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「集団自決」問題は、その全てを沖縄タイムス社刊『鉄の暴風』に起因する。
『鉄の暴風』の発刊以後、そのデタラメ記事に端を発した座間味、渡嘉敷両島の元隊長が「集団自決軍命説」が「定説」としてマスコミはおろか学会にまで定着する良いうになる。
「残虐非道の日本軍が、住民を軍命令により集団自決させた」というの「定説」だ。
戦後間もない1950年に出版された『鉄の暴風』は、入社間も無い新米記者大田良博氏と戦前からのベテラン記者の牧港篤三氏によって執筆されたが、
問題の慶良間島集団自決の記述のほとんどが大田記者により執筆された。 記者としては素人同然の大田記者に重要な出版物の執筆者に起用した理由は、太田記者の前職場が米軍政府であり、太田氏は作家希望の文学青年であったため「戦史」を記述するというより、面白い戦争物語を書く能力があると判断されていたからと言われている。
同書には、慶良間島の悪鬼のような守備隊長が、自決命令を出し多くの住民を死に至らしめたとおどろおどろしい文体で記載されている。
大田記者は、タイムス社のある那覇とは目と鼻の先にある集団自決の現場である慶良間島には一度も取材に訪れることなく、「噂と伝聞」(後に本人が記述)により僅か3ヶ月という短期間で書き上げたため、重要人物である座間味村の梅澤隊長の生死を始め、多くの記述に間違いがあることが判明している。 『鉄の暴風』を称して『デマの暴風」と皮肉る研究者がいるのもむべなるかなである。
そしてそれ以後沖縄で出版される公的出版物も『鉄の暴風』を引き写して出版されるようになる。
だが、たとえ『デマの暴風』と皮肉られようとも、同書が沖縄の一ローカル出版物として納まっておれば、それほど問題にもならなかった。
ところがが、高名な文学者の大江健三郎氏が、沖縄への思い入れのあまり、自身も現地慶良間島には一度も足を踏み入れることなく『鉄の暴風』を鵜呑みにして、大手出版社の岩波書店から『沖縄ノート』を出版してことが問題を大きくしていく。
以来、集団自決問題が全国的話題になっていくのは周知のことである。
沖縄タイムスは、『鉄の暴風』に描かれた「残虐非道の日本軍」というイデオロギーを正当化するため地元学者や琉球新報を巻き込んで、沖縄戦における反日・反日本軍キャンペーンを展開していくことになるのだが、2005年、座間味村の元隊長等が「集団自決訴訟」を提訴するや、その反日本軍の報道が益々過激化していった。
沖縄タイムスがある意味裁判の当事者であるのに対して、琉球新報は当初は沖縄タイムスのような当事者ではない。
従って、その分だけ報道も比較的穏健だと見られていた。
ところが、この数年の両紙の沖縄戦報道を見ると、その過激度といい捏造度といい、琉球新報がはるかにご本家沖縄タイムスを凌駕していることは多くの読者の指摘を待つまでも無い。
琉球新報の沖縄戦に関するデタラメ報道の詳細はここでは措くが、では一体何ゆえご本家沖縄タイムスが比較的とは言え、おとなしい沖縄戦記事を書くようになったのか。
おそらくは、昨年来の星雅彦氏や上原正稔氏等の地元識者の『鉄の暴風』批判や今年になってからの、「集団自決軍命令説」を真っ向から否定する証言の登場で、最高裁の敗訴を悟ったのだろう。 そしてこれ以上傷口を大きくしたくないと判断した結果なのだろう。
例えば星雅彦氏のような地元の集団自決研究の先駆者が、新聞に登場する証言の裏付けを取って回っているので、捏造証言もすぐ化けの皮がはげてしまう現状を恐れ、うかつな捏造記事はかけなくなっているのであろう。
以前、星氏が県の以来を受けて聞き取り調査をした時、「日本兵の善行」も取材し報告したところ、当時県の資料室にいた安仁屋政昭沖国大名誉教授が飛んできて、「何でこんなことを書くのか」と難詰され、結局、県史から「日本兵の善行」の部分は削除されたという。
最近星氏が検証した捏造証言は、那覇市繁多川に在住の知念さんの証言として「アメリカ兵の残虐行為」を二度も念を押して証言したにもかかわらず聞き取りをした元新聞記者は、故意に「アメリカ兵」と「日本兵」とを入れ替えて「那覇市史」には「残虐な日本兵の行為」が採録されているという。
