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先月(5月)、「宮平証言」が正しかったという決定的新証言で注目を浴びた大城澄江さん(90歳)は、これまでも何度も沖縄紙の取材を受けていた。
だが、「隊長命令があった」とは一言も証言していないにも関わらず、いかにも「命令があった」と証言したかのような印象操作に利用されている。
同じく金城武徳さんも「軍命があった」とは証言していないが、記事では印象操作されている。
沖縄戦の証言者が、沖縄紙のそぐそぐわない証言をしても記事として取り上げてくれることはなく、それどころか場合によっては嘘つきとしてバッシングを受けることさえあると聞く。
沖縄戦の真実を語り続けたため沖縄紙に煙たがれ、座間味村史にさえその証言は採録されず、村八分状況にされ「嘘つき男」の扱いをされた宮平秀幸さんの証言を、大城澄江さんが真実だと裏付け証言しても何のメリットもない。
それどころか大城澄江さんが、村八分をされる危険を冒してまで、真実を語ってくれたのは村の戦史が一部の団体や沖縄紙の歪曲記事に我慢でできなかったからではないのか。
良識ある」県人なら、例え90歳のご高齢でも20歳の青年でも、沖縄紙や左翼学者の歴史捏造に我慢できない思いは皆同じである。
◇
【集団自決】 「島民は死ぬ手段を求め島を彷徨った!」
新聞社が意識的にウソの記事を流し、
後に記事がウソと判明してもウソは独り歩きをやめることは無い。
そして遂にはそのウソが“真実”の様相を帯びてくる。
有名な例は、朝日新聞が捏造した「従軍慰安婦」。
昨日のエントリーで述べた沖縄タイムスの「大きな捏造記事」と「小さな訂正記事」の関係はまさに沖縄タイムスが先輩朝日新聞の手法をそのまま真似た形になった。
沖縄タイムスは7月7日の次のような大見出しの記事が誤報だったとして訂正記事を出した。
隊長「死になさい」
<軍命ない限り悲劇おこらぬ>
座間味体験者、切々
このショッキングな見出しと記事が誤報だというから驚きだが、
なるべく目に触れないような「小さな訂正記事」を載せても、その訂正の効果が無いのは沖縄タイムス自身が一番承知している。
沖縄タイムスの「想定通り」捏造記事は既に全国の地方紙に飛び火しており、もはや誰もこれを止めること出来ない。
例えば中国新聞の7月10日の記事の
<一九四五年三月の米軍上陸後、家族と一緒に島内をさまよい歩いたという上洲幸子さん(84)。ため池にたどり着くと、水を求めて日本兵約十人も集まっていた。その中に座間味島の梅沢裕守備隊長もいて「敵が上陸して入り込んでいるから、見つかったら舌をかみ切ってでも死になさい」と話したという。>
と言うくだりは、もう誰も訂正することは出来ない。
覆水盆にかえらずの例えどおりだ。
その意味では沖縄タイムスの確信的犯行は見事に成功したことになる。
このようにして梅沢隊長個人の名誉と人権は名指しで侵害されていく。
証言始めた集団自決体験者 沖縄議会、11日再び意見書 '07/7/10
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200707100323.html
太平洋戦争末期の沖縄戦で起きた「集団自決」の生存者らが、これまで固く閉ざしていた口を開き、当時の体験を証言し始めている。日本軍関与を否定した文部科学省の教科書検定に反発を強めたためだ。沖縄県議会は十一日、検定意見撤回を国に要求する二度目の意見書を可決する。 「絶対許せません。教科書に(軍の自決強制の記述が)なければ、戦争がなかったと同じことになる」「思い出すのも嫌だけれど、話さずにはいられなくなった」―。 七月六日、慶良間諸島の座間味島を聞き取り調査に訪れた沖縄県議会の文教厚生委員らの前で、集団自決の体験者六人が語り始めた。封じ込めてきた記憶がせきを切ったように流れ出す。 一九四五年三月の米軍上陸後、家族と一緒に島内をさまよい歩いたという上洲幸子さん(84)。ため池にたどり着くと、水を求めて日本兵約十人も集まっていた。その中に座間味島の梅沢裕守備隊長もいて「敵が上陸して入り込んでいるから、見つかったら舌をかみ切ってでも死になさい」と話したという。 大城澄江さん(87)は友人四人と米軍の艦砲射撃から逃げ回っていた時、遭遇した日本兵から手りゅう弾を渡された。逃げ場を失い自決しようとしたが、手りゅう弾は爆発せず、最後は石でたたいてぺちゃんこにしてしまった。 文教厚生委員らはこの日、同諸島の渡嘉敷島でも、手りゅう弾の不発で辛うじて生き残った体験者二人から話を聞いた。 「軍に殺してもらおうとしたら、隊長から『生きられるだけ生きるのが住民だ』と言われた。軍命はなかったと思うが、当時は自決するように教育されていた」と、金城武徳さん(76)。 吉川嘉勝さん(68)は手りゅう弾で自決を試みる家族の中にいた。当時まだ幼く、記憶は断片的だが「一つ一つの歴史的事実の点を線で結び、面を構築する必要がある。集団自決は、軍の命令があったかどうかだけの単純な出来事ではない。命令とは何だったか、もっと深く追究する必要がある。軍による指示、誘導、命令がなければ集団自決は絶対に起きなかった」と語った。(中国新聞)
◇ ■他にも数ある印象操作記事■ 問題の捏造記事の上洲さんの証言以外でも、沖縄タイムスは「軍命令があった」とは明確に証言していない大城澄江さん(87歳)の証言を巧妙に「軍命令があった」と印象操作している。
≪当時25歳だった大城澄江さん(87)は座間味島への米軍の艦砲射撃が始まり、友人4人と避難中、壕内で「忠孝碑の前に集まれ」との声を聞いた。一度は忠孝碑の前に行ったが、その後、逃げ回っている途中で日本軍に遭遇、手りゅう弾を渡された。逃げ場を失い、自決しようとしたが爆発せず、生き延びた。≫(沖縄タイムス 7月7日) >米軍の艦砲射撃が始まり、友人4人と避難中、 >その後、逃げ回っている途中で日本軍に遭遇、手りゅう弾を渡された。 小さな島を取り巻いた敵艦の艦砲射撃を受けて村民はパニックに陥っていたのではないか。 その結果逃げ回っている最中に日本兵に遭遇し、手りゅう弾を渡されたのは、その日本兵の思いやりではなかったのか。 「鬼畜米英」は女子供を強姦し八つ裂きにして殺されると信じていた島民にとって、敵に捕らわれるより自ら命を絶った方がましだと考えても不思議ではない。 でも、自ら命を絶つ手段が無い。 遺された最後の手段は「舌を噛み切る」以外には無かったのだ。 パニック状態で逃亡中に遭遇した日本兵から貰った手りゅう弾に地獄に仏と考えるのがそのときの状況だろう。 このパニックの状況から、「軍の命令で自決した」と言う規律服従の状況はどうしても想像できない。 パニックで規律は既に崩壊していたのだ。 ■数多く証言はあっても「軍命令があった」という証言はない■ 沖縄タイムスは「続々出てくる証言」と、大見出しで煽るが、悲惨な体験の証言はあっても「軍命令があった」と言う証言はない。 少なくとも文教厚生委県議団の聞き取り調査を、上洲さんと同時に受けた大城澄江さん(87)(上記記事)は「軍命令があった」とは証言していない。 ■島民は死ぬ手段を捜し求めて島を彷徨った■ 「鬼畜米英」は女子供を強姦し八つ裂きにして殺されると信じていた。 圧倒的戦力の米艦船に小さな島を取り囲まれ、艦砲射撃を受けて村民はパニックに陥っていたのではないか。 その結果逃げ回っている最中に日本兵に遭遇し、手りゅう弾を渡されたのは、その日本兵の思いやりではなかったのか。 沖縄タイムスが捏造した上洲さんの記事でも、自分で命を絶つ手段が無く、切羽詰って殺ソ剤(ネズミ殺し剤)で死のうと思ったと証言している。。 このような状況で逃亡中、手りゅう弾をもらったら少なくとも「軍命令」というより「渡りに舟」の心境ではなかったのか。 《上洲幸子さん(84)は母ら4人と壕に避難。母は殺ソ剤での自死を主張したが、上洲さんが「逃げられるうちは逃げよう」と訴え、島内を歩き回った。ため池近くに村民や日本兵がおり、梅沢裕部隊長の姿もあった。梅沢部隊長は村民を集め「米軍は上陸して、どこにでも入り込んでくるから、もし敵に見つかったら舌をかみ切って死になさい」と話したという。》(沖縄タイムス 7月7日) (注):沖縄タイムスは、後段の「梅沢部隊長・・・」以下のくだりは誤報として訂正記事を出している。 よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします ブログセンターランキングへクリックで応援願います。
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200707100323.html
太平洋戦争末期の沖縄戦で起きた「集団自決」の生存者らが、これまで固く閉ざしていた口を開き、当時の体験を証言し始めている。日本軍関与を否定した文部科学省の教科書検定に反発を強めたためだ。沖縄県議会は十一日、検定意見撤回を国に要求する二度目の意見書を可決する。 「絶対許せません。教科書に(軍の自決強制の記述が)なければ、戦争がなかったと同じことになる」「思い出すのも嫌だけれど、話さずにはいられなくなった」―。 七月六日、慶良間諸島の座間味島を聞き取り調査に訪れた沖縄県議会の文教厚生委員らの前で、集団自決の体験者六人が語り始めた。封じ込めてきた記憶がせきを切ったように流れ出す。 一九四五年三月の米軍上陸後、家族と一緒に島内をさまよい歩いたという上洲幸子さん(84)。ため池にたどり着くと、水を求めて日本兵約十人も集まっていた。その中に座間味島の梅沢裕守備隊長もいて「敵が上陸して入り込んでいるから、見つかったら舌をかみ切ってでも死になさい」と話したという。 大城澄江さん(87)は友人四人と米軍の艦砲射撃から逃げ回っていた時、遭遇した日本兵から手りゅう弾を渡された。逃げ場を失い自決しようとしたが、手りゅう弾は爆発せず、最後は石でたたいてぺちゃんこにしてしまった。 文教厚生委員らはこの日、同諸島の渡嘉敷島でも、手りゅう弾の不発で辛うじて生き残った体験者二人から話を聞いた。 「軍に殺してもらおうとしたら、隊長から『生きられるだけ生きるのが住民だ』と言われた。軍命はなかったと思うが、当時は自決するように教育されていた」と、金城武徳さん(76)。 吉川嘉勝さん(68)は手りゅう弾で自決を試みる家族の中にいた。当時まだ幼く、記憶は断片的だが「一つ一つの歴史的事実の点を線で結び、面を構築する必要がある。集団自決は、軍の命令があったかどうかだけの単純な出来事ではない。命令とは何だったか、もっと深く追究する必要がある。軍による指示、誘導、命令がなければ集団自決は絶対に起きなかった」と語った。(中国新聞)
◇ ■他にも数ある印象操作記事■ 問題の捏造記事の上洲さんの証言以外でも、沖縄タイムスは「軍命令があった」とは明確に証言していない大城澄江さん(87歳)の証言を巧妙に「軍命令があった」と印象操作している。
≪当時25歳だった大城澄江さん(87)は座間味島への米軍の艦砲射撃が始まり、友人4人と避難中、壕内で「忠孝碑の前に集まれ」との声を聞いた。一度は忠孝碑の前に行ったが、その後、逃げ回っている途中で日本軍に遭遇、手りゅう弾を渡された。逃げ場を失い、自決しようとしたが爆発せず、生き延びた。≫(沖縄タイムス 7月7日) >米軍の艦砲射撃が始まり、友人4人と避難中、 >その後、逃げ回っている途中で日本軍に遭遇、手りゅう弾を渡された。 小さな島を取り巻いた敵艦の艦砲射撃を受けて村民はパニックに陥っていたのではないか。 その結果逃げ回っている最中に日本兵に遭遇し、手りゅう弾を渡されたのは、その日本兵の思いやりではなかったのか。 「鬼畜米英」は女子供を強姦し八つ裂きにして殺されると信じていた島民にとって、敵に捕らわれるより自ら命を絶った方がましだと考えても不思議ではない。 でも、自ら命を絶つ手段が無い。 遺された最後の手段は「舌を噛み切る」以外には無かったのだ。 パニック状態で逃亡中に遭遇した日本兵から貰った手りゅう弾に地獄に仏と考えるのがそのときの状況だろう。 このパニックの状況から、「軍の命令で自決した」と言う規律服従の状況はどうしても想像できない。 パニックで規律は既に崩壊していたのだ。 ■数多く証言はあっても「軍命令があった」という証言はない■ 沖縄タイムスは「続々出てくる証言」と、大見出しで煽るが、悲惨な体験の証言はあっても「軍命令があった」と言う証言はない。 少なくとも文教厚生委県議団の聞き取り調査を、上洲さんと同時に受けた大城澄江さん(87)(上記記事)は「軍命令があった」とは証言していない。 ■島民は死ぬ手段を捜し求めて島を彷徨った■ 「鬼畜米英」は女子供を強姦し八つ裂きにして殺されると信じていた。 圧倒的戦力の米艦船に小さな島を取り囲まれ、艦砲射撃を受けて村民はパニックに陥っていたのではないか。 その結果逃げ回っている最中に日本兵に遭遇し、手りゅう弾を渡されたのは、その日本兵の思いやりではなかったのか。 沖縄タイムスが捏造した上洲さんの記事でも、自分で命を絶つ手段が無く、切羽詰って殺ソ剤(ネズミ殺し剤)で死のうと思ったと証言している。。 このような状況で逃亡中、手りゅう弾をもらったら少なくとも「軍命令」というより「渡りに舟」の心境ではなかったのか。 《上洲幸子さん(84)は母ら4人と壕に避難。母は殺ソ剤での自死を主張したが、上洲さんが「逃げられるうちは逃げよう」と訴え、島内を歩き回った。ため池近くに村民や日本兵がおり、梅沢裕部隊長の姿もあった。梅沢部隊長は村民を集め「米軍は上陸して、どこにでも入り込んでくるから、もし敵に見つかったら舌をかみ切って死になさい」と話したという。》(沖縄タイムス 7月7日) (注):沖縄タイムスは、後段の「梅沢部隊長・・・」以下のくだりは誤報として訂正記事を出している。 よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします ブログセンターランキングへクリックで応援願います。