よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします
2017.6.24 05:04更新
【産経抄】「正体を現した」文在寅氏 どっちつかずは、誰からも信頼されない 6月24日
あまりに予想通りの展開に、もう笑うしかない。韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は22日、ロイター通信のインタビューで日本について「慰安婦問題を含め、過去の歴史問題を解決するために最善の努力をしていない」と批判した。さすがは「仮想敵国は日本」と言い放った盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領の元側近である。
▼5月10日の大統領就任から、まだ1カ月半もたっていない。「こんなに早く正体を現すとは」。外務省高官もあきれ顔だ。米国を「立会人」とし、世界が注目する中で結んだ慰安婦問題をめぐる日韓合意は、条約にも相当する国際約束だというのに。
▼「韓国は今、自分で自分を難しい状況に追いやっている」(同高官)。中国が嫌がっていた米国の最新鋭迎撃システム「高高度防衛ミサイル(THAAD)」の導入は決めたものの、やはり中国に配慮して本格配備は先延ばしにする。一方で隣国、日本には無意味な歴史戦を仕掛けてくる。
▼軍事面でのふらふらと腰の定まらぬ態度は、同盟国である米国の怒りを募らせる半面、中国の満足にもつながらない。日韓合意軽視は間に立った米国のメンツをつぶす上、日本との関係悪化は韓国経済を冷え込ませる。喜ぶのは北朝鮮ばかりである。
元自衛官に対する韓国警察の逮捕・出国禁止。
長い歴史戦である慰安婦問題に追い風が吹き始めた。
わが国に追い風ということは、韓国にとっては逆風が吹いたことになる。
元自衛官の奥重治氏は、詐欺師・吉田清次の長男に(父の嘘に)「耐えられない」として吉田清次が自費で建造した(慰安婦への)「謝罪の碑文」の撤去の相談を受け、同碑文の撤去に手を貸した。
撤去後奥氏は一旦帰国したが、その後韓国警察の召喚を受け、逮捕を覚悟で韓国に再入国し、手錠をかけられ逮捕されたとのこと。
奥茂治氏によると、逮捕を覚悟で韓国に再入国した理由は「韓国人が(慰安婦問題の)嘘を知るきっかけに」とのことである。
017.6.27 08:04
更新
【歴史戦】「韓国人が嘘を知るきっかけに」 吉田清治氏謝罪碑書き換え、一時拘束の奥茂治氏インタビュー 26日、ソウルでインタビューに応じる奥茂治氏
朝鮮半島で女性を強制連行したと偽証した故吉田清治氏の謝罪碑を無断で書き換えたとして、韓国警察に一時拘束され、出国禁止となった元自衛官の奥茂治氏(69)が26日、ソウル市内で産経新聞のインタビューに応じた。奥氏は「法を犯したのであれば、罪を免れようとは思わない」と出頭に応じた理由を語った。検察が27日にも本格的に取り調べる見通し。(ソウル 桜井紀雄、写真も)
「一番先に降りてください」。奥氏は那覇から韓国に向かう機内で24日、客室乗務員に告げられた。仁川国際空港に着くと、捜査員に身柄を拘束され、謝罪碑が建立された国立墓地を管轄する韓国・天安市の警察署に移送された。拘束は「覚悟の上」だったという。
警察が追及したのは、国が管理するものを損壊した疑いと国有地に不法侵入した容疑だ。取り調べで、捜査員からは「管理者に先に申請すれば、問題なかった。手続きが逆だ」と指摘されたという。
慰安婦問題で日韓対立を生んだ「負の原点」は吉田氏の偽証にあり、謝罪文を刻んだ石碑の「封印から始めよう」と吉田氏の長男と意見が一致。当初は墓地の管理事務所に書き換えを届け出ようと考えたが、許可されない可能性があるとして、奥氏が無届けで別の石板を張り付けた。事務所には事後に理由と実名、連絡先を書いた手紙を送った
奥氏は、無許可で実行した点は認めるが、吉田氏が私財で建てた碑の所有権は相続した長男にあると主張。墓地は出入りが自由な場所で、不法侵入にも当たらないと訴える。碑石そのものの完全撤去を求め、民事訴訟も検討している。
周囲からは「どんな扱いを受けるか分からない」と韓国行きを止められた。ただ、警察の取り調べでは「法にのっとった手続きが取られ、紳士的な対応だ」と感じたという。
吉田氏の偽証に関し、そもそもは反日的な日本人が政治的に利用し、広めたとの見方を示す。「韓国人は逆に嘘に憤るべき」なのに、虚偽がほとんど認知されないまま、文在寅政権になって日韓合意の見直しを求める動きばかりが強まっていることを懸念する。
奥氏は「記事を取り消した朝日新聞が本来、韓国にもきちんと説明すべきだ」と指摘した上で、「今回の私の拘束が韓国内で報道され、韓国人が吉田証言の嘘を知るきっかけになれば」とも語る。
