記者と読者の間には超えがたい大きな認識の壁が屹立している。
何度でも書こう。 読者は記者が考えるほどバカではない。
ネットの圧倒的普及により読者は記者のイデオロギーで曇った目より、はるかにストレートに問題の本質に迫るようになった。
もはや情報を独占した記者が読者を印象操作でミスリードする時代は終わった。
八重山教科書問題で読者の叡智が明らかになった。
にも関わらず「ゼロ校時報酬」問題で、新聞は反省の色もなく八重山教科書問題と同じ轍を踏もうとしている。
これでは読者の新聞離れが加速するの無理からぬこと。
読者の減少で沖縄2大紙と呼ばれる琉球新報、沖縄タイムスは2008年3月、夕刊の同時廃止に踏み切った。 月極め購読料はほとんどそのままの状態で。 「報道談合」では悪名高い沖縄2紙2紙が足並みを揃えて夕刊廃止という「販売談合」に踏み切っても、沖縄ではこれを「独禁法違反」として告発する動きは皆無であった。
ここに沖縄タイムスの読者の目に付きにくいベタ記事がある。
■5月22日
琉球新報社の売り上げ8%減
12年3月期
■5月26日
経費削減で減収増益
12年3月期 沖縄タイムス社
琉球新報が8%の売り上げダウンで、沖縄タイムスも経費節減で何とか赤字は免れたものの、やはり売り上げは3.2%の(売り上げダウンを記録している。
要するに、沖縄2紙とも読者に見放されつつあるということ。
「報道談合」に「販売談合」そして読者離れも足並み揃えてダウンとは、ずい分と仲のいいこと。
いい加減にしろといいたくもなる。
さて、「ゼロ校時」問題で、沖縄2紙が事の重大さを矮小化すればするほど読者は醒めてくると書いたが、八重山教科書問題でも「不都合な真実」を報道し続けた八重山日報が、今回も「感情論より法律理論」でと、問題の本質に切り込んできた。 問題のすり替え? 感情論より法律論で 早朝講座問題
県立高校で、教員が県教育委員会の許可を得ず早朝講座などでPTAから報酬を受け取るのは不適切とされる問題が表面化しているなか、八重山高校PTAは20日、2012年度総会で、早朝講座の報酬を含んだ進路指導予算を承認した。同校で実施されている早朝講座は文部省の通知で示された不適切な事例には該当しないというのが、学校側の見解だ。
この問題は、3月9日に自民党の義家弘介氏が参院決算委員会で取り上げたことで表面化。文部科学省が沖縄県教育委員会などに実態調査を指示した結果、県内の75パーセントの高校で早朝講座の報酬受領が行われていたことが明るみになった。
公立学校の教員は職務の性質上、「時間外」の認定が難しい。そのため、月給に4%上乗せする手当てが支払われている。時間外手当の代わりだ。
この問題で最も注目しなければならないのは、同様の行為が公務員の「兼職・兼業」に当たる可能性があるということ。文科省は9日、こうした行為を「不適切」として全国の教育委員会に通知している。
八重山では、問題が「早朝講座の是非」にすり替わっている感が否めない。PTAが子どもたちに多くの学習の場を提供する行為に賛成する気持ちは当然のことで、通学する学校の教員が担当するのであれば、積極的に早朝講座を願い出ることに問題は感じない。
しかし、教員が職務と紛らわしい早朝講座により無許可で謝礼を受け取ることは「不適切」と文科省は表現している。要するに違法であるということ。八重高のケースについても十分な検証がないまま「目くじらを立てるな。問題を大きくするな」という意見がPTAにもある。
「この問題は自民党国会議員が教科書問題の仕返しのために、県教育委員会を標的にしたもの。政治的な行為で、それをまともに受けてはいけない」などと、記者に詰め寄る市民もいたが、感情論で判断するべきでないとの意見も少なからずある。
注意しなければならないのは違法か適法かということだ。親の気持ちや教員の都合を問題に持ち込んでは、争点がぼけてしまう。公務員がサイドビジネスで収入を得ることが法に触れることは、誰でも知っていることで、教員もその公務員である。
八重高の場合、早朝講座の年間総額が640万円にもなる。大金を不適切に受領していた可能性があるにもかかわらず、率直な反省の言葉を聞いたことはない。他の行政機関ならば大問題となっていても不思議ではない。
八重高PTAでは、「講座の在り方検討委員会」を発足させて指針を作成。県教育委員会の方針にのっとった方法で今後も早朝講座を継続するよう求めている。県教育委員会の指導により現在、教員は謝礼を受け取っていないというが、「兼職兼業願い」が受理されれば、謝礼を受け取っていない期間にさかのぼり、謝礼金を受け取る方針だという。
一連の問題について「市民感覚からかけ離れている」と話した女性の言葉が記者には印象的だ。 (大城智芳)
☆
沖縄2紙が「(早朝講座に対する)保護者の期待が大きい」などと学校側を擁護する論調なのに対し、八重山日報は大城智芳記者は「問題のすり替え」であり本質は「法律を守るか守らないか」であると喝破している。
一部の教員側にすり寄る保護者は、「PTAが認めたから続行すべき」と沖縄2紙に迎合する意見を述べているが、多数決で極めれば法律を犯しても良い、という理屈は成り立たない。
みんなの合意があれば泥棒をしてもいいはずは無いのだ。
本件に関しても沖縄2紙の記者より読者のほうがはるかに問題の深刻さを捉えていると言う例証のため「読者のコメント」の特集を組んだ。
【読者のコメント特集】
ゼロ校時報酬問題
それぞれ問題意識を持っていろんな切り口でコメントされています。 問題整理のため再度目を通して下さることをお勧めします。
■東子 さん
>live from hand to mouth
南方の暖かい島だからこそできる、その日暮らし。
寒い地方では、夏の間、冬の半年を越せるように食料の備蓄と長期保存のための加工に費やされるのだ。
風土が、人を育てる。
南方の人は、長所として楽観的、短所として計画性がない。
その日暮らしから脱出したかったら、貯蓄に励み、気候を研究して年中収穫がある農産物を植えることを、なぜ、指導しなかったのだろう?
宮沢賢治は、農民の生活アップに農業指導に力を入れた。
瀬長亀次郎氏は農業? 漁業? 工学?、専門知識を持っていなかった?
煽りだけ得意だった?
彼も、ルサンチマン?
被害者意識の中で生きるのは楽。
自分を「かわいそうな存在」と思ったら自己改革ではなく、「相手が悪い、環境が悪い」と責めていれば良いのだから。
■東子 さん
>県立八重山高校(新垣治男校長)
私の想像ですが、教師からの突き上げ(懐かしい左翼用語(笑))で、学校運営を円滑に行うには、校長として不本意でも補習料をもらえるようにしないと立ち行かないのでは?
今年の春の合格率も良かったようですし。
http://stronger102.ti-da.net/e3847685.html
実績があると胸を張っているんでしょうね。
だからと言って、PTA会費から補習料をもらっていいという理由には、なりませんけれどね。
>市民との乖離に気づいていない化石脳思考停止状態
「八重、上地と仲間らの「八重山毎日新聞」の物書きら」は同じことをしても、日本政府、アメリカがしたらこじつけても反対、中国がしたらダンマリ。
市民は「反国家的」なものと「反政府的」なものの差を感じとっているんでしょう。
『八重、上地と仲間らの「八重山毎日新聞」の物書きら』が支持を得るには、「なぜ、中国か?」を説明できないと、無理、無理。
■ 涼太 さん
狼魔人様
お笑い芸人の生活保護不正受給が問題になっていますが、なにやら言い分が似ていますね。
・お笑い芸人一家の言い分。
あんなもの貰えるのは貰っておけ。
役所が呉れると言うから貰った。何が悪い。
・教職員の言い分。
貰えるのは貰わないと損だ。
PTAが呉れると言うから問題ない。
つまり、沖縄の教職員は生活保護不正受給のお笑い芸人と同じレベルと言えますね。自らの職業に対する使命感も誇りも感じられません。
貰えるのは貰わないと損だ。沖縄問題を語るとき良く聞く言葉ですね。
援護法、爆音訴訟など関係者が良く口にする言葉です。
■進路研修部 さん
誤解されています。
件の高校のPTAの役員をされている方に連絡をとってみました。
問題提起がさた役員会で、教員が言い放ったことばに間違いはないそうです。
でも、PTA側は手当ての減額を申し出ただけなのに、教員側が話を手当てを無くす話にすり替え、無くなったら協力しないと言いだしたとのこと。
PTA側から、無料でやれとか、手当てをゼロにしようとは一言も言っていませんとのことです。
新聞を見ると、PTAが無償でやれと言ったということで悪者扱いされていますが、これも誘導じゃないですか。
言ってもいないことが、言ったことになって広まっていくのは、まるで防衛局のときの犯す発言と同じですね。
この点、最初に報道した産経新聞も軽率だったと思います。
そして沖縄の新聞は軽率どころか、意図的に教員側に有利に働くように報道している気がしてなりません。
■ 進路研修部 さん
現在、この問題で最優先で話が進められているのは、「手当ての復活」のようです。
どうしたら手当てを元通り教員に支給できるかということだけが遡上にあげられているようですね。
課外授業の内容の精査、そして現在までの違法性ついての責任の所在についての話は全く出ないとのことです。
■宜野湾より さん
あらやっぱり。八重山高校では自称「不適切には当たらないし保護者も希望している」のにPTAが検討委員会を立ち上げるのは、報酬の額を話すためだと言っているわけですね。
すると、県教委は報酬を認め額を示してくることを想定している、そうでなくても自校で決める、ってことですか。
講座が全員参加ではないならば、参加しない家庭のPTA会費からも報酬が支払われることはどうなんでしょう?
もし、参加していない生徒は無くてその問題がないなら、それは実質全員参加でしょう。
教師がプリントを手づくりする時間と経費はどうなんでしょう?
8時20分に講座が終わったら教師は帰宅でしょうか?
家でも学校に残っても、コーヒー飲みながらでも教材準備や研究などをしているなら、それは本給に予め上乗せ分の時間になるのでしょうし、そうであれば早朝講座との明確な区別はどうなんでしょう?
教師や医師は自分の意思で他人の精神や体をいじる。他人の人生を決め得る。故にその責任は膨大で、際限のない万全を期して臨むためには、金に換えられない自己犠牲が伴うことがある。
だから尊敬と誇りを込めて聖職と呼ばれるのじゃなかったでしたっけ?
そういう性格の職業だと解って就くのじゃなかったでしたっけ?
際限ない奉仕への労いで本給上乗せがあるのじゃなかったでしたっけ?
やったことに逐一報酬が欲しいならば、そういうシステムを完備した民間会社を探して行けばよろしい。
このストーリーの主題を簡潔に述べよと高校生に問えば、「金」と超簡潔に答えることでしょう。
■進路研修部 さん
狼魔人様の日記では、まだ掲載されておりませんが、本島の某高校では、夜の街頭指導に保護者を関与させないところがあります。
理由を聞いてビックリ、なんと校納金から手当てが支給されていて、保護者を参加させると保護者にも払わなくてはならなくなり、手当てを貰っているのがばれるので、参加させないとのことです。
貰うな、とはいいませんが、保護者にばれると困るという理由で保護者を参加させないって本末転倒じゃないのかなって。
健全育成は金のなる木じゃないですよね。
■ 涼太 さん
狼魔人様
先日営業職の同期の人間とこの問題について話をしました。
わが社でも営業職の不規則勤務時間を考慮し、2万〜3万5千円の営業職手当てが出ています。(年齢や役職により差がある)
その範囲で朝早くから夜遅くまで働いています。
もちろんタクシー代などの実費は領収書があれば請求できます。ただし深夜で電車が無いとか正当な理由は必要です。
友人が言うには、公務員が便宜を図る代わりに、見返りを求めるのは立派な収賄になるとのことです。民間企業でも業務上横領に当たるとのことです。
それが堂々と行われるのはおかしい。文部科学省が教職調整額の範囲を明確にすべきだ。とも言います。
