県が首里城公園内に設置した第32軍司令部壕説明板の文言から「慰安婦」「住民虐殺」の記述が削除された問題で、説明板設置検討委員会の元委員らは25日、県庁で金城弘昌子ども生活福祉部長と面談し、検討委原案への削除字句復活などを要望した。金城部長は「県としては、説明板の設置目的は果たせていると考えている。要望について何ができるかは内部で考えたい」と難色を示した。
要望しているのは元検討委委員長の池田榮史琉球大学教授と委員だった新城俊昭沖縄大学客員教授、村上有慶さんの3人。9月26日、県に要望書を提出した。
面談で金城部長は、池田教授らの「司令部壕にいた慰安婦について、正子・ロビンズ・サマーズさんの証言も出ている」などの指摘に対し県は「なかったという人もいる。説明板の文字数で全て書き込むのは難しい」と強調。再検討の委員会設置については「現時点で難しい」と述べた。
会見で、池田教授らは「部長は行政の立場だけを話していた。検討について言及があったので、継続的に確認したい」と話した。
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>面談で金城部長は、池田教授らの「司令部壕にいた慰安婦について、正子・ロビンズ・サマーズさんの証言も出ている」などの指摘に対し県は「なかったという人もいる。説明板の文字数で全て書き込むのは難しい」と強調。再検討の委員会設置については「現時点で難しい」と述べた。
県がが「慰安婦」と「住民虐殺」の表記を拒否したのは当然だが、この問題は5年前の仲井真前知事当時、説明版から削除することが決定していた。
曖昧な伝聞情報を説明版から削除するのは「常識の問題」と仲井真前知事は明言していた。
「慰安婦」を削除 第32軍司令部壕の説明板 県が方針決定 2012年2月24日 09:47 慰霊の日・沖縄戦那覇市の首里城公園近くにある旧日本軍沖縄守備隊・第32軍司令部壕の第1坑道入り口付近(園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)の裏手)に設置予定の司令部壕説明板で、県は、第32軍司令部壕説明板設置検討委員会(会長・池田榮史琉球大教授)がまとめた説明文から、証言が分かれていることを理由に「慰安婦」という文言と、日本軍による住民虐殺に関する記述を削除することを23日までに決めた。
同委は沖縄戦の実相を伝えるためには欠かせないとして同日午後、下地寛環境生活部長に削除撤回を求める意見書を提出した。
これに対し下地部長は「慰安婦の問題は明確にそこに慰安婦がいたという事実を証明する文献、書類がない。虐殺についてもあったという証言と、なかったという証言の両方あって不確か。限られた範囲内で両論併記も難しい」と削除の方針を変えないとした。
検討委は昨年11月、壕の構築や司令部の南部撤退の経緯、壕内に女性軍属・慰安婦が雑居していたことや、壕周辺で日本軍にスパイ視された住民が殺害されたこと、司令部の南部撤退が多くの住民の命を奪う原因となったことなどを記した説明文を県に答申した。
県は、答申された説明文のうち「司令部壕内には、牛島満軍司令官、長勇参謀長をはじめ総勢1000人余の将兵や県出身の軍属・学徒、女性軍属・慰安婦などが雑居していました」の一文から、「慰安婦」を削除した。
さらに「司令部壕周辺では、日本軍に『スパイ視』された沖縄住民の虐殺などもおこりました」という記述全てを削除した。
沖縄戦研究者らは「2点の表記は32軍司令部の本質を示す物で重要だ」「もう少し歴史資料を踏まえて丁寧に書くべきだ」などとしている。
<用語>32軍司令部壕
沖縄守備軍・第32軍司令部が首里城の地下一帯に構築した壕。守礼門、園比屋武御嶽石門付近から金城町方向に延びる。司令部壕の規模は南北400メートル、総延長は1キロ超。壕構築は1944年12月上旬に開始、沖縄師範学校男子部の学生らが動員された。32軍司令部は米軍の猛攻撃を受け45年5月下旬に壕を放棄し本島南部に撤退。軍民が混在する地上戦が南部で展開され、犠牲者の増大を招いた。
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参考までにこの問題を取り上げた地氏のブログから引用する。
県、「慰安婦」などの文言復活拒否、32軍司令壕の説明版 2012-03-29このところ反日活動では連戦連敗の沖縄タイムスが、今日も社会面トップを「発狂見出し」で大きく飾り、その悔しさを恥もなく晒している。
32軍壕、協議決裂
委員、説明版「撤去を」
県、修正要求再び拒否
謙虚さ欠く県の独断
記事によると、第32軍司令壕の説明版をめぐり文案を作った池田榮史検討委員長ら4人の左翼学者らが28日県と協議したが、出席した県の下地寛環境生活部長は削除した「慰安婦」「住民虐殺」などの文言復活を再度拒否したとのこと。
県の態度はごく真っ当であり、削除を指示した仲井真県知事の言葉を借りると、削除は「良識」の問題でもあるし「常識」の問題でもある。
「良識」も「常識」も欠落したイデオロギーの怪物のような左翼学者の戯言を聞く必要は毛頭ないが、百歩譲って壕内に「慰安婦」がいたとしても、これをわざわざスペースの限られた説明版に書く必要があるのか。
32軍司令壕は軍民が雑居しており、女学生が看護婦として負傷兵の看護に当たっていたことで知られている。
「慰安婦」といえども人間であり、「鉄の暴風」を逃れて32軍司令壕に避難し低手もおかしくはない。そこで看護婦などの手伝いをしたことも充分考えられる。 公娼制度のあった当時は「慰安婦」といえども職業の一つであったはずだが、戦時中の壕の説明版には避難していた住民の職業を一々明記しなければならないのだろうか。 バカバカしい。
左翼学者側は、「慰安婦」らしき人物を目撃したという証言を盾に、文言復活に必死のようだが、修学旅行生も見学に来る32軍司令壕の説明版に、公娼制度のない現在では理解できないような「慰安婦」の記述をするということは百害あっても一利なしだ。
県には圧力に屈せずに頑張って欲しいものである。
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