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ボタンの掛け違いが大騒動の原因!又吉記者の思い込み

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八重山教科書採択をめぐる大騒動は、新聞の担当記者の思い込みがもたらした世にも無責任な珍騒動であることが判明した。

起こらずもがなの大騒動の原因が、担当記者の無知によるボタンの掛け違いであると知ったら、デタラメ記事を垂れ流された読者はたまったものではない。

沖縄タイムスの八重山教科書問題の責任者である又吉嘉例記者が今回の教科書騒動について「担当部署の責任者や記者が答えます」という囲み記事で自身の顔写真つきで八重山教科書問題を解説している。

署名どころか顔写真まで付けて議論の分かれる問題に担当記者自らが解説を試みる心意気は大いに買う。

だが、記者の心意気だけでは問題の解明には程遠く、読者は記者の事実誤認によりますます混迷の道に迷い込むことになる。

まずタイトルの「軸足は子どもと教師」は、いかにももっともらしいが、実はこの思い込みで又吉記者は冒頭から事実誤認にの迷い道に足を踏み入れることになる。

最初のボタンの掛け違いが更に誤解の輪を広げ、読者は混乱に陥るにであるから、又吉記者の思い込みがもたらした事実誤認の罪は極めて大きい。

又吉記者は冒頭次のように記している。

≪子供たちにふさわしい教科書を考える際に、私たちがどこに立脚点を置くべきかは、竹富町の慶田盛安三教育長の言葉に集約されている。 つまり、「専門的な教科書研究の充実なくして、教科書を選べるわけがない」。≫

「専門的な教科書研究の充実」と称し、現場の教員(調査員)が左翼団体のパンフレットを丸写ししたことはここではさて置く。

「現場を知る専門家」という誤解が又吉記者の思考を縛ってしまい、「教科書は現場教員が決めるもの」と決め付けているが、これが原因で、その後の論旨が破綻してしまうのである。

そもそも教育委員会制度を我が国に持ち込んだのは、「国家が悪い教育をした」と信じて疑わなかったGHQである。

「国が教育に介入してはいけない」という、いかにも耳に聞こえのいい謳い文句で教育委員会制度を持ち込んだが、GHQは戦前には夢想も出来なかった「日教組」が力を付け、マルクス・レーニン主義の下に教育界に絶大な影響力を発揮していくことは全くの想定外だった。

結局、教育委員会制度は、「教育に対する国の介入」という点では一応の成果を見たが、マルクスレーニン主義に洗脳された教員集団である「日教組」の強大な影響力は、GHQの当初の危惧に勝るとも劣らない悪習を生み出すことになる。

教育界から国の関与を排除することにより、逆に日教組による教育の私物化が始まったのだ。

逆の意味で教育委員会は形骸化し、特に教科書採択問題では、日教組が送り込んだ教育委員や調査員がマルクスレーニン思想を色濃く反映した教科書のみを、調査員の調査の段階で「採択教科書」として絞り込まれたり足きりされることになる。

教科書採択は日教組の意のままになり、教育委員会は教員が推薦した教科書を追認するだけの名誉職になってしまったのである。

文科省は以前からこの悪習を是正するため文部省通知を出して、調査員(教員)の調査はあくまで参考意見にして、教育委員の(八重山採択地区協議会では協議会委員)の責任で採択するように指導していた。

玉津八重山採択協議会長の教育改革は、まさにこの文科省の教育改革の指導の下、「教科書は現場の調査員(教員)が選択する」という悪習を是正するのが第一の目的だった。

又吉記者の冒頭の書き出しだけで反論が長引いたが、又吉記者が「教科書は現場の専門家たる教員が採択すべき」と考えるのは、個人の考え方として記者の勝手だ。

記者が居酒屋などで持論を展開するのは自由だが、紙面の解説や社説で「居酒屋論議」を展開されては、読者はたまったものではない。

少なくとも現行の関連法規では、歴代八重山協議会で行われていたような「教員による事実上の採択」は明らかな違法行為である。

又吉記者の間違った思い込みは沖縄タイムスの社説にも表れている。

玉津教育長の規約改正に関し、社説は、教科書の権限がこれまで教師にあったのが、玉津会長の改革で、協議会へ権限移行したと憤慨している。

だが元々採択権限は事実上協議会にあったものであり、玉津会長はこれまで馴れ合いで行われていた教師による違法な採択を正常化して協議会に取り戻すという改革をしているのだ。

 ≪ 一連の変更は、選定の権限が、これまでの教師らの調査員から、協議会へ移行することを意味する。県教委は協議会に学校長、教育現場を経験した市町教委の指導主事を加えるよう要請したが、3市町教育長で意見が分かれ、要請は入れられなかった。≫(沖縄タイムス社説  2011年8月17日 )

又吉記者の「採択権は現場の教員にあるべき」という激しい思い込みが、激しい玉津バッシング報道につながって言ったのは周知の通りであえる。

沖縄メディアは総がかりで、あたかも八重山地区協議会が法を踏みにじって違法行為をしているような印象操作をしているが、違法行為をしてきたのは、他ならぬ「丸投げ」を継続してきた「歴代の協議会側」(ゾンビの会)ではないか。 

では、これまでなぜ違法行為が問題にならなかったか。

「赤信号みんなで渡れば怖くない」の法則が働き、沖縄メディアの希望する教科書と沖教組が推薦する教科書が一致したからである。

今回の八重山地区の教科書採択で、沖縄メディアが大騒ぎした結果、これまで沖教組主導で密かに行われていた違法な教科書選定方法が明るみになっただけでも良かったという人も多い。

文科省は教員だけで教科書選定に走る弊害を無くすため保護者向けの「教科書展示会」を法令で規定しているが、教科書の展示会が公開されていることなど今回の騒動で始めて知ったという保護者も多い。

16年にもわたる大浜前市長の極左独裁政権の庇護の下、沖教組が独占していた教科書採択現場に溜まった膿を玉津教育長の鋭い改革のメスが抉り出したというのが、今回の八重山教科書騒動の顛末である。



現在紛糾している教科書騒動を関連法規の不備のせいにする論者もいるが、それはそれで別の土俵で論議すべきものであり、法に不備があれば法規改正を行うのが民主主義のルールである。   今回の教科書騒動を法の不備のせいにして「ごり押し」を正当化する人もいるが悪法も法であり、現在進行中の教科書騒動も現行法で対処するのが民主主義である。

 

【おまけ】⇒爆笑!専門知識のある調査員、2ちゃんねる

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