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沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所
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昨日17日、那覇地裁にて「パンドラの箱掲載拒否訴訟」の第1回口頭弁論が行われた。
当初、民事訴訟の第1回口頭弁論は原告被告双方代理人による書類の交換など事務的に終了するとのことで、傍聴依頼を積極的に行なってこなかった。
ところが原告の上原正稔さんがどうしても自分の口で裁判長と被告代理人に話しかけたいということで、急遽傍聴を依頼し7人の原告側傍聴人に参集していただいた。 被告側傍聴人は3人ほどいたようだが、公判が終わるや否や目を伏せるようにしてこそこそと消えていった。 一方の上原さんは初回の口頭弁論では異例ともいえる原告本人の登場で千両役者振りを発揮し、強烈なインパクトを裁判長に与えた。
上原さん自らの口で、自分が糾弾すべき相手は、被告の琉球新報だけでなく、「“反戦平和”を隠れ蓑にやりたい放題いいたい放題を続けているマスコミとそれに媚びている文化人という名の偽善者たちだ」と、堂々と宣言したのだ。
口頭弁論を終えた地裁ロビーで上原さんと徳永弁護士は沖縄タイムス、琉球新報の取材を受けた。
かなり時間をかけた取材であったが、上原さんは取材後、卑怯者のタイムス、新報が明日の記事にするはずもないと自信満々にいっていた。
徳永弁護士はベタ記事程度の掲載はあるかもしれないと期待していたようだが、今朝の沖縄タイムスを確認したら、果たせるかな上原さんの予言どおり、どうでも良い記事が満載の紙面の何処を探しても裁判の記事は1行の掲載もない。 代わりに米軍車両の当て逃げ事件を3段抜き見出しで報じているのが沖縄タイムスの本性を暴露していて思わず笑ってしまった。
■「集団自決訴訟」の最高裁判断が遅れた理由
上原さんの裁判と同じく集団自決の軍命の有無が争点となった「集団自決訴訟」の最高裁判断が先月出たが、通常最高裁の上告審は半年程度で結論がでるのが通例であるにもかかわらず、2年以上も時間を要した。 しかも最高裁としての新しい判断はほとんどなく2年前の第2審を確定するに止まった。 では一体最高裁は2年以上にわたって何を悩んでいたのか。
結局、梅沢さん、赤松さんの名誉の毀損という人格権と岩波・大江の表現の自由を天秤にかけて表現の自由を重要視する第二審判決を最高裁が確定しするのに長い期間の検証をしたことになる。
では、確定した第二審判決では、表現の自由と人格権の関係はどのように説明されているのか。
2年以上前の大阪高裁判決を今頃検証して何の意味があるという読者もいるであろうが、今回の「パンドラの箱掲載拒否訴訟」は最高裁が確定した第二審判決の表現の自由に深く関わっており、今回の提訴は最高裁が「(議論の繰り返しで)その大方の意見が時代を超えて再批判されていくというような過程をたどるものであり、そのような過程を保障することこそが民主主義社会の存続の基盤をなすものといえる」として、歴史の真実の解明に議論の必要性を述べている。
最高裁が重要視する自由な議論の繰り返し、すなわち「表現の自由」を最も尊重すべき立場にある琉球新報が、あろうことか上原さんの表現の自由を封殺したのが問題の発端である。
したがって最高裁が確定した第2審の表現の自由に該当する部分を再検証することは、今回の訴訟の出発点でり、きわめて重要なポイントである。
こうしてみると今年の1月31日、上原さんが琉球新報を提訴した事実を見て、最高裁は「今後の議論に委ねる」としする第2審判決を確定する決意をしたのではないか。
その意味で、大阪高裁が作成した要約文の中から該当部分を抜粋引用するので我慢して眼を通して頂きたい。
「発刊当時はその記述や真実相当性が認められ、長年にわたって出版を継続してきたところ、新しい資料の出現によりその真実相当性がゆらいだというような場合にあっては、ただちにそれだけで、当該記述を改めない限りそのままの形で当該書籍の出版を継続することが違法になると解することは相当でない。 そうでなければ、著者は、過去の著作物についても常に新しい資料の提出にも意を払い、記述の真実性について再考し続けなければならないということになるし、名誉侵害を主張する新しい資料の出現毎に争いを蒸し返せることになる。 著者に対する将来にわたるそのような負担は、結局は言論を萎縮させることにつながるおそれがある。 また、特に公共の利益に関わる事柄については、本来、事実についてその時点に基づくある主張がなされ、それに対して別の資料や論拠に基づき批判がなされ、更にそこで深められた論点について新たな資料が探索されて再批判が繰り返されるなどして、その時代の大方の意見が形成され、さらにその大方の意見が時代を超えて再批判されていくというような過程をたどるものであり、そのような過程を保障することこそが民主主義社会の存続の基盤をなすものといえる。 特に公務員に関する事実についてはその必要性が大きい。 そうだとすると、仮に後の資料からみて誤りだとみなされる主張も、言論の場においては無価値なものであるとはいえず、これに対する寛容さこそが、自由な言論の発展を保障するものと言える。 したがって、新しい意資料の出現によりある事実が揺らいだからといって、直ちにそれだけで、当該記述を含む書籍の出版の継続が違法になると解するのは相当でない。」
わかり難い判決文の要約が、これまたわかり難いので、これをさらに凝縮するとこうなる。
「二人の隊長が“集団自決”を命じたという真実性の証明はないが、それが事実でないことが明白とまではいえず、出版時の昭和40年代には真実だと信じる相当の理由があった」
したがって現在では内容の事実がが揺らいでいる大江氏の「沖縄ノート」といえども出版差し止めまではできない、ということである。
これでも、わかり難いようだったら、次のように「超約」を付しておこう。
「高名なノーベル賞作家と戦後民主主義の象徴である岩波書店の表現の自由と、老い先短い二人の軍人(1人は既に死亡)の名誉(人格権)を天秤にかけてみたら、表現の自由が重いに決まっている」
「それに元軍人は公務員でもあるから、この程度の人格権の侵害は我慢せよ(寛容であれ)」
そして、問題の核心である軍命の有無については「最高裁判断を議論の再スタートにせよ」と。
こんなところであろうか。
ちなみに「パンドラの箱掲載拒否訴訟」の第2回口頭弁論は次の日程で行われます。
7月5日(火) 午前10時開廷
場所:那覇地裁
次回も上原さんが自分の口で意見を述べますので多く方のの傍聴をお願いします。
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★「パンドラの箱訴訟」の支援カンパの協力
お願いします。 ゆうちょ銀行 総合口座(普通)
記号 17010 番号 10347971
三善会(サンゼンカイ)
沖縄県宜野湾市真栄原1−11−1−702
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