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筆者の購読紙は沖縄タイムスである。
購読の理由は偏向記事をブログネタにするためである。
三年ほど前までは、友人が以前論説委員長をしていた付き合いで、琉球新報を購読していた。
だが、ブログで沖縄紙の偏向報道をネタにするようになり、より偏向度の激しい、沖縄タイムスに切り替えた。
ところが、この数年の琉球新報の偏向の激しさは、ご本家沖縄タイムスをはるかに凌ぐ。
特に沖縄戦に関する捏造報道は到底まともな人物が書いたものとは思われない酷さである。
来る6月23日の沖縄戦・戦没者慰霊の日を控えて、沖縄タイムスが目下のところ比較的おとなしい記事を書いているのに対し、この数日の琉球新報の記事の酷さは尋常ではない。
二日続けて新報ネタをエントリーしたので、本日は菅首相の所信演説に対する代表質問関連をエントリーしようと思っていた。
が、逆風って気持ちいい!さんの記事を読んで、怒り心頭の境地に至った。
沖縄タイムスが発行した『鉄の暴風』が現場に取材することも無く伝聞やウワサのみで書かれたのは、終戦直後の米軍統治の厳しい情報管理を考えれば多少は同情も出来る。
だが、最近の琉球新報の沖縄戦に関する捏造記事は『鉄の暴風』より、数倍悪質である。
何しろ、琉球新報の記者は、目撃もしていない証言者を、自分の「仮想空間」で勝手に目撃者に仕立て上げて物語を創造するのだ。
そんなに創作の才能が溢れているのなら、一刻も早く記者を辞めて小説家に転身することを勧めたい。
一人でも多くの読者に琉球新報の捏造体質を知ってもらうため、逆風って気持ちいい!を、そっくりそのまま引用させていただいた。
念のため付け加えると、丸ごと引用したのは決して手抜きではない。縁側さんの記事が的を射ておるので、それにコメントを加えると蛇足になるからである。
以下引用。
逆風って気持ちいい!
今朝の琉球新報の総合一面と社会面トップ。この二つは関連記事です。例によって日本軍の悪行を書き立てております。たぶん23日の慰霊の日までは続くことでしょう。以下紹介します。
まずは一面の記事から。
東村有銘で住民2人虐殺 日本兵、米兵を銃殺後
1945年4月、当時県立三中 大城さんが目撃証言
沖縄戦さなかの1945年4月、東村有銘で日本兵が住民2人を殺害したとみられる虐殺事件があったことが12日、明らかになった。当時、県立第三中学校から独立混成第44旅団第2歩兵隊(国頭支隊)に動員され、撤退の途中で事件を目撃した大城晃さん(81)が12日、名護市教育委員会が主催し、本島北部で行われた平和体験学習で証言した。大城さんが事件を公の場で発言するのは初めて。 大城さんによると、45年4月26日ごろ、米軍の斥候兵3人が有銘集落に入り、日本兵と銃撃戦になった。米兵2人が銃で撃たれ死亡。米兵1人は逃げる途中、海岸沿いの避難小屋で生活していた10代半ばの中南部出身とみられる避難民の男性2人を人質に取った。 日本兵は、2人を連れて海岸を南へ逃げる米兵を追い、泳いで沖合に回り込んで射殺。さらに、2人の避難民を山まで追って殺害したとみられる。同日、大城さんは2人の遺体が日本兵によって山から下ろされるのを目撃した。 石原昌家沖縄国際大学名誉教授は「初めて聞く事件だ。米軍上陸直後で緊迫した状況が、追いかけてまで殺した行為に表れている。日本軍で『方言を使う者は処分する』との方針が既に出ていた時期で、その流れの中で起こった事件だろう」と話した。(一面引用おわり) ◇
日本兵の悪行をどこまでも追い続けて記事にすることが「社是」であるかのような琉球新報の面目躍如と言ったところか。この記事の内容が事実なら、戦争の悲惨な一面をはっきりと表しているといえるだろう。この記事を補足するかのような記事が社会面トップに掲載されている。紹介する。
遺体け飛ばす日本兵 証言した大城さん 残虐行為を批判