私が文部科学省はゼロ校授業は教職調整額の範囲だと明確にしていると言うと、なら教職員の言い分がおかしい。と言います。ことコンプライアンスに関しては民間企業の人間は白黒ハッキリしています。もう死後になっていると思いましたがまだまだ親方日の丸のぬるま湯体質が見えますね。
最近でも、夜遅くまで働く霞ヶ関のキャリア公務員にタクシーの運転手のビール差し入れが問題になりました。立場を利用した利益はたとえ缶ビール一本でも問題になります。
この際、教職員のヤミ給与も徹底的に膿を出すべきですね。
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産経新聞社・那覇支局長
宮本雅史氏
『報道されない沖縄 沈黙する「国防の島」』
刊行記念+サイン会のお知らせ
☆ ☆ ☆
■日 時 6月3日(日)午後3時〜/ 参加費無料
■場 所 ジュンク堂書店・那覇店 1階
エスカレーター横 特設会場
■講演テーマ 『沖縄の「今」と「声なき声」に迫る!』
■主催/問い合わせ先 ジュンク堂書店・那覇店 でんわー860−7175
※サイン会にご参加される方は、『報道されない沖縄 沈黙する「国防の島」』をご持参下さい。
☆ ☆ ☆
【書籍のご紹介】
本土復帰から40年ーー。
戦争、米軍基地を背負ってきた
国防の要衝地・沖縄が発する
国家への問いを、真摯に描く!
2012年4月27日発売
定価:1470円(税込)
発行:角川出版
発売:角川グループパブリッシング
宮本雅史(みやもとまさふみ)氏、プロフィール
1953年、和歌山県生まれ。慶應義塾大学卒業後、産経新聞入社。 現在、産経新聞那覇市局長。主な著書に、『真実無罪』(角川学芸出版)、『「特攻」と遺族の戦後』『海の特攻「回天」』(ともに角川ソフィア文庫)、『検察の披露』『歪んだ正義』(角川文庫)、『電池が切れるまで』(角川つばさ文庫)など。
政府は知らなさすぎる
著者は産経新聞那覇支局長。報道する側の「報道されない沖縄」とは何か。著者が普天間基地の移転候補地である辺野古(へのこ)に赴いたときのこと。住民に取材を申し出ると怪訝(けげん)な顔をされた。「新聞記者が取材に来るのはあなたが初めてだ」と言う。「街にはいろいろな新聞社やテレビ局が来るが、みんな反対派が集まっているテント村にだけ行って、我々の声を聞こうとしない。最初から反対ありきだ」とも。
基地をめぐる沖縄の声は複雑で多様だ。辺野古には既にキャンプ・シュワブがあり、住民は基地と共存している。基地は県民の生活の一部となり、経済も依存している。復帰以来40年間に費やされた沖縄振興策予算は基地関連を入れると10兆円を超える。基地を容認する声も多い。
しかし、「報道される沖縄」は常に「反基地」のステレオタイプ。そこには地元メディアとともに沖縄県教職員組合の存在がある。当初、県内の教職員団体は「祖国愛」教育を行っていた。それが昭和38年頃から60年安保闘争に敗れた活動家が本土から流入して変質する。そして悲惨な地上戦を経験した県民に潜在する被害者感情をあおった。彼らは公務員という「生活を保障された人達」だった。
「報道される沖縄」に贖罪(しょくざい)意識からか、日本政府も腫(は)れ物に触るように接してきた。平成24年度から始まる新たな振興計画でも前年比28%増の2940億円が計上された。この財政難の中でも、だ。
ある革新系地方議員の発言が印象的だ。「今の日本政府は沖縄のことを知らなさすぎる。戦争被害者と米軍基地というカードを切られると、すぐに沖縄を聖域化して何も言えなくなってしまう。沖縄はそれを見通していること、さらに、それが沖縄の被害者意識を助長していることに気づいていない」「沖縄自身も、そろそろ、自ら、被害者意識の呪縛を解き放つべきだ。(中略)真の復帰は被害者意識を取り除くことから始まる」
沖縄は国防の要の地だ。その「報道されない」本当の姿を知ることは我が国の防衛を考える上での大前提でなければなるまい。(角川学芸出版・1470円)
評・八木秀次(高崎経済大学教授)
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