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続・崩壊した「手榴弾軍命説」、パンドラの箱訴訟

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人気blogランキングへ クリックお願いします      ブログセンターランキングへ。     2007年9月10日、「集団自決訴訟」の那覇出張法廷で金城重明氏が原告側証人として証言した。 金城重明氏   以下は、前回に引き続き、原告側代理人の徳永信一弁護士による「金城氏の証言の解説文」の後半部分である。(太字強調は引用者)                                            ☆   《自決命令って単なる噂?》

隊長命令伝達に関する証言は、本来、隊長命令の有無が争点になっている本件訴訟でもっとも重要なもののはずだった。しかし、金城重明氏が証言したのは、「命令がでたらしいという噂」に過ぎなかった。金城重明氏の近著『集団自決を心に刻んで』(平成7年)でも、「事実関係には争いがある」との注が入っているのだから、「噂」しか証言できないのはしかたがないとはいえ、被告側の証人としてはいかにもパンチがないのである。しかも、その「噂」を話していた村民は誰かと尋ねてもはっきりとした答えはなかった。後知恵で命令を語っているといわれてもしかたがないであろう。

そのあたりの弱点は、金城重明氏も認識しているようで、それが次の「万歳三唱命令説」につながったと思われる。

《万歳三唱命令説のこじつけ》

金城重明氏がその体験から証言できるのは、集団自決前に古波蔵村長が音頭をとった「天皇陛下万歳」の三唱だった。

彼は、この「万歳!」の号令が軍からの自決命令そのものだと強弁した。最近の新聞でも、そんなことを語っているらしい。しかし、音頭をとった村長や幹部達は自決せずに生きていたのであり、ちょっと頭を冷やして考えれば、それが軍からの自決命令だという理屈に大きな飛躍があることは誰でもわかる。しかも、金城重明氏は、昭和46年に書いた『潮』の「体験手記」でも、『ある神話の背景』に引用された「手紙」でも万歳三唱のことは全く出て来ない。軍命令の有無が争点になっていた家永訴訟において提出された「意見書」や証言においても、万歳三唱には一切触れられていないのだ。村長の万歳三唱が自決命令だと感じ、「その光景が脳裏に焼きついている」というのが真実ならば、家永訴訟において

さえ、そのことを証言していないというのはおかしいではないかという真っ当な疑問に対し、金城重明氏から納得できる説明はなかった。ちなみに、村長の万歳三唱を軍からの自決命令だと感じたと話している村民がいるかと尋ねたが、記録されたものはなにもないという答えだった。万歳三唱命令説の証言は、最近になって金城重明氏が唱えた独自の見解、即ち、こじつけに過ぎないのである。   

《西山集合命令説の自家撞着》

(4)の西山陣地集合命令説は、もともと集合の「指示」を「命令」と曲解するだけでなく、軍の陣地の側は最も危険な場所だったという後知恵を当時の村民に認識にすり替えるトリックを必要とするこじつけにすぎない。金城重明氏は、しかし、最も危険な場所に住民を集めるということが軍が自決を強要したことの証拠であるかのように断言してみせた。裁判所へ来てする話ではないだろうとは思ったが、本当に証言したのだからしかたがない。

それなら当時どこなら安全だったのかという問いを投げかけたが、はっきりした答が返ってくるはずもない。なんと金城重明氏は『潮』の体験記のなかで、西山陣地近くに移動した村民の心情として軍の側なら安全だし、保護してもらえるかもしれないという期待があったと書いていたのだ。

これを突っ込むと、米軍が上陸する前の認識で、上陸後は、米軍の側が安全だという認識に変わったという。もう、むちゃくちゃである。金城重明氏は、家族や村民を殺した後、米軍に惨殺される覚悟で斬り込みに行ったと証言していたはずだった。鬼畜米英に対する恐怖は、西山に集合したときにもあったのである。米軍から軍民を区別しない空襲と艦砲射撃を受けているのだから当然だろう。むしろ、金城重明氏の証言は、そんな露骨なこじつけをしてまで、赤松隊長に集団自決の責任を押し付けようとする暗い執念のようなものが印象づけられる結果に終わった。

《なんともいい加減な話》

金城重明氏は、最近の沖縄タイムスのインタビューで集団自決後、赤松隊長から「軍は最後まで生き残って戦況を報告しなければならない。住民はそうではない」と直接聞いたとの新証言をしていた。弁護団としては、今回の証言で、この新証言が飛び出るのではないかと身構えていた。もし証言があれば、なぜ今まで、そんな大事な事実を沈黙してきたのかと突っ込むつもりでいた。ところが、主尋問は、この新証言にかすりもせずに終わってしまったのだ。反対尋問(原告弁護士側から)の最後で、このことについても尋ねてみたのだが、「住民はそうではない」の部分は、事実と違うので、削ってください、とのことだった(タイムスの創作?)。金城重明氏が、インタビューアーの期待に答えようとしてつい口が滑ってしまったのか、インタビューアーの間違いかは、はっきりしないままだったが、なんともいい加減な話である。

記者にも金城重明氏にも、人間の罪と名誉がかかった問題だという意識がまったくないのだろう。

そうして本日の証人尋問は終わった。

《明かになったのは・・・》

家族だけでなく複数の村民にも手をかけることになった金城重明氏の過酷な運命に深く同情する。確かにそれは戦争という異常事態、沖縄戦という不条理がなせるわざだった。誰も彼を裁くことはできない。しかし、確かな根拠もない理屈をかざして、隊長の自決命令があったと証言して、赤松嘉次に罪を押し付けるというのは別のことである。そもそも金城重明氏は、集団自決とは何かを語るべき証人であり、隊長命令や軍命令の有無を語るべき証人ではなかったのだ。この日、明かになったのはそのことだった。
完   人気blogランキングへ クリックお願いします      ブログセンターランキングへ。  

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