東村有銘 住民虐殺 東村有銘で日本兵による住民虐殺を証言した大城晃さん(81)は「人質を助けるどころか、殺すとは。今でも信じられない思いだ」と事件の衝撃を振り返る。日本軍は不審に感じた住民をスパイ視する状況があり、大城さんは避難民もスパイの嫌疑を掛けられたのかもしれない。好んで人質になるはずはない」と残虐行為を批判する。 有銘に入った国頭支隊に同行していた大城さんは1945年4月26日ごろ、隣接する故郷名護市の有津(ありつ)に住む家族と面会。有銘に戻る途中、人質の避難民2人を連れた米兵に遭遇した。米兵が銃を向けたため大城さんは有津へ引き返した。その日の夕方、丘の上から有銘方面を見ると、日本兵にけ飛ばされ、山から下ろされる避難民2人の遺体を目撃した。 大城さんは戦後、殺害された避難民2人と米兵3人の身元を調べるため有銘を訪れ、米兵を埋葬したという住民から当時の状況を聞いた。米軍にも問い合わせたが、確かな情報はないという。「身元が分かれば平和の礎で花束を供えたい。遺族に会えれば彼らの最期を伝えたい」と語る。 大城さんが証言した12日の平和体験学習(名護市教育委員会主催)には県立第三中学校同期で国頭支隊に所属した3人も参加。北部8高校の生徒ら約80人と伊豆味国民学校跡など国頭支隊の移動経路をたどった。 東江新太郎さん(81)は国頭支隊の部隊内で、上官の命令で兵士が殺害された事件を証言した。本島北部から多野岳へ撤退する途中、今帰仁村湧川付近のサトウキビ畑を通る際、日本兵の1人が畑に下りてキビを折った。 上官が「勝手な行動は隊を危険にさらす」と激怒。キビを折った兵士をあぜ道にひざまずかせ、隣にいた兵士に銃剣で突き刺すよう命じた。腹を刺された兵士は「残念」と言って絶命した。東江さんは「軍隊の非情さを感じた。その後は皆、一言も発せなかった」と振り返った。(社会面引用おわり)
◇
朝っぱらから読むような記事ではないな。こんなのを毎日読まされればそりゃあ立派な「反日家」が育つことでしょうね。ムカムカして吐き気がしてくる記事です。 この記事で変なのが、最初の一面の記事中の
>大城さんによると、45年4月26日ごろ、米軍の斥候兵3人が有銘集落に入り、日本兵と銃撃戦になった。米兵2人が銃で撃たれ死亡。米兵1人は逃げる途中、海岸沿いの避難小屋で生活していた10代半ばの中南部出身とみられる避難民の男性2人を人質に取った。 日本兵は、2人を連れて海岸を南へ逃げる米兵を追い、泳いで沖合に回り込んで射殺。さらに、2人の避難民を山まで追って殺害したとみられる。同日、大城さんは2人の遺体が日本兵によって山から下ろされるのを目撃した。
:これが事件のあらましです。非常に詳しく憶えていらっしゃいますね。もう80歳を超えておられるのに、ご立派なことです。
ところが、この記事を補足した社会面の記事にはこうある。
>有銘に入った国頭支隊に同行していた大城さんは1945年4月26日ごろ、隣接する故郷名護市の有津(ありつ)に住む家族と面会。有銘に戻る途中、人質の避難民2人を連れた米兵に遭遇した。米兵が銃を向けたため大城さんは有津へ引き返した。その日の夕方、丘の上から有銘方面を見ると、日本兵にけ飛ばされ、山から下ろされる避難民2人の遺体を目撃した。
ん?なんだ?一面と違うぞ。一面では事の詳細まで記憶しておられる記事に「やっぱり悲惨な体験したから憶えてるんだろうな」と思ったのだが、この社会面を読むと、人質取った米兵と遭遇した刹那、逃げてるじゃん。それじゃあ、沖合まで泳いで追いかけて射殺したのも、避難民を山まで追って殺害したのも目撃しておらず、目撃したのは「山から2人の遺体を下ろすところ」なんだ。
なんだ随分違う話になってるじゃねーか、と琉球新報に電話で確認した。
「この大城さんは米兵が2人射殺されたのも、避難民と見られる者2人を連れ逃げる米兵も、その米兵が泳いで回り込んだ日本兵に射殺されたところも、避難民と見られる者2人が山に逃げ込むところも、それを追いかける日本兵も、避難民2人が殺害されるところも目撃してないんですよね?」
との私の問いに 「はい、そーですね」
愕然とした私だが、ここは気力を振り絞りさらに聞いた。
「避難民を人質に取って逃げた米兵や避難民を殺害したところを大城さんは目撃してないのにいったい誰の証言なのですか?それとこの避難民はホントに人質だったのでしょうか?」と問うと、
「多分、大城さん以外にも兵隊はいたわけですからその人たちの中に目撃した人はいたのでしょう。それとその避難民は本島中南部から避難してきた住民だと思われますから、やはり人質ではないかと思います。」だとよ。
おいおい、何も見てない人をここまで「目撃者」にしていいのか?何も見てねーじゃねーか。それに何も知らねーんじゃねーか。 ご遺体を下ろしてるとこを丘の上から遠目に見ただけだろ?け飛ばしてってなー、下ってる土地を武装して遺体運ぶのは想像しても大変だぞ。下ってる状況を想像してもご遺体には申し訳ないが、転がしながら移動するしかなかったんじゃねーか?それが遠目には「け飛ばしていた」ように見えたんじゃねーのか?単純にフツーに想像すればそう考えるな。
それに人質かどーかもわからないな。一面には「中南部出身と見られる10代半ばの男性」とあるが、米軍は4月1日に読谷村という本島中部から上陸したわけね。そして、この射殺された米兵は「斥候兵」という。ならば、その10代半ばの男性2人は「案内役」であった可能性は十分にある。脅されて不慣れな沖縄を道案内させられたとしてもおかしくはない。
まだ疑問はある。避難民殺害に関して一番のポイントは、なぜ山に行ったかである。米兵に人質にとられた避難民だったが、米兵を射殺したことで逃げる理由はなくなる。そこに米兵を射殺した日本兵やその他の日本兵がいるわけだからな、友軍が。たぶん話もしただろう。それがどうして山に逃げるのか・・。スパイ容疑をその場でかけられたのなら、何人いたかはわからないが、武装する日本兵のまえで話すほどの距離にいて海岸から山へたやすく逃げおおせるものではないと思うのだがな。
それに避難民2人を「スパイ」だと見て射殺したのなら、どうして山からわざわざ遺体を下ろす必要があったのか?
いずれにしろ、このように一面と社会面を使って記事にするような目撃証言でもない。だって何も見てないんだもん。フツーの目で読めば簡単に見抜けるのだが、毎日毎日このようなおぞましい記事は誰も好んで読みたくはない。よって大見出しだけ見て流す人がほとんどだろう。だから琉球新報は見出しを「誇大表現」どころか「大嘘」にしなければならないわけだ。さすが沖縄民主主義の砦であるオピニオンリーダーです。
社会面の記事の最後の方に書かれているサトウキビ畑の事件はホントなら許しがたい行為だと思います。兵隊さんの命をここまで軽く扱ったら戦には勝てんよ。
追記:県内の二大紙である沖縄タイムスと琉球新報。はっきり言えるのは、記事のいやらしさ、獣性、などどれをとっても琉球新報が一枚も二枚も上です。褒めてないからな。 (引用終了) これほど記事の捏造が酷いと、 「サトウキビ畑の事件」も眉唾だと思う方、クリック応援、 お願いします。 よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします ブログセンターランキングへクリックで応援願います。
沖縄戦さなかの1945年4月、東村有銘で日本兵が住民2人を殺害したとみられる虐殺事件があったことが12日、明らかになった。当時、県立第三中学校から独立混成第44旅団第2歩兵隊(国頭支隊)に動員され、撤退の途中で事件を目撃した大城晃さん(81)が12日、名護市教育委員会が主催し、本島北部で行われた平和体験学習で証言した。大城さんが事件を公の場で発言するのは初めて。 大城さんによると、45年4月26日ごろ、米軍の斥候兵3人が有銘集落に入り、日本兵と銃撃戦になった。米兵2人が銃で撃たれ死亡。米兵1人は逃げる途中、海岸沿いの避難小屋で生活していた10代半ばの中南部出身とみられる避難民の男性2人を人質に取った。 日本兵は、2人を連れて海岸を南へ逃げる米兵を追い、泳いで沖合に回り込んで射殺。さらに、2人の避難民を山まで追って殺害したとみられる。同日、大城さんは2人の遺体が日本兵によって山から下ろされるのを目撃した。 石原昌家沖縄国際大学名誉教授は「初めて聞く事件だ。米軍上陸直後で緊迫した状況が、追いかけてまで殺した行為に表れている。日本軍で『方言を使う者は処分する』との方針が既に出ていた時期で、その流れの中で起こった事件だろう」と話した。(一面引用おわり) ◇
