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続・オカッパの少年の謎を追って、

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沖縄戦を書いた本は数多く出版されているが、少しでも真剣に検証した読者ならあまりにも事実の歪曲、捏造が多いことに気がつくはず。

調査不足等による意図せぬ間違いならともかく、著者のイデオロギーに組み込むため事実を意図的に歪曲、捏造した例を太田昌秀元県知事の膨大の沖縄戦記から拾い出すと、それだけでも一冊の本が出来ると噂されるくらいだ。

沖縄戦記の表紙やグラビアを飾る沖縄戦の写真のほとんどが、ドキュメンタリー作家上原正稔氏が米公文書館から発掘した「一フィート運動の」の記録フィルムによるものだが、左翼学者達は中立的立場で戦争の真実を伝えようとする上原正稔氏を「一フィート運動」から追い出して、上原氏が発掘した記録フィルムを都合のいいように切り貼りし、それに事実を歪曲したナレーションをつけて一般公開したりしている。

琉球新報のスクープを朝日新聞が一面トップで飾った「うつろな目の少女」の写真も「一フィート運動」の成果として上原氏が米国から持ち込んだ記録フィルムに写っている少女の写真を太田昌秀氏が著書の表紙に使用したことから県民の間でも知れ渡るようになる。

この少女の写真には三つつの大きな衝撃がある。

先ずこの少女は、大城少年が日本兵に「やられないように」オカッパあたまで女装した写真であると報道されたこと。

次に大城少年は壕にいたところ日本兵に食料を強奪され、暴行を受けた後壕を放りだされ、その時の傷が元で右目が失明し、歩行障害者になる。 さらに実母は日本兵にスパイ容疑で虐殺されたというから、「残虐非道の日本兵」の悪行を一身に受けたような少年である。

最後に衝撃的なのは、戦後66年も経過して大城盛俊氏が自分だと名乗った「少女」は、実は「玉那覇春子さんという正真正銘の女性だったことである。 だが、これについて報道するメディアが一つもないのも驚きである。

沖縄メディア、左翼学者が共謀して捏造した数多くの沖縄戦記の中でも、これほど県民を愚弄した歴史の捏造は前代未聞であり、沖縄戦史研究の一大汚点として歴史に刻まれることになるであろう。

■地元では知られていない「女装の少年」■

朝日新聞の一面トップを飾った「少女」の記事を読みながら、その一年前に同じ「少女」を報じた琉球新報のスクープ記事を思いだした。

大城氏は、2007年8月25日付琉球新報記事の取材に応じるため帰郷している。

だが、その時も取材のみで沖縄での講演は一度もせずに神戸に戻っている。

朝日新聞の二枚の写真付記事を見、さらに一年前の琉球新報記事を見なおして、滓のように胸中に残っていた疑惑が再び活性化してきた。                     

 

沖縄戦で米軍が撮影した膨大なフィルムが公開されてきたが、その中でも見る人の胸を打つ有名な二枚の写真がある。二枚の写真はそれぞれ大田昌秀著『写真記録「これが沖縄戦だ」改訂版』(琉球新報刊)の中に収録されているが、その一枚が「白旗の少女」として知られる一枚で、他の一枚が今回朝日が紹介した「うつろ目の少女」の写真である。

「うつろな目の少女」は同書の表紙に使用されているだけでなく、冒頭第1頁でも「傷つき血みどろになった少女」とキャプション付きで掲載。一冊の本で二度も大きく紹介されているので、同書を手にした者の目に必ず飛び込んでくる構成になっている。

同書は40万部を売るという戦記ものとしては大ベストセラーになったせいか、この「少女」の写真は沖縄では良く知られた写真である。

だが、この少女が実は男の子であったということを、地元沖縄でも、知る人は少ない。

実際、筆者の知人友人ら二十数人に尋ねてみたが、「少女」の写真は見たことはあっても「少女」の正体が少年であると知る者は一人もいなかった。 

沖縄戦の資料展示では、「反軍姿勢」で知られる二つの歴史資料館を調べてみた。

激戦地のあった本島南部にある「具志頭村立歴史民俗資料館」の沖縄戦の資料展示コーナーは、ご多分にもれず「日本軍の残忍さ」と「アメリカ軍の人間性溢れる行為」を強調した展示構成になっている。 

同コーナーの「村内の仮収容所(米軍指定)に集められた人たち」と題した写真展示の中に「うつろな目の少女」の写真が展示されている。

だが説明文は「傷の手当てを待つ少女」の記述だけで、「少女」の数奇な体験については一言も触れていない。「反日本軍」を訴えるには絶好のテーマのはずの「少女」の正体も記されていなければ、「日本軍の暴行を避ける為のオカッパ頭の少年」とも記されていないのだ。   

たまたま隣で見ていた地元出身の青年に「この少女は実は少年だよ」と話したが、信じてもらえなかった。 

「もしそうなら、何故事実を掲示してないのか」と反論され、返答に窮した。

「具志頭村立歴史民俗資料館」からそう遠くない場所にある「沖縄県立平和祈念資料館」といえば徹底した反日思想の展示で有名だ。

赤ん坊を抱く母親に銃剣を向ける人形まで展示して反軍思想を煽っているが、不思議なことに、ここには「うつろな目の少女」の写真展示はない。 

見落としたかと思い、念のため受付の係員に尋ねたが、そもそも「うつろな目の少女」を知らなかった。

学芸員と称する専門家に聞いても、最初は「うつろな目の少女」が理解できず、大田元知事の著書の表紙に使われている写真だと説明してやっと理解してくれた。

だが、「少女」の正体が少年だったと話してもよく飲み込めない様子だった。

このように沖縄戦の資料を専門的に展示してある沖縄の代表的資料館でも「うつろな目の少女」の正体は少年だったという話は認識されていない。

筆者の友人、知人達が「少女」の写真は知ってはいるが、その正体をごく最近まで知らなくても無理はない。 

続く

  

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沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所

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2007年8月25日琉球新報

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 <「うつろな目の少女」と題し、大田昌秀著「これが沖縄戦だ」(1977年出版)の表紙写真で紹介された兵庫県伊丹市の大城盛俊さん(75)=旧玉城村出身=が来県、高校歴史教科書検定で沖縄戦の「集団自決」に関する記述から日本軍の強制が修正・削除された問題で、「沖縄県民はもっと怒って立ち上がらなければ」と訴えている。・・・・ 表紙の“少女”の正体が大城さん。当時12歳で、育ての父に「男の子は兵隊にやられるから女の子になりすましなさい」と言われ髪を伸ばした。>

 


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