よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします
★「パンドラの箱訴訟」の支援カンパ依頼
ゆうちょ銀行 総合口座(普通)
記号 17010 番号 10347971
三善会(サンゼンカイ)
沖縄県宜野湾市真栄原1−11−1−702
2011年5月24日
「人を狂気に陥れる戦争を二度と起こしてはいけない」。座間味村民の戦争体験を23年間発行してきた宮城恒彦さん=10日、豊見城市渡嘉敷の自宅
【豊見城】沖縄戦中の1945年3月26日、座間味村で起きた「集団自決」(強制集団死)の生き残り、宮城恒彦さん(77)=同村出身、豊見城市渡嘉敷在住=が23年間続けてきた沖縄戦体験記発行に一区切りつけた。同村住民の戦争体験を収集し、最終号の第23号を3月に発行。宮城さんは「集団自決」で姉の宮平ハルさん(当時19歳)を失った。「最も悲惨な目に遭うのは住民だ。人を狂気に陥れる戦争を二度と起こしてはいけない」との思いに突き動かされ、33人の証言を刻んできた。
最終号には、軍命による「集団自決」を明確に示す宮平春子さん(84)の証言を収録した。当時座間味村の助役だった兄、故・宮里盛秀さんが「軍の命令で、潔く玉砕しなさいと言われているから」と言った言葉が記されている。
宮城さんの姉ハルさんの最期を見た故・宮里美恵子さん(享年85歳)の証言も記録できたことから「一段落ついた」と体験記に終止符を打った。
宮城さんは戦後、ハルさんを失ったことを悔やみ、自分を責め続けた母親・ウタさん(享年91歳)を前に、体験を語れなかったが、ウタさんの他界後、初めて語った。座間味村史にある想像を絶する体験の多さに衝撃を受けた。中学校で国語教師をしていたため休みを利用し、戦争体験者を訪ね聞き取りを重ねた。
89年に1号を発行した。多くの住民が語りたがらず、古傷に触れるようでつらかった。「方言で質問すると返してくれた。体験者でないと分からない複雑な思い、惨めさがある」。険しい表情で振り返る。
体験記は毎回、1500冊発行し座間味村内の小中学校や過去の赴任校などに置いている。「文字も大きく、行間を広げ読みやすく工夫した。平和教育にぜひ活用してほしい」。体験記が“語り部”として受け継がれるよう強く願っている。
☆
座間味島の集団自決は軍人より軍人らしい言動で、住民から畏怖されていた宮里盛秀助役だと言われているが、これを覆す重要証人が盛秀氏の実の妹の宮平春子氏というのも不可解である。
肉親の証言は信憑性に欠けるという常識が、ここでは通用しないのである。
ここに登場する宮城恒彦氏は、最高裁判断が出た翌日4月23日の沖縄タイムスで「これ(関与)は『命令』そものだった」というデタラメなコメントを吐いた元教員である。
勿論宮城氏の発言はもちろん間違いであり、最高裁が「関与=命令」と確定したけではない。
宮城氏は軍人より軍人らしい「参謀長」と呼ばれた教頭が登場する『潮だまりの魚』の著者でもあるが、氏の発言ががいかにデタラメであるかは以下に引用のの沖縄タイムス記事を読めば明白である。
沖縄タイムス 2008年1月31日(木)
悲劇の島から史実訴え/座間味村が証言集
座間味村教育委員会が沖縄戦で「集団自決(強制集団死)」を体験した住民らの証言などをまとめた「戦世を語りつぐ 座間味村平和学習ガイドブック」を発刊した。制作を委託された編集委員会が三十日、同村教委に引き渡した。沖縄戦の「集団自決」に対する日本軍の強制を示す記述を文部科学省が削除させた教科書検定問題が起きる中、「座間味での沖縄戦の真実を伝え続けよう」と編集作業は進められた。
編集委員会は二〇〇六年十二月に発足し、同村で「集団自決」を体験した宮城恒彦さん(74)が委員長を務めた。沖縄戦を体験していない世代の編集委員が、体験者数十人から聞き取りをした。
改ざんNO
同ガイドブックでは、座間味島の「集団自決」を「三月二十六日、米兵は大挙して住民のいる壕の近くまでやってきました。それを知った住民はパニック状態におちいり、(中略)死の道へと急いだのです」と書く。宮城さんは「抑えた表現にしたが、住民を『パニック』に追い込んだのは、日本軍の強制だったことは明白だ」と説明する。
「『敵の手にとられないように玉砕するよう、軍より命令があった』と当時、村助役だった兄が父に話すのを聞いた」との宮平春子さんの証言を収録し、編集後記には「文部科学省による『高校の歴史教科書改ざん』に対する答えは、多くの証言者の声やこの冊子に記載された内容が証明しています」と記した。
改訂も検討
編集委員の一人、宮里芳和さん(59)は「『軍から玉砕命令があった』との証言は複数あり、日本兵側からも軍命を示す証拠や証言が新たに得られ始めた」といい、同ガイドブックの改訂時に盛り込みたい考えだ。
二千部を発刊した。修学旅行生の平和学習などに活用し、希望者には販売する予定。問い合わせは同村教委、電話098(987)2153へ。
宮城恒彦氏 ◇
>「三月二十六日、米兵は大挙して住民のいる壕の近くまでやってきました。それを知った住民はパニック状態におちいり、(中略)死の道へと急いだのです・・・抑えた表現にしたが、住民を『パニック』に追い込んだのは、日本軍の強制だったことは明白だ」
米軍が大挙して壕の近くまでやって来て中の住民がパニックに陥ったのなら、原因は米軍であることは小学生でもわかることだ。
このお方本当に国語の先生だったのだろうか。
それを「住民を『パニック』に追い込んだのは日本軍の強制だ」とは、まるでヤクザの言掛かりではないのか。
最高裁判断でさえも、「関与=軍命」と自分の都合の良いようにに決め付ける人物なのである。
このような理の通らぬ話がいかにも「正論」であるかのように、もっともらしく掲載される・・・これが沖縄タイムスの正体である。
■似たもの同士の宮城恒彦と宮城晴美■
>改訂も検討
宮城恒彦氏は、当初は自著で「軍命や強制はない」という内容で出版しておきながら、後で「言葉としての命令だけでなく、強要や誘導、目に見えない命令があった」といった苦し紛れの弁明で証言を変更した。
あげくの果てに「改定も検討」とは『母の遺したもの』が「軍命なし派」の証拠として係争中の裁判の原告側証拠となると、改訂版を出版をした宮城晴美氏のケースと全く同じパターンである。
おっと、もう1人『沖縄戦と民衆』を反対派の証拠に使われた林博史関東学院大学教授の例も、自著の内容と発言が違うという点では似たようなものだ。
◆宮城恒彦氏:
「米兵が大挙壕の近くに来て住民はパニックになり死の道を急いだが、住民のパニックも軍の強制である」
◆宮城晴美氏:
「母が言及している時間帯における梅澤隊長の命令が無かったとしても、以外の時間で梅澤さんの命令があったかも知れず、梅澤さんの責任はあると思うし、そもそも軍としての命令はあったと思う」(平成19年7月27日大阪地裁証人尋問)
◇
【おまけ】
読者の安仁屋正昭さんが宮城氏の人物像についてコメントされています
5月13日
私の手元に平成9年5月発行の「しおだまりの魚たち」という小冊子があります。
この著者は本日記の「軍の関与=軍の強制=軍の命令」という明らかな間違いを読者に信じ込ませようとしている宮城恒彦氏です。
彼の経歴には、校長・島尻教育事務所所長が記されており、それなりの見識と社会に対する責任がある人物であることがわかります。
この冊子には、座間味の集団自決に遭遇した自身と家族、並びに村人や当時最も尊敬されていた校長先生夫妻の自決の様子が書かれています。
勿論、忠魂碑前の事も。
しかし、軍の命令によって自決をしたなどという最も核心的な事は何処にも書かれていません。
むしろ、迫りくる米軍の恐怖により、自分たちで相談して決した事になっています。
2008年6月20日に宜野湾市の志真志小学校にいた革マル派の宮城じゅんという教師が幼い子供達に集団自決の劇を演じさせ、問題となった時のことでした。
この宮城恒彦氏は会場となった体育館まで遠いところから出て来て、一番後ろで壁にもたれながら見ていました。
元教育事務所長といえば、所管する百数十校を指導とする総責任者だったはずです。
集団自決という最も悲惨な事件を子供達に演じさせるという暴挙に、何もせず傍観し、挙句の果ては 関与を命令と誤認させる原稿まで書くというのであれば、「嘘つき・世を惑わす者」として、何れ裁かれなければならない思います。
左翼思想を信じ込み、一方的な情報を与えられて活動している者達より、この宮城恒彦氏の方が罪が深いと言わなければならないと思います。
★「パンドラの箱訴訟」の支援カンパ依頼
ゆうちょ銀行 総合口座(普通)
記号 17010 番号 10347971
三善会(サンゼンカイ)
沖縄県宜野湾市真栄原1−11−1−702
よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします