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民主主義を腐敗させた沖縄メディアの虚偽報道

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 2014年10月13日付沖縄タイムスの記事が手元にある。

4年前の県知事選の候補者に対するインタビュー記事だ。

仲井真候補に対し、最後の質問はこうだ。

ー辺野古移設は容認、推進の立場なのか。

仲井真候補はこう答えている。

「公有水面埋立て法の言葉は『承認』『容認』等は政治的な判断と混ざってしまう。 『普天間の危険性を完璧に除去する』という立場だ。」

仲井真知事は、いわゆる「辺野古埋め立て承認」について、知事の恣意的(政治的)判断の立ち入る余地の無いほど関係法令をクリアしているので、承認せざるを得なかったと何度もコメントしている。⇒法規裁量 (覊束裁量)

ところが沖縄タイムスら沖縄メディアは「一括交付金」と「埋め立て承認」を結びつけ「金で沖縄を売った最悪の県知事」として仲井真候補をバッシング。結果的に翁長候補に敗退したことは周知の通りである。

当選した翁長知事は、仲井真前知事の「埋め立て承認」を「法的瑕疵がある」として取り消したが、国との法廷闘争の結果最高裁で「埋め立て承認」は適法と確定し、自ら下した「取り消し」を取り消すという醜態を演じた。

最高裁判断は何を意味するのか。

翁長知事の言動を支援した沖縄2紙の報道が虚偽だったということを証明し、その結果民主週主義の根幹を成す多数決原理の知事選が歪められたことを意味する。

以下は過去ブログ民主主義と平和を考える2015-12-30 空の引用である。

民主主義の根幹を成す公正な選挙は、いまや世論を左右するまでに増長したメディアによって形骸化し、機能不全の状態にある。

仮に法的に公正な選挙が行われたとしても、多数決で決まる当選者が候補者の資質より人気投票によって決まるのが民主主義の実態だ。

歴史を振り返ってみよう。

希代の凶悪政治家とされるヒトラーも、民主主義の人気投票と化した選挙制度で国の統治者として選出された。

民主主義の本場とされるイギリスの首相であるウィンストン・チャーチルは、民主主義についてこう語っている。

 
民主主義は最悪の政治形態らしい。ただし、これまでに試されたすべての形態を別にすればの話であるが。

皮肉屋のチャーチルらしく、回りくどい表現をしているが、筆者のような単純思考の人間にもわかる様に言い替えると、こうなるらしい。

民主主義は欠点も多く、必ずしも理想の政治制度ではないが、他にこれに勝る制度がみつからないので、民主主義に拠るしか術はない。

ちなみに写真を撮られるとき、指でVサインをして「ピース」と口走る若者が多いが、第二次大戦でナチス・ドイツに勝利した軍人出身のチャーチル首相の「勝利のvサイン」が有名である。

「チャーチル vサイン」の画像検索結果

チャーチルのVサインは平和のピースサインではない。

勝利のVサインなのだ。

確かにドイツとの戦争に勝利したので、平和が訪れるという意味では「ピースサイン」だろうが、実際は「対独戦争の勝利」の意味のvサインである。

さらに民主主義について過去ブログ聡明なる有権者が民主主義の根幹より引用する。

民主主義の根幹なす多数決。

その多数決を成功させるためには有権者が聡明であることが不可欠。

当然、新聞社のアンケートに答える政治家はより聡明であるはず。

聡明な有権者が選択した政治家は聡明であるはずだから。

つまり民主主義の成功の条件は、有権者全体が知的教育を受けられることが不可欠だが、さらに重要なのは、メディアによる情報操作やプロパガンダなどに惑わされず理性的な意思の決定ができる社会が不可欠である。

逆説的にいえば、民主主義を妄信し無条件に広めると、知的教育を受けていないもの、人の感情や利害損得、あるいはメディアによる情報操作などに影響されやすい非理性的な人々が有権者の大多数を占めることとなり、結果として衆愚政治となりかねない危険がある。

我々は四年前に衆愚政治の悪夢を身をもって体験した。

メディアの捏造報道に踊らされて雪崩現象で起きた「民主党との政権交代」である。

現在では悪の権化のように言われていナチスだって民主主義により有権者が合法的に選択したものだ。

ナチスは1932年7月の議会選挙で第一党になる。

1933年1月にヒンデンブルク大統領からの任命で政権獲得、3月の議会選挙で連立過半数、全権委任法で国会が「自主的」に権限委譲、大統領権限のヒトラー個人への委託が1934年8月の国民投票で投票率95.7%、賛成89.9%で承認され「総統」となった。

ナチスの政権奪取と民主党にの政権交代は大同小異。

衆愚政治の結果である。

さて最後に、民主主義を歪めるどころか、「腐敗させる」と憤りを露に、沖縄メディアの虚偽報道を断罪するするロバート・D・エルドリッヂ博士の正論を紹介しよう。

  情報腐敗が招く民主主義腐敗、虚報流す沖縄メディア  

エルドリッヂ研究所代表・政治学博士 ロバート・D・エルドリッヂ

ロバート・D・エルドリッヂ

記者が活動家と密接な関係

 

