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産経抄 5月13日
2011.5.13 03:15
すぐれたミステリーには、無実の登場人物の疑惑を強調したり、誤った手がかりを与えたりして、読者の目を真犯人からそらす仕掛けが、織り込まれている。これを英語で、「Red Herring」(赤ニシン)という。独特の匂いを放つ薫製ニシンのことだ。キツネ狩りの猟犬に獲物の匂いと嗅ぎ分けさせる、訓練に使われたという。
▼千葉県房総半島沖で平成20年2月、海上自衛隊のイージス艦と漁船が衝突し、漁師の父子が亡くなった。この事故で横浜地裁は先日、あたごの当直士官2人に無罪を言い渡した。事故の関係者は赤ニシンの匂いに惑わされたのではないか。判決は、そう問いかけているように思える。
▼匂いの正体はもちろん、自衛隊に吹きつけていたバッシングの嵐である。わずか7トンの漁船と、最新鋭の機器を備えた7750トンのイージス艦。大方のメディアは、事故発生当時から、前者を善、後者を悪と決めつけていた。それから1年半後に政権交代が実現し、やがて自衛隊を暴力装置と呼ぶ官房長官がお目見えする。
▼もっとも、元米国防総省日本部長のジム・アワーさんのところまで、匂いは届かなかったようだ。小紙への寄稿のなかで、自衛隊に対する感情的な議論をいさめた。なぜ操作のしやすい漁船の方が、進路をはずれようとしなかったのか、との疑問ももっともだった。
▼事故から約1年後に出た海難審判の裁決は、あたご側の見張り不十分が主因と結論づけていた。それとは正反対の判決を、直後の夕刊で各紙がともに1面トップで取り上げたのは当然だ。
▼ただ翌日の朝刊やテレビの報道では、くわしく分析した報道は見当たらない。さすがに、ばつが悪かったとみえる。
☆
三年前のイージス間事故に対するマスコミの反応は、各社とも感情も露にした異常報道のオンパレードであった。
大事故ならともかく死者が2人にしては各社が異常なほど感情的になった理由は、事故の当事者の一方が自衛隊、つまり軍隊だから絶対に許せないというのだろう。
沖縄でも、沖縄人同士の交通事故ならベタ記事にもならない些細な事故が、一方が米軍人というだけで大騒ぎをするのと同じ反軍思想なのだろう。
沖縄戦では米軍対日本軍の戦いという視点はどこかに置き去りにされ、日本軍が民間人を虐殺したというのが沖縄戦の真相であるといったな報道は沖縄では珍しくない。
先月最高裁判断が出た「集団自決訴訟も」にしても来週17日に第一回公判が行われる「パンドラの箱掲載拒否訴訟」でも問題の根底に横たわるのは「軍隊(軍人)が民間人を殺した(危害を加えた)」という反軍思想だ。 自衛隊艦船と民間漁船の衝突事故に対し異常とも言える感情論で自衛隊側を断罪するのも同じ反軍思想だ。
さらに掘り下げるとマスコミに今でも巣食う「平和憲法改悪阻止で平和を守る」という思想である。
この思想に従えばイージス艦は無用の長物であり、問題になっている米軍基地なども即刻撤去という結論になる。
三年前の事故直後の読売新聞が書いた感情もろ出しのコラムを次に再掲してみる。
2月21日付 よみうり寸評真っ二つに切断された「清徳丸」の船体が無残で痛々しい。吉清(きちせい)治夫、哲大さんの父子船だ。その父子が帰ってこない。父のジャンパーだけが見つかった◆時間がたてばたつほど、当然、捜索は難しくなる。海上自衛隊のイージス艦「あたご」自身はこの衝突の直後、無残な父子船に対して、どんな救助、捜索活動をしたのか◆見張り、回避行動のお粗末を思い、事後の通報、連絡の遅れを思うと、即刻の救助活動がどうだったかにも疑問符がつく。「あたご」の乗員が漁船の灯火を視認したのが「2分前」から「12分前」に、「緑の灯火だけ」だったのが「赤も」に変わった◆12分前に視認しながらイージス艦はずっと自動操舵(そうだ)のままだった。時間とともに当直連絡員間の連携の悪さなど監視体制のお粗末が一層あらわになってきた◆20年前の潜水艦「なだしお」衝突事故の教訓が全く生きていない。沖縄の米海兵隊の不祥事に「たるんでいる」「どうなっているんだろう」などと政府首脳の発言があったが、これでは他人事ではなくなった◆父子船の悲劇に胸が痛む。
(2008年2月21日14時27分 読売新聞)
◇
よくも素面でこんな文が書けたものだ。今読み返すと書いた記者は恥ずかしくて冷や汗が出るだろう。
で、当時の当日記はこの事故についてどのように書いていたか。
以下は編集加筆した再掲です。
☆
(読売コラムに対して)
