Quantcast
Channel: 狼魔人日記
Viewing all articles
Browse latest Browse all 9761

事実隠蔽に狂奔、琉球新報の事実捏造体質!

$
0
0
   人気blogランキングへ クリックお願いします    ブログセンターランキングへ。       琉球新報が上原さんの原稿掲載を拒否した2007年6月19日当時の沖縄の状況はどのようなものであったか。 先ず同年3月、高校歴史教科書の文科省検定意見で、沖縄戦慶良間諸島の集団自決は軍の命令で行われたという記述が削除された。 これに反発する沖縄2紙は、連日のように県民を扇動するキャンペーンを張った。 こんな雰囲気のなか、上原さんの「パンドラの箱が開く時」の掲載日予定日の19日の紙面にはこんな記事が掲載さてれている。
検定撤回、国に要請を 県議会へ決議文提出    仲里議長に決議文を手渡す高嶋教授(左)=19日午後、県議会議長室  「6・9沖縄戦の歴史歪曲(わいきょく)を許さない!沖縄県民大会」の実行委員会代表ら7人は19日午後、県議会を訪れ、仲里利信議長に大会決議文を手渡し、「集団自決」から日本軍の関与を修正・削除した高校教科書の検定意見撤回を国に要請するよう求めた。
 仲里議長は「本日の文教厚生委員会で(意見書を)検討する。漠然とした表現があるかもしれないが、全会一致で国に撤回を要請していきたい」と答えた。
 実行委の高嶋伸欣琉大教授は、9日の県民大会を踏まえ「県民の声は検定意見の撤回を求めている。県民の代表として、県議会でぜひ検討していただきたい」と要請した。
 決議文では「沖縄戦の集団死・『集団自決』が『軍による強制・強要・命令・誘導』で引き起こされたことは否定できない事実」「県民の90%以上が削除・修正に反対している」と文科省を批判。「沖縄戦の実相」を子どもたちに伝えるために、沖縄戦「集団自決」に関する教科書検定意見をただちに撤回することを求めている。
 この後、実行委代表らは県庁で記者会見し、15日の東京での文部科学省への要請行動などについて報告した。 (琉球新報 6/19 16:22)                                             ◇ 最初の県民大会は800名前後の参加者しかいなかった。 主催者側は県議会に決議採択を求め、県民の扇動を目論んだ。 そして結局は9月25日の「11万人集会」に向かって狂ったように県民を扇動していくことになる。 同じ日(19日)の沖縄タイムスの朝刊一面にはこんな記事が。   
軍命めぐり与野党対立/「集団自決」意見書案
  自民の伊波常洋政調会長側は「合意できるぎりぎりの線。容易には譲れない」と述べた。前島委員長も「全会派が一致できる内容を示した。決裂させるわけにはいかない」と述べた。  護憲ネットの狩俣信子氏は「到底受け入れられない。訴えが弱く、文科省寄りだ」と批判。野党案を作成した前田政明氏(共産)は「軍命は多くの人々が証言している。最も重要な点をあいまいにするのは許されない」と主張した。(2007年6月19日(火) 沖縄タイムス朝刊1面より抜粋)                              結局こうなってしまったようだ。⇒与野党が合意 可決へ/「集団自決」意見書                                       ☆   今回の上原さんの提訴は、琉球新報が上原さんの沖縄戦研究の実績を認め執筆依頼したのだが、連載途中で出された「教科書検定意見」に対する県民の反発に阿(おもね)った新報が、真実の追究は二の次にして原稿を一方的に削除したことに対してである。 新報側が上原さんに原稿を依頼し、途中で一方的に掲載拒否を言い渡し、提出済みの原稿まで一方的に削除する経緯を訴状から引用する。
第3   『パンドラの箱を開く時』の連載と掲載拒否 1 連載執筆の依頼 平成18年(2006年)1月、被告の編集局長は「君の書く千期ものはどんなものでも琉球新報に掲載するから書いてくれ」等と申し入れ、長期間の連載執筆を依頼した。
原告はこれを受諾し、数年間にわたってアメリカ国会図書館、沖縄県公文書館等で収集した資料をもとに、長編戦記物『戦争を生き残った者の記録』を執筆し、琉球新報紙上に150回にわたって連載された後、新連載となる『パンドラの箱を開く時』の構想を練り、原稿の執筆に取り掛かった。 2 『パンドラの箱を開く時』の連載開始 (1)平成19年(2007年)5月26日夕刊にて原告の新連載『パンドラの箱が開く時』が始まった。 初回「はじめに」では、新連載の全体構造が明らかにされている。 全体は三章からなる三部構成をとり、第一章「死ぬ時、生きる時』は、伊江島を取り上げる第一話、慶良間の集団自決の真相に迫る第2話、久米島戦を扱う第3話からなることが語られ、第2話は、「今、世間の注目を浴びている『集団自決』についてアメリカ兵の目撃者や事件の主人公たちの知られざる証言を基に事件の核心を突くものになるだろう。」と予告されていた。 (2)翌日から始まった第1話「みんないなくなったー伊江島戦』は、「数多くの住民が女子供まで先頭に参加し、死んでいった。 その凄惨な戦いを知ることは慶良間の『集団自決』を理解する重要な手がかりとなるだろう。」と位置づけられていたが、6月16日夕刊(第15回)で完結し、6月19日夕刊から第2話が始まる予定であった。  3 掲載拒否と連載の中断 (1)6月15日、原告は、第2話「慶良間で何が起きたか」の導入部の原稿(連載5回分)を書き上げ、被告の担当記者にEメールで送信した。 その内容は、前記『沖縄ショウダウン』の「注・渡嘉敷で何が起きたか」を下敷きにしたものであり、第2話全体は第三戦隊陣中日記を織り込み、書き上げた導入部を含め50回の長編になる予定であった。 (2)ところが、6月18日、原告は担当記者から呼び出されて足を運んだ被告の会議室において、担当記者を含めた4人の編集委員から突然、第2話の掲載拒否を告げられた。 理由を問うても、「社の編集方針に反する」とか「君は既に同じことを書いている」というばかりであった。 憤慨した原告は猛烈に抗議したが容れられず、『パンドラの箱を開く時』の連載は中断された。 (3)連載中断の10月初旬、原告は当時の編集局長と会い、今後のことを協議したところ、編集長から「今日は、集団自決は軍の命令だとすることで社の方針が固まっているので耐えてくれ、また時期がくれば掲載するので、当面別の原稿と差し替えて連載を継続してほしい」と頼まれた。 
軍命説の記載を問題とすることを求める検定意見をめぐって沸騰した沖縄の世論を背景に、編集委員と原告の板ばさみになっていた編集局長の立場に配慮した原告は妥協することを決め、『パンドラの箱を明ける時』は、約4ヶ月間の中断を経て10月16日の夕刊から連載再開となった。 4  連載の終了 (1)再開された『パンドラの箱を開く時』は、平成19年(2007年)12月15日に第3話「久米島虐殺事件の真実」を終え、続いて第4話以降の連載が始まったが、平成20年(2007年)の春に編集局長が交代してしまい、「慶良間で何が起きたのか」の掲載のことはうやむやになり掲載拒否の事実だけが残った。 (2)平成20年(2008年)7月下旬、被告の編集委員からそろそろ『パンドラの箱を開く時』を終わるように示唆された原告は、第13話「最終章ーそして人生は続く」を執筆し、最後に赤松元隊長が渡嘉敷の警官だった比嘉喜順に宛てた手紙「(前略)何れにしても私たちは真相が明白にされ、私たちの汚名が拭い去られる日を期待して努力しております。 一日も早く沖縄の人々にも理解して頂き、私たちと島民が心を合わせて共に戦ったように次の世代が憎しみ会うことなく本土の人々と仲良くやってゆけることを祈って」やみません。」を紹介し、「これでパンドラの箱を閉じる。 パンドラの箱に残ったもの、それは」人間の真実だ。」と書いて、読者に別れを告げた。 (3)しかしながら、被告の編集委員らは、原告に対し、またもや「社の編集方針」を理由にその削除を求めてきたが、原告が断固拒否したため、被告は原告の承諾なくこれをカットしして連載を打ち切り、『パンドラの箱を開く時』は、未完のまま180回をもって連載を打ち切ることになった。(訴状より)   ちなみにここに登場する比嘉喜順さんは元渡嘉敷島の安里巡査のことで、戦後比嘉家の養子になり姓を比嘉に変えている。 比嘉さんは、戦後も沖縄に住んでおり、渡嘉敷島の集団自決を目撃した生き証人であるにもかかわらず、沖縄のマスコミで比嘉さんに取材したものは一人もいなかったという。 沖縄のマスコミが比嘉さんの取材を避けた理由はなにか。  比嘉さんが集団自決の「不都合な事実」を知っているからである。 比嘉さんは2009年に亡くなっているが、上原さんの原稿が削除された2007年当時は未だご健在であった。 琉球新報が比嘉喜順さんが登場するくだりを一方的に削除した理由は、比嘉さんの名が新聞に登場し、沖縄戦の研究者が取材に訪れるのを避ける目的があったと推測できる。 「パンドラの箱を開けること」は、琉球新報にとっては何としてでも避けたいことだった。   ★比嘉喜順さん(安里巡査)については次のエントリーを参照: 安里巡査はご存命 反対証言は取材しない地元マスコミ 重要証言者の死 NHKに翻弄された証言者の晩年!    人気blogランキングへ クリックお願いします    ブログセンターランキングへ。   

Viewing all articles
Browse latest Browse all 9761

Trending Articles