 フランスのエマニュエル・マクロン大統領は4月23日から25日にかけて、トランプ米大統領が2017年1月に就任して以来の初の国賓としてワシントンに招かれた。この首脳会談は、貿易摩擦やイランの核合意をめぐって対立する欧州と米国、特にフランスと米国の関係者から注目された。この訪問は非常に象徴的で、米国誕生前にさかのぼる二つの民族の絆を示すものだった。両国の親密さは、議会両院合同会議でのマクロン大統領の演説で見ることができた。

 フランスの大統領が、両国の文化、政治、経済、外交、軍事の歴史にうまく言及したことに魅了された。「両国の強い絆は、両国が共有する理想の源だ。人類共通のビジョンを共有している」。こう述べたマクロン氏は、「民主主義は市民の日常のやりとりと相互理解で成り立っている」と訴えた。

 マクロン氏の演説で筆者が特に評価しているのは、民主主義におけるメディアの役割の重要性についての部分だ。「民主主義を守るためには、増え続けるフェイクニュースのウイルスと戦わなければならない。それは、人類を不条理な恐怖心や想像上のリスクにさらすものだ。理性と真実がなければ真の民主主義はない。民主主義には、真実に基づく選択と理性的な判断が必要だからだ。情報の腐敗は、民主主義の精神そのものを腐敗させる」

 その通りである。

 一方、マクロン氏を迎えたトランプ大統領が大統領選挙で「フェイクニュース」について話し始めるはるか前に、筆者は、本紙「ビューポイント」欄で日本のメディア、特に沖縄の新聞とテレビ局による誤った報道が人々を極度に混乱させ、誤った方向に導いていると警鐘を鳴らした。間違って報道してしまったのであればまだしも、残念ながら誤報のほとんどが意図的なのである。

 記者はいつも、正確に記事を書いても、デスクが削除したり、書き換えたりすると弁解する。一方のデスクは、デスクには報道するかどうかを決める権限があると主張する。そうかもしれないが、読者にはフィルターにかけられていない完全なニュースを読む権利がある。それこそがメディアの責任だ。メディアは民主主義社会における第4の権力で、その役割を果たせないのであれば、市民の期待に応じていないということになる。

 今年4月に沖縄の地元2紙のうちの1紙が記事の中で引用した情報が、米軍キャンプ・シュワブ(沖縄県名護市)のゲート前で活動家らが集めたものと同一であったことが最近、分かった。これは、この新聞が、情報の裏を取らないまま報じたか、情報料を活動家に支払っているか、この新聞の記者が活動家と一緒にゲート前のテントにいたことを意味する。

  いずれにせよ、この新聞のやり方は倫理に反する。

 地元紙と活動家との密接な関係は数年前にも見られた。15年2月22日にキャンプ・シュワブに侵入した活動家のリーダーが、拘束、逮捕された。この人物はその後、別の事件で、暴行で起訴された。地元紙の記者は現場におり、一緒に不法侵入していたが、記者は事実と全く違う形で報じた。幸いにも海兵隊がカメラで現場を撮影しており、警備の責任者からビデオのコピーを受け取り、自身の判断で公開した。真実が明るみに出ることを望んだからだ。意図的な誤報から2週間がたっていた。

 後になって、全国ラジオの番組でこの記者のインタビューを聞く機会があった。現場にいて、監視カメラに映り込んでいた地元紙の記者だ。ここでもうそをつき続けていた。客観的に報じる記者ではなく、主観的な活動家であることがよく分かった。

 ビデオが公開された後もうそをつき続け、誤報については一切の責任を負おうとしないばかりか、筆者を「情報漏洩」した人物として攻撃した。彼らは、事実関係を明確にし、謝罪するよう求めた筆者や数多くの団体による数々の要求を無視した。

 こうした行動の全ては、マクロン大統領が「情報の腐敗」と呼んだものの見本である。この沖縄の新聞は「民主主義の精神を腐敗させる」ことに寄与したのであり、恥じるべきだ。

 最近、筆者は多文化民主主義についての国際会議で講演した。1950年代の沖縄における民主主義と人権がテーマで、「全米市民自由連合」(ACLU)の創設者のロジャー・ボールドウィン氏が、日本の自由人権協会の設立を支援し、沖縄の自由人権協会の設立を提案したことについて話をした。この有名な平和主義者が嫌っていることが二つある。「暴力」と「うそ」だ。しかし、残念なことに、この沖縄の新聞は現在も、この両方を促進しているか、少なくとも寛容であるように思える。

 現在の沖縄メディアのダブルスタンダードは、これらの新聞の初期の編集者にとって恥ずかしいことに違いない。ダブルスタンダードは、民主主義社会で存在できない。マクロン大統領が主張するように、民主主義社会は、「正しい選択と理性的な決定」に基づくものだ。市民や選ばれたリーダーが正しい選択をし、理性的な決断を下す能力を損ねているのが沖縄のメディアの実態である。

 

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