ところが、以下に引用する記事は沖縄タイムスの連載特集記事だが、珍しく「日本兵の善行」が記載されているが驚きである。
沖縄タイムス2010年7月2日
「忘れまい」 65年の言霊 (20)
隊長に自爆願い出 仲里ハルさん(2)
元積徳高女学徒隊として語り部をしている仲里ハルさん(83)=那覇市、当時(18)=は、豊見城村(当時)の第二野戦病院から真壁村(当時)の糸洲へ撤退しようと、一歩出たときの後継を「このときほど怖くて、戦争を恨んだことはない」と振り返る。
野原一面、治療を受けられない何千人もの民間人がうめいていた。 男、女。 大人、子ども。 次にもんぺのすそをつかまれ、足がすくんだ。 行き着いた糸洲の自然ガマでは、黄リン弾がたびたび投げ込まれた。 ガマ内が濃い黄砂に覆われたようになった。 水に浸したタオルの上から、せっけんをこすりつけ必死に「解毒」。 それまで「なにくそ」の精神で耐えてきたが、初めて死にたいと思い、所属する大24師団の小池勇助隊長に手りゅう弾をねだった。 「学徒対の皆さんは自爆はさせない。 北極星を目安に北へ逃げなさい。 絶対に生きて帰って、後世に戦争を伝えてほしい」。 自身の父が日中戦争で既に戦死していることを知っていた隊長は、そっと頭に手を置いてくれた。 「お前は、必ずお母さんに会いなさい」 菊の御紋が付いた甘い菓子をもらい、友人二人とガマを飛び出した。 1メートル進むにも命がけなのに、5メートル置きに焼夷弾が光る。 上からは音楽を流して恐怖心をあおり、下から銃撃を絶やさない米軍の「馬乗り攻撃」。 日中はウージ(サトウキビ)畑に隠れ、夜間は少しずつ歩く日々ー。 ガジュマルの上から、胴体のない兵隊が「じっとこちらを見ても」、その場でパッと手を合わせて拝むくらいしかできなかった。 戦後65年になる今も、本島南部を訪れるには精神安定剤が欠かせない。(社会部・平島夏実) ◇ ここに記載されている「自爆」とは慶良間島集団自決で言うところの「自決」と同じ意味であり、登場する隊長は「残虐非道」どころか「心優しき日本兵」であり、明確に「自決をするな」と民間人の自決に反対をしている。 沖縄に駐屯したほとんどの日本兵は、最近の琉球新報が報道するような「残虐非道な日本兵」ではなく、全国から祖国防衛のため沖縄に決死の覚悟でやってきた平凡な父であり、兄でもあったのだ。 中には上記の小池隊長のように自身の父も戦死ししており、恐らくは証言者の仲里さんにお菓子を分け与えた後、自分たちは突撃攻撃で戦死したものと思われる。 このような平凡な兵隊さん達を証言を捏造してまで誹謗し続ける沖縄紙を多くの良識ある県民は決して許してはいない。 >黄リン弾がたびたび投げ込まれた。 ガマ内が濃い黄砂に覆われたようになった。 水に浸したタオルの上から、せっけんをこすりつけ必死に「解毒」。 >5メートル置きに焼夷弾が光る。 上からは音楽を流して恐怖心をあおり、下から銃撃を絶やさない米軍の「馬乗り攻撃」。 これはこれまでの証言によると人道的であったはずの米軍が軍民の区別なく無差別攻撃した事実を表している。 米軍の民間人に対する残虐行為はアメリカ人が記した戦記も含めて山ほどあるがここでは本旨ではないので省略する。 >それまで「なにくそ」の精神で耐えてきたが、初めて死にたいと思い、所属する大24師団の小池勇助隊長に手りゅう弾をねだった。 人間は窮地に至ると自ら死を選ぶ唯一の動物である。 戦時中に集団自決をした日本人は何も慶良間島の例だけに止まらず、他の地域でも数多く見られる。 一方で他人が「死ね」と命令したからといって簡単に死ねるものではない。 「軍命令による自決説」は、元隊長の名誉を毀損するに止まらず、自決してなくなられた住民の名誉も同時に毀損することに「軍命あり派」は気が付かないのだろうか。 ■「手りゅう弾軍命説」の破綻■ 「軍命あり派」は、軍の管理品である手りゅう弾で自決した住民がいた事実を根拠に、「手榴弾を住民に支給したこと自体が自決命令そのものだ」として軍命があったっと主張している。 