◇
■吉田清治氏の碑書き換え問題 朝鮮人慰安婦らを「奴隷のように」強制連行したとする故吉田清治氏の証言を1980~90年代に集中的に報じた朝日新聞が2014年に「虚偽」と判断し、関連記事を取り消した。吉田氏が1983年に「強制連行」への謝罪文を刻み、韓国・天安市の国立墓地に建立した石碑について、吉田氏の長男が奥茂治氏に不必要な日韓対立の原因になっているとして、撤去を委任。奥氏が今年3月、碑文の上に吉田氏の本名や出身地、「慰霊碑」とだけ記した別の石板を張り付けた。
☆
>奥氏は「法を犯したのであれば、罪を免れようとは思わない」と出頭に応じた理由を語った。検察が27日にも本格的に取り調べる見通し。
>警察が追及したのは、国が管理するものを損壊した疑いと国有地に不法侵入した容疑だ。取り調べで、捜査員からは「管理者に先に申請すれば、問題なかった。手続きが逆だ」と指摘されたという
>慰安婦問題で日韓対立を生んだ「負の原点」は吉田氏の偽証にあり、謝罪文を刻んだ石碑の「封印から始めよう」と吉田氏の長男と意見が一致。当初は墓地の管理事務所に書き換えを届け出ようと考えたが、許可されない可能性があるとして、奥氏が無届けで別の石板を張り付けた。事務所には事後に理由と実名、連絡先を書いた手紙を送った
>奥氏は、無許可で実行した点は認めるが、吉田氏が私財で建てた碑の所有権は相続した長男にあると主張。墓地は出入りが自由な場所で、不法侵入にも当たらないと訴える。碑石そのものの完全撤去を求め、民事訴訟も検討している。
奥氏は国に撤去願いを出したら拒否されるのは明白なので、吉田清次が自費で設置した碑文を当然の権利者として先に撤去し、後で国にその旨届けを出したという。
その点に監視、取り調べで、捜査員からは「管理者に先に申請すれば、問題なかった。手続きが逆だ」と指摘されたという。
ならば、わざわざ出頭した奥氏を逮捕する程の罪状ではなく、行政手続き違反程度なので、罰金を払えば済む問題。
だが実際はもっと複雑だった。
文在寅大統領は就任以来「日韓合意」の破棄を匂わせていたので、吉田氏の長男の碑文撤去のニュースは、急所に針を刺されたようで苦々しく思っていた。 当然、大統領支援の韓国メディも吉田氏の長男の行動をほとんど報道しなかった。
本来だったら碑文撤去の張本人の「長男」を逮捕すべきだが、それでは傷口をさらに大きくする可能性が大きい。
そこで苦渋の決断で白羽の矢を当てたのが奥茂治氏だった。
ところが逮捕を覚悟で一連の行動を起した奥氏は、逮捕により世間の注目を浴びた後、碑文のある碑石そのものの撤去を民事訴訟の提訴を視野に入れているという。
慰安婦問題のような「歴史問題」を民事訴訟で勝訴に持ち込むのはきわめて困難である。
民事訴訟が損害賠償、名誉毀損など個人の損得を争うという趣旨のため、金銭や名誉で損害を被った個人を特定するのが困難だからだ。
したがって慰安婦問題のような歴史問題は民事訴訟には馴染まない。
その点、今回の碑文撤去は逮捕・拘束という刑事問題を切り口にしているため、仮に裁判となっても刑事裁判であり、同時進行で慰安婦問題で民事訴訟を提訴することも可能だ。
世間の注目度も高い。
ピンチはチャンス。
奥氏のタオ穂劇は、反転攻勢の絶好の機会である。
★
【おまけ】
元自衛官の奥茂治氏が吉田清治の長男に依頼され、韓国の「日本人の謝罪碑」の上に「慰霊碑」を重ねて張り付けたのは今年3月のことだった。
平成29年(2017年)3月、奥茂治氏は、韓国にある吉田清治の「日本人の謝罪碑」をの上に「慰霊碑」の石板を重ねて張り付けた。
今年3月、「日本人の謝罪碑」から「慰霊碑」への書き換えを行った奥茂治氏は無事に日本に戻って来ていたのだが、今回わざわざ説明をするため韓国に逮捕覚悟で韓国へ出向いて行った。
謝罪碑文の元の姿
「日本人の謝罪碑」
あなたは日本の侵略戦争のために徴用され強制連行されて
強制労働の屈辱と苦難の中で 家族を想い 望郷の念も空しく
貴い命を奪われました
私は徴用と強制連行を実行指揮した日本人の一人として
人道に反したその行為と精神を深く反省して
謹んで あなたに謝罪いたします
老齢の私は死後も あなたの霊の前に拝跪して
あなたの許しを請い続けます 合掌
1983年12月15日 元労務報国会徴用隊長 吉田清治
撤去され書き換えられた碑文 ↓ ↓
新たな姿(「慰霊碑」 日本国 福岡県・ヨシダ ユウト:"吉田雄兎"は吉田清治の本名)
「日本人の謝罪碑」の上に重ねて張り付けられた吉田清治の長男の新たな石板「慰霊碑」)
6月24日に奥茂治氏が仁川(インチョン)国際空港に到着したところ、午後3時47分に韓国警察の捜査員に手錠をかけられて逮捕された!
吉田清治
1983年に出版した本で「日本軍が朝鮮の女性を強制連行した」と証言
そして、いわゆる「従軍慰安婦問題」が大騒ぎされ始めたのは、宮沢政権が発足して間もない平成3年(1991年)12月、「従軍慰安婦」だったと自称する韓国人婆が日本政府を相手取り、謝罪と損害賠償を求める訴えを起こしたのが発端だった。
これを機に、植村隆記者を中心に朝日新聞など日本の一部マスメディアが「従軍慰安婦問題」大キャンペーンを展開した。
★
慰安婦問題のような長期にわたる歴史戦の場合、途中で記憶が曖昧になる恐れがあるため、どのようにして慰安婦問題が捏造されて行ったか。 その経過を復習する必要がある。
■「従軍慰安婦」捏造の経緯のまとめ■
1947年、吉田清治が日本共産党から立候補したが落選
1971年、『週刊実話』が「従軍慰安婦」という言葉を使用
1973年、千田夏光著『従軍慰安婦』という捏造本が発行
1977年、吉田清治著『朝鮮人慰安婦と日本人』という捏造本発行
吉田清治が 「日本軍人が朝鮮女性を強制連行して慰安婦にした」 と証言
1982年、吉田清治が 「朝鮮人の奴隷狩りがあった」 と証言
1983年、吉田清治著『私の戦争犯罪――朝鮮人強制連行』という捏造本(韓国が強制連行された従軍慰安婦が居た証拠だと主張している本)を発行
以後、朝日新聞や赤旗が「従軍慰安婦強制連行」に関する記事を掲載。
1989年、韓国・済州島の済州新聞が 「私の戦争犯罪」 は捏造と報じる
1990年~1993年、朝日新聞が吉田清治らの虚言を真実であるとして、「従軍慰安婦強制連行」を大宣伝(テレビ朝日なども大キャンペーンを展開)
1991年、朝日新聞記者・植村隆が08/11の紙面にて、日本に対する悪意をもって従軍慰安婦について記事を掲載
裁判にて、親に売られたと証言した朝鮮人の言葉を、植村隆が日本軍に強制連行されたと捏造して紙面に掲載した。
1991年、12/06にアジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件として、35人が慰安婦に対する賠償を求めて日本政府を告訴
原告団長は粱順任(ヤン・スニム)、原告代理人は、福島瑞穂、高木健一、林和男など
朝日新聞記者・植村隆の義理の母親が粱順任(ヤン・スニム)であり、植村隆は義理の母親が日本政府相手の訴訟で勝てるように、捏造して世論を動かそうとした。
1992年、韓国・済州島にて現地調査が行われる。島民からまったく裏付けとなる証言がでてこなかった
1993年、宮沢喜一と河野洋平が吉田清治や朝鮮人婆の虚言を事実であると大宣伝
以後、南朝鮮の歴史教科書に「従軍慰安婦」が記述
1996年、05/29の週刊新潮のインタビューにて、「強制連行した」唯一の証言者である吉田清治が「慰安婦強制連行」がフィクションであることを認める。
吉田清治は「本に真実を書いても何の利益もない。事実を隠し自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやるじゃないか」と朝鮮での慰安婦強制連行を捏造と認めた。
1997年1月3日、「朝まで生テレビ」に出演した反日左翼の吉見義明は、「強制連行は確認されていない」ことと、「挺身隊が慰安婦にさせられた例も確認されていない」ことを認める。
1997年、日本の中学校の歴史教科書に慰安婦問題が記載される。
1998年、「人権屋に利用された私が悪かった」 と吉田清治が反省
2004年、11/29に日本最高裁判所にて、日本政府を告訴した原告の敗訴が確定
2006年、02/21にアメリカ最高裁判所にて、在米韓国人・在米中国人らが起こした従軍慰安婦訴訟の判決で、原告の敗訴が確定
アメリカ国内で慰安婦問題について日本に賠償・謝罪を求める訴訟は二度と起こせなくなった
2011年、05/09に韓国国内にて粱順任(ヤン・スニム)が日本政府から賠償金をとるからと弁護士費用を集めて、詐欺罪で逮捕
2014年、朝日新聞が吉田清治の証言について裏付け得られず虚偽と判断
★
吉田清治の告白は、後に完全な嘘・捏造だったことが判明し、1996年に本人もフィクション(作り話)だったと認めた。
1996年、「強制連行した」唯一の証言者が作り話であったと認める!
平成26年(2014年)8月5日
平成26年(2014年)8月5日、【朝日新聞】「済州島で連行」吉田氏の証言 裏付け得られず虚偽と判断
平成26年(2014年)9月11日、朝日新聞社長の木村伊量(ただかず)が記者会見!
「吉田調書」記事を取り消し!
ついでに、慰安婦誤報(捏造)についても【読者に】謝罪!
■動画
朝日新聞・木村社長緊急会見「吉田調書と慰安婦報道」
https://www.youtube.com/watch?v=lJBH0GcoHS8
よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします