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陸軍第1号の特攻隊長期成会が準備進める
陸軍特攻隊の第一号隊長として旧日本軍白保飛行場を出撃し、戦死した石垣市出身の陸軍大尉・伊舎堂用久(ようきゅう)氏の顕彰碑を建立しようと、「伊舎堂用久中佐顕彰碑建立期成会」(三木巌会長)が準備を進めている。関係者と遺族が24日、旧白保飛行場近くで慰霊祭を行ったあと、顕彰碑の内容について話し合った。伊舎堂氏のおいに当たる伊舎堂用八氏(73)=石垣市登野城=は「歴史的事実を伝えることができれば」と話している。
伊舎堂大尉は1945(昭和20)年3月26日午前4時、誠第17代飛行隊の隊長として隊員3人と特攻機で白保飛行場を出発。同日午前5時50分、慶良間郡西海上の米航空母艦に体当たり攻撃し、戦死した。24歳だった。出発前、「指折りつ待ちに待ちたる機ぞきたる 千尋の海に散るぞたのしき」と辞世の句を残している。戦死後に2階級特進して陸軍中佐となった。白保飛行場からは計31人が突撃死している。
慰霊碑建立に対しては、「建て直そう日本」女性塾の伊藤玲子幹事長が「尊い犠牲の上に今の日本があることを忘れてはならない」として支援している。
用八氏は「石垣島から31人が白保飛行場から飛び立ち、郷土や国家のため最初の陸軍特攻隊として戦死した。この事実を伝える慰霊碑ができればいいと思う」と感謝、「31人の名前を刻銘してほしい」と希望する。
☆
慶良間島の集団自決が起きた昭和20年3月26日の未明、鹿児島を飛び立った多くの特攻隊兵士が、島を取り巻く米軍艦隊に突撃し散華して果てた。
北から南下した海軍特攻隊のことを知る人は多いが、沖縄南の石垣島白保飛行場を飛び立ち慶良間沖の米軍艦船に突撃攻撃をし散華した陸軍特攻隊のことを知る人は少ない。
しかも数少ない陸軍飛行隊第一号が志垣氏出身の陸軍中尉であることを知る県民が果たして何人いるか。
沖縄戦で祖国防衛のため戦死した日本兵に対して沖縄県民の見る目は冷たい。
祖国復帰後、沖縄メディアのキャンペーンにより「残虐非道な日本兵」という歪曲報道により洗脳される県民が多かったも事実である。
その象徴的例が『鉄の暴風』に出てくる、住民に自決を強要する悪逆非道な日本兵であり、「沖縄県平和祈念資料館」の展示で、壕の中で子供を抱く母親に銃剣を突きつける、悪鬼の形相をした日本兵の人形である。
伊舎堂大尉の顕彰碑の建立については「沖縄平和祈念資料館」の歪曲・捏造体質を白日の下に晒した『沖縄平和祈念資料館の真相』の著者である伊藤玲子氏が、支援しているという。
沖縄県民に忘れられている伊舎堂大尉については、過去のエントリーがあるのでご一読ください。 ⇒伊舎堂大尉が見た沖縄の空と海
■惠 忠久先生の告別式のご案内■
6月18日 86歳で逝去されました。
先生は、戦後の沖縄の保守運動を牽引されて来られました。
最後の集会は、5月3日の憲法記念日の特別集会でした。
次のように告別式を行うこととなりましたので、ご案内申し上げます。
日時:6月28日(火)
午後5時〜6時
斎場:大典寺 (那覇商業高校隣り、福州園近く)
住 所:〒900−0032 沖縄県那覇市松山1−9−1
電 話 098−868−3491
葬儀委員長 當山正範 携帯 070-5536-3868
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