グアム移転試算言及 外交文書で判明
2011年2月19日 【東京】ライシャワー元駐日米大使ら複数の米側関係者が沖縄返還交渉開始前の1967年、在沖米軍基地の完全撤去も可能との見解を日本側に伝えていたことが、外務省が18日公開した外交文書で分かった。米軍が沖縄本島の基地をすべてグアムなどに移した場合の経費を試算していたとの言及もあり、米側が日本国内で高まる返還論に対応し「完全撤退」も選択肢として検討していたことがうかがえる。 4月15日付の「極秘」公電で、ライシャワー氏は日本大使館員に「沖縄の軍事施設をグアム島にそっくり移すことは理論的には可能」と指摘。ただ30億〜40億ドル(当時のレートで1兆800億〜1兆4400億円)の経費がかかると軍部が推定しており、米議会がそのような支出に反対するだろうと語ったと報告されている。 別の公電では、陸軍省が「沖縄本島の基地を一切西表島に移転すると仮定したらいくらかかるか」を試算し、二十数億ドルだったとの記載もある。 また7月17日には在日米大使館の参事官が外務省北米課長に対し、米国は日本との関係か、沖縄の占領維持かの選択を迫られた場合は日本を選ばざるを得ないと述べた上で「日本が決意すれば、米軍基地の完全撤去にせよ、基地付きの沖縄返還にせよ」選びうると、自らの強い立場を認識するようひそかに促していた。 だが日本政府は、事実上最初の返還協議となる7月15日の三木武夫外相(当時)とジョンソン駐日米大使(同)との会談で、基本的態度として「沖縄には米軍基地を存続せしめつつ施政権を返還する方途を探求」するとの覚書を米側に手渡し、最初から基地撤去を求めない姿勢をとった。 根拠乏しい抑止力論 外交文書公開基地の限界指摘も (2011年02月19日09:28) 根拠乏しい抑止力論 外交文書公開
基地の限界指摘も
政治 2011年2月19日 18日公表された沖縄返還交渉関連113冊の外交文書からは、鳩山由紀夫前首相が「方便」と語った抑止力や米軍事費削減などが当時から変わらぬテーマとして語られていたことがうかがえる。(東京支社・前田高敬) ■方便の可能性 1967年9月15日。ワシントンでマクナマラ国防長官(当時)と向き合った三木武夫外相(同)がこう語ったことが記録されている。「率直に、沖縄の極東の安全保障上の役割についてうかがいたい」 このほか「(沖縄に必要な)軍事的条件は米側から示されなければ判断する材料はない」(7月18日の駐日米大使との会談で、北米局長)など、この時期日本側は「沖縄が極東の安全保障に果たす役割は十分認識」(三木氏)といいつつも、その具体的な説明を米側に求める発言が目立つ。 一方で米側も「(抑止力の問題は)日本自身が決定しなければならない」(マクナマラ長官)「日本は米軍に何を期待するのか」(同大使)と反問しており、やりとりの中で「抑止力」論が深まった形跡はない。外務省は65年8月16日、「アメリカの極東戦略に占める沖縄の地位」というリポートをまとめている。83ページのリポートでは、航空基地、ミサイル基地、海軍基地などとして、太平洋地域内に沖縄に代わる地域はないとして「その価値は絶対的」と分析しているものの「狭隘(きょうあい)な島内に大部隊を集結することは、軍事的好目標を露呈」し限界があるとも指摘している。 結局のところ、一連の文書からは当時沖縄が「米軍の自由使用可能な基地」だったという以外の理由はよく分からず、この時点から「抑止力は方便」だった可能性すら高いのだ。 69年、日本は知日派米議員らと盛んに接触し、沖縄返還への感触を探った。 ■軍事費削減を 各議員は「駐留過多に対する反省、経費削減という観点が先」(ジェームス・オハラ下院議員)、「できるだけ海外駐留軍を引き上げ、基地縮小を図るべき」(マンスフィールド民主党上院院内総務)など、少なくない議員が軍事費削減のため在外米軍は縮小すべきだと主張。 これも、過去最大の財政赤字を抱えて歳出削減圧力が強まる現在の米国の状況と通じる。 もっとも歳出削減圧力は、在外基地縮小の動きの一方で「沖縄(の基地)を返還することになれば、いずれはこれに代わるものを構築せねばならず」(2月19日、フレイマス陸軍省補佐官)、かえって基地の固定化につながる面もある。 復帰後も多くの米軍基地が沖縄に残ったのはこうした理由があることも否定できない。日米両政府と沖縄が、歴史から何を学ぶかが問われているといえそうだ。 復帰前からリンク論
佐藤首相、米に示す
基地政策で強硬論も 【東京】佐藤栄作首相(当時)が1966年11月、沖縄への赴任前に就任あいさつに訪れたアンガー米高等弁務官に対し、沖縄経済について「根本的に軍事基地の役割があり、その目的のために民生向上がある」と強調していたことが、18日公開された日本の外交文書で明らかになった。 歴代政権は沖縄における経済振興施策と米軍基地の存在を結びつけた「リンク論」を否定しているが、実際には復帰以前から両者が密接にリンクしていると日本の首脳が認識していたことを示すものといえそうだ。 同年11月1日の会談でアンガー氏が、自分の主たる責任は米軍基地の効果的な運営と住民の福祉民生の向上の二つであると述べたのに答えた。 また佐藤首相は同じ会談で、当時政府が求めていた本土―沖縄間の渡航制限緩和について「もっと制限を無くすこととし、他方、(基地に反対する)社会党、共産党には理屈をつけて自由をなくす必要がある」と指摘。 その上で「軍政なのだから、もっと思い切ってよい、体裁のよいことは言わなくてもよいと思っている」と、基地政策でさらなる強硬措置の“助言”までした。 同席していたジョンソン駐日米大使がさすがに「日本はわれわれを支持しうるか」と懸念を示すと、佐藤氏は「あなた方のやりやすいように協力しなければならない」と答えたという。
2011年2月19日 【東京】ライシャワー元駐日米大使ら複数の米側関係者が沖縄返還交渉開始前の1967年、在沖米軍基地の完全撤去も可能との見解を日本側に伝えていたことが、外務省が18日公開した外交文書で分かった。米軍が沖縄本島の基地をすべてグアムなどに移した場合の経費を試算していたとの言及もあり、米側が日本国内で高まる返還論に対応し「完全撤退」も選択肢として検討していたことがうかがえる。 4月15日付の「極秘」公電で、ライシャワー氏は日本大使館員に「沖縄の軍事施設をグアム島にそっくり移すことは理論的には可能」と指摘。ただ30億〜40億ドル(当時のレートで1兆800億〜1兆4400億円)の経費がかかると軍部が推定しており、米議会がそのような支出に反対するだろうと語ったと報告されている。 別の公電では、陸軍省が「沖縄本島の基地を一切西表島に移転すると仮定したらいくらかかるか」を試算し、二十数億ドルだったとの記載もある。 また7月17日には在日米大使館の参事官が外務省北米課長に対し、米国は日本との関係か、沖縄の占領維持かの選択を迫られた場合は日本を選ばざるを得ないと述べた上で「日本が決意すれば、米軍基地の完全撤去にせよ、基地付きの沖縄返還にせよ」選びうると、自らの強い立場を認識するようひそかに促していた。 だが日本政府は、事実上最初の返還協議となる7月15日の三木武夫外相(当時)とジョンソン駐日米大使(同)との会談で、基本的態度として「沖縄には米軍基地を存続せしめつつ施政権を返還する方途を探求」するとの覚書を米側に手渡し、最初から基地撤去を求めない姿勢をとった。 根拠乏しい抑止力論 外交文書公開基地の限界指摘も (2011年02月19日09:28) 根拠乏しい抑止力論 外交文書公開
基地の限界指摘も
