天皇皇后両陛下奉迎沖縄県実行委員会
行幸啓日程:平成30年3月27日(火)~3月29日(木)
3月27日(火)那覇空港ご到着、県営平和祈念公園(糸満市)、国立沖縄戦没者墓苑
3月28日(水)与那国島ご視察(日帰り)
3月29日(木)沖縄空手会館ご視察、那覇空港ご出発
先人の名言を引用する理由は、引用によって文章を際立たせる意味がある。 だが新聞のコラムには自分の蘊蓄をひけらかすだけの消化不良な引用が目立つ。引用も直接の引用ならともかく「孫引き」となると、消化不良に加え強引さが鼻につく。
読まされる人はたまったものではない。
下手な引用読まずに如かず。
大弦小弦 [大弦小弦]大群衆の前に、マーチン・ルーサー・キング牧師の… 2018年3月26日 07:05 阿部岳大群衆の前に、マーチン・ルーサー・キング牧師の9歳の孫娘が現れた。24日、米首都ワシントンで開かれた銃規制要求デモで「私には夢がある」と語った。祖父の歴史的演説から一節を借りた
▼黒人差別根絶に向け運動を率いたキング牧師は、あくまで「非暴力の力」を信じた。言葉が彼の武器だった
▼一度だけ、脅迫から家族を守るため運動をやめようとしたことがあったという。ある夜、祈ることで力を取り戻し、その後は自宅が爆破されても和解を呼び掛けた。「憎しみを憎しみで駆逐することはできない。それができるのは愛だけだ」と説いた
▼死の予感は常にあった。「私が皆さんと一緒に行けなかったとしても、私たちは必ず約束の地にたどり着く。私は何も心配していないし、誰も恐れていない」。この時39歳。これが最後の演説となった
▼凶弾に倒れたのは翌日、1968年4月4日。ちょうど50年がたとうとする今も、差別と暴力は猛威を振るっている。米国で、沖縄で、世界で。約束の地はなお遠い
▼それがなぜなのか、キング牧師は明確に指し示している。「究極の悲劇は、悪人による迫害や酷薄ではなく、善人による沈黙である」「発言することだけでなく、発言しないことにも責任を取らなければならない」。この言葉が多数派に届いた時、初めて扉は開く。(阿部岳)
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来月4日がキング牧師の命日ということにこじつけて、キング牧師の明言の引用かと思いきや、文字通り「孫引き」なのには爆笑した。
阿部岳記者も、沖縄のローカル紙の記者なら、コラムを書いた3月26日が慶良間沖で散華した石垣市出身の伊舎堂用久大尉の命日であることに気が付くべきだ。
伊舎堂大尉にちなむ引用でもしたほうが記者としての「職業的良心」といえるのではないか。(伊舎堂大尉については【おまけ】参照)
さて、「孫引き」満載のコラムだが引用が冗長で執筆者の真意を「忖度」するのに苦労するが、結局最後の数行が主張したかったのだろう。
>キング牧師は明確に指し示している。「究極の悲劇は、悪人による迫害や酷薄ではなく、善人による沈黙である」「発言することだけでなく、発言しないことにも責任を取らなければならない」。この言葉が多数派に届いた時、初めて扉は開く。
阿部記者は(今も、差別と暴力は猛威を振るっている理由は)「発言しない大多数の善人に責任がある」と言いたいのだろう。
だが、沖縄タイムス、琉球新報の両紙が言論を支配する沖縄では、「サイレントマジョリティーの意見」を黙殺しているのは沖縄2紙自身であり、少数の活動家の主張を「大多数の市民」のい意見として誇大報道しているのが実情だ。
つまり、沖縄2紙は「ノイジィーマジョリティ」の主張をあたかも”大多数の善人”の主張であるこのように報道しているねつ造新聞なのだ。
キング牧師の明言に逆らった報道をしているのが、他ならぬ阿部記者ら沖縄2紙、という皮肉な結果だ。
【おまけ】
南から来た特攻隊!慶良間に散った伊舎堂陸軍大尉 2011-06-27 12:00:31 | 未分類
陸軍第1号の特攻隊長期成会が準備進める
陸軍特攻隊の第一号隊長として旧日本軍白保飛行場を出撃し、戦死した石垣市出身の陸軍大尉・伊舎堂用久(ようきゅう)氏の顕彰碑を建立しようと、「伊舎堂用久中佐顕彰碑建立期成会」(三木巌会長)が準備を進めている。関係者と遺族が24日、旧白保飛行場近くで慰霊祭を行ったあと、顕彰碑の内容について話し合った。伊舎堂氏のおいに当たる伊舎堂用八氏(73)=石垣市登野城=は「歴史的事実を伝えることができれば」と話している。
伊舎堂大尉は1945(昭和20)年3月26日午前4時、誠第17代飛行隊の隊長として隊員3人と特攻機で白保飛行場を出発。同日午前5時50分、慶良間郡西海上の米航空母艦に体当たり攻撃し、戦死した。24歳だった。出発前、「指折りつ待ちに待ちたる機ぞきたる 千尋の海に散るぞたのしき」と辞世の句を残している。戦死後に2階級特進して陸軍中佐となった。白保飛行場からは計31人が突撃死している。
慰霊碑建立に対しては、「建て直そう日本」女性塾の伊藤玲子幹事長が「尊い犠牲の上に今の日本があることを忘れてはならない」として支援している。
用八氏は「石垣島から31人が白保飛行場から飛び立ち、郷土や国家のため最初の陸軍特攻隊として戦死した。この事実を伝える慰霊碑ができればいいと思う」と感謝、「31人の名前を刻銘してほしい」と希望する。
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慶良間島の集団自決が起きた昭和20年3月26日の未明、鹿児島を飛び立った多くの特攻隊兵士が、島を取り巻く米軍艦隊に突撃し散華して果てた。
北から南下した海軍特攻隊のことを知る人は多いが、沖縄南の石垣島白保飛行場を飛び立ち慶良間沖の米軍艦船に突撃攻撃をし散華した陸軍特攻隊のことを知る人は少ない。
しかも数少ない陸軍飛行隊第一号が石垣市出身の陸軍中尉であることを知る県民が果たして何人いるか。
沖縄戦で祖国防衛のため戦死した日本兵に対して沖縄県民の見る目は冷たい。
祖国復帰後、沖縄メディアのキャンペーンにより「残虐非道な日本兵」という歪曲報道により洗脳される県民が多かったも事実である。
その象徴的な例が『鉄の暴風』に出てくる、住民に自決を強要する悪逆非道な日本兵であり、「沖縄県平和祈念資料館」の展示で、壕の中で子供を抱く母親に銃剣を突きつける、悪鬼の形相をした日本兵の人形である。
伊舎堂大尉の顕彰碑の建立については「沖縄平和祈念資料館」の歪曲・捏造体質を白日の下に晒した『沖縄平和祈念資料館の真相』の著者である伊藤玲子氏が、支援しているという。
沖縄県民に忘れられている伊舎堂大尉については、過去のエントリーがあるのでご一読ください。 ⇒伊舎堂大尉が見た沖縄の空と海←人気ブログランキングランキングに参加中。クリックして応援お願いします!