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昨日はヤンバルのカウボーイに嫁いだ娘を訪ね再び名護遠征をした。
娘婿は、カウボーイと言っても馬に跨って拳銃を乱射するあのカウボーではなく、ヤンバルの牛牧場で牛の世話している文字通りのカウボーイである。 連休とはいっても牛の世話に休みはないので、5歳になる孫娘が連休中寂しい思いをしないように「世界一危険な基地」の近くに住む筆者宅で過ごそうと娘と孫を迎えに行った次第。
帰る途中、初めて行ったのだが、北中城にあるジャンボステーキで有名なステーキハウス「エメラルド」で少し早めの夕食をとった。
孫がキッズプレート(お子様ランチ)娘がエビフライ付きカレーピラフ、愚妻がエビピラフを食した。 わざわざステーキハウスに行って誰もステーキを註文しないのも格好つかないとメニューを探したが、む・む・・・いずれも3千以上。 これでは胃に重いというより私の場合懐にずっしりと重い。
ところが何と、メニューの下方にジャンボステーキがスープ、サラダ、パン込みで1550円とあるではないか。
迷わずそれに決めた。
皆それぞれ黙々と食べていると孫が私を見て「ジージー、かっこいい!」と言った。 すかさず愚妻が「かっこいいの基準がわからない」と言った。 すると娘が「ステーキにかぶりついているいるのでびっくりしたのでは」と合いの手を入れた。 かっこいいの基準だの、ステーキにかぶりつく姿だの無礼な話だ。 5歳の孫の純粋な目から見れば、ジャニーズ系の見かけだけのかっこいいお兄ちゃんよりより、くたびれてはいてもかっこいいのはかっこいいとわかるものだ!(怒)
外人客も含め若いカップルが多かったが、帰り際に筆者も脱帽のもっとかっこいいカップルを見た。
年のころ70歳過ぎの老夫婦のカップルがジュージューと音を立てるステーキプレートのジャンボステーキを黙々とほおばっていた。
世間の常識でいえばあの年頃の老夫婦が2人で外食する場合、大抵は和食の店で白身の魚などと相場は決まっている。
が、あの時の老夫婦はひょっとしたら毎週土曜日はジャンボステーキの日と決めているのかも知らない。
いかにも沖縄らしく、かっこいいカップルだった。
このブログが「エメラルド」を詳しく紹介している。
沖縄地方は既に入梅で今日はあいにく雨模様だが、雨の合間をぬってこれから孫を連れててシーミー(清明)で墓参りに行く予定。
☆
■「朝生」余聞
コメント欄では「朝生テレビ」の感想で活発な意見が飛び交っているが、傍聴者、パネラーを含めて大嘘つきの集団がスタジオを占拠し、沖縄メディアの正体を垣間見れただけでも有意義な番組であった。
筆者が番組の直前に辺野古を訪問して辺野古区民の選挙で選ばれた大城区長に直接取材し、一番の当事者である辺野古区民の民意は「辺野古移設容認」であることを報告していなかったら、「朝生テレビ」を観た人は番組冒頭で大嘘をついた成りすまし「辺野古住民」の大嘘に騙されるところらっただろう。
越来のK本S子 さんがこの大うそつきの嘘を暴いたコメントを引用します。
≪自分は、夜中に気の滅入る様な内容のあの番組を観る気はございませんでしたが…、結局番組終了まで観てしまいました。
コメント欄で話題になってますので、観客席の一般人に紛れ込んでいた、2人の“伏兵”について、まとめておきましょう。
まず、作業着姿の5分分け癇癪玉おじさんについてですが、コメント欄でのご指摘通り、東恩納琢磨という名護市議でございます。
ちなみに、東子様のコメントでこの人、「辺野古生まれの辺野古育ちで辺野古の代表として来ました」などとおっしゃったとのことですが…、下のリンク先を見てみると、「私は沖縄県名護市東海岸の瀬嵩という小さな集落に住んでいます。ここに生まれ、ここで育ちました」とあり、「辺野古生まれの辺野古育ち」というのは“真っ赤な”ウソであることが一目瞭然でございます(笑)。
・東恩納たくまホームページ
http://takumahigashionna.jp/default.aspx
ちなみにこの人、ジュゴンをダシにしたエコ・ツーリズムを、辺野古区民にとっては余所者でしかない「テント村」の「住民」の活動資金捻出に悪用している、とんだ小悪党でもございます(笑)。
・じゅごんの里ホームページ
http://dugong.web.officelive.com/default.aspx≫
★引用終了★
ついでに成りすまし辺野古住民の顔写真を載せておきます。
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コメント欄以外に「昨日の朝ナマのスタジオに居た一人」という方から直接メールを頂いた。
ご本人の了解を得て以下に紹介する。
≪昨日の朝ナマのスタジオに居た一人です。
私は決して旧社会党の「非武装中立論」の信奉者ではありません!