日本兵の悪行をどこまでも追い続けて記事にすることが「社是」であるかのような琉球新報の面目躍如と言ったところか。この記事の内容が事実なら、戦争の悲惨な一面をはっきりと表しているといえるだろう。この記事を補足するかのような記事が社会面トップに掲載されている。紹介する。
遺体け飛ばす日本兵 証言した大城さん 残虐行為を批判
東村有銘 住民虐殺 東村有銘で日本兵による住民虐殺を証言した大城晃さん(81)は「人質を助けるどころか、殺すとは。今でも信じられない思いだ」と事件の衝撃を振り返る。日本軍は不審に感じた住民をスパイ視する状況があり、大城さんは避難民もスパイの嫌疑を掛けられたのかもしれない。好んで人質になるはずはない」と残虐行為を批判する。 有銘に入った国頭支隊に同行していた大城さんは1945年4月26日ごろ、隣接する故郷名護市の有津(ありつ)に住む家族と面会。有銘に戻る途中、人質の避難民2人を連れた米兵に遭遇した。米兵が銃を向けたため大城さんは有津へ引き返した。その日の夕方、丘の上から有銘方面を見ると、日本兵にけ飛ばされ、山から下ろされる避難民2人の遺体を目撃した。 大城さんは戦後、殺害された避難民2人と米兵3人の身元を調べるため有銘を訪れ、米兵を埋葬したという住民から当時の状況を聞いた。米軍にも問い合わせたが、確かな情報はないという。「身元が分かれば平和の礎で花束を供えたい。遺族に会えれば彼らの最期を伝えたい」と語る。 大城さんが証言した12日の平和体験学習(名護市教育委員会主催)には県立第三中学校同期で国頭支隊に所属した3人も参加。北部8高校の生徒ら約80人と伊豆味国民学校跡など国頭支隊の移動経路をたどった。 東江新太郎さん(81)は国頭支隊の部隊内で、上官の命令で兵士が殺害された事件を証言した。本島北部から多野岳へ撤退する途中、今帰仁村湧川付近のサトウキビ畑を通る際、日本兵の1人が畑に下りてキビを折った。 上官が「勝手な行動は隊を危険にさらす」と激怒。キビを折った兵士をあぜ道にひざまずかせ、隣にいた兵士に銃剣で突き刺すよう命じた。腹を刺された兵士は「残念」と言って絶命した。東江さんは「軍隊の非情さを感じた。その後は皆、一言も発せなかった」と振り返った。(社会面引用おわり)
◇
朝っぱらから読むような記事ではないな。こんなのを毎日読まされればそりゃあ立派な「反日家」が育つことでしょうね。ムカムカして吐き気がしてくる記事です。 この記事で変なのが、最初の一面の記事中の
>大城さんによると、45年4月26日ごろ、米軍の斥候兵3人が有銘集落に入り、日本兵と銃撃戦になった。米兵2人が銃で撃たれ死亡。米兵1人は逃げる途中、海岸沿いの避難小屋で生活していた10代半ばの中南部出身とみられる避難民の男性2人を人質に取った。 日本兵は、2人を連れて海岸を南へ逃げる米兵を追い、泳いで沖合に回り込んで射殺。さらに、2人の避難民を山まで追って殺害したとみられる。同日、大城さんは2人の遺体が日本兵によって山から下ろされるのを目撃した。
:これが事件のあらましです。非常に詳しく憶えていらっしゃいますね。もう80歳を超えておられるのに、ご立派なことです。
ところが、この記事を補足した社会面の記事にはこうある。
>有銘に入った国頭支隊に同行していた大城さんは1945年4月26日ごろ、隣接する故郷名護市の有津(ありつ)に住む家族と面会。有銘に戻る途中、人質の避難民2人を連れた米兵に遭遇した。米兵が銃を向けたため大城さんは有津へ引き返した。その日の夕方、丘の上から有銘方面を見ると、日本兵にけ飛ばされ、山から下ろされる避難民2人の遺体を目撃した。
