沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所
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星雅彦氏と上原正稔氏が、集団自決の報道に関し「うらそえ文藝」第13号で、沖縄2紙を批判し謝罪を求めたが、2紙とも沈黙を守っている、と書いた。
厳密な意味で言えば2紙は一応の反論らしきものはしている。
社説などで自説で反論することには沈黙しているが、女性史研究家や文藝評論家などの文章で間接的に反論(らしきもの)をしていることは、古くからの読者なら周知のことである。
先日紹介した琉球新報に掲載の宮城晴美氏の反論?がピント外れの噴飯ものであることは指摘しておいたが、沖縄タイムスが文芸評論家を使って、反論というより根拠無く上原正稔氏を罵倒した文を振り返ってみる。
以下は沖縄タイムスの反撃?「文化人」を使った姑息な個人攻撃に加筆したものの再掲である。 琉球新報に続いて、6月30日付沖縄タイムスが星、上原両氏の告発に対する反撃を開始した。文化面の「文芸時評」というタイトルで文芸評論家という肩書の平敷武蕉なる人物が、詩の評論の体裁をとっているが、その欄の後半で文芸評論に隠れるように、星、上原両氏を批判しているではないか。 この紙面構成ではよっぽどの文芸愛好家でなければ見落としてしまう「反論」である。(失笑)
その反論たるや、「タイムス史観」を鵜呑みにしたとしか思えない幼稚な論で上原正稔氏の主張を根拠も示さず罵倒している。
このお方は沖縄タイムスの記事を歴史の真実とでも信じているのだろうか。
タイムス自身は沈黙を守り、基本的事実も知らない「文化人」を使って理詰めではなく、情緒的文言で反撃させる姑息な手法は、とても新聞社のやることには思えない。
新聞は社説やコラムなど意見発表の場は充分にあるではないか。 論説委員だってダテに高給を貰っているわけでは無いだろう。
平敷氏は次のように上原正稔氏の批判を展開する。
<事実無視する姿に違和感 看過できぬ動き
沖縄戦をめぐって、看過できない動きがある。 うらそえ文藝第14号の「特集 集団自決」である。 特集では、集団自決を巡る「対談」で星雅彦氏と上原正稔氏が対談し、さらに上原氏の「人間の尊厳を取り戻すとき」と題する論考が掲載されている。 それらにおいて、上原氏は、集団自決で軍命はなかった。 遺族年金をもらうために軍命にしたのだと主張している。
「集団自決」の体験者や目撃者、元日本兵らの相次ぐ新証言にも耳を貸さず、ひたすら「赤松さんと梅澤さんを窮地から救いだすこと」に情熱を注ぐ氏の姿は異様に映る。 >
平敷氏が「沖縄タイムス史観」を丸呑みで、自身の集団自決に関する不勉強を露呈しながら上原氏批判のご高説を垂れ流している点が各所に見られるがこれは後で指摘しよう。
一読して不思議に思うのは、琉球新報の宮城論文の場合、攻撃相手をもっぱら星雅彦氏だと思われる表現をしているのに対し、今回の沖縄タイムスの平敷論文では攻撃相手を上原正念氏に絞っていることである。
琉球新報は上原氏の連載特集記事を抹殺した弱みがあるため、そこを反論されると窮地に陥るから上原氏はタイムスに任せたのだろうか。
両紙が事前に攻撃対象を分担しあったのではないか勘ぐりたくもなる今回の反撃である。
琉球新報の宮城論文が、自著のみならず集団自決問題の火付け役ともいえる沖縄タイムス記事でも論破されている事実を書いた。
同じようにタイムスのウェブ記事だけで、タイムス史観を妄信する平敷論文を粉砕してみよう。
『母の遺したもの』の発刊二年後、沖縄タイムスの復帰30周年特集メッセージ復帰30年の宮城氏に関する記事が、「琉球新報の宮城論文」と「沖縄タイムスの平敷論文」を見事に論破している。
