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「沖縄集団自決訴訟」は被告側勝訴で終結した。 これにより、一般には集団自決の長い論戦に幕が下りたように見える。
だが、最高裁判断は、実は集団自決論争の新たな幕開きを勧めた。
最高裁の判断は裁判の核心である集団自決における軍命の有無については、証明することが出来ず今後の議論に委ねるとしたのだ。
そして議論の第二幕が切って落とされた。
「パンドラの箱」掲載訴訟の提訴という形で。
以下はメルマガ「本土に伝わらない沖縄の真実− 2011.7.19 」の引用です。(太字強調は引用者)
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■沖縄コラム
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◎ 集団自決訴訟第2幕
「パンドラの箱」掲載拒否訴訟の第2回口頭弁論が7月5日、那覇地裁で開か
れた。この裁判は、ドキュメンタリー作家の上原正稔氏が平成19年5月、琉球
新報紙上で執筆していた連載「パンドラの箱を開ける時」が無断で掲載を打ち切
られたことを理由に同紙に損害賠償を求めているものだ。
口頭弁論で被告側は、「沖縄タイムス紙上の連載『沖縄ショウダウン』と内容
が重複している。過去の内容をそのまま引用するのは合意に反しており、掲載拒
否は正当だ」と主張した。
これについて原告側の徳永信一弁護士は、「これまで既出の内容が何度も出て
きているにもかかわらず、慶良間諸島における集団自決の真相に差し掛かったタ
イミングで打ち切りにしたのは、明らかに意図がある」と支援者集会で述べた。
既出の文献を別の場所で使うことはドキュメンタリー作家であれば普通にするこ
とである。
沖縄戦で起きた集団自決の「軍命令」に伴う名誉毀損に関する沖縄集団自決冤
罪訴訟(大江・岩波裁判)で、最高裁は今年4月、集団自決の「軍命令」につい
て「真実性の証明があるとはいえない」としながらも、旧日本軍の元隊長らの上
告を棄却した。これに関し、原告の上原氏は、「『パンドラの箱』訴訟は集団自
決訴訟の続きである。これを通して(慶良間諸島で守備隊長を務めた)梅澤裕さ
んと故赤松嘉次さんの汚名を完全に晴らしたい」と誓った。
当時、琉球新報の読者だったという宜野湾市在住の男性は、「読者に何の断り
もなく連載を中止し、4カ月後に突然再開したときにも何の知らせもなかった。
読者を無視し、馬鹿にしている」と憤った。次回の口頭弁論は9月13日に行わ
れる。
(T)
☆
「沖縄集団自決冤罪訴訟」で、最高裁は問題の核心である「軍命の有無」については今後の議論に委ねるとした。
だが被告の大江・岩波側は、それをあえて無視した。 そして、あたか被告の勝訴が軍命があった証でもあるかのように、教科書記述の変更を要求し始めた。
彼らの究極の目的が、教科書を書き換えて「残虐非道な日本軍」のイメージを国民に植え付けることにあるからである。
すすめる会が公正な教科書採択要求 「沖縄戦の歴史わい曲を許さず、沖縄から平和教育をすすめる会」の高嶋伸欣共同代表や山本隆司沖教祖委員長らが20日、県庁で会見し、現場教員の意見や調査研究を尊重した公正な教科書採択を求める緊急アピールを発表した。≪ 続きを読む (2011年07月21日) 文科省、意見撤回せず 教科書検定 【東京】高木義明文部科学相は26日の閣議後会見で、沖縄戦での「集団自決(強制集団死)」をめぐる大江・岩波訴訟で軍の関与を認めた判決確定を受け、教科書検定について「(検定は)教科用図書検定調査審議会(検定審)で専門的、学術的に審議されている。これからもそうだ」と述べ、高校歴史教科書検定で「集団自決」の記述から日本軍の強制を削除する根拠となった検定意見を撤回する考えがないことを表明した。≫ 続きを読む(2011年04月27日》 ☆ 早速市民団体が、教科書に軍命の復活を要望していたが、文科省はこれを拒否した。法治国家としては当然のことである。なぜなら最高裁でさえ軍命の有無については今後の議論に委ねるとしており、被告側勝訴が即「軍命あり」と結論付けるのは被告側の勝手な思い込みに過ぎないからである。 民事訴訟に歴史の解明を求めるのは馴染まないというので、原告の請求は「パンドラの箱」掲載拒否に対する損害賠償請求となっているが、訴訟の争点が「集団自決における軍命の有無」にあることは言うまでもない。
軍の強制を盛り込んだ「沖縄ノート」を出版し、「沖縄集団自決冤罪訴訟」の訴訟の被告でもあった大江健三郎氏は、判決確定後、「もう係争中ではない」として教科書での強制記述の復活を主張した。
そして雑誌「世界」7月号に、「沖縄ノート」に関する弁解タラタラの論文を寄稿した。現地取材を一度も実施せずウソまみれの「鉄の暴風」を鵜呑みにして作家の空想で書き上げた「沖縄ノート」の間違いは最高裁判所も認めるところだが、その内容を著者自ら解説せねば誤読されるということ自体が「沖縄ノート」の内容が「空疎な言葉の遊び」(星雅彦さん)と言われる所以である。