情緒綿々たる名文に読む人は胸を打たれる。
だがちょっと待って欲しい。
いくら名文でも、このような思い入れたっぷりのメンタリティでイージス艦事故を断罪して欲しくない。
事実の解明に過剰な同情論を持ち込むと事実が見えなくなってくる。
上記コラムに代表されるようにマスコミの清徳丸側への過剰なまでの感情の入れ込みようは事実解明の妨げとなる。
連日のマスコミの漁協側への同情、それと裏腹のイージス艦バッシングは事実解明を通り越して常軌を逸しているといわざるを得ない。
中にはイージス艦が無ければ事故は起きなかったと、自衛隊そのものを否定する向きもある。
まるで必死の面持ちで被害者に入れあげる沖縄マスコミの社説「米兵中学生暴行 それでも少女に非はない 」を髣髴とさせる。
テレビワイドショーでも「にわか専門家」が海上交通のウンチクを垂れてイージス艦側の落ち度を追求する。
■優先権を守れば事故は避けられるか?■
海上交通の法規には疎いので、道路交通法の知識で述べるが、自動車同士の衝突事故の場合いくら一方に優先権があってもカマホリ(失礼)でない限り一方が100%悪いということはほとんどない。こんな意見もある。
<なだしお事故では、回避義務がどちらにあったかが大きな争点になったが、平成6年の東京高裁判決は、なだしお側に事故の主因があったと認定した。「今回もあたごに主因があったと思われる。だが、追突でない限り一方に100%の過失があるということではない」(田川弁護士)と、双方の過失割合もポイントとなるとみられる。>(なだしお事故から捜査を検証 イージス艦衝突)
自動車事故の場合こちらに優先権があっても状況によって「前方不注意」を適用され「7対3」とか場合によっては「6対4」の責任を問われることもある。
自分に優先権があるからといって急停止の出来ない大型トレーラーの前に飛び出したら、交通法規以前の問題だ。
ましてや海上の大型船が急停止したリ急旋回するのに小型船より劣るということは素人でも分かる。
これまで当日記は、清徳丸乗務員の意見も聞かないと欠席裁判になると思いコメントを避けてきた。
が、氾濫するマスコミ情報の中には目立たないが次のような意見もある。
相手がよけると思い込み? 動作重い大型船の慣習2008.2.22
<海上自衛隊のイージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故で、漁船やプレジャーボートなど小型の船舶と、自衛隊の艦船や大型の貨物船が接近した場合、小回りが利く小型船の方が状況を判断し、動作が重い大型船をよけるケースが多いことが22日、海事関係者の話で分かった。>
つまり法規上はともかく、小回りが利く小型船の方が状況を判断し、動作が重い大型船をよけるほうが実際の運行実務上は船舶の衝突回避にはより有効なのである。
大型船はかじを切っても慣性で曲がりにくく、停船操作をしてもスピードはなかなか落ちない。
それで法規上は大型船に回避義務があるとしても、実務上は小型船の方が大型船の動きを見てよける実態があるというのだ。
このような海洋航行上の慣習から判断すると清徳丸が直角にぶつかって真っ二つに割れている事実はイージス艦側は勿論だが、清徳丸側にも危機回避に不注意が有ったのではないかと疑わざるを得ない。
法規上イージス艦に回避義務があったとしても、清徳丸側に道路交通法で言う「前方不注意」があったと。
いざと言う場合の危険回避は法規上の優先権有無の問題以前に、
船舶が守る最低限の義務ではないのか。
■イージス艦は軍艦ではない■
又イージス艦は実際は軍艦そのものであるにもかかわらず憲法上は「軍艦ではない」という。
従って諸外国では軍艦と小型船等が交差する場合軍艦に優先権が有るが日本ではイージス艦も普通の船舶の法規をそのまま適用し、
「船が海上で交差する可能性がある場合、相手の船を右側に見る船が右にかじを切るなどして衝突を避ける義務があると規定しており、今回の事故はあたご側に回避義務があった可能性が高い」といった議論がまかり通るのである。
このように巨大な軍艦を軍艦と看做さない「平和憲法」がイージス艦と小型漁船を同じ法規で扱うという不都合を生んでいるのである。
◇
海難事故も実は珍しいものではない。「海上保安統計年報」が平成18年の一年間の救難統計を公表しているが、「要救助海難発生救助」では2008隻、7409人が対象で、死者・行方不明者数は108人である。衝突は368件だから一日1件ある。
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