■タイムス記事が「隊長命令はなかった」と掲載■
《沖縄タイムス 2002年9月21日
沖縄の海図(63)
メッセージ復帰30年 宮城晴美(下)告白
数行が母の戦後を翻弄
「約束」から10年
戦争体験のトラウマを問う言葉が、鋭く胸を突く。
宮城晴美の著書『母の遺したもの』は、家族の体験から目をそらすことなく、血塗られた座間味の実情を克明に記している。宮城に執筆を、激しく促したのは「母の手記」だった。同著の前書き、「約束」から一〇年—で、脱稿・出版までの経緯を述べている。
「いずれ機会をみて発表してほしい」と、一冊のノート(手記)を私に託し、半年後(一九九〇年)、六十九歳の生涯を終える。字数にして四百字詰め原稿用紙約百枚。自らの戦争体験の日々を具体的につづっていた。しかも、手記は過去の記述を、根底から覆す内容を含んでいた。
一九六二年、最初の手記を『家の光』の懸賞募集に応募入選する。翌年、同誌四月号に掲載。さらに五年後に出版された『沖縄敗戦秘録—悲劇の座間味島』(私家版)で、「血ぬられた座間味島」の題名で収録された。その記述の一部分が発表して以来、母を苦しめ追いつめていた。
『悲劇の座間味島』、それと一冊のノートを前に、一部カ所・数行の削除を指示した。「母の戦後を翻弄(ほんろう)した数行だった」。十年後、宮城は執筆に取りかかる。
板ばさみの苦悩
同著の要旨を追うことにする。当時の座間味島駐留軍の最高指揮官、梅澤部隊長からもたらされたという、「住民は男女を問わず軍の戦闘に協力し、老人子供は村の忠魂碑前に集合、玉砕すべし」—が、事実と違う記述であった。以後、「座間味島の“集団自決”は梅澤裕部隊長の命令」が根拠とされてきた。
事実は、部隊長の命令は下されず、村役場の伝令が飛び交い、次々と「集団自決」へ走った。手記発表後、母は自分の“証言”で梅澤を社会的に葬ってしまったと悩んでいた。事実を公表すれば、島の人々に迷惑が及ぶ。板ばさみの心痛を一人で背負っていた。
一九八〇年、那覇市内で梅澤と再会。そして母初枝が告白した。「命令を下したのは梅澤さんではありません」。この一言に、梅澤は涙声で「ありがとう」を言い続け、嗚咽(おえつ)した。だが、告白をきっかけに事態は急変。さらに波紋を広げていく。
詳細は同著を読んでもらうしかない。要約するにしても、背景が複雑で誤解を恐れるからだ。
背景に「皇民化」
(略)
=敬称略=(多和田真助 編集委員)
座間味島「集団自決」の事実を書き換えた著書。それは「母の戦後を翻弄した数行の記述」であった
*
「集団自決訴訟」の3年前のこの記事では、沖縄タイムスも真実を報道する余裕がまだあったことが分かる。
なお上記写真の説明で、「事実を書き換えた著書」と書いているが、書き換えた著書を更に書き換えたのが『新版母の遺したもの』であることは周知の通り。
このように、争点の隊長命令がクルクル変わる人物も珍しい。
宮城晴美氏が、最強の「転向者」と呼ばれる所以であり、その論文が「自著に論破される世にも不思議な論文」と呼ばれる所以でもある。
さらにもう一つ付け加えると、宮城氏の論文は「軍命あり派」の牙城であるはずだが、それが宮城氏の庇護者であるはずの沖縄タイムスからも論破されている。 再度いうが世にも不思議な論文である。
「平敷論文」に戻る。
平敷氏が集団自決の基礎的知識に欠けている点を指摘しよう。
氏は<「集団自決」の体験者や目撃者、元日本兵らの相次ぐ新証言にも耳を貸さず、ひたすら「赤松さんと梅澤さんを窮地から救いだすこと」に情熱を注ぐ氏の姿は異様に映る>と上原氏のことを批判するが、このお方、次に掲げるの基本的事実さえ知らないようだ。
<「集団自決」の体験者や目撃者、元日本兵の相次ぐ新証言は確かにある。
だが、それらは悲惨な事件の証言ではあっても、「軍の命令で自決した」と証言する体験者や目撃者はただの一人もおらず、それを示す証拠も皆無である>
これは「軍命あり派」、「軍命無し派」の両陣営が認める基本的事実である。
これでは上原氏がいくら体験者の証言に耳を貸しても「隊長命令はなかった」と結論するしか無いだろう。
「沖縄タイムス史観」という歪んだ色メガネを通して平敷氏が見る上原氏の姿は確かに異様に見えるだろう。
だが、右も左も関係なく沖縄戦の真実を解明しようとする上原氏の姿が異様に見えるというが、平敷氏こそ異様の言葉が相応しいのではないか。
理由は、平敷氏はタイムスの記事が歴史の真実であると妄信しており、自分の硬直した思考に気がつ家内で、歴史の真相解明に努力する上原氏を異様と斬り捨てているから。
平敷氏は攻撃の焦点を上原氏に絞り次のように糾弾している。
<復帰後最大の規模でもたれた一昨年の「教科書検定意見撤回を求める9・29県民大会」についても、僕(上原氏・引用者注)は、5分間でちゃんと計算しましたけど、あえは1万5千人足らずです」と妄言する氏には、もはや真実を求めることは出来ない>
やはりタイムスの見出しが真実であると妄信する沖縄の文化人の思考はこの程度であるかと落胆させられる記述である。
この後、「問題の本質は数ではない」と開き直って見せるが、「11万人」の虚構が暴露されるや、左翼識者が口を揃えて開き直ったとき発した言葉がこの言葉だった。 確か古舘一郎も同じことを口走っていた。
「大会」主催者が意図したのは、可能な限り参加人数をかさ上げして、数の力で政府首脳に圧力を加えるつもりだった。
これはその後、大会代表団が「11万人」を武器に政府に圧力をかけた事実を知れば「数の問題ではない」が開き直りの強弁であることは、今では誰でも知る事実である。
主催者が数を問題にした例を挙げれば、県教育長が校長を集め、動員を指示したり、高校野球の試合を延期までさせて動員を迫ったり、県が無料送迎バスを準備したりなど、枚挙に暇は無い。
当時の沖縄二紙の狂ったような扇動報道による半ば強制的動員は平敷氏が言うような県民の自発的1万5千人の動員とは縁遠いことである。 これは良識ある県人なら今で周知の事実となっている。
何よりも渡嘉敷島から参加した住民がたった一台の自家用車に便乗して参加できる程少人数(5人前後)しか参加していなかった事実からもこの集会の性格が分かる。
平敷氏は更に次のように強弁を続ける。
<千歩ゆずって上原氏がいうように、その数が1万5千であってもいい。 1万5千人も集まったのだ。 その県民が何のために集まり、何を訴えていたかということだ。 その日の広場の内外を埋め尽くした群集の張り詰めた熱気と清澄。 今話さねばとの思いに促迫されて壇上に立つ集団自決体験者の切迫した声。 その声に耳を傾けようとしないで、集まった人の数を机上の報道写真で数え、「あれは大ボラです」とうそぶくところに、このドキュメンタリー作家の品性の程が示される。 〈擦れた感覚〉だけが口開き、一片の真実も切実さも感じられない。 同調し指嗾(しそう)する星氏の責任も重い>
平敷氏の品性がいかほど上品か知る術も無いが、平敷氏は上原氏に品性を感じないと断じ、「あれは大ボラです」の言葉に一片の真実も感じないと切捨てている。
真実は、品性を個人的に感じるか否かで決めるものではない!(怒)
ならば筆者が上原氏の“品性のない”「大ボラ」を言い換えて「あれは大ウソの数字です」と言っておこう。 「11万人」が大ウソである根拠は多数あるがここでは省略する。
『うらそえ文藝』では星氏と上原氏が夫々論文を発表し、それに基づいて両者が対談するという三部構成になっている。
