾っているが、さらに工期短縮を首相に同意させている。 ところが工期短縮に伴う新たな経費が200億円かかるという、27日からの乞食集団によるゆすりたかり東京行動」は、最低でもこの200億円をゆすり取るつもりなのだろう。 沖縄の主産業は「差別を武器におしたゆすりたかり」と言われても仕方がない。 今朝の沖縄タイムスコラム「大弦小弦」では27日からのゆすりたかりの「東京行動」を正当化するため涙ぐましい文を書いている。 その中に「差別」という言葉がザット数えただけでも何と7回も出てくる有様だ。(涙) 日本国憲法は表現・集会の自由をみとめているのであるから、沖縄の実情を訴える「東京行動」に対してとやかく言われる筋合いはない、という向きもある。 だが正しい情報の下の行動ならともかく、今回の「東京行動」は二つの大嘘をベースに行う恥さらしの行動であることを県民は知るべきだ。 先ず第一の大嘘は、沖縄2紙が撒き散らした「オスプレイは欠陥機」という事実誤認。 次にこの「東京行動」が「オール沖縄」であるという大嘘だ。 沖縄タイムスは「オスプレイは欠陥機」というガセネタを基に「オスプレイの沖縄配備阻止」という中国に対する利敵行為をするが、その一方で中国機の領空侵犯などに対し、自衛隊が過去最多の160回を数える事態になっている事実は見落としがちなベタ記事である。 中国機へのスクランブル、過去最多の160回産経新聞2013.1.24 23:52
中国機に対する航空自衛隊の戦闘機の緊急発進(スクランブル)が平成24年度第3四半期まで(昨年4〜12月)で160回に上り、23年度通期の156回を超えてすでに過去最多となっていることが24日、防衛省統合幕僚監部のまとめで分かった。 公船による沖縄県・尖閣諸島周辺への領海侵入と並行し、中国が尖閣を含む東シナ海の空域でも急激に圧力を強めている実態を裏付けた。
統幕によると、160回のうち6割近い91回が第3四半期(10〜12月)にあり、3カ月での回数でも過去最多を記録。昨年12月13日には中国国家海洋局のプロペラ機「Y12」が初めて領空侵犯しており、昨年9月の尖閣国有化の後、中国機による飛行が急激に活発化したことによる。接近した機種は軍用機の「Y8」など情報収集を任務とする早期警戒機が最多だった。
中国機への緊急発進は20年度31回▽21年度38回▽22年度96回▽23年度156回−と急増しており、今後も増加が確実とみられる。尖閣諸島付近での軍用機による領空侵犯も次第に現実味を帯びつつある。
空自は、12月の領空侵犯以降、早期警戒機E2Cや空中警戒管制機(AWACS)を投入して尖閣周辺の警戒を強めているが「ギリギリの運用で常時監視は困難」(自衛隊幹部)とされる。政府は25年度予算の概算要求に那覇基地でのE2C運用基盤整備など、南西諸島の防空体制強化策を盛り込んでおり、いっそうの対応が急務となる。
一方、ロシア機への緊急発進は180回で前年4〜12月の175回から微増。こちらも「IL20」など情報収集機が最多といい、日本海の領空に沿うように尖閣諸島北方まで進出したケースや、北海道を東回りに小笠原諸島近辺まで近づいたケースもあった。 ☆ 【おまけ】 昨年、辺野古の大城区長と面談したとき、「沖縄の新聞は事実を報道しない」と次のように怒りを露に語ってくれた。 「以前沖縄紙のインタビューに応じたら全く違うことをかかれたので抗議したら、それ以来こちらには寄り付かなくなった。」 「沖縄紙が報道する辺野古の情報はほとんどがテント村のヨソモノの意見をベースにしている」 例によって沖縄の真実を知るには地元紙ではなく本土紙を通してしか知る術はないので、辺野古の実態を、 過去記事「辺野古の真相!大城康昌辺野古区長、本土紙に語る」より引用する。 2012-05-04 06:29:35
先週の「朝生」は、沖縄メディアの劣化を全国に知らしめたという点では有意義な番組であった。
地元出身のパネラーに反日極左の大田元知事、糸数参議員、前泊沖国大教授を揃えたのは、想定内だとしてもパネラーが推薦した人物を県民代表として傍聴席を埋めたのでは、公共の電波を使った左翼集会の謗りを受けても仕方がない。
特に「辺野古に生まれて辺野古に育った」と称する成りすまし辺野古住民を出演させるなどは、QABテレビが完全に視聴者を舐めきっているといわざるを得ない。
沖縄メディアは辺野古住民の声としてこの様な「成りすまし住民」や「辺野古テント村」のプロ市民の声のみを報道し、一番の当事者である辺野古区長の声を報道しようとしない。
