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傍聴記、孔子廟訴訟控訴審 第一回口頭弁論

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金融機関:ゆうちょ銀行 名義:沖縄県政の刷新を求める会 記号:17010 番号:1924621 沖縄県政の刷新を求める会   昨日、孔子廟訴訟の控訴審が福岡高裁那覇支部で行われた。 傍聴席は約30名の支援者でほぼ満席でした。 次回の口頭弁論は11月1日に決まった。 本訴訟を提訴したのが平成26年5月で、約4年に及ぶ長い訴訟のため、昨日の控訴審を判決日と間違えた人もいたくらい。 裁判の経緯を分かりやすく説明してほしいという意見も有るので概略を述べてみたい。   本住民訴訟は那覇市民である金城テルさんを原告に、那覇市の公有地に久米孔子廟をという宗教施設を無償で提供しているのは憲法で謡う政教分離原則に違反している、として同施設の撤去を求めるもの。 被告のな那覇市側が「儒教は学問であり宗教ではない」と主張したのに対し、原告側は儒教の権威である大阪大学名誉教授加地伸行 先生の学説(【おまけ】参照)を引用、儒教の本質は「招魂再生」で宗教そのものだと主張。 つまり沖縄のお盆などでご先祖の霊を迎える宗教行事も基をたどれば儒教に行き着くという。 本訴訟は前回の控訴審で、一審差し戻しの判決が出たため一審で審議の結果4月に原告勝訴の判決が下り、これを不服として被告が控訴した控訴審である。 では、昨日の第一回口頭弁論で、被告側は何を主張したのか。 那覇市側は、原告の主張する「儒教は宗教」は間違いであり「儒教は学問であり文化」だという。 一審判決は間違いだと主張したのだ。 代理人の徳永弁護士によると「今ごろ、何言ってんねん!」ということだ。 四年前の第一審以来、原告は儒教に関する学説を総動員して被告の「儒教は宗教でない」説を木っ端微塵に粉砕している。 原告の主張に異論が有れば反論する機会はタップリ有ったはず。 被告側はこの期に及んで、複数の琉球大学教授の学説を引用して「儒教は宗教ではない」と主張してきたのだ。 4月の一審判決まで、原告の「儒教=宗教」説に対し、被告は終始「だんまり」を決め込んでいながら、「今ごろ、何言ってんねん!」と呆れ返る徳永弁護士の気持ちは理解できる。 勿論、昨日の控訴審で、原告側は煩雑を承知で過去に主張した「儒教は宗教」を再度意見書として提出した。 つまり、第二回口頭弁論から「儒教は宗教か否か」をめぐって、学説を武器に原告vs被告が大論争を展開するという。 今後の楽しみである。 徳永弁護によると裁判官から、無償の市有地利用に対し、地代を支払えば和解に応じるか」との和解勧告が有ったという。 これに対し徳永弁護士は何と答えたか。 「地代など金銭の問題ではない」 「那覇市は政教分離原則の憲法違反を犯している」 「憲法違反だ」 「孔子廟の施設そのものの撤去をするまで戦う」 このように主張、和解案を一蹴したという。  

一審差し戻しなど紆余曲折のあった本住民訴訟を振り返る意味で、以下の過去ブログを参照して下さい。

孔子廟訴訟について、政教分離訴訟、2017-07-11 01    【おまけ】 那覇市孔子廟訴訟が結審、11月29日判決   宗教施設か「学問の場」か、原告側「釋奠祭禮は宗教行為」

 那覇市が特定の団体に市有地を無償で貸与し、久米至聖(しせい)廟(びょう)(孔子廟)の建設を許可した問題の裁判はこのほど、原告の金城テルさんの証人尋問をもって結審した。孔子廟について那覇地裁は宗教施設と認定するか、あるいは、公益性があるものと判断するかどうかが焦点となる。判決は11月29日に下される。(那覇支局・豊田 剛)

那覇市孔子廟訴訟が結審、11月29日判決

久米至聖廟には釋奠祭禮の実施を予告する幟が並ぶ=24日、那覇市の松山公園

 この裁判は、那覇市の市有地に設置された久米至聖廟の設置許可および設置に伴う使用料の免除措置が無効として、原告が576万円と5年分の使用料の支払いを当時市長の翁長(おなが)雄志(たけし)知事らに求めている。

 孔子廟として知られる久米至聖廟は、至聖門、大成(たいせい)殿(でん)、啓聖祠(けいせいし)、明倫(めいりん)堂で構成されており、市有地である松山公園の一角を占めている。

