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毎月第一土曜日は高校時代の友人10名と那覇市内某居酒屋で飲み会がある。
今月は忘年会のせいか当日(3日)は某居酒屋の予約が取れず、一日繰り上げて金曜日の例会となっていた。
当日は午後7時スタートだが、最近早めに家を出て某居酒屋の近くのパレットくもじに行き、時間まで趣味の一つである本屋の「立ち読み」をしたり、喫茶店で本土新聞に目を通したりするのを常としていた。
最近これに新しい趣味が一つ加わった。
居酒屋のはしごである。
居酒屋のはしごも奇妙だが、居酒屋の飲み会前のはしごというのも聞きなれないだろう。
はしごとは酒を飲んだ後、飲み足りずに。未練がましく飲み屋をはしごして回るのが普通だが、居酒屋で飲み食いしたあと再度居酒屋のはしごというのは普通ではない。
これから友人たちと飲み食いをする会合の待ち時間に1人で居酒屋のはしごとは誰に聞いてもおかしいと言う。
そもそも一次会の前に居酒屋のはしごなどどう考えても尋常ではない。
なかには居酒屋とはいっても美人の女将がお目当てだろうなどと、ゲスの勘ぐりをする友人もいるが、少なくとも最近行った店はいずれもまだ明るい5時の開店で、美人女将どころか、女性の影さえ見えず、店主は男で従業員も男性が多い。 金曜日に行った店などは店の名もそのものズバリ「小やじ」。
メニューには東北の地酒が揃っているとあり、定番の居酒屋メニューでは見慣れぬ酒の肴も興味を引いた。
知らない店に1人で入るのは躊躇するものだが、店頭の手書きのメニューを見て急に日本酒が飲みたくなり、入ろうとした瞬間、偶然なのか、それとも中から見ていたのか、若い衆が戸を開けて招き入れてくれた。
店は宮城県出身の若い男性二人で切り盛りしているようだ。
日本酒を飲んで被災地支援だなどと勝手に理由付けし、迷わず岩手の地酒を飲んだ。 つまみは次の飲み会のため胃袋のスペースも考えつつ、タコブツといぶりがっこという秋田名物の燻製タクアンを注文したが、タコも新鮮だったし、いぶりがっこには乗せて食するようにとレーズンバター添えてあり店主の料理に対する工夫が感じ取れた。
メニューには、ワイン等もあり、オーバーに言えば和と洋のコラボレーションともいえる料理が他にも散見されたが、郷土色を生かした料理と和風の雰囲気は日本酒がよく似合う店である。
突き出しの3点おでんもつまんで、酒のお代わりを飲み干しご機嫌になりかかった頃、客が立て込んできたので、そそくさと退散し次の某居酒屋へ向かった。
酒も料理も接客も、気に入った店なので、居酒屋はしごなどで胃袋の容量を気にしない状態で行ってみたい店である。
共同店主(?)の1人が大滝秀治そっくりの名前(顔ではない)だったので「小やじ」はオヤジと読むのかと思ったらコヤジらしい。
ちなみに「小やじ」の大滝○司さんは大滝秀治とは似ても似つかぬイケメン・ボーイである。
☆
■八重山日報 12月3日」
論壇
八重山人よどこへいく
石垣市議会議員 石垣 亨
「中山義隆氏が当選したら街中を戦車が走る」。これは先の市長
選挙期間中にまことしやかに流されていたデマである。無論、市民
は賢明な判断をされた。それでも最近、遠く離れた地からも何を訴
えたいのか分からない、勘違いに基づく的外れな指摘が新聞に載
る。
一昔前、学級崩壊やイジメなど教育現場が荒れた、というより教
育できる環境にない状況が続いたことがあった。少しひっぱたいた
くらいで体罰だ人権侵害だと騒ぎ、現場教師の「権威や指導力」そ
のものを取り上げた。さも「人権」が生徒だけにあるような錯覚を
与え、教師は腫れ物にでもさわるように恐る恐る生徒に接した。そ
れはややもすると犯罪被害者より加害者の人権を尊重しすぎるきら