地元紙としてのプライドを捨て去ってイデオロギーまみれの報道に徹する沖縄2紙に代わって、県民が「辺野古の真相」を知ろうと思えば本土県外紙を通じてしか知ることは出来ない。
沖縄の言論界は今、地元の情報さえ地元紙から得ることが出来ないという異常な状況にある。
世界日報が、辺野古住民の声には聞く耳を持たない沖縄2紙代わって、知られざる「辺野古の真相」を伝えている。
■世界日報 2012年5月1日
普天間移設 地元の反対はごく一部
大城康昌 辺野古区長、本紙に語る
日米両政府は4月27日、在日米軍再編計画見直しの「共同発表」文書を同時に公表した。沖縄県の米軍普天間飛行場の移設先については、名護市辺野古地区を当初の「唯一の有効な解決策」としていたものを「これまで特定されていた唯一の有効な解決策」と修正、辺野古以外の移設先の検討に含みをもたせた。米議会有力者の意向を考慮したものだが、両政府は現行計画を堅持する方針を改めて示した。普天間飛行場の移設先が注目される中、辺野古区の大城康昌区長は世界日報の取材に応じ、住民に対する永代補償、道路整備やまちづくり推進などの条件付きで代替飛行場受け入れを容認する考えを示した。
条件付き容認 米側に伝える
(写真省略)
インタビューに応じる大城康昌区長=名護市の辺野古交流プラザ
大城区長によると、3月5日から9日、沖縄県商工会議所連合会会長で沖縄県防衛協会会長の国場幸一氏ら三十数人と米ワシントンを訪問した。マーク・ナッパー国務省日本部長やクリストファー・ジョンストン国防省北東アジア担当部長と会談。条件付きで代替飛行場を受け入れる意思があることを伝えると、ナッパー氏とジョンストン氏は謝意を示したという。
訪問団は、「辺野古移設案の地元の強い支持がある」「声高な反対は専門的に組織されたことによって形成されており、必ずしもそれが沖縄県の大衆の感情を表すものではないということを米国の議会に知らしめることが非常に役立つと考えている」と伝えた。
また、ナッパー氏はその場で、「父親が海兵隊員でキャンプ・シュワブ司令官を務めた経験があることから、基地問題事情に精通し地元の人と個人的なつながりがある」と述べたという。
これに対し大城区長は、キャンプ・シュワブ司令官の交代式では班旗を授与し、運動会など大きな行事ではキャンプ・シュワブの兵士が辺野古区第11班として参加するなど、米兵が「良き隣人」の枠を超えた区民の一部として受け入れられていることを伝えた。
沖縄では、鳩山由紀夫元首相が「最低でも県外」と発言したことをきっかけに世論が辺野古移設反対に大きく揺れたが、政府が辺野古に回帰を決めた2010年5月、辺野古区の決定機関である行政委員会は条件付き容認を全会一致で決議した。「代替施設ができるのであれば、安心安全でなければならないし、区民の生活が豊かにならないといけない」というのが行政委員会の主張で、以後、その方針は変わっていない。
10年1月24日の名護市長選挙では辺野古移設受け入れが争点となり、反対派の稲嶺進氏が1万7950票を獲得し、容認派前市長の島袋吉和氏に1580票の差をつけて当選した。
しかし、大城区長によると、移設先地元の辺野古地区に限れば7割以上が島袋氏に投票した。1580票差は、容認だった市議一人が途中から反対派に寝返ったためのもので、容認派の市議が信念を貫けば、島袋氏が当選していたという。
一方、代替施設予定地が見える辺野古の海岸には移設反対派のテントが7年前から張られている。公有地管理者である名護市の許可を得ずテントを固定していることは海岸法第7条に違反するもので、本来なら申請しても許可されないものだ。
通称「テント村」と呼ばれており、名護・ヘリ基地反対協議会共同代表の安次富浩氏が代表を務める。安次富氏は金武町出身で地元ではない。大城区長によると、テント村で活動する人々の大多数が区外と県外出身者で、地元の人はほとんどいない。
一人の革新系市議がお年寄りを熱心に反対集会に引っ張っている程度だ。3月に行われた区民による撤去署名活動では、過半数の住民が署名し、地元住民は現在の場所から「テント村」の一日も早い撤去を求めている。
名護市長から嫌がらせも
(写真省略)
キャンプ・シュワブは地元が誘致
市外・県外の反基地活動家が集まる「テント村」、区民の生活に支障を来している