私も米軍撤退、自衛隊が沖縄に駐留することに賛成です。
けど、とあるパネリストの紹介で参加したので、挙手できませんでした^^;
同調圧力に負けてしまいました。
これが庶民の一面ということを理解してほしいです。
しかしまぁ、昨日の朝ナマ議論になっていませんでしたね。
言い合いみたいな感じでした。
2時頃からずっと眠くて、居眠りしないように気をつけなければいけませんでしたw
特に大田さんの話が、強烈でした。
話は長いわ、お馴染みの文句しか発していなかったのでw
長くなりましたが、これからも貴殿の活躍期待しております!
沖縄のマスメディアはかなり偏っているので。≫
この方は沖縄側パネラーの1人の紹介で出席したというが、前泊沖国大教授の紹介で出席した沖国大の学生が多かったと言う。
最後の三上女史の「米軍基地撤去の後に自衛隊が配備されたら認めるか」という質問に手を挙げたい参加者は多いようだったが前泊先生の紹介で参加し、「先生が目の前にいる手前、そうせざるを得なかったのではないでしょうか?」とのこと。
こんなことも言っていた。
「あとQABのメンツのために一言申すなら、事前に「思想チェック」は行われませんでした。
東京のスタッフによる簡単なアンケートが、事前にあったのみです。大半の観客は出演者の紹介のため、思想的に偏った人が多いように視聴者に見えてしまったのだろうと思います。」
予想されたような思想チェックは無かったものの、沖縄側パネラーを思想的に偏った大嘘つきで固め、沖縄県民代表として彼らが推薦する人達を出演させたら事実上思想チェックをしたのと同じ結果になる。
さすがは異論を許さぬ「全体主義の島沖縄」である。
前泊教授が大うそつきであることは、前にも書いたが「嘘つきは大田昌秀の始まり」の大田元知事の後継者として「嘘つきは前泊の始まり」をも引き継ぐべきである。
息をするように嘘をつくとつい見逃しがちだが、この男こんな大嘘もついていた。
米軍犯罪が5千件も放置されている、だって。
メア氏が、米軍犯罪は「人口当たりにしたら沖縄人より少ない」と反論すると、犯罪率の問題ではない」だって。
■米軍人の犯罪は沖縄人の半分
彼の言説に従がえば沖縄は強姦魔が徘徊し、ひき逃げは日常茶飯事で犯罪者が野放し状況であると言うことになる。
こんな大嘘のため東京あたりに進学や就職で行った娘さんたちがどんなに好奇の目で観られるか考えたことはあるのだろうか。(怒)
大嘘つきにまじめに反論するのもバカバカしいが、こんな教授の授業を受ける学生のために事実を開示しておく。
沖縄県警が発表した平成22年版犯罪統計書によると、刑法犯で検挙される県民は例年、400人前後であり、これを人口比犯罪率であらわすと0・3%ある。
一方米軍関係の検挙者は22年度で71人で、犯罪率は0・15%であり、県民の半分に過ぎない。
前泊教授の言うのが正しく、沖縄は米軍の犯罪大国ならば沖縄県民はさらにその2倍の犯罪集団と言うことになり、これほど県民を馬鹿にした話は無い。
さらにこの嘘つき男、日米安保が無意味であること言うために「米国は最新兵器を中国に売っている」などと大嘘をついたが、こんな男の顔色を見ながらでは、スタジオに集まって学生たちが同調圧力に負けたのもむべなるかな、である。
さて前泊氏は琉球新報記者時代、上原正稔さんの連載沖縄戦記「パンドラの箱を開ける時」の「慶良間で何が起きたか」のくだりを掲載拒否し、その功績で一介の記者から現在の地位に駆け上ったと書いたが、その」結果として連載記事は「パンドラの箱」を閉じたまま、慶良間で起きた集団自決の真相に封印し、」未完のまま終了した。
これで前泊氏ら琉球新報側は言論封殺に成功したと考えただろうが、琉球新報が封殺した「慶良間でなにがおきたのか」をそっくり掲載する勇気ある新聞が沖縄にも存在することは当日記の読者なら周知のこと。
これで琉球新報は面目丸潰れで、その上に泥を塗るどころか潰れた顔の傷に塩をすり込まれたようなものである。
上原さんの幻の原稿は周知の今八重山日報の紙面で甦って現在連載中である。
なお前泊氏は、係争中の「パンドラの箱掲載拒否訴訟」の8回口頭弁論(6月17日)で被告側証人として証言台に立つことが決まった。
原告側は上原さん本人の他に琉球新報に同じような言論封殺をされた星雅彦氏も証人として出廷することに決まった。
前泊氏の嘘は問題の「慶良間で何が起きたか」の原稿を渡したとき「いいですね」と言っておきながら週末を利用した東京訪問から貴社後、態度を一変し「社の方針と違う」と言う理由で、掲載拒否した。
ところが提訴されるや、前言を翻し掲載拒否の理由を「社の方針と違う」と言っていない、「同じ引用文を使ったから」と嘘をついた。
「社の方針と違うから」を認めたら新聞社がイデオロギーで言論封殺したことを自ら認めたことになり、それで敗訴すれば琉球新報の屋台骨をゆるいがしかねない致命的な傷となる。
したがって争点を原告側の「言論封殺」という書面攻撃を避けて「同じ引用を拒否した」という編集技術上の問題に矮小化しようと逃げえいるのである。
この時点で被告側は敗訴した場合の言い訳として「手続き上の行き違いがあった」の逃げ口上を考えていると推測できる。
慶良間で何が起きたのか? ―人間の尊厳を懸けた戦い― 上原 正稔 ―神もおののく集団自殺
僕は一九八五年、タイムス紙上でアメリカ第10軍のG2情報部のG2サマリーを中心にした「沖縄戦日誌」を連載し、その中でニューヨーク・タイムズの報道する渡嘉敷住民の?集団自殺?を発表した。その要旨に次のようなものだった。
神もおののく集団自殺―三月二十九日発。昨夜我々第77師団の隊員は、渡嘉敷の険しい山道を島の北端まで登りつめ、一晩そこで野営することにした。その時、一マイルほど離れた山地から恐ろしいうめき声が聞こえてきた。手榴弾が七、八発爆発した。偵察に出いようとすると闇の中から狙い撃ちにされ、仲間の兵士が一人射殺され、一人は傷を負った。我々は朝まで待つことにした。その間、人間とは思えない声と手榴弾の爆発が続いた。ようやく朝方になり、小川に近い狭い谷間に入った。何ということだろう。そこは死者と死を急ぐ者たちの修羅場だった。この世で目にした最も痛ましい光景だった。ただ聞こえてくるのは瀕死の子供たちの泣き声だけだった。そこには二百人ほどの人がいた。(注:第77師団G2リポートは二百五十人と記録している。)そのうちおよそ百五十人が死亡、死亡者の中に六人の日本兵(※)がいた。死体は三つの小山の上に束になって転がっていた。およそ四十人は手榴弾で死んだと思われる。周囲には不発弾が散乱していた。木の根元には、首を絞められ死んでいる一家族が毛布に包まれ転がっていた。母親だと思われる三十五歳ほどの女性は、紐の端を木にくくりつけ、一方の端を自分の首に巻き、前かがみになって死んでいた。自分で自分の首を絞め殺すことは全く信じられない。小さな少年が後頭部をV字型にざっくりと割れたまま歩いていた。軍医は助かる見込みのない者にモルヒネを注射し、痛みを和らげてやった。全部で七十人の生存者がいたが、みんな負傷していた。生き残った人々はアメリカ兵から食事を施されたり、医療救護を受けたりすると、驚きの目で感謝を示し、何度も頭を下げた。「鬼畜米英の手にかかかるよりも自らの死を選べ」とする日本の思想が間違っていたことに今、気づいたのだろう。自殺行為を指揮した指導者への怒りが生まれた。数人の生存者が一緒に食事をしているところに生き残りの日本兵(※)が割り込んできた時、彼らは日本兵に向かって激しい罵声を浴びせ、殴りかかろうとしたので、アメリカ兵が保護してやった。なんとも哀れだったのは、自分の子供たちを殺し、自らは生き残った父母らである。彼らは後悔の念から、泣き崩れた。―以上が一九四五年四月二日のニューヨーク・タイムズが報じた渡嘉敷住民の集団自殺の要旨だ。だが、僕はこの記事を公表した時点で気付かなかったが、※印を附した日本兵とは実は防衛隊員であったことを知ったのは一九九五年春と夏に渡嘉敷島に渡って現場調査をした時だった。アメリカ兵には日本兵と防衛隊員の区別がつかなかったのだ。その前年の一九九四年、僕は戦後五十周年に沖縄を訪れるアメリカ人遺族関係者を迎えるため「おきなわプラス50市民の会」を組織し、その活動の中でデイブ・ダーベンポートさんから渡嘉敷の「集団自殺」を目撃したグレン・シアレス伍長の手記を入手した。それは衝撃的なものだった。一九九六年六月、僕はそれを「沖縄戦ショウダウン」と題して琉球新報紙上で発表した。その一部を次に紹介しよう。
―一九四五年四月二十七日夜明け、僕たちは渡嘉敷の最南端の浜に上陸し、山の小道を登る途中で三人の日本兵を射殺し、目的地に着くと信号弾を打ち上げ、味方の艦隊の砲撃が始まった。「山を下りて阿波連の村を確保せよ」との命令を受けた。その途中、小川に出くわした。川は干上がり、広さ十メートル、深さ三メートルほどの川底のくぼみに大勢の住民が群がっている。俺たちの姿を見るや、住民の中で手榴弾が爆発し、悲鳴と叫び声が谷間に響いた。想像を絶する惨劇が繰り広げられた。大人と子供、合わせて百人以上の住民が互いに殺し合い、あるいは自殺した。俺たちに強姦され、虐殺されるものと狂信し、俺たちの姿を見たとたん、惨劇が始まったのだ。年配の男たちが小っちゃな少年と少女の喉を切っている。俺たちは「やめろ、やめろ、子供を殺すな」と大声で叫んだが、何の効果もない。俺たちはナイフを手にしている大人たちを撃ち始めたが、逆効果だった。狂乱地獄となり、数十個の手榴弾が次々、爆発し、破片がピュンピュン飛んでくるのでこちらの身も危ない。全く手がつけられない。「勝手にしやがれ」とばかり、俺たちはやむなく退却し、事態が収まるのを待った。医療班がかけつけ、全力を尽くして生き残った者を手当したが、既に手遅れで、ほとんどが絶命した。―
この阿波連のウフガー上流の集団自殺については、いかなる沖縄戦の本にもなく、タイムスも新報も全く触れていない。だが、第三戦隊陣中日誌は記す。「三月二十九日―悪夢のごとき様相が白日眼前に晒された。昨夜より自決したる者約二百名(阿波連においても百数十名自決、後判明)」。グレン・シアレスさんの手記を見事に裏付けている。 (つづく)
☆
上原さんは勝訴は当然だが、争点を「集団自決の真相解明⇒言論封殺」という自分の土俵に相手を引き上げ、真っ向から撃破するためますます意気軒昂である。
次回の口頭弁論での嘘つき前泊氏の法廷での対決は見ものである。
■■お知らせ■■
沖縄繁栄の基礎を築いた米国へ感謝する式典
皆さま驚かれるかも知れませんが、戦前、沖縄の県民所得は約74円、全国平均所得の40%でした。ところが沖縄が日本に復帰した1972年、県民所得は907ドル、全国平均所得の60%まで上昇しておりました。これは米国の施政による成果が大でした。
米国民政府は沖縄に大学、看護学校を創り、沖縄住民に高等教育を実施しました。その結果、民度は向上し、感染症は撲滅され、社会が活性化したのです。
我々は沖縄から世界に向けて、この米国の功績を顕彰し、米国国民に対し感謝の意を表明したいと思っております。
≪日米友好促進・感謝FESTIVAL≫
2012年5月19日
12:30開場
13:30開演
沖縄市民会館」大ホール
参加無料
http://okinawa-nichibeiyuko.info/
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