これに対し「軍命なし派」は、「(手榴弾による自決は)軍の関与」と認めても、関与と言う日本語は曖昧な言葉であり、「善意の関与」もあれば「悪意の関与」もあるとし、手榴弾の支給は追い詰められ自決を決意した場合に備えて日本兵が「善意」で与えたものであり、「自決命令」とは根本的に違う意味であると反論している。 仲里ハルさんの証言も、日本兵の手りゅう弾という「善意の関与」どころか、仲里さんの方から手りゅう弾をねだっているではないか。 次の証言を見ても、琉球新報のいうような「残虐非道の日本兵」が沖縄住民と見ればまるで敵のように虐殺していく報道が捏造であることが良く分かる証言である。 >「学徒対の皆さんは自爆はさせない。 北極星を目安に北へ逃げなさい。 絶対に生きて帰って、後世に戦争を伝えてほしい」。 自身の父が日中戦争で既に戦死していることを知っていた隊長は、そっと頭に手を置いてくれた。 「お前は、必ずお母さんに会いなさい」 >菊の御紋が付いた甘い菓子をもらい、友人二人とガマを飛び出した このように自身は突撃死を覚悟した日本兵が食料を住民に与える情景は宮平秀幸さんが、忠魂碑前で野村村長の解散命令後、壕から壕へ逃避行した時にも見られる。 宮平さん一家も座間味島の整備壕や第二中隊壕の日本兵から「死ぬな。生きのびよ」と、励ましの言葉と共に、逃避のための食料や菓子類を貰っている。 ■「タテの構造軍命説」の破綻■ 慶良間島の集団自決論争で、元隊長の自決命令や自決を強制する言動の証言が得られない現在、「軍命あり派」は、「隊長命令の有無は問題で無い」「日本軍の構造そのものが自決を命令している」と、論点を摩り替えている。 仲里ハルさんの証言は「軍の構造が自決命令を下した」と「いう論点ズラシを真っ向から否定する証言ではないか。 結局、上記引用の沖縄タイムス記事は、結果的に被告側(軍命あり派)が重要な論拠としている「日本軍の「タテの構造による軍命論」と「手りゅう弾軍命論」を全面的に否定したことになる。 執筆者の平島夏実記者は、このようなまともな記事を書いて大丈夫であろうか。 老婆?心ながら、心配である。 まさか村八分には遇わないと思うのだが・・・。 沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所
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野原一面、治療を受けられない何千人もの民間人がうめいていた。 男、女。 大人、子ども。 次にもんぺのすそをつかまれ、足がすくんだ。 行き着いた糸洲の自然ガマでは、黄リン弾がたびたび投げ込まれた。 ガマ内が濃い黄砂に覆われたようになった。 水に浸したタオルの上から、せっけんをこすりつけ必死に「解毒」。 それまで「なにくそ」の精神で耐えてきたが、初めて死にたいと思い、所属する大24師団の小池勇助隊長に手りゅう弾をねだった。 「学徒対の皆さんは自爆はさせない。 北極星を目安に北へ逃げなさい。 絶対に生きて帰って、後世に戦争を伝えてほしい」。 自身の父が日中戦争で既に戦死していることを知っていた隊長は、そっと頭に手を置いてくれた。 「お前は、必ずお母さんに会いなさい」 菊の御紋が付いた甘い菓子をもらい、友人二人とガマを飛び出した。 1メートル進むにも命がけなのに、5メートル置きに焼夷弾が光る。 上からは音楽を流して恐怖心をあおり、下から銃撃を絶やさない米軍の「馬乗り攻撃」。 日中はウージ(サトウキビ)畑に隠れ、夜間は少しずつ歩く日々ー。 ガジュマルの上から、胴体のない兵隊が「じっとこちらを見ても」、その場でパッと手を合わせて拝むくらいしかできなかった。 戦後65年になる今も、本島南部を訪れるには精神安定剤が欠かせない。(社会部・平島夏実) ◇ ここに記載されている「自爆」とは慶良間島集団自決で言うところの「自決」と同じ意味であり、登場する隊長は「残虐非道」どころか「心優しき日本兵」であり、明確に「自決をするな」と民間人の自決に反対をしている。 沖縄に駐屯したほとんどの日本兵は、最近の琉球新報が報道するような「残虐非道な日本兵」ではなく、全国から祖国防衛のため沖縄に決死の覚悟でやってきた平凡な父であり、兄でもあったのだ。 