辺野古地区は名護市の東海岸に位置し、海兵隊の演習用基地キャンプ・シュワブがある。辺野古地区はもともと久志村という村で、1956年の四原則貫徹県民運動という島ぐるみの激しい闘争が行われている最中、当時の久志村長が基地誘致を要請してできたのが現在のキャンプ・シュワブだ。普天間飛行場移設先の辺野古崎はキャンプ・シュワブの延長上に位置するもので、地元住民が条件付きで受け入れを容認している。
ところが、沖縄が本土復帰する2年前の1970年に名護町(当時)などの5町村合併により名護市になった。大城区長は、「キャンプ・シュワブは久志村が誘致したもので、名護市としての合併は少し無理があった」と述べ、米軍基地キャンプ・ハンセンがある金武町や宜野座村と一緒になる方が自然だったとの見方を示した。
実際、辺野古地区から名護市街に出るには山を越えなければならず、名護市街以西の名護市民で辺野古に行ったことがない人は多い。名護市街では米軍航空機は一切飛んでいない上、実弾演習の音もまったく聞こえない。
昨年11月、名護市内で開かれた「北部振興推進名護大会」に移設容認派の住民2200人余りが結集した。移設推進の大会が開催された背景には、稲嶺革新市政に変わって米軍再編交付金が09年度の繰り越し分から打ち切られ、経済が疲弊していることがある。
「基地があってこそ名護市は発展し、私立の名桜大学も昨年度公立大学となった。(1999年に受け入れを表明した)岸本建男元市長は『久辺3区(辺野古、豊原、久志)に足を向けて眠れない』とも言った」
大城区長は基地と交付金のリンクをはっきり肯定する。
稲嶺市長誕生後、米軍再編交付金の凍結により、久辺3区の周遊道路、下水道整備など複数の事業が頓挫した。「区の運動公園の整備ひとつにしても市長はハンコを押してくれない。再編交付金の半分は基地と無関係な西海岸側に使われている」と大城区長は稲嶺市長による明確な嫌がらせとの認識を示した。
稲嶺市長はかつて教育長として辺野古埋め立てなどの事業計画を一緒に取り組んだ、受け入れ容認派の人物。しかし、「今では人が変わったようにまったく話ができなくなった」と大城区長はその豹変ぶりに驚きを隠さなかった。市長選で共産党候補者の出馬辞退を条件に受け入れ反対を約束させられたとの見方が地元では強い。
その上、移設反対の稲嶺市長は昨年、キャンプ・ハンセンの一部が返還予定になっていたにもかかわらず、継続使用を防衛局に申し入れた。年間1億3千万円に上る軍用地料収入が失われる上、返還後の土地有効活用の見通しが立たないことを理由に継続利用を求めた地元の区長や市議の主張を受け入れたからだ。
地元が要求した一部返還の継続使用を認めた一方で、地元の要求する普天間飛行場の条件付き受け入れを異様なほどに反対する稲嶺市長の矛盾ある行動に市民は不信感を抱いている
☆
この記事を読んで目からウロコの県人も数多くいるだろう。 それほど辺野古住民の真の声は言論封殺の状況にある。
世界日報の豊田記者の渾身の辺野古情報の続報を期待したい。
大城区長も言うように辺野古地区住民と米軍には友好関係を築いてきた長い歴史がある。
前回は省略した米兵と辺野古住民の交流写真を参照していただきたい。
◆基地との交流
これはキャンプ・シュワーブと辺野古住民の親善交流を表す親善委員会の盾である。
キャンプ・シュワーブの名は、1945年5月7日に沖縄戦で24歳で戦死し、名誉勲章を受章したアルバート・アーネスト・シュワブ一等兵(Albert Earnest Schwab、オクラホマ州タルサ出身。ドイツ系アメリカ人)の名に因んでいる。
◆区民運動会のスナップ
毎年、辺野古区民運動会に11班として参加するキャンプシュワーブの人たち。
◆大綱引き
大綱引きの観戦に招待したり、一緒に綱を引いたりしています。
アップル中佐が名前を残した「アップルタウン」を基に、基地との交流による新しい町につくり構想を「辺野古地区HP」より一部抜粋して紹介する。
《辺野古は小さなまちです。地域の人だけではまちづくりに限界があります。
そのため、平成16年4月に開校された国立沖縄工業高等専門学校や基地、新たな企業の就業者との交流により、地域の生活環境の改善と活性化を図ろうとしています。
まちづくり全体イメージ
アップルタウンの玄関口イメージ
↓
生まれ変わるアップルタウンの中央通り
↓
これを見れば、辺野古住民が基地容認どころか歓迎していることが分かる。辺野古にテントを張り、ジュゴンを守れと叫ぶグループが、いかに辺野古の民意とはかけ離れた連中であることもわかる。
同時に「辺野古に米軍基地は作らせません」と豪語する稲嶺市長が当事者である地元辺野古の民意を完全に踏みにじっていることもわかる。
辺野古住民の「小指の痛みは」切捨てなのか?