政治 2011年2月19日 18日公表された沖縄返還交渉関連113冊の外交文書からは、鳩山由紀夫前首相が「方便」と語った抑止力や米軍事費削減などが当時から変わらぬテーマとして語られていたことがうかがえる。(東京支社・前田高敬) ■方便の可能性 1967年9月15日。ワシントンでマクナマラ国防長官(当時)と向き合った三木武夫外相(同)がこう語ったことが記録されている。「率直に、沖縄の極東の安全保障上の役割についてうかがいたい」 このほか「(沖縄に必要な)軍事的条件は米側から示されなければ判断する材料はない」(7月18日の駐日米大使との会談で、北米局長)など、この時期日本側は「沖縄が極東の安全保障に果たす役割は十分認識」(三木氏)といいつつも、その具体的な説明を米側に求める発言が目立つ。 一方で米側も「(抑止力の問題は)日本自身が決定しなければならない」(マクナマラ長官)「日本は米軍に何を期待するのか」(同大使)と反問しており、やりとりの中で「抑止力」論が深まった形跡はない。外務省は65年8月16日、「アメリカの極東戦略に占める沖縄の地位」というリポートをまとめている。83ページのリポートでは、航空基地、ミサイル基地、海軍基地などとして、太平洋地域内に沖縄に代わる地域はないとして「その価値は絶対的」と分析しているものの「狭隘(きょうあい)な島内に大部隊を集結することは、軍事的好目標を露呈」し限界があるとも指摘している。 結局のところ、一連の文書からは当時沖縄が「米軍の自由使用可能な基地」だったという以外の理由はよく分からず、この時点から「抑止力は方便」だった可能性すら高いのだ。 69年、日本は知日派米議員らと盛んに接触し、沖縄返還への感触を探った。 ■軍事費削減を 各議員は「駐留過多に対する反省、経費削減という観点が先」(ジェームス・オハラ下院議員)、「できるだけ海外駐留軍を引き上げ、基地縮小を図るべき」(マンスフィールド民主党上院院内総務)など、少なくない議員が軍事費削減のため在外米軍は縮小すべきだと主張。 これも、過去最大の財政赤字を抱えて歳出削減圧力が強まる現在の米国の状況と通じる。 もっとも歳出削減圧力は、在外基地縮小の動きの一方で「沖縄(の基地)を返還することになれば、いずれはこれに代わるものを構築せねばならず」(2月19日、フレイマス陸軍省補佐官)、かえって基地の固定化につながる面もある。 復帰後も多くの米軍基地が沖縄に残ったのはこうした理由があることも否定できない。日米両政府と沖縄が、歴史から何を学ぶかが問われているといえそうだ。 復帰前からリンク論
佐藤首相、米に示す
基地政策で強硬論も 【東京】佐藤栄作首相(当時)が1966年11月、沖縄への赴任前に就任あいさつに訪れたアンガー米高等弁務官に対し、沖縄経済について「根本的に軍事基地の役割があり、その目的のために民生向上がある」と強調していたことが、18日公開された日本の外交文書で明らかになった。 歴代政権は沖縄における経済振興施策と米軍基地の存在を結びつけた「リンク論」を否定しているが、実際には復帰以前から両者が密接にリンクしていると日本の首脳が認識していたことを示すものといえそうだ。 同年11月1日の会談でアンガー氏が、自分の主たる責任は米軍基地の効果的な運営と住民の福祉民生の向上の二つであると述べたのに答えた。 また佐藤首相は同じ会談で、当時政府が求めていた本土―沖縄間の渡航制限緩和について「もっと制限を無くすこととし、他方、(基地に反対する)社会党、共産党には理屈をつけて自由をなくす必要がある」と指摘。 その上で「軍政なのだから、もっと思い切ってよい、体裁のよいことは言わなくてもよいと思っている」と、基地政策でさらなる強硬措置の“助言”までした。 同席していたジョンソン駐日米大使がさすがに「日本はわれわれを支持しうるか」と懸念を示すと、佐藤氏は「あなた方のやりやすいように協力しなければならない」と答えたという。