このお話は作家の伊集院 静さんが書いた「松井秀喜の美しい生き方」の中のお話です。
伊集院 静さんは直木賞や柴田錬三郎賞、吉川英治文学賞など数々の栄誉ある賞を受賞しています。また、近藤 真彦さんの「ギンギラギンにさりげなく」や「愚か者」などの作詞も手掛けています。
ある日、伊集院 静と松井秀喜の対談が某出版社の企画で組まれました。
この日がお互いの最初の出会いの日だったそうです。この日を境に、伊集院 静、それに彼の奥さんと松井秀喜の交流が始まります。
この日のインタビューで、伊集院夫妻はすっかり松井秀喜の人間性にまいってしまったのです。
ちなみに、伊集院 静の奥さんは、女優の篠ひろ子さんです。
その対談は、最初のうちは当たりさわりのない話題から始まりました。
「野球は何歳くらいから始めたの?」
「将来メジャーリーグでプレーしたいという気持はあるの?」
松井秀喜の誠実な受け答えに、伊集院 静はじめ周囲の出版社スタッフも、すっかり彼に好感を抱きました。
その後もいろんなやりとりが著書に記されています。
しかし、私が最も松井秀喜の人間性を象徴していると思ったのが、次のやりとりです。
伊集院
「君の周囲の人から聞いた話だけど
君は人の悪口を一度も
口にしたことがないそうだね」
松井
「野球選手になろうと決めてからは
一度もありません」
まさか、という気持もあり、確かめたい気持もあり、伊集院は再度同じ質問をします。
伊集院
「一度も人前で
悪口を言ったことがないの?」
松井
「はい、ありません」
ここで、伊集院は、目は真剣だけど気負いのない松井の態度に、少々遅れを感じたのか、少し離れた場所で二人の話を聞いている奥さんの表情をうかがいました。
奥さん、篠ひろ子は驚いたようにうなずいて、目でゆっくり語ったそうです。
「その若者は真実を話してるわ」
雑誌の編集長もカメラマンも同じように驚いた表情をしていたそうです。
対談が続きます。
伊集院
「どうしてそうしているの?」
それに対する松井秀喜の受け答えこそが、彼の人間性の全てを物語っていると思われるのです。
松井の、その言葉に対し、そこに居合わせた全員が水を打ったような静けさに陥りました。
伊集院からの質問に対し、松井はこう答えています。
松井
「父と約束したからです。
中学2年生のとき
家で夕食をとっている中
僕が友だちの悪口を言ったんです。
すると、父が夕食を食べるのを中止して
僕に言ったんです。
人の悪口を言うような
下品なことをするんじゃない。
今、ここで二度と人の悪口を言わないと
約束しなさいと…。
それ以来、僕は人の悪口は言ってません」
父親が息子の悪い所を叱り、息子が素直に謝った。どこにでもある一般家庭の光景ではあります。同じようなことは、当然ながら私にもあります。
松井親子の場合、どこがどう普通の家庭と違っていたのでしょうか?
この日を境に、一切人の悪口を言わない松井秀喜という人格が形成されていったのです。
この後、伊集院からこんな質問もあります。
伊集院
「ところで松井君はそれでも
悪口を言いたいときはないのですか?
例えば、君のバッティングフォームに
ついてけなされた時とか・・・」
「言いたい時は・・・」
そこでしばらく黙った後、
松井
「山ほどあります」
そう言って、松井はニヤリと笑ったそうです。
そして、そこにいた全員が笑い出しました。
その日の対談が終わり、帰りの道すがら、伊集院と奥さんは、行きつけの鮨屋に立ち寄りました。
奥さん
「私、感動しました。
あんな素晴らしい若者が
まだ日本にいたんですね。
この国は大丈夫ですよ」
興奮して語る奥さんを見て、鮨屋の主人が言いました。
主人
「どうしたんですか?奥様。
まるで恋をしたみたいな言い方ですね。
そんな素敵な人に逢われたのですか」
奥さん
「はい、今日ジャイアンツの
松井選手に逢ったんです」
主人
「それは良かったですね。
私も松井選手を球場でみましたが
あの人は特別だ。
他の選手とはまるで違います」
普段は無口な主人が大声でそう言ったそうです。
伊集院 静や奥さんの篠ひろ子、それにこの場に居合わせた鮨屋のご主人が認めるように、その後の松井秀喜は特別の選手として、また人間性においても一流の選手として成長していきます。
国民栄誉賞まで受賞するような一流の人格に育つとは、この時点でまだ誰も想像していませんでした。
引用元:角田書店「逆風に立つ 松井秀喜の美しい生き方」
【おまけ】
松井ゴジラの小さなウソ 日本人が忘れつつある「心ばえ」 2007-06-29 09:56:06ウソの上にウソを重ねる弁護団に
「弁護士として恥ずかしくないのか」と
テレビで御馴染みの大沢弁護士が叫んだ。
光市母子殺人事件の被告人尋問の話である。
確か橋下弁護士も同じようなことを言っていた。
本事件に限って言えば「嘘つきは泥棒より恥」という言葉があってもおかしくは無い。
「どらえもんが何とかしてくれる」
「魔界転生」
「母胎回帰」
「死者復活の儀式」
と言った奇妙キテレツな弁解を聞いたとき、滅多に使ったことの無い言葉が思わず口をついて出そうになった。
「うっそー!」
被告人の証言がウソというより、安田弁護士が真顔でこの証言を説明している事実に「うっそー!」と思ったのだ。
「嘘も方便」というが、この場合の弁護団のウソに同意する人は少ないだろう。
だがウソはウソでもヤンキースの松井選手がついた小さなウソには心が洗われる。
あのいかつい顔をした松井ゴジラにこのような優しい“心ばえ”があったとは。
“心遣い”と書きたいとこを“心ばえ”という言葉で松井を賛辞した。
日本人の忘れかけた言葉と文化だ。
こんなコラムを書く筆者に脱帽。
北国新聞コラム 2007年6月29日
ヤンキースの松井秀喜選手の調子がおかしい。ついこの間まで快音を連発し、「夏場に強い男」と、評論家が口をそろえていたはずなのに
野球を熟知する評論家でも読み切れないのが、一流選手の心と体ということだろうか。天気予報なら「外れ」は失点となるが、それをとがめられないのが、この種の評論家や解説者。かえって、なぜ外れたかを講釈して済ますこともできる。不思議な職業である
もう時効だろうから、と小紙の松井番記者が明かした、ちょっといい話。スランプに悩む松井選手が愛用のバットを代えて当たりを取り戻した。「代えましたね」と、聞いたところ、「いいや」という返事
後になって、小さなうそを認め、「打てないのをバットのせいにしたくなかったんだ」。自分のために心血を注いでバットを作る職人のことも思いやっての「いいや」だった、とも打ち明けた
代えたバットに加え、そんな心ばえがあったからこそ実現したスランプ脱出だった。評論家や解説者のおしゃべりからは分からない野球の楽しさである。こんないい話が生まれるのなら、たまにはスランプに悩むゴジラ君がいてもいい。
【蛇足】心ばえ(日本人が忘れつつあるもの)
心葉(こころば)のこと。http://evagenji.hp.infoseek.co.jp/co-2002-12-8-2-3.htm
要するに「心葉」というのは、自分が大切にしたいと思っている相
手に対し、その気持ちを伝えるための添えもの なのではないか
しら? というのが、とりあえずの結論です。
現在でも、大切な人に贈り物をする時は、中身に気を配るだけで
なく、ラッピングにも心をこめますが、そういう贈り主のセンスを示
すものとして、この「心葉」は使われていたように思われます。