ところが平敷氏は星氏の論文には一言も触れず、いや論文の存在さえも言及せず上原氏のみを攻撃し、それも上原氏の主張を客観的に過ちと指摘するのならともかく、詩的、情緒的文言を羅列し、それどころか「品性のほどが示されている」とか「擦れた感覚」といった事実の解明には直接関係のない文言で「一片の真実も切実さも感じられない」と」斬り捨てる。
なるほど、琉球新報は「女性史研究家」の「ジェンダー論」で真実の解明を目くらましし、沖縄タイムスは「詩人」の「品性」と「感覚」と、それに「詩的文言の羅列」で歴史の解明を目くらましする魂胆と見て取った。
タイムスの見出しを歴史の真実と妄信する平敷氏の反論にお付き合いするのはこの辺で勘弁して欲しいが、星氏への攻撃がほとんどないのが不可解である。
同じ文芸仲間と思われる星氏は『うらそえ文藝』の編集長であり、今回の「集団自決特集」の責任者であり、自身も「集団自決の断層」という論文で沖縄タイムスの歪曲報道を批判しているにもかかわらず星氏については論文の名前さえ触れることなく、付け足しのように「同調し指嗾(しそう)する星氏の責任も重い」という難解な表現の一言だけでお茶を濁している。
星氏の論調と上原氏の論調は「隊長命令はなかった」「沖縄タイムスは歪曲報道を謝罪せよ」という基本路線では一致しているはず。
だが「品性のない」上原氏の文言には一片の真実も感じられないが、品性のある星氏の文言には真実があるとでもいうのだろうか。
歴史の真実の解明には「品性」も結構だが、証言や証拠物件を情熱をもって地道に調査していく姿勢こそ重要であり、そこにジェンダー論や事実を色眼鏡でみる「品性」を持ち込んだら、見えるべきものも見失ってしまう。
上原正稔氏の品性の有無はともかく、氏の実地調査に基づく「沖縄戦記」の数々を読めば、平敷氏の上原氏に対する攻撃が「タイムス史観」そのものの的外れであることは一目瞭然である。
沖縄タイムスも琉球新報も、「女性史研究家」や「勉強不足の文化人」を使って攻撃するという姑息な手段はそろそろ止めにして、社説でも使って堂々と反論したらどうだろうか。
ネットの普及した現在では、もはや新聞お抱えの文化人による高踏的批判では、読者は決して騙されない。
沖縄二紙はこれを肝に銘ずるべきである。
もっとも肝が腐っていては打つ手も無いが・・・。
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琉球新報の言論封殺に戦いを挑んでいる上原さんの訴訟へのカンパ協力は支援団体の三善会へお願いしております。
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桜坂劇場特別企画
シンポジウム「教育とは!」
日 時: 2012年7月8日(日)午後1時30分開場
午後2時より「スパルタの海」上映開始
午後4時より シンポジウム「教育とは」開始
午後6時終了
場 所: 桜坂劇場
〒900-0013 沖縄県那覇市牧志3-6-10 電話 098-860-9555
登壇者: 南出喜久治(弁護士)
伊藤玲子(「建て直そう日本・女性塾」幹事長)
戸塚 宏(戸塚ヨットスクール校長)
金城テル(沖縄県婦人平和懇話会会長、元はなぞの保育園園長)
手登根安則(FM21パーソナリティー、前県立高校PTA会長)
稲垣純一(沖縄県専修学校各種学校協会副会長)コーディネーター
チケット代: 前売り2,000円(無くなり次第終了)
主 催: 桜坂劇場
共 催: 体罰を考える会、全国勝手連連合会
沖縄戦「集団自決」の謎と真実秦 郁彦
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