【おまけ】
以前に紹介したが、辺野古の「不都合な真実」を封印して恥とも思わない沖縄2紙に代わって、産経新聞も報道している。
「普天間」の現場 辺野古ルポ 米軍と育ち、恩恵を受けた (1/4ページ)産経新聞 2009.11.12 10:33
米軍普天間飛行場の移設予定地
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の移設問題で、意思統一ができない鳩山民主党政権。ぶれる閣僚らの発言を揺さぶるように、8日には沖縄県内で「辺野古への新基地建設と県内移設に反対する県民大会」(主催・同実行委員会)が開かれるなど、県内世論の大勢は日米合意に基づくキャンプ・シュワブ沿岸部(同県名護市辺野古地区)への移転反対に傾きつつある。ところが、一番の当事者である辺野古地区を歩いてみると、全く違う反応が返ってきた。現場の声をリポートする。(那覇支局 宮本雅史)
◆アップルタウン
那覇から北へ約60キロ。
県道329号線から辺野古地区に入ると、「WELCOME APPLETOWN」と書かれた看板が目に飛び込んでくる。
「キャンプ・シュワブ」開設から間もない昭和33(1958)年、丘陵地帯だったこの地域を民政府土地課長のアップル中佐が中心となって開発したことから、米軍と辺野古住民との友好の証しとして「アップルタウン」と呼ばれるようになった。
街は区画整理されていて、15分ほどで一周できる。スナックやクラブなどの看板が目につくが、人けがない。飲食店が入っているとみられるビルも英語のロゴが消えかかり、外壁が崩れ、朽ちている。
53年前に移り住んだという金城秀夫さん(59)=仮名、自営業=は、米軍統治時代からの辺野古を身近に見てきた。
「ベトナム戦争(1965〜75年)のころは、スナックやクラブなどの飲食店が60軒近く並ぶ米兵相手の繁華街で、ホステスも1千人は超していた。当時の辺野古の人口は1500人ぐらいだったから、合わせると3千人近い人が住んでいたことになる」
◆「1晩で3千ドル」
金城さんは、当時を思いだすように話し始めた。
「街全体が活気に満ちていた。どの店にもホステスが7、8人はいて、1日の稼ぎも3千ドルはあった。当時、私の家は25坪の瓦ぶきの一軒家だったが、2千ドルで建てられた。それが1晩で3千ドルのあがり。25セントあれば、子供とバスで名護(市中心部)まで行き、そばを食べて帰れた時代に、ですよ」
ベトナム戦争が終わると同時に、米兵の数も減って、街は急激に寂れていった。
「辺野古はこれといった産業がない。米軍基地相手の商売しかない。基地と一緒に育ったわれわれは、トラブルもあったが、同時に大変な恩恵を受けながら生きてきた」
■反対派、多くは県外から
◆米軍が守った「環境」
辺野古の街から浜辺に下りると、有刺鉄線が張られている。その向こう側が海兵隊の訓練基地だ。有刺鉄線には、普天間飛行場移設反対を訴える紙が幾重にも巻かれている。他県の団体の名前が多い。
「反対している人の大半は、県外の人。辺野古の住民で反対しているのは指で数えられるぐらい」
反対派はサンゴの絶滅など、環境問題を反対理由のひとつに挙げる。だが、金城さんは続けてこう言う。
「米軍のおかげでサンゴが守られてきたともいえる。民間企業が造成したり開墾していたりしていたら赤土が海に流れ出し、サンゴや海藻類は絶滅していたでしょう。私有地がゴルフ場に造成され、流れ出した赤土でサンゴが絶滅したところはたくさんある。米軍が管理していたからサンゴは守られてきたんです」
そしてこう付け加えた。
「滑走路ができると被害を受けるかもしれないが、あくまでも一時的。ジュゴンが絶滅するという人もいるがそれも一時的な話だ。工事の後は反対にきれいになると思う」
復帰前、10年間、キャンプ・シュワブでガードマンをしていた比嘉武さん(61)=仮名=も、「基地と関係ないところの住民が迷惑料として補償を求めているケースもある。8日の反対集会も辺野古の住民で参加したのは数人いるかどうかですよ」。
◆基地依存経済
沖縄県では、基地内で働く日本人従業員の給与や土地を提供する地主の軍用地料、基地に所属する軍人や軍属とその家族らの消費活動などが大きな収入源で、その額は2115億円(平成18年)にも上っている。なかでも不労所得の軍用地料は700億円を超す。
名護市も例外ではない。キャンプ・シュワブで年間約25億円、辺野古弾薬庫で約1億8千万円が、自治体や地主に支払われている。インタビューに応じた比嘉さんは年間83万円、タクシー運転手の伊波義男さん(58)=仮名=は70万円を得ている。住民の中には、軍用地を貸すだけで年間1千万円前後の収入を得る人もいるという。
今回予定されている滑走路は海上のため、この軍用地料は発生しないが、辺野古への移転について、住民はどう考えているのか。
金城さんも比嘉さんも、「滑走路ができると米兵が増えるから、飲食店なども増え、ベトナム戦争のころより活気を帯びるのは確実だ。われわれは、米軍基地とともに育ち、生活してきたから、普天間飛行場が移ってきても全く違和感はない」と歓迎する。
もちろん、不安がないわけではない。伊波さんは、「騒音対策は着工時に決めてほしい。後々、騒音問題が起きるとやっかいだから」と話す。
金城さんも、自身は賛成だが、住民投票をすれば賛成派と反対派は半々だとして、こう注文をつける。
「辺野古に移設するのは決まったことだから、それでいい。ただ、一つお願いしたいのは、米軍基地での仕事。移設後は、辺野古の若者が優先して働けるように、政府に斡旋(あっせん)してほしい。はっきり賛成と言わない住民も、本音は活気が戻ればと考えている。政府が移設後の対応策を確約さえすれば100%近い住民は賛成する」
独自の産業がない辺野古住民は、移設を生活するための手段ととらえ、早期決着を望んでいるのだ。
◆一刻も早い決断を
鳩山由紀夫首相は先の衆院選で、辺野古への移設反対を訴えた民主党が大勝したことをとらえ、移設反対が沖縄県民の総意だと主張している。だが、民主党の勝利は自民党の敵失であって、移設問題は直接関係なかったとみる県政関係者が多い。首相が来年1月の名護市長選の結果を重視する姿勢にも反発が強い。
ある長老の地方議員は、「鳩山政権は選挙の時、国外、県外を強調しておきながら、その意思を明確にしないばかりか、名護市長選で再度、県民に踏み絵を踏まそうとしている。早く補償問題などに話を進めるべきだ。県民大会は鳩山政権に決断を迫るのが目的だった」と本音を明かした。
国防上の理由からも早期決着を求める声がある。
元保守系国会議員は「日米同盟は辺野古移設を前提に成立している。中国だけでなく、朝鮮半島やインド洋対策で、沖縄の米軍基地は今まで以上に重要になっている。民主党政権は、東アジアにおける沖縄の役割は何かを明確にすべきだ」と警告する。
(那覇支局 宮本雅史)
◇沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所
このアイテムの詳細を見る
【櫻井よしこ沖縄講演会のお知らせ】
演題:東京から見た沖縄のマスコミ
日時:1月28日 開場:18:00 開演:19:00 閉会:21:30
会場:宜野湾市民会館 大ホール
入場料:無料
沖縄の出版界に衝撃!
沖縄の出版界が出版拒否した問題の書!
季刊誌「かみつく」
「かみつく」を紹介するHP
価格 1420円(税・送料込み)
(1260円(税込み)+送料160円=1420円)
ネット販売註文先 ezaki0222@ybb.ne.jp
※住所氏名と電話番号を御連絡いただければ、受注当日か翌日までに発送いたします
<送金方法等詳細はここ>
*************************
『沖縄に内なる民主主義はあるか』定価:1735円(税・送料込み)
著者:又吉康