ん?なんだ?一面と違うぞ。一面では事の詳細まで記憶しておられる記事に「やっぱり悲惨な体験したから憶えてるんだろうな」と思ったのだが、この社会面を読むと、人質取った米兵と遭遇した刹那、逃げてるじゃん。それじゃあ、沖合まで泳いで追いかけて射殺したのも、避難民を山まで追って殺害したのも目撃しておらず、目撃したのは「山から2人の遺体を下ろすところ」なんだ。
なんだ随分違う話になってるじゃねーか、と琉球新報に電話で確認した。
「この大城さんは米兵が2人射殺されたのも、避難民と見られる者2人を連れ逃げる米兵も、その米兵が泳いで回り込んだ日本兵に射殺されたところも、避難民と見られる者2人が山に逃げ込むところも、それを追いかける日本兵も、避難民2人が殺害されるところも目撃してないんですよね?」
との私の問いに 「はい、そーですね」
愕然とした私だが、ここは気力を振り絞りさらに聞いた。
「避難民を人質に取って逃げた米兵や避難民を殺害したところを大城さんは目撃してないのにいったい誰の証言なのですか?それとこの避難民はホントに人質だったのでしょうか?」と問うと、
「多分、大城さん以外にも兵隊はいたわけですからその人たちの中に目撃した人はいたのでしょう。それとその避難民は本島中南部から避難してきた住民だと思われますから、やはり人質ではないかと思います。」だとよ。
おいおい、何も見てない人をここまで「目撃者」にしていいのか?何も見てねーじゃねーか。それに何も知らねーんじゃねーか。 ご遺体を下ろしてるとこを丘の上から遠目に見ただけだろ?け飛ばしてってなー、下ってる土地を武装して遺体運ぶのは想像しても大変だぞ。下ってる状況を想像してもご遺体には申し訳ないが、転がしながら移動するしかなかったんじゃねーか?それが遠目には「け飛ばしていた」ように見えたんじゃねーのか?単純にフツーに想像すればそう考えるな。
それに人質かどーかもわからないな。一面には「中南部出身と見られる10代半ばの男性」とあるが、米軍は4月1日に読谷村という本島中部から上陸したわけね。そして、この射殺された米兵は「斥候兵」という。ならば、その10代半ばの男性2人は「案内役」であった可能性は十分にある。脅されて不慣れな沖縄を道案内させられたとしてもおかしくはない。
まだ疑問はある。避難民殺害に関して一番のポイントは、なぜ山に行ったかである。米兵に人質にとられた避難民だったが、米兵を射殺したことで逃げる理由はなくなる。そこに米兵を射殺した日本兵やその他の日本兵がいるわけだからな、友軍が。たぶん話もしただろう。それがどうして山に逃げるのか・・。スパイ容疑をその場でかけられたのなら、何人いたかはわからないが、武装する日本兵のまえで話すほどの距離にいて海岸から山へたやすく逃げおおせるものではないと思うのだがな。
それに避難民2人を「スパイ」だと見て射殺したのなら、どうして山からわざわざ遺体を下ろす必要があったのか?
いずれにしろ、このように一面と社会面を使って記事にするような目撃証言でもない。だって何も見てないんだもん。フツーの目で読めば簡単に見抜けるのだが、毎日毎日このようなおぞましい記事は誰も好んで読みたくはない。よって大見出しだけ見て流す人がほとんどだろう。だから琉球新報は見出しを「誇大表現」どころか「大嘘」にしなければならないわけだ。さすが沖縄民主主義の砦であるオピニオンリーダーです。
社会面の記事の最後の方に書かれているサトウキビ畑の事件はホントなら許しがたい行為だと思います。兵隊さんの命をここまで軽く扱ったら戦には勝てんよ。
追記:県内の二大紙である沖縄タイムスと琉球新報。はっきり言えるのは、記事のいやらしさ、獣性、などどれをとっても琉球新報が一枚も二枚も上です。褒めてないからな。 (引用終了) これほど記事の捏造が酷いと、 「サトウキビ畑の事件」も眉唾だと思う方、クリック応援、 お願いします。 よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします ブログセンターランキングへクリックで応援願います。