いのある最近の変な現象にも表れているように思う。
戦後、GHQはアジアの小国である日本が二度と帝国主義に歯向か
うことのないように長期的戦略をたてた。その最大のものは「民族
の愚民化」である。最初に軍事教練を廃止させ、戦争協力者とされ
た教員やGHQに逆らう教員は罷免するという方針が出された。次に
神道の否定、修身(道徳)や日本史、地理の授業の廃止や難しい漢
字を使うことも禁止された。伝統文化や言葉そのものが破壊された
地域もある。
ゆとり教育、週休二日制の導入の結果どうか。薄っぺらの教科書
では家庭学習をせずともついて行けるから子供達は困らない。運動
会の百メートル走では全員が手をつないでゴールする。「俺は国家
公務員、俺の子には棒術や獅子舞などの伝統芸能は教えなくてい
い。早く帰らせろ」という者、高級車を乗り回しながら給食費を踏
み倒す者、「不公平はだめだ」との声に屈したのか主人公のお姫様
が何人もいるお遊戯会、「男女平等であるべきだ」と言われ、ひな
まつりや鯉のぼりを取りやめた幼稚園、「なぜ2番ではだめです
か?」と言う大臣まで出てくる始末。効果は如実に表れてきた。
このような昨今の社会情勢や最近ごく一部の保護者が「育鵬社
版」の教科書を採択しないよう署名運動をしているのを見るにつけ
「PTAはどうあるべきか」考えてしまう。彼らは「平等権の項目で
は、行き過ぎた平等意識はかえって社会を混乱させる」等、こども
にふさわしくない記述が書かれているからダメだという。物事には
表があり裏がある。陰陽や上下、左右などと一面だけ成り立ってい
るものは一つとしてありはしない。もう少し冷静であってほしいと
願うものである。
教科書採択は然るべきところで然るべき手順を踏まえて決定され
たものである。自らの考えのみが唯一絶対のものとの信念の強さに
敬服するがイデオロギーの押しつけはやめてもらいたい。
モンスターペアレンツの定義は「決まりに対してそれが気に入ら
ないからと自己中心的で理不尽な要求をする親」だとされる。主張
が通るまで駄々をこねることは子ども達の目にどう映るのだろう
か。自らの要求だけは必ず通すというのは、かつて限度を弁えず命
まで奪うまで続いた陰湿なイジメ、社会の陰の部分と重なって見え
るのは私だけだろうか。
PTAへ求められるのはハード・ソフト面に関わる教育環境の整備
の支援ではないのか。学習指導要領、その学校の運営方針に沿った
教育が効果を上げれるよう様々な環境を整えることこそが求められ
ているものと考えるのだが、保護者が混乱を益々あおるような行為
に走るのはいかがなものか。
新石垣空港建設地がまだ定まらなかった頃、白保と宮良はそれぞ
れ村を二分する事態に巻き込まれた。
大人同士はそれぞれの考えや立場の違いでいがみ合っていても、
決して教育現場や子供達の世界に波及しないよう努力した。PTAで
も立場の違いを超えて役員をあてがい、決して子供の前では政治的
な対立を感じさせないよう努めた。子どもが聞き耳をたて「何?誰
が?」と来るものなら「子供はこういう話は聞かない」と諭した。
それが智恵だとは言わないが節度は保ったと考える。
「社会や国家に尽くすという日本の美徳は、GHQが教育勅語を廃止
し教育基本法を作成されたと同時に消滅の運命を定められたと言っ
てよい。〈公イコール国家イコール軍国主義〉という連想を植え付
けること公へのアレルギーを持たせ、日本を弱体化しようとした。」
とは藤原正彦先生の言葉であるが、教科書問題への反応をみるとど
うやらこの長期戦略は成功を収めつつあるようだ。
【おまけ】
玉津教育改革は、すべてここから始まった。
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