 原告代理人の徳永信一弁護士は、「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」と規定する憲法第20条1項の政教分離の原則に反すると指摘。

 2010年には、北海道砂川市が空知太(そらちぶと)神社に市有地を無償で提供した問題で憲法の政教分離に反するとして違憲判断が下された凡例が基準になると言う。

 裁判の論点は、孔子廟の精神的なよりどころである儒教が宗教かどうかという点にある。原告側は、孔子廟は「学問の場」だと主張している。

 これについて徳永弁護士は、「キリスト教にも学問の側面があるがキリスト教が宗教ではないと言う人はいない」と指摘。

 また、被告は孔子廟の最大行事で孔子の生誕を祝う釋奠祭禮(せきてんさいれい)は、沖縄を代表するエイサーやハーリー競漕(きょうそう)と同様に県民になじまれた習俗的行事だと指摘する。

 これについて原告側は、年に1度だけ行われる厳かな儀式である釋奠祭禮は宗教儀式そのものだと訴える。実際、その行事そのものを知らない県民がほとんどだ。

 被告はまた、孔子廟は公共性があるもので、湯島聖堂(東京都文京区)、足利学校(栃木県足利市)、多久聖廟(佐賀県多久市)でも釋奠祭禮が行われていると主張する。

 ただし、これらは国の史跡または重要文化財。これに対し、久米至聖廟の管理団体で被告を側面支援する久米崇聖(そうせい)会は13年に公益社団法人の申請を取り下げられ、公益性の薄い一般社団法人に移行した。「久米三十六姓の末裔(まつえい)に限る」という会員資格がネックになった。久米三十六姓とは、明(現在の中国福建省)から沖縄に渡来した人々またはその子孫のことを指す。

那覇市孔子廟訴訟が結審、11月29日判決

加地伸行氏

 儒教に詳しい加地伸行・大阪大学名誉教授は、「孔子廟の『廟』は宗教以外の何物でもない。亡くなった人の魂を祀(まつ)る場所。霊魂を呼び出してお祀りする。宗教ではないとは言えない」と指摘。その上で、釋奠祭禮について、「孔子を祀る慰霊祭は完全な宗教行為で、それが単なる学問の場であるはずがない」と批判した。沖縄で行われた講演会でコメントした。

 今年の釋奠祭禮は28日午後6時から行われる。孔子廟には行事を告知する幟(のぼり)やポスターが掲示されている。昨年まで見られなかった光景だ。

原告・金城テルさんの陳述要旨

県民に馴染み薄い孔子廟

 私的な宗教施設である孔子廟が公共の場で特権的に扱われていることに違和感がある。入り口の「至聖門」は、年に1度しか開かれない。「大成殿」は孔子廟の本体で、屋根を白っぽい2本の石柱が支えている。これが5本爪の龍柱で、旧大成殿には無かったものだ。普段は正面の賽銭(さいせん)箱の前を中国系と思われる信者たちが座り込み、手を合わせて熱心にお祈りしている姿を見掛ける。

 長く那覇市に暮らしてきた私たち住民にとって、孔子廟は、中国渡来の久米三十六姓の一族が承継してきた中国の宗教儀式を誇示するための施設であり、中国の直轄地であることを示しているように思える。久米崇聖会は、沖縄と中国の懸け橋だと言っているが、全くの時代錯誤だ。

 久米崇聖会は、釋奠祭禮は沖縄の習俗であり、その起源に宗教的要素があっても、観光等の趣旨から行政が関与しても問題がないと主張する。

 釋奠祭禮は、一般の沖縄県民にとって全くなじみのないものであり、誰もが知っているエイサーや爬竜(はりゅう)船競漕(ハーリー)のような世俗化した沖縄の習俗と同一には語れない。

 宗教とは、特定の神様や御霊(みたま)に対し、お線香を立てたり、ろうそくを灯(とも)したり、お供え物を捧(ささ)げたりして、お祈りするもの。同様に、釋奠祭禮は宗教儀式そのものだ。

 孔子廟は、今も若狭にある天尊廟や天妃宮などと同じく、久米三十六姓が沖縄に持って来た中国の宗教施設であって、一般の沖縄県民にはなじみの薄いものだ。

 孔子廟を市民の公園である松山公園に設置し、無償で使用させているのは、特定の一族から成る私的な団体である久米崇聖会に特段の便宜を与え、その宗教的活動を容易にするものだ。

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