■那覇市立中央図書館の言論封殺に、
断乎抗議する!
月刊誌『正論』の名物連載「一筆啓誅 NHK殿」でNHK糾弾で健筆を振るわれている皇學館大學非常勤講師の本間一誠さんが、那覇市立図書館の焚書坑儒に対し、怒りの抗議文を送ってくださいました。
参考文例として皇學館大學非常勤講師・本間一誠さんの抗議文を問題解決(図書館側からの納得できる説明と謝罪)の日まで掲載します。
「狼魔人日記」閲覧不可に断乎抗議する
お名前:本間一誠
メッセージ:本日の「狼魔人日記」を読み、大変憤りに堪えません。同ブログによれば、貴図書館上司の意向により、「狼魔人日記」が閲覧不可となったと知りました。嘗て、千葉県船橋市の公立図書館において、いつの間にか保守系の著作が同図書館職員の偏った判断で撤去、焚書にされ、大問題になったことがありました。「狼魔人日記」の読者は全国に広がっており、沖縄県民だけに言論封殺をしても、もはや何の意味もありません。かえって沖縄の異常な左翼支配の現状と民主主義の不在を日本中に知らしめる結果となり、最終的にはそのような判断をした貴図書館、及び館長が説明と責任を問われることになるでしょう。沖縄は中国ですか? 沖縄は北朝鮮ですか? 全く信じられない話です。沖縄の自由な言論のために同ブログはかけがえのない情報を全国に発信しています。ここに「狼魔人日記」閲覧不可の指示に対して断乎抗議するとともに、速やかにその指示を撤回されるよう求めます。
これを参考に皆様の抗議文送付のご協力をお願いいたします。
沖縄に蔓延する言論封殺を粉砕するため、
下記に電話、ファックス、メールなどで抗議して下さい。
那覇市立中央図書館http://www.edu.city.naha.okinawa.jp/lib/
〒902−0064 沖縄県 那覇市 寄宮1-2-15
TEL:098-891-3449 FAX:098-835-2158
E-mail :lib-chuo@nirai.ne.jp
なお本件は拡散希望です。
沖縄戦「集団自決」の謎と真実秦 郁彦
PHP研究所
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日本維新の石原慎太郎代表が都知事を辞め国政に打って出たとき、確かこのような発言をした。 「日本を支配する中央集権型官僚政治の打破が目的だ」(要旨) 有権者の中でこれに異議を唱える者は少ないだろう。 だが、老獪な政治家の石原氏は、国民受けする「官僚政治打破」を第一の目標に掲げながら、本当の目的は別だった。 反発も予測される「憲法改正」こそが、石原氏を国政へ駆り立てた第一の目的であった。 いや、石原氏の主張は「憲法改正「ではなく、「憲法廃棄」ではなかったか、という反論もあるだろう。 そこが百戦錬磨の石原氏である。 あえて過激な「憲法廃棄」を叫ぶが、自分の意図するように憲法が改正されれば、反発の多い「廃棄」に拘る必要はない。 最初にハードルの高い提案をし、それから徐々にハードルを下げて目的を達成するのは老獪な政治家の常套手段だ。 だとすると現在「国防軍」発言などで「右傾化」などとマスコミのバッシングを受け始めた安倍内閣とはこと安全保障政策に関しては、ほぼ同じと見てよい。 それどころか「右傾化」「戦争愛好政治家」など極右のレッテル貼りでマスコミのバッシングを受けることでは、石原氏のほうがはるかに先輩格である。 石原氏はあえてマスコミを刺激するような「右翼的発言」を連発し、マスコミとバトルを演じながら結局は「右傾化」が「正常化」であること知らしめてきた確信犯の政治家である。 80歳の高齢を自覚しながらあえて国政に打って出た本当の目的は、反発も予測される「憲法改正」だ。 あえてより過激な「憲法廃棄」という切り口で国政に打って出たの得意のマスコミかく乱だ。 石原氏にとって選挙後の安倍氏との連携は想定内だった。 憲法改正が党是であるは自民党にとって、野党第2党に躍り出た日本維新の会との連携による「悲願達成も射程距離に入ることになる。 誰かがこんなことを言った。 「衆院選の自民党の圧勝は二審制の裁判の一審で勝ったに過ぎない。二審で大敗すれば逆転敗訴だ」と。 そう、安倍内閣が全面勝訴を勝ち取り、悲願の憲法改正を成就するためには来る参院選で圧勝せねばならぬ。 さて、現行の「欠陥憲法」を「平和憲法」と叫ぶ勢力に対し、何にでも平和の文字を冠すれば平和が得られるのではない、と説得するのは至難の業。(平和団体、平和学習、平和教育、等々) そこで明快な文章で、欠陥憲法の改正こそ平和への道であると説得してくれる記事を紹介する。
【安藤慶太が斬る】
(上)平和を守るためにこそ新憲法が不可欠だ
2013.1.5 12:00 (1/4ページ)[安藤慶太が斬る]
みなさんあけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
安倍政権が発足していよいよ今年は憲法が大きく注目される一年となるだろう。まずは今年行われる参院選で改憲勢力が勝利を収められるか否か。ここが焦点となる。昨年の衆院選のよりもどしのようなこともあるかもしれない。結果によっては立ち往生することもあるかもしれない。
何より大切なことは一人でも多くの国民が日本を取り巻く深刻な危機に目を向けて憲法の欠陥を直視することだ。多くのメディアは改憲を危険な動きだと決めつけて、様々なキャンペーンを張り、いろいろな落とし穴を用意してくるに違いない。その予兆はすでに始まっている。
しかし、どうか注意深く見てほしい。彼らは声高に「危険だ」「危険だ」と騒ぐ。しかし、憲法改正にどういう意義があって、この危機を回避するために憲法改正が如何なる意味があるのかといった建設的な視点を読者に提示することは決してしないのである。
「戦争できる国にしたいのがタカ派である安倍政権の狙いです」などと勝手に仕立て上げられたシナリオを持ち出して、それを真顔で騒ぐメディアもある。
逆である。平和のために新憲法が必要なのだ。私たちが外敵に脅かされずに安心して暮らしていけるために国防軍が必要なのである。
改憲と聞いただけで反射的に「戦争」と結びつける人は多い。国防軍といっただけで、それを問題にする輩が出てきて、それがまた騒ぎのネタになっていくというおきまりの構図だ。
読者のなかにも、こうしたメディアによって繰り返されてきた光景を苦々しく、飽き飽きしながら眺めている人も多いはずだ。
メディアのお粗末
一例を挙げよう。選挙前に行われた日本記者クラブの党首討論での出来事だ。尖閣諸島を購入しようとした石原慎太郎氏にこう質問した記者がいたのだ。
「尖閣問題が起きたときにフィナンシャルタイムズが石原さんのことを『火付け知事』だと書いた。石原さんが一連の事態の発端を作ったことは間違いがない。無論、石原さんにも意図はあったのだろうと思いますが、これだけの混乱と経済的な損害、いろんな事態が起きたことについてどうお考えか。その後の野田政権が悪いのか。それとも中国が全て悪いのか。石原さんには責任の一端があるとお考えなのか、それとも全く責任はないとお考えなのか。その点、みんなが聞きたいと思っているので、うかがいます」
質問自体に違和感を覚えた人もいただろう。そもそも尖閣は中国側が仕掛けてきている話ではないか。責任って何の責任なのか。その後起こった反日デモや暴徒化した中国人の数々の破壊行為の責任が石原氏になぜあるのか?「愛国無罪」などといった見て見ぬふりをしている中国に非があることをなぜこの記者は不問にするのだろうか。
メディアや民主党のいう「中国を刺激したから悪い」という言論は結局は何もしないというに等しい。なぜ、このことを直視しないのだろうか。何をすれば良かったのか。話し合いだろうか?。話しあっても解決してこなかったではないか。完全に嘗められてしまっているではないか。
具体的にどうすれば尖閣を守れるのか。そのためには日本に下手なことができないと一目置かれる以外ない。迂闊に手を出せば、痛い目にあうと相手国に脅威を覚えてもらう以外にないのである。
そうした簡単なことを直視せずに、石原氏の責任追及など筋違いも甚だしい話だ。石原氏が答えようとすると「尖閣ではなく、むしろ実効していない竹島と北方領土になんでやらなかったのか」とたたみかけた記者もいた。
石原氏は気色ばんでこう言った。「私はやるべきことをやった。私は責任を取ったし、責任があるというなら責任は取る。でも責任を取るってどういう責任か。
これは国がやるべきことだ。あなたがたがいうべきことだ。責任を取っていないのはそっちではないのか。メディアにだって責任がある。しっかりしてくれよ!」。
全く同感である。日本記者クラブを代表する面々による選りすぐりの質問がこの程度で、「もっとましなことを聞けよ」「どこの国の新聞なのか」と思った人も多いはずだ。
メディアの方こそ国民から取り残され、あるいは見放されてしまうのではないか。そういうことが心配になる光景だった。
創造力の欠如
元旦付け産経新聞に田久保忠衛杏林大学名誉教授と市田ひろみさんの対談が掲載されている。今年は産経新聞が創刊80周年を迎えるのを機に企画された対談である。
対談を通じて印象的だったのは敗戦直後、一面焼け野原となった東京の変貌ぶりに田久保氏がショックを受けたときの話だ。闇市が開かれていた船橋では、日本人に傍若無人に振る舞う在日の外国人を目の当たりにして「戦争に負けることってこういう惨めなことなのか」と子供心に悔しさを覚えたという話だった。
「国破れて山河在り」という。しかし、戦争に負けることをそういう抽象的な言葉でかたづけるべきではない、と市田さんは警鐘を鳴らしておられた。
とにかく全てを失って路頭に迷い、蹂躙されても甘受する以外になく、悔しさやみじめさを徹底的に味わいながらも、まずこれから食べていくことから困ってしまう、という深刻かつ具体的な話だ。
この対談は戦後の平和教育にどっぷり浸かった世代の創造力の欠如を指摘してくれているように思えてならない。平和憲法のもとで平和を念じていれば、平和が得られる。相手と話しあえば必ず解決が得られるといった信仰は社会の至ることに横たわっている。先ほど述べた記者クラブの質問もその典型かもしれない。
しかし、この平和憲法では平和は得られない。戦争なり紛争というのはこちらに何の落ち度がなくったって、相手国から一方的に仕掛けられたり、巻き込まれることがあるからだ。相手からもたらされ得るということを忘れてはならないのだ。
この憲法では平和を愛する周辺国の信義と公正を信じることでわが国の安全を守ると宣言してしまっている。いろいろこの憲法に問題点はあるが、この一点に根本的欠陥が凝縮されている。この憲法は空想を描いているのであって、現実の国際社会に立脚してわが国が生きていくうえでの羅針盤とはいえないのである。
私たちの穏やかな暮らしを守って、平和を守るためには新憲法、憲法改正は必要なのである。日本国憲法では私たちの平和な暮らしは守れない。護憲勢力の言辞は亡国に手を貸すものにほかならない。
(安藤慶太 社会部編集委員)
☆ >この憲法では平和を愛する周辺国の信義と公正を信じることでわが国の安全を守ると宣言してしまっている 欠陥憲法の欠陥たる所以はここに凝縮されている。 この憲法条文に従がえば日本は自国の安全を「周辺国」に丸なげし、しかも周辺国の信義と公正を信じよ、というのだ。(怒) 日本に敵意むき出しの周辺国。 中国、韓国、北朝鮮のどこに信義と公正があると言うのだ。 これら特亜三国の何を信じよというのだ。 信じる者は救われる、とでも言いたいのか。 国防は宗教じゃない! >創造力の欠如 護憲派の方々に限って、「米軍基地撤去」、「自衛隊の国軍化反対」を唱える人が多い。 沖縄ではマスコミ、大学教授など識者と呼ばれる人達にこの傾向が多いが、矛盾を少しも感じないようである。 では、米軍基地が全面撤去された後敵に攻め込まれた場合、現在の自衛隊だけで国防は安全かと問うと、決まって次のような答えが帰ってくる。 「話し合いによる外交交渉で平和的に解決すればよい」などと。 まさに想像力の欠如である。(怒) 人気blogランキングへ クリックお願いします沖縄の出版界に衝撃!
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