「うらそえ文藝」編集長の星雅彦さんが世界日報(7月26日)に寄稿した「大江批判」を一部抜粋して引用する。
大江健三郎の「沖縄」論考 沖縄県文化協会会長 星雅彦
空疎な言葉の遊戯
集団自決の史料価値の行方
1 問題の提起 〈省略〉
2 基本的行為の欠如 〈省略〉
3 見え隠れする牽強付会
大江健三郎は月刊誌「世界」7月号に「沖縄戦を終えて 近い将来の『証言』を求める」と題する論文を寄稿した。沖縄戦の「証言」をこれから募集すれば、もしかすると本物の体調命令の証拠が出てくるかもしれないという願望の証なのかであろう。しかし彼の論考は、軍命を謳歌するどころか自著の『沖縄ノート』の中で主張した自説に固執して、『沖縄ノート』という題名を20回近くも使用して論じられている。大江は文章を納得のいくまでこね回し、元隊長を「慶良間の集団死の責任者」などと述べて、既成事実のごとく仕立てて理路整然とした風情だ。 大江の論調には、難題を無理やりに筆力で押さえ付けるきらいがある。例えば『沖縄ノート』では、元隊長に対して悪人という言葉は使ってないと彼は主張しているが、「ペテン」「巨きな罪の巨塊」「戦争犯罪者」「屠殺者」「アイヒマン」等など、それら「極悪人」に等しい表現が他に遜色もなく散りばめられている。〈省略〉
最後にもう一つ触れておきたいことがある。 大江は、「罪の巨塊」を積み重ねる死体だと考えているようだが、それを守備隊長だと思い込むと誤読になると指摘している。
「罪の巨塊は、現場でかれが実際に目にすることがなかったはずはない。軍の陣地の傍の窪みに転がっていた『巨きい数の死体です。罪の巨塊の前に立つかれが、どのようにして罪の巨塊でもまたありうるでしょうか?」
右は、大江の文章の抜粋だが、「罪の巨塊」を隊長に見立ててみると、少し無理な感じがしないでもないが、意味不明ではない。
一方、死体の群れを「罪の巨塊」だと決め付けると、いかにもわざとらしくこじ付けを感じさせる。 一体ここでの「罪」は特別のものになるのだろうか?
筆者が現場を実地検証した経験を実地検証した経験から言わせて貰えば、大江の論考には空想的な言葉の遊戯が感じられ、まるで読者に失望させるに充分なボキャブラリーが見え隠れしているように思われるのである。(敬称略〉
☆
「ウソの暴風」と揶揄されるほどのでたらめな「鉄の暴風」は、主として作家を夢見た新米記者によって記述された。
米軍民政府に勤務していた大田良博氏が、沖縄タイムスに引き抜かれ、戦前からのベテラン記者を差し置いて『鉄の暴風』の執筆を任されたのには訳があった。 戦前から文学青年として沖縄の新聞に寄稿していた太田氏は、現地取材を一度もすることなく、噂の類の伝聞情報のみでドキュメンタリータッチの沖縄戦記を書いた。 米軍の宣伝物としての役目をになっていた「鉄の暴風」の執筆には、作家的空想力を持った大田氏の方がベテラン記者より適任と判断されたからだろう。
大田氏は、回顧録の中で、あの当時短期間で沖縄戦記を書き上げるには、噂話を書く以外に手立てはなかったと述べている。(『「沖縄集団自決」の真相と謎』編著者:秦郁彦 PHP研究所)
もう1人、現地を一度も取材することなく作家の空想力を駆使して沖縄戦記紛いの『沖縄ノート』を書き上げたのが大江健三郎氏である。
戦後早い時期から現場を何度も取材した星氏によると、大江氏が記述する「罪の巨塊は、現場でかれが実際に目にすることがなかったはずはない。軍の陣地の傍の窪みに転がっていた『巨きい数の死体です』」は、物理的にありえない記述だという。
赤松隊長がいた軍の本部濠から集団自決の死体(罪の巨塊)が転がる自決現場まではかなりの距離があり、赤松隊長が目撃することは困難だというのだ。
ちなみに赤松隊長も、後の証言で「集団自決は知らなかった。後で知った」と述べている。 また金城重明氏の有名な法廷証言でも、赤松隊長が「軍の陣地の傍の窪みに転がっている『巨きい数の死体』」を目にしたと推測することさえ不可能である。
星氏がいみじくも指摘するように、大江健三郎氏は作家としての空想力を働かせ、空疎な言葉の遊戯で「既成事実のごとく仕立てて理路整然とした風情」に読者を印象操作している。
ウソまみれの「鉄の暴風」をネタ本にしているだけに、「沖縄ノート」は、「大江の妄想独白録」と題した方がその内容にもっとも相応しい。
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7・31坂東忠信沖縄講演会のお知らせ
沖縄で元通訳捜査官・坂東忠信先生の講演会が実現!
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「元通訳捜査官が明かす、中国人犯罪の実態」
講 師:坂東忠信(元通訳捜査官)
開催日時:平成23年7月31日 開場13:30 開演:14:00
開催場所:沖縄県護国神社 社務所 会議室
(住所:那覇市奥武山44、駐車場あり)
参加費:1000円
主催:坂東忠信講演会実行委員会 代表 仲村俊子
後援:日本会議宜野湾市部、日本会議うるま支部準備室
連絡:090-1942-1675(仲村)
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