中には上記の小池隊長のように自身の父も戦死ししており、恐らくは証言者の仲里さんにお菓子を分け与えた後、自分たちは突撃攻撃で戦死したものと思われる。 このような平凡な兵隊さん達を証言を捏造してまで誹謗し続ける沖縄紙を多くの良識ある県民は決して許してはいない。 >黄リン弾がたびたび投げ込まれた。 ガマ内が濃い黄砂に覆われたようになった。 水に浸したタオルの上から、せっけんをこすりつけ必死に「解毒」。 >5メートル置きに焼夷弾が光る。 上からは音楽を流して恐怖心をあおり、下から銃撃を絶やさない米軍の「馬乗り攻撃」。 これはこれまでの証言によると人道的であったはずの米軍が軍民の区別なく無差別攻撃した事実を表している。 米軍の民間人に対する残虐行為はアメリカ人が記した戦記も含めて山ほどあるがここでは本旨ではないので省略する。 >それまで「なにくそ」の精神で耐えてきたが、初めて死にたいと思い、所属する大24師団の小池勇助隊長に手りゅう弾をねだった。 人間は窮地に至ると自ら死を選ぶ唯一の動物である。 戦時中に集団自決をした日本人は何も慶良間島の例だけに止まらず、他の地域でも数多く見られる。 一方で他人が「死ね」と命令したからといって簡単に死ねるものではない。 「軍命令による自決説」は、元隊長の名誉を毀損するに止まらず、自決してなくなられた住民の名誉も同時に毀損することに「軍命あり派」は気が付かないのだろうか。 ■「手りゅう弾軍命説」の破綻■ 「軍命あり派」は、軍の管理品である手りゅう弾で自決した住民がいた事実を根拠に、「手榴弾を住民に支給したこと自体が自決命令そのものだ」として軍命があったっと主張している。 これに対し「軍命なし派」は、「(手榴弾による自決は)軍の関与」と認めても、関与と言う日本語は曖昧な言葉であり、「善意の関与」もあれば「悪意の関与」もあるとし、手榴弾の支給は追い詰められ自決を決意した場合に備えて日本兵が「善意」で与えたものであり、「自決命令」とは根本的に違う意味であると反論している。 仲里ハルさんの証言も、日本兵の手りゅう弾という「善意の関与」どころか、仲里さんの方から手りゅう弾をねだっているではないか。 次の証言を見ても、琉球新報のいうような「残虐非道の日本兵」が沖縄住民と見ればまるで敵のように虐殺していく報道が捏造であることが良く分かる証言である。 >「学徒対の皆さんは自爆はさせない。 北極星を目安に北へ逃げなさい。 絶対に生きて帰って、後世に戦争を伝えてほしい」。 自身の父が日中戦争で既に戦死していることを知っていた隊長は、そっと頭に手を置いてくれた。 「お前は、必ずお母さんに会いなさい」 >菊の御紋が付いた甘い菓子をもらい、友人二人とガマを飛び出した このように自身は突撃死を覚悟した日本兵が食料を住民に与える情景は宮平秀幸さんが、忠魂碑前で野村村長の解散命令後、壕から壕へ逃避行した時にも見られる。 宮平さん一家も座間味島の整備壕や第二中隊壕の日本兵から「死ぬな。生きのびよ」と、励ましの言葉と共に、逃避のための食料や菓子類を貰っている。 ■「タテの構造軍命説」の破綻■ 慶良間島の集団自決論争で、元隊長の自決命令や自決を強制する言動の証言が得られない現在、「軍命あり派」は、「隊長命令の有無は問題で無い」「日本軍の構造そのものが自決を命令している」と、論点を摩り替えている。 仲里ハルさんの証言は「軍の構造が自決命令を下した」と「いう論点ズラシを真っ向から否定する証言ではないか。 結局、上記引用の沖縄タイムス記事は、結果的に被告側(軍命あり派)が重要な論拠としている「日本軍の「タテの構造による軍命論」と「手りゅう弾軍命論」を全面的に否定したことになる。 執筆者の平島夏実記者は、このようなまともな記事を書いて大丈夫であろうか。 老婆?心ながら、心配である。 まさか村八分には遇わないと思うのだが・・・。 沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
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