沖縄の出版界が出版を拒否した
問題の書!
『沖縄に内なる民主主義はあるか』
著者:又吉康隆 定価:税込み1575円
ネット販売註文先 ezaki0222@ybb.ne.jp
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表現の自由と集会の自由が認められたわが国では、左翼団体が政治集会を開くのも自由だし、そこで自己の政治信条を声高に叫び、決議することも自由である。
だがいくらシュプレヒコールをしても、いくら決議をしても政治集会の議題には馴染まない案件もある。
例えば今回、県内各地で行われた「オスプレイ阻止」集会で決議された「オスプレイ配備反対」の決議文を政府に提出しても、「重く受け止める」などの常套句以外に何も得るものはない。
国の安全保障に関し軍用機の機種を更新するという極めて専門的な案件に対し、一々市民団体が集会を開き、反対決議をしても無意味だというのだ。
同じく歴史教科書の記述という専門的案件が、プロ市民の集会の「反対決議」に馴染まない。
これら専門的知識を要する案件は専門知識では素人集団に過ぎない県議会や市町村議会の決議に馴染まないのも、ことさらいうまでもない。
☆
一昨日(30日)の沖縄タイムス社会面のトップから、「オスプレイ」「米兵強姦」などの大見出しが消え、久々に別種の見出しが躍った。
5年前に発狂した「集団自決」関連の見出しが。
軍命の事実教科書に
「集団自決」日本軍のいる所だけ
体験者ら検定改革警戒
上記見出しの中で先ず声を大にして次のことを言っておく。
「軍命の事実」と「『集団自決』日本軍のいる所だけ」の部分は、真っ赤な嘘である。(怒)
先ず「軍命の事実」を示す客観的証言、証拠の類は何一つ発見されておらず、新聞が雨あられとばら撒く証言の類は、「集団自決が会った」というものであり、「軍命に集団自決が起きた」という証言、証拠は皆無である。
「大江・岩波集団自決訴訟」でも、被告大江等による名誉毀損(原告を「屠殺者」「罪の巨塊」など罵倒)に対し、「公務員である(軍人)原告は寛容であれ」というきわめて理不尽な判断で原告敗訴にしたが、最大の争点である「軍命」については立証することができず、被告側が主張する「軍命の事実」は事実上否定されている。
さらに付言すると、5年前の教科書検定は撤回されておらず現在も有効であり、「軍命の事実」は左翼集団の決議事項に過ぎない。
>「集団自決」日本軍のいる所だけ
これは反日サヨクのスローガン「日本軍がいなければ、集団自決は起きなかった」を、何の検証もなく見出しに使ったに過ぎない。
座間味と渡嘉敷の集団自決は夙に知られた歴史的事実だが、実は阿嘉島にも日本軍が居て、米軍が上陸した際に集団自決は発生していない。
さらに逆のケースでは沖縄本島の読谷村・チビチリガマには日本軍はいなかったが集団自決が行われた。
これだけでも「日本軍がいなければ、集団自決は起きなかった」という文言が真っ赤な嘘であり、反日サヨクのスローガンであることがわかる。
左翼集会の決議で教科書が書き変えられるなら、日本はもはや法治国家とはいえなくなる。
沖縄タイムス 2012年10月30日 09時32分
沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」について、高校の歴史教科書に日本軍強制の記述復活を求める「9・29県民大会5年目の集会」(主催・9・29県民大会決議を実行させる会)が29日、沖縄市民会館で開かれた。「集団自決」体験者の証言や、5年間の活動が報告され、2007年に日本軍強制の記述を削除した文科省検定の撤回と、教科書検定の透明化を求め続ける決意を新たにした。
教育関係者など約120人が参加した。同会の玉寄哲永世話人は、軍命の有無について、教科書審議会の判断を理由に、責任を逃れようとする国の姿勢を批判。「証人の方々が健在なうちに、もっと実証していけるよう、一緒に活動を続けていただきたい」と呼び掛けた。
同会事務局の玉那覇哲高教組委員長は、同省や教科書会社、執筆者に要請を重ねた活動を報告。渡嘉敷島の「集団自決」体験者、吉川嘉勝さん(74)が「日本軍がいなければ、集団自決は起きなかった」と証言した。
参加者たちは「沖縄戦体験者の証言を後世に語り継ぎ、沖縄から戦後日本社会のゆがみを正す」との集会アピールを宣言した。
☆
■「11万人集会」→「120人集会」(爆)
5年前の2007年9月29日、沖縄2紙の捏造体質を全国に知らしめた「11万人集会」が開催された。
周知の通り「11万人集会」が、大幅水増の左翼集会であったことはその後の検証により明らかになった。(実際は3万人前後)
上記記事はその集会の決議事項を実行させるように政府に要求する集会「9・29県民大会5年目の集会」(主催・9・29県民大会決議を実行させる会)が、29日行われたというもの。
>同会の玉寄哲永世話人は、軍命の有無について、教科書審議会の判断を理由に、責任を逃れようとする国の姿勢を批判。「証人の方々が健在なうちに、もっと実証していけるよう、一緒に活動を続けていただきたい」と呼び掛けた。
事情を知らない読者には複雑で分かり難い記事だが、整理するとこうなる。
5年前の「11万人集会」の正式名称が「教科書検定意見撤回を求める県民大会」であることからも分かるように、一昨日の集会の目的は文科省の5年前の検定意見を撤回させることだ。
で、その目的は達成できたのか。
「11万人6000人」と大幅水増しをしてまで政府を恫喝したにもかかわらず、「検定意見の撤回」は現在も依然として政府に拒否されたまま現在に至っている。
そこで5年目を期して「9・29県民大会5年目の集会」(主催・9・29県民大会決議を実行させる会)を開催したというのが上記記事の趣旨。
目的は主催者の名称でも自明の通り、5年前の「11万人集会」の決議「検定意見の撤回」と同じいうのだから実にしつこく同時に気の長い話でもある。
それにしても「11万人集会」で不首尾のまま放置されている「検定意見の撤回」を再度要求する「9・29県民大会5年目の集会」がたったの120人(主催者発表)と言うのだから、県民は「11万人集会」のいかがわしさを先刻承知しているのだろう。
9・29県民大会から5年 沖縄市で集会2012年10月30日
琉球新報
検定意見の撤回を求め続ける決意を込め、
ガンバローを三唱する集会参加者=29日、
沖縄市民会館中ホール
高校日本史教科書の「集団自決(強制集団死)」の記述について日本軍強制に関する記述の復活を求める「教科書に沖縄戦の真実を 9・29県民大会5年目の集会」(「9・29県民大会決議」を実現させる会主催)が29日、沖縄市民会館で開かれた。120人(主催者発表)が参加し「今後も県内外の賛同者と共に民主的な教育、社会の実現に向けて取り組みを続ける」との集会アピールを採択。最後にガンバローを三唱し、検定意見の撤回を求め続ける決意を新たにした。
高校の日本史教科書から「集団自決(強制集団死)」の日本軍強制に関する文言を削除した2006年度の文部科学省の検定意見撤回を求め、11万6千人余(主催者発表)が集まった07年9月29日の県民大会からことしは5年の節目。
玉寄哲永「―実現させる会」世話人は「私は皆さんと一緒にこの5年間、教科書の問題を取り上げてきた。軍命による『集団自決』はあった」と強調。渡嘉敷島で「集団自決」の現場を体験した吉川嘉勝さん(74)は「なぜ、日本軍のいるところでしか『集団自決』が起きていないのか、若い人に考えてほしい」と訴えた。
フロアからの質疑で沖縄教育支援ネットワークの知念良吉さん(73)=北谷町=が「八重山の教科書問題にも取り組む考えはあるか。軍隊の悪いところを覆い隠すことと、検定撤回を受け付けないことの問題点は共通している」と指摘した。沖縄工業高校で社会科を教えている大城航(わたる)教諭(31)は「沖縄戦について6月23日前後に平和学習で取り上げるが、教科として取り上げることが少ない。時数が少ない、研究する時間がない。地域の方々の力も必要だ。教員も努力するので、協力してほしい」と意見を述べた。
☆
■2007年は特別の年だった
「11万人集会」が行なわれた2007年を振り返ってみると、反日左翼勢力にとって特別な年であることがわかる。
先ず3月には、文科省が高校歴史教科書の、沖縄戦における集団自決に関し「軍名による」と言う記述を削除する、という検定意見を出した。
これに反発した沖教組が早速県庁前広場で抗議のための「県民大会」を開いたが1000人足らずしか集まらなかった。
これを期に、沖縄2紙が大発狂し、連日学者、証言者を総動員し「検定意見撤回」、つまり教科書に「軍命による集団自決」と既述せよ、との大キャンメーンを張ることになる。 このキャンペーンは同年9月29日の「11万人集会」まで継続されるが、同時に次の2点も忘れてはならない。
「軍命の有無」を最大の争点とした「大江・岩波集団自決訴訟」が2005年に提訴されており、被告側を支援する沖縄2紙は検定意見の発表により従来からの「残虐非道な日本軍」を訴えるキャンペーン、火に油の状況となった。
さらに同年5月には、琉球新報に長期連載中の上原正稔著の沖縄戦記「パンドラの箱を開く時」の「慶良間で何が起きたか」の部分が、発表直前になって突如、掲載拒否されると言う前代未聞の出来事があった。
「慶良間に何があったか」には、「軍命はなかった」と明記されており、その原稿を掲載直前に見た琉球新報が「社の方針にあわない」と言う理由で、掲載拒否をしたのだ。
2007年とは、このように反日サヨクにとっては特別の年なのである。
琉球新報による掲載拒否事件は、執筆者の上原正稔氏により「パンドラの箱掲載拒否訴訟」として現在係争中だが、今月の20日には那覇地裁で判決が出る予定である。
