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天災は忘れた頃にやってくる。
新燃岳の噴火は、20年前の雲仙普賢岳の災害を
想いださせる。
だが、雲仙普賢岳の災害は、
天災ではなかった。
傲慢なマスコミがもたらした
人災であった。
入山規制区域に侵入相次ぐ…新燃岳半径4キロ圏
バリケードを越えて火口方面に向かう男性(5日、鹿児島県霧島市で) 鹿児島、宮崎県境の霧島連山・新燃岳の周辺で、「近くで写真を撮りたい」などとして観光客が、火口から半径4キロ圏の入山規制区域に侵入するケースが相次いでいる。 「やっぱり、迫力ある姿を見たいでしょう」。火口から南に約5キロの鹿児島県霧島市の市道。通行止めのバリケードの奥から現れた48歳と39歳の男性2人に悪びれる様子はなかった。 別の中年男性も「今は火山活動も落ち着いているように見える。近づいても大丈夫だと思う」と話した。同市消防局の後庵(ごあん)博文局長は「観光客を見かけて注意したが、危険性をわかっていなかった」と心配する。 空気振動を伴う爆発的噴火が起きた今月1日、火口から南西約3・2キロの杉林に縦70センチ、横50センチの噴石が落下。直径6メートル、深さ2・5メートルの大きな穴が開いた。県と市は同日、規制区域を2キロ圏から4キロ圏に拡大。県道と市道の計3か所にバリケードと看板を設置している。 しかし、規制に法的拘束力はなく、大規模噴火時の危険性から、市はこの3か所に職員を配置していない。後庵局長は「軽率な行動で被害に遭えば、多くの人に迷惑をかけることを考えてほしい」と訴えている。 (2011年2月9日03時04分 読売新聞) ☆ 最近、以前に書いた「雲仙普賢岳」」関連の記事へのアクセスが常にベスト3に入っている。 新燃岳の噴火で20年前の雲仙普賢岳を思い出すのはわかる。 が、20年前の出来事を「天災」と捉える人人は多くいても、「人災」と捉える人は少ない。 相も変わらず立ち入り規制地域進入する人が出てくるのは、雲仙普賢岳の教訓を忘れるというより、最初から知らない人が多いからだ。 ふた昔の年月の経過は、当時の現役記者たちを現場の第一線から退かしめた。 毎年雲仙普賢岳災害の6月3日になって各紙に回想記事が掲載されるが、現役の第一線記者は、当時まだ物心のつく前であった。 だが、新燃岳の噴火で立ち入り禁止地域に進入するものが出てくる最大の理由は、マスコミが雲仙普賢岳災害の真相に頬被りをし、自分たちが引き起こした人災について反省する報道をしないからだ。 したがって、雲仙普賢岳の回想記事には、「天災」ではなく過熱した取材合戦で、「定点」を超えた報道陣を救出するため、多くの消防団員、警察官が犠牲者になった「人災」であると明記する自己反省の記事はほとんど無い。 新燃岳の不届きもの達は雲仙普賢岳災害の真相は人災であるということを知らされていないのだ。 例えばこの記事がそれだ。 「災害雲仙・普賢岳:大火砕流19年、慰霊の祈り 長崎・島原
犠牲者追悼之碑」に花を供え、手を合わせる遺族たち(写真省略)=長崎県島原市で2010年6月3日、加古信志撮影 死者・行方不明者43人を出した長崎県雲仙・普賢岳の大火砕流から19年となる3日、被災地の同県島原市で追悼行事があった。市はこの日を「いのりの日」と定め、終日慰霊の思いに包まれる。 普賢岳は90年11月17日に噴火。大火砕流で91年6月3日に43人、93年6月23日にも1人の犠牲者が出た。周辺は今も立ち入り禁止状態が続いている。 午前8時半、市は仁田団地第一公園の「災害犠牲者追悼之碑」前に献花所を設置。遺族や横田修一郎市長、市民らが次々に白菊を手向け、犠牲者の冥福を祈った。 市内の小中学校で災害を語り継ぐ行事もあり、高野(こうや)小では、島原市の保育士、大山秀樹さん(29)が当時の思い出を話した。【古賀亮至】 ◇ 亡くなったほとんどの犠牲者は人災、それもマスコミ報道陣の傲慢な態度がもたらした人災であったという事実に触れ、それを反省する記事は皆無である。 記事は、「普賢岳は90年11月17日に噴火。大火砕流で91年6月3日に43人、93年6月23日にも1人の犠牲者が出た」と、淡々と記述されている。 だが、実際は亡くなった村の消防団員や警官などのほとんどが、立ち入り禁止されている地域に無謀にも立ち入ったマスコミ報道陣を救出するため、やむなく「定点」以内に踏み込んで、火砕流の犠牲者になった人たちである。 つまり報道陣をすくために犠牲になった人たちなのだが、記事には一行の反省も記されていない。 当時の取材狂想劇に加わったNHKも、「消防団員や報道関係者など、あわせて43人が犠牲になりました。」と一言の反省も示さず報じている。 ⇒反省なき祈り、雲仙・普賢岳:大火砕流19... 雲仙普賢岳の災害ほどマスコミの傲慢さを露にした人災を、筆者は寡聞にして知らない。 【おまけ】 参考エントリー: マスコミが報じない「雲仙・普賢岳噴火災害... マスコミが犯人の長崎・雲仙普賢岳噴火災害 浅間の噴火 雲仙・普賢岳の教訓を忘れるな...
2月11日(木) 建国記念日の行事 案内 1、 沖縄県護国神社 紀元祭 祭典:午前10時より 紅白まんじゅう贈呈 祭典終了後 宮司講和「祝おう建国の理想 創ろう誇り高き日本」 玉ぐし料 2、 日本の建国を奉祝する沖縄県民の集い 主催:日本会議沖縄県本部 会場:パシフィックホテル沖縄 万座の間 開場:13:00 開演:13:30 記念講演「世界と日本の誇り 沖縄」 講師:椛島有三日本会議事務総長 入場無料 3、日本の建国を奉祝する県民の集い 主催:国旗国歌推進沖縄県民会議 会場:宜野湾市 フェスト−ネ(ラウンドワン隣り) 開場:13:30 開演:14:00 記念講演 講師:國場幸之助 元沖縄県議会議員 入場料:千円 人気blogランキングへ クリックお願いします ブログセンターランキングへ。
バリケードを越えて火口方面に向かう男性(5日、鹿児島県霧島市で) 鹿児島、宮崎県境の霧島連山・新燃岳の周辺で、「近くで写真を撮りたい」などとして観光客が、火口から半径4キロ圏の入山規制区域に侵入するケースが相次いでいる。 「やっぱり、迫力ある姿を見たいでしょう」。火口から南に約5キロの鹿児島県霧島市の市道。通行止めのバリケードの奥から現れた48歳と39歳の男性2人に悪びれる様子はなかった。 別の中年男性も「今は火山活動も落ち着いているように見える。近づいても大丈夫だと思う」と話した。同市消防局の後庵(ごあん)博文局長は「観光客を見かけて注意したが、危険性をわかっていなかった」と心配する。 空気振動を伴う爆発的噴火が起きた今月1日、火口から南西約3・2キロの杉林に縦70センチ、横50センチの噴石が落下。直径6メートル、深さ2・5メートルの大きな穴が開いた。県と市は同日、規制区域を2キロ圏から4キロ圏に拡大。県道と市道の計3か所にバリケードと看板を設置している。 しかし、規制に法的拘束力はなく、大規模噴火時の危険性から、市はこの3か所に職員を配置していない。後庵局長は「軽率な行動で被害に遭えば、多くの人に迷惑をかけることを考えてほしい」と訴えている。 (2011年2月9日03時04分 読売新聞) ☆ 最近、以前に書いた「雲仙普賢岳」」関連の記事へのアクセスが常にベスト3に入っている。 新燃岳の噴火で20年前の雲仙普賢岳を思い出すのはわかる。 が、20年前の出来事を「天災」と捉える人人は多くいても、「人災」と捉える人は少ない。 相も変わらず立ち入り規制地域進入する人が出てくるのは、雲仙普賢岳の教訓を忘れるというより、最初から知らない人が多いからだ。 ふた昔の年月の経過は、当時の現役記者たちを現場の第一線から退かしめた。 毎年雲仙普賢岳災害の6月3日になって各紙に回想記事が掲載されるが、現役の第一線記者は、当時まだ物心のつく前であった。 だが、新燃岳の噴火で立ち入り禁止地域に進入するものが出てくる最大の理由は、マスコミが雲仙普賢岳災害の真相に頬被りをし、自分たちが引き起こした人災について反省する報道をしないからだ。 したがって、雲仙普賢岳の回想記事には、「天災」ではなく過熱した取材合戦で、「定点」を超えた報道陣を救出するため、多くの消防団員、警察官が犠牲者になった「人災」であると明記する自己反省の記事はほとんど無い。 新燃岳の不届きもの達は雲仙普賢岳災害の真相は人災であるということを知らされていないのだ。 例えばこの記事がそれだ。 「災害雲仙・普賢岳:大火砕流19年、慰霊の祈り 長崎・島原
犠牲者追悼之碑」に花を供え、手を合わせる遺族たち(写真省略)=長崎県島原市で2010年6月3日、加古信志撮影 死者・行方不明者43人を出した長崎県雲仙・普賢岳の大火砕流から19年となる3日、被災地の同県島原市で追悼行事があった。市はこの日を「いのりの日」と定め、終日慰霊の思いに包まれる。 普賢岳は90年11月17日に噴火。大火砕流で91年6月3日に43人、93年6月23日にも1人の犠牲者が出た。周辺は今も立ち入り禁止状態が続いている。 午前8時半、市は仁田団地第一公園の「災害犠牲者追悼之碑」前に献花所を設置。遺族や横田修一郎市長、市民らが次々に白菊を手向け、犠牲者の冥福を祈った。 市内の小中学校で災害を語り継ぐ行事もあり、高野(こうや)小では、島原市の保育士、大山秀樹さん(29)が当時の思い出を話した。【古賀亮至】 ◇ 亡くなったほとんどの犠牲者は人災、それもマスコミ報道陣の傲慢な態度がもたらした人災であったという事実に触れ、それを反省する記事は皆無である。 記事は、「普賢岳は90年11月17日に噴火。大火砕流で91年6月3日に43人、93年6月23日にも1人の犠牲者が出た」と、淡々と記述されている。 だが、実際は亡くなった村の消防団員や警官などのほとんどが、立ち入り禁止されている地域に無謀にも立ち入ったマスコミ報道陣を救出するため、やむなく「定点」以内に踏み込んで、火砕流の犠牲者になった人たちである。 つまり報道陣をすくために犠牲になった人たちなのだが、記事には一行の反省も記されていない。 当時の取材狂想劇に加わったNHKも、「消防団員や報道関係者など、あわせて43人が犠牲になりました。」と一言の反省も示さず報じている。 ⇒反省なき祈り、雲仙・普賢岳:大火砕流19... 雲仙普賢岳の災害ほどマスコミの傲慢さを露にした人災を、筆者は寡聞にして知らない。 【おまけ】 参考エントリー: マスコミが報じない「雲仙・普賢岳噴火災害... マスコミが犯人の長崎・雲仙普賢岳噴火災害 浅間の噴火 雲仙・普賢岳の教訓を忘れるな...
2月11日(木) 建国記念日の行事 案内 1、 沖縄県護国神社 紀元祭 祭典:午前10時より 紅白まんじゅう贈呈 祭典終了後 宮司講和「祝おう建国の理想 創ろう誇り高き日本」 玉ぐし料 2、 日本の建国を奉祝する沖縄県民の集い 主催:日本会議沖縄県本部 会場:パシフィックホテル沖縄 万座の間 開場:13:00 開演:13:30 記念講演「世界と日本の誇り 沖縄」 講師:椛島有三日本会議事務総長 入場無料 3、日本の建国を奉祝する県民の集い 主催:国旗国歌推進沖縄県民会議 会場:宜野湾市 フェスト−ネ(ラウンドワン隣り) 開場:13:30 開演:14:00 記念講演 講師:國場幸之助 元沖縄県議会議員 入場料:千円 人気blogランキングへ クリックお願いします ブログセンターランキングへ。