裁判の名目は民事訴訟の手前「掲載拒否による損害賠償請求」になっているが、最大の争点は掲載拒否した理由の軍命の有無」である。
原告の全面勝訴となれば、軍命論争を敢て避けた「大江・岩波集団自決訴訟」の判決にも大きな影響を及ぼすことは必至である。
【おまけ】
記憶の整理のため、問題の年2007年に書かれた秦郁彦氏の論文を引用する。
【正論】現代史家 秦 郁彦 沖縄集団自決をめぐる理と情
2007/07/06, 産経新聞
■報道は冷静な検証の姿勢忘れずに
≪情緒過剰な記事が並ぶ≫
6月23日は、62年前に沖縄本島南端の摩文仁(まぶに)の洞穴で、牛島軍司令官が自決、沖縄戦における日本軍の組織的抵抗が終わった日である。
沖縄県は、この日を「慰霊の日」と定め、軍人・軍属、一般住民がそれぞれ9万余人、米兵をふくめると20万人の全戦没者を追悼する式典を挙行してきた。しかし今年は、住民の集団自決をめぐる高校用日本史教科書の検定で「軍命令による強制」が削除されたことについて、県議会が検定意見の撤回を求める意見書を採択したこともあり、騒然とした「慰霊の日」となった。
ほぼ全面無視した読売新聞を除き、主要各紙は社説や社会面記事で大々的にこの問題をとりあげた。これまでは「沖縄の心」という目に見えぬ壁への配慮が働き、マスコミも識者もハレものにさわるような扱いをしてきたが、今年も同じトーンで生き残りの体験談を軸に情緒過剰な詠嘆調の記事が並んだ。今や生き残りといっても、当時は10歳前後だった人たちが主だから、要領をえないあやふやな証言ばかりになってしまった。
たとえば、県の意見書のまとめ役になった当時8歳だった議員の体験談は「200人ほどの住民と壕に隠れていたところ、3人の日本兵が来て、泣き続けていた3歳の妹といとこに毒入りのおむすびを食べさせるよう迫った。敵に気づかれるのを恐れたため」(6月23日付朝日)というのだが、記者は不自然さに気づかなかったのだろうか。
激戦のさなかに毒入りおむすびを作る余裕があるのか、毒と告げて親が食べさせるものか、食べたとしても、苦悶(くもん)の泣き声に変わるだけではないのか、そんなことをしなくても、200人も入っている広い洞穴なら奥へ移ればすむのではないか、と疑問の種はつきない。問題はそうした検証をいっさい放棄して、記事に仕立てた記者の資質にある。
≪攻撃用武器の手投げ弾≫
ついでに記すと、県議会では「集団自決の軍命令はあったはず」と主張する野党と「なかったらしい」と主張する与党の議員が対立、妥協のすえ意見書は「日本軍による関与なしに起こり得なかった」という争点を外した表現におちついたとのこと。
「関与」とは一部で日本軍の手投げ弾が自決用に使われたのを指しているらしいが、兵器不足に悩み、兵士に竹槍まで持たせていた日本軍にとって、手投げ弾は貴重な攻撃用武器だった。現地召集の防衛隊員(軍人)に持たせていたものが家族の自決に流用されたのに、16歳だった語り部の元短大学長が「手投げ弾は自決命令を現実化したものだ」と語るのを、朝日が社説(6月23日付)で「悲惨な証言」と信じ込み、引用しているのはいかがなものか。
≪軍命令見つからない理由≫
さすがに社説ともなると冷静なタッチが多いなかで、朝日だけは突出した情緒論で終始している。他にも日本軍は住民が捕虜になることを許さず、「敵に投降するものはスパイとみなして射殺する」と警告し実行していったとか、捕らえられれば「女性は辱めを受け、男性は残忍な方法で殺される。日本軍はそう住民に信じ込ませた」と書いているが、いずれも事実無根に近い。
牛島軍は、県当局と協議して住民を予想戦場から遠ざけるため本土や本島北部への疎開を命じ、戦闘末期には米軍の保護に委ねるふくみで戦場外の知念半島への避難を指示している。
その結果、米軍記録によると28万余人の住民が投降した。そのなかには日本軍陣地へ投降勧告に出向く志願者がいて、スパイと疑われ処刑された例もあったが、例外的事件にすぎない。
そのころ12歳の軍国少年だった筆者も「鬼畜米英」への憎しみと恐怖を抱いていた記憶はあるが、誰が吹きこんだのか覚えていない。親や先生ではなかったと思うし、ひょっとすると、わが家で取っていた朝日新聞か主婦の友かもと考えたりもするが、少なくともこの種の流言、浮説を記した政府・軍の公文書はなかったと思う。
ところが、研究者でも集団自決や慰安婦の強制連行を証する軍命令が見つからないのは、終戦時に焼却したからだとか、個々の命令はなくても戦前期の天皇制や軍国主義教育に起因すると強弁する人が少なくない。
集団自決が起きたのに「いまさら『日本軍は無関係』と言うのなら、それは沖縄をもう一度裏切ることになる」としめくくった朝日社説も同